|
バンヤの頬には一筋の汗が流れ落ち、その汗は一見すると瞳から流れ落ちる涙のようにも見られた。バンヤはすでに何度となく同様の光景を目の当たりにしていたが、一向に耐性が身に付くことはなく、そんなときバンヤの心の中に湧き起こる感情は、悲しさや悔しさではなく、人間という存在に対する大きな失望であった。
自分にはどうすることも出来ないはずの事態を目の当たりにして、バンヤは自分の無力さと相手の見えない怒りに似た感情を押し殺し、単なる肉の塊と変わってしまった人間の姿をしっかりと目に刻み込んだ。それは自分の犯した罪への償いのような拷問とも言える行為であった。 「お力になれませんでした」 バンヤはいつも死を悲しみ嘆く人々に、一切の感情を捨て言葉を掛けた。バンヤは映画のワンシーンを再生するように、自分の中で渦を巻く無限とも言える感情がほんの僅かでも外に漏れ出すことを恐れながら、慎重に言葉を口にした。すでにバンヤの視覚は正常に機能することが出来なくなり、光の粒が飛び散る部屋を後にした。 青い太陽は疲れ切ったバンヤに容赦なく光を浴びせ掛け、バンヤは肌に感じる微かな痛みを堪えるように歯を食い縛った。もし自分が医者でなかったら、死に対して悲しみという感情を抱くことが出来たかもしれないと、悲しみと言うには程遠い怒りや屈辱と言える感情が心の中を巡る自分自身に苦笑いを浮かべた。 「医者にとって死は敗北である」 バンヤは義父であるマツオが口癖のように繰り返した言葉が胸の内を過ぎり、その言葉に真っ向から刃向かっていた若き頃の自分の姿を思い浮かべた。 「勝利や敗北の為に医者になるのではない」 若きバンヤは声に出さずに心の中でマツオに意見した。マツオはそんなバンヤの心を見透かしたように言葉を返した。 「理想を追い求める人間は、そのことが理想に過ぎないことを誰よりも心得ている。それなのに都合良く作り上げられた理想から逃れることが出来ないのは、現実を知らないからだ。現実を目の前にして、目を閉じ心の中に描いた理想だけを眺め続ける。そして目を閉じることでは避けようがない現実に直面したとき、理想も現実も崩壊してしまう。そんな弱い人間にだけはなるな」 多くの死と対峙し、バンヤの理想と現実は粉々に砕け散り、自分が弱い人間であるこという事実を目の前に叩き付けられ、その事実と死を受け入れることが出来ず目をそらす自分に対する怒りの中には、人それぞれ違った人生を送るに関わらず、どうして最後は死以外は存在しないのかといった、誰に向ければよいのか分からない怒りも混じっていた。 |
全体表示
[ リスト ]






