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平凡な毎日から生まれた物語・・・

鉄の胃袋

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嬉し恥ずかし長編処女作・・・
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「鉄の胃袋」〜34〜

 ピノは夕飯を食べずに眠りに就いた。半日、何も食べずに歩き続けて、ピノの胃の中は空っぽになっていたが、食欲よりも疲労の方が遙かに上回り、二リットル近い水を一気に喉に流し込み、横になった。眠りに落ちるまでの短い間、ピノは自分の体がまるで自分の体でないような感覚を覚えた。体だけがフワフワと浮かび、何処かに行ってしまうのでは無いかと思っているうちに、ピノは眠りの中に落ちていた。

 ピノは自分の視覚に異変が起きていることに気が付いた。そこは世田谷の自宅の直ぐ側にある見慣れた公園であった。しかし、その見慣れた公園の気色は、ピノに違和感を与えていた。滑り台も、ジャングルジムも何故か小さな、まるでジオラマの世界を見ているようだった。
「どうだ、いい景色だろう?」
 突然の声にピノは耳を疑った。
 紛れもなく父の声だった。その声ははっきりと自分の耳に届いていた。
 ピノは自分が父の肩に跨り、肩車をしてもらっていることに気が付いた。自分の体は紛れもなく、記憶の中に残る幼い頃の姿に変わっていた。微かにではあったが、これと同じ光景がピノの脳裏には記憶されていた。それは幼い頃の自分と、優しい頃の父の姿であった。
「全部ちっぽけに見える!」
 ピノは記憶の中に残る自分の言葉を、台本を読むように父に向けた。父の顔は見ることが出来なかったが、肩を伝い父の笑顔が伝わってきた。
「僕は世界一の大巨人だ」
 僕は更に決められている台詞を口にした。
 そう言えば僕にとって父の肩の上は最も安心できる場所だったなと思いながら、父との会話を続けた。単に覚えているだけの台詞を口にするだけだったが、ピノにはこの会話の懐かしさと幸福感を味わっていた。
 ピノは同い年の女の子にも泣かされてしまうほど気の弱い男の子であった。殆どの人に対し人見知りをして、相手が大人ともなれば何も話すことが出来なくなってしまった。駆けっこもいつもビリ。歌も恥ずかしくて上手く歌えない。不器用で折り紙もあやとりも下手くそ。隠れん坊も一人で隠れていると不安になり自ら鬼の所に出て行く。
 そんなピノにとって父に肩車をしてもらった時だけは、言いようのない優越感と満足感を味わうことが出来た。全ての存在が自分の眼下に広がり、テレビのヒーローのように強くなったように思えた。
「そう、僕は何よりもこの場所が好きだった」
 ピノは心の中で呟いた。同時に記憶の中には存在しない言葉が胸の奥から湧き上がった。太ももの裏に伝わる父の温もりを感じながら、ピノは雲ひとつ無い青空を見上げた。
「お父さんは僕のこと好き?」
 ピノは視線を父の堅くて太い頭髪に戻し、ゆっくりと甘えるように父に尋ねた。
 多分一秒ぐらいであった。父の答えが返ってくるまでの、ほんの僅かな時間がピノには途方もなく長く感じられた。
「当たり前だ」
 ピノは単純に嬉しかった。父がそう言うことは分かっていた。優しかった頃の父はそう答えると。
「お父さんのことは好きか?」
 今度はピノへの質問であった。ピノは反射的に答えた。
「うん、大好き!」

 ピノは目を覚ました。頬や枕が濡れていた。それが涙であることに気が付き、ピノは涙が残っている目元を掌で拭った。
「うん、大好き・・・・」
 ピノは夢の中の自分の言葉を呟いた。
「当たり前だ」
 父の言葉が蘇った。同時に熱くなった目頭から大粒の涙が溢れ落ちた。出来れば声を上げて泣きたかった。
 ピノは窓から差し込む朝の光を見詰め、溢れる涙を拭いた。

 昨日の疲れはぐっすり寝たお陰で殆ど消えていた。代わりに胃袋は悲鳴を上げるように鳴り出し、ピノは目の前に出された朝食を息つく間もなく口の中に詰め込んだ。
「疲れ過ぎて、そんな食欲なんて無いと思ってた」
 ピノの勢いを横目で呆れたように眺めながらルナは独り言のように言った。
 ルナの言葉を無視してピノは食べ物を口の中に詰め込み続けた。
 ゆっくりと朝食を食べる二人を置いて、ピノは一人で外に出た。限界まで食べ物を詰め込んだせいか、ピノの腹部は変形し盛り上がっていた。昨日と同じ位の距離である今日の道程が、何故かそんなに苦痛には思えなかった。
「今日はバンヤと並んで歩いて、振り返ってルナに言ってやろう。疲れたときは言ってね」
 ピノはそんなことを心の中で考え、この世界の中枢と言われるセンタータウンを想像した。ピノの頭の中には新宿や渋谷のような高層ビルが建ち並び、人が溢れる近代都市を想像した。ピノは得体の知れない思いに高ぶる自分の胸に手を当て、父の言葉を思い返した。それは実際の記憶の中での父の言葉では無かったが、ピノにとってそれはどうだっていいことだった。
「当たり前だ」
 ピノの胸の中で父の声が響いた。

「鉄の胃袋」〜33〜

 言い訳程度に整備された歩きにくい砂利道を三人は並んで歩き続けていた。
 出発して少しの間は三人の間にささやかな会話が存在していたが、今は只、無言のままに歩き続けていた。
 ピノは自分とルナの少しだけ前を歩くバンヤの背中を見詰めていた。ルナが自分も一緒に行くと言ったことをバンヤに伝えたとき、彼は一瞬だけ表情を曇らせた。そして直ぐにいつものように穏やかな微笑みを浮かべ、僕にはとやかく言う筋合いは無いと答えた。
 ピノはバンヤの穏やかな人柄に強く惹かれていた。それはピノが今まで出会ったことのない不思議な優しさと、強さを感じさせた。しかし、時折バンヤは何かを恐れ、何かを忌むような表情を垣間見せることがあった。そんなときピノは込み上げる恐怖のあまりに、目を背けるように気付かない振りをした。

 どのくらい歩き続けたのか、ピノは先程から振り返ることもなく歩き続けるバンヤに声を掛けようか迷っていた。隣を歩くルナは疲労を隠すように微かな苦痛で歪む口元に力を込め、平静を装っていた。出発前バンヤの話によると、センタータウンまでの道程は、急いでも丸一日程度掛かってしまうと言っていた。急ぐ旅ではないし、何度か休憩を挟んで、泊まるのにめぼしい場所が無ければ、最悪野宿になるかもしれないがと不安げに話を聞く二人に告げた。その言葉にルナは出来るだけ休憩は取らずに行きましょうと言った。ピノもその言葉に賛成の意思を示した。
 バンヤが歩き続ける限りは二人は休みたいと口にすることが出来ずにいた。歩きづらい道のせいでピノは普段よりも大きな疲労を感じていた。脹ら脛は鉄の重りでも巻き付けているかのように重く、靴の裏を通して伝わる石の感触は、微かにではあったが小さな痛みと変わった。しかしピノは男である自分が最初に音を上げるわけにはいかずに、何度もルナの方を盗み見た。ルナはどう見ても疲れ果て、それを必死に堪えていた。しかし、ルナもまた何かに対するプライドを抱え、口を閉ざし歩き続けていた。

 辺りは夜に変わっていたが、ピノにはすでにそんなことを一々気に留めるような体力は残されていなかった。ピノは只歩くことだけに全神経を集中し続けていた。数分前、自分が何を考えていたのかが分からないくらいに、ひたすら前に進み続けた。
「到着だ」
 バンヤの声が突然頭の中に飛び込んできた。幻聴かと思ってしまうくらい不鮮明に伝わる声を聞き、何年もの長い間聞いていなかったようにバンヤの声は懐かしく感じられた。
「今日はここに泊まる。ここはちょうど中間地点で、唯一の宿泊施設なんだ」
 バンヤはそう言って、自分がブルーポートタウンに来る際も、ここに泊まったんだと笑顔を見せた。ピノはその笑顔に何の反応も示すことが出来ないくらいに疲れ切っていた。
「結構きれいな所ね」
 そう言ってルナはバンヤに笑顔を返した。ピノは必死に自分も何か言わなければと口を動かしたが、粘りけのある唾液が喉の奥を塞ぎ、言葉を放つことが出来ず、せめて笑顔だけでもと笑顔を作ろうと試みたが、頬の筋肉は小刻みに痙攣し、更に苦痛の表情に変わってしまった。ピノは屈辱にも似た重苦しい気持ちになり、最もピノの心に重くのしかかっているのは、バンヤの半分と言う言葉だった。到底自分には明日も同様の苦しみを耐え抜くことは出来ないと、肩を落とした。

「鉄の胃袋」〜32〜

 翌日、ピノはバンヤに理由を話し、一人でルナの元へ向かった。途中、ピノは色々なことを考えていた。ルナの言った好きという意味。彼女が今日までに見つけようとしていること。これからの彼女のこと。そしてこれからの自分のこと。今の自分のこと。今までの自分のこと。ピノは昨日ルナの家を出てから考え続けていたそれらのことを、改めて考えていた。
 ピノが予想していたよりもルナは明るい表情でピノを迎えた。ルナが出したお茶を口に含みながら、ピノは何度かルナの表情を盗み見たが、その表情からはこれと言った変化を探し出すことは出来なかった。そんなピノを気にも留めずにルナは二人が出会ったときのことを楽しげに話し始めた。殆ど一方的にルナが話し続け、ピノは相づちだけを打ち続けた。
 ルナの話は最近覚えた料理の話や、幼い頃に描いた花の絵の話、少し前に買った黄色のワンピースの話と次々に話題を変えていった。漸くルナの取り留めもない話が続き、それが終わる頃には、長い時間座り続けたピノの尻は殆ど感覚が無くなってしまっていた。
 雪崩のような勢いで話し続けたルナは、急に話すのを止め、それに伴い表情からも笑顔が消えた。部屋の中は急激に静けさを取り戻し、ピノはルナの心臓の鼓動が聞こえてくるような気がした。
「昨日の話・・・・」
 ルナはそう言って言葉を句切り、ピノの反応を窺うようにじっとピノを見詰めた。
 ピノにはルナの表情が笑っているのか泣いているのか、それとも怒っているのかわからなかった。彼女が今、複雑な思いを胸に抱いていることは分かった。
「ひとつだけ約束して」
 ルナはそう言って不安を掻き消すための笑顔を作った。
 ピノはゆっくりと頷き、どんな約束と尋ねた。
「今から嘘は吐かないで。私のためを思って吐く嘘も、そうでない嘘も・・・・」
 ピノはどうすればいいのかが分からなかった。けれども、どうしたいのかは分かっていた。ルナに嘘は吐きたくない。それがルナのためであっても、彼女が真実を望むのならば、ピノは心の中で呟き、ルナに分かったと大きく頷きながら言った。
「おじいちゃんの部屋を整理していたら、日記を見つけたの。日記と言っても毎日描いていたものじゃなくて、ノートに走り書き程度に書いていたものだと思うの。それはおじいちゃんがこの世界で生活するようになった時ぐらいから書かれていて、私はそれを読み返していったの。おじいちゃんが抱えていた苦しみや悲しみ、それだけじゃなく、喜びも書かれていたの。私の知らなかった、おじいちゃんが私には話してくれなかったことが書いてあったの。知りたいという思いとは対照的に私は悲しくなっていった。なんだか自分が本当に一人になってしまったことを指摘されているようで」
 ルナは小さな溜息を吐き、またそれを笑顔で隠した。
「そこには父さんのことも書かれていたの。それを読んで私はおじいちゃんがお父さんを憎んでいた理由が分かったの。それとお父さんが生きているということも」
 今度のルナが見せた笑顔は、何かを隠すための笑顔なのか、本当の笑顔なのかピノは判断することが出来なかった。
「私のお父さんは人殺しなの」
 ルナの言葉にピノは彼女から目を反らしたくなった。しかし、それではいけないと自分を叱り、前を向いた。
「私はお父さんを探そうと思うの。会ってどうすればいいのかも分からないし、恐怖もあるの。けど、会わなければいけない気がするの」
 ピノの頭に一人で悩み苦しみ続けるルナの姿が浮かび上がった。
「次はあなたの番よ」
 ルナはそう言うと口を閉じ、ピノの言葉を待った。

 ピノはルナの祖父であるヤシマから聞いたこと、バンヤと一緒にサカキを探すためにセンタータウンに向かうこと、元の世界に帰りたいということ、父に会いたいということをルナに話して聞かせた。同時にそれは嘘を吐いていたことをルナに告げることであり、その嘘の性質がどんなものであるかという言い訳は言わずに、嘘を吐いていたことを謝罪した。
 ルナはピノが話している間、殆ど表情を変えることなく、真剣な眼差しで話を聞いていた。最期のピノのごめんという言葉に、優しく笑顔を返した。
「今日中に準備をするから、明日もう一度迎えに来てね」
 ルナの言葉にピノは疑問の表情を返した。
「私も一緒に行くのよ」
 疑問の表情は戸惑いの表情に変わった。
「お父さんを捜しに私も一緒に行くわ。分かった?ちゃんと明日迎えに来てね」
 ピノは殆どルナの勢いに負け、首を縦に振った。なんだか面倒なことになってしまったとバンヤにどう話せばいいのかを考えながらルナの家を出た。しかし、ピノの気持ちの中は、ルナと一緒にいられることへの喜びも大きく占めていた。ピノは鼻歌を口ずさみながら太陽の光をきらきらと跳ね返す浜辺を歩いた。

「鉄の胃袋」〜31〜

 翌日、ピノとバンヤは別れの挨拶を兼ねてルナの元を尋ねた。
 ルナはピノとバンヤのセンタータウン行きの話に殆ど興味を示すような態度を見せなかった。ピノにはそのルナの態度が何とも素っ気なく感じられ、腹立たしいような、寂しいような複雑な気分になった。その後の会話の中でもルナは二人に対し素っ気ない態度を示した。ピノはそんなルナの態度に、一晩中彼女のことを案じ頭を悩ませていた自分が単なる間抜けに思えた。
 殆どの会話はバンヤが一人で喋り、ルナは素っ気ない返事を返し続け、ピノは黙り込んでいた。
「お土産は何がいいですか?」
「何でもいいわ」
「・・・・」
「帰るのはいつになるか分かりませんが、何か困ったことがあれば僕の友人のヤナという男の住所をここに書いておきましたから、いつでも言ってください」
「ありがとう。でも大丈夫です」
「・・・・」
「遠慮はしないで下さい。彼にはちゃんと伝えてありますから」
「えぇ、そう言う意味じゃなくて、必要ないという意味です」
「・・・・」
「そうですか。生まれつき世話を焼くのが趣味みたいなもので」
「そうみたいですね」
「・・・・」
「何かの役に立てばと思って」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・」
 バンヤが言葉を止めると、三人の間には沈黙が訪れた。ルナは相変わらず二人から視線を反らすように、素っ気ない振る舞いをし、バンヤはそんなルナの態度に苦笑いを浮かべ、ピノは怒りを堪え続けていた。
「まぁ、本当に困ったときには頼って下さい。何かと一人では困ることもあると思いますから」
 バンヤの言葉に少しだけ間を置き、ルナは今まで堪えていたものを一気に吐き出すように言い放った。
「そんなこと私はいつ頼みました?私はあなたにそんな風にしてもらう覚えはありません。そもそもあなたは只の医者で、私にはそこまでしてもらう理由がありません。同情してそんな風に言っているのなら、はっきり言って迷惑です。それにあなた方がセンタータウンに行くことも私には関係のないことです」
 その言葉にピノの怒りも堰を切ったように溢れ出した。
「何だよ、その言い方は?僕らはお前の為を思って言ってるんじゃないか?」
「だから迷惑だって言ってるの!」
 ルナの言葉にピノは言葉を失い、目を合わせようとしないルナの横顔を睨み付けた。
「バンヤ、もう帰りましょう」
 ピノの言葉にバンヤは小さな溜息を漏らし、家を出ようとするピノを呼び止めた。それを聞き流し、足を止めないピノにバンヤは普段の穏やかな姿が嘘であるように、声を荒げピノを呼び止めた。
「待ちなさい!」
 ピノの体は一瞬で凍り付いたように固まり、足を止めた。
「君はこれでいいのか?」
 ピノはバンヤの声に足を止め、冷静に物事を考えるためにゆっくりと息を吸い込んだ。そして、後ろを振り返った。
 ピノは振り向くと同時に、吸い込んだ息を溜息に変え吐き出した。目に飛び込んだルナは顔を背け項垂れていたが、肩の小刻みな震えは彼女の涙を物語っていた。実際ピノには目の前の状況がどのような状況であるのかが分からなかった。
 バンヤはそんなピノの肩を軽く叩き、外で待ってるよと言い残し、その場を離れてしまった。上機嫌で口笛を鳴らしながら外に出て行くバンヤの後ろ姿をピノは意味も分からず、縋り付くように見詰めていた。
 バンヤが居なくなるとルナが泣いていることがあからさまに伝わってきて、ピノは居心地の悪さを誤魔化すように小さく咳払いをしたが、その後に取るべき行動が思いつかなかった。
 ピノは部屋に立ち込める重苦しい空気に、小さく舌打ちをした。と、同時にピノはしまったと、以前無意識で舌打ちをしたことでルナが急に不機嫌に怒り出したことを思い出した。舌打ちがルナに聞こえていないことを願いながら、彼女に話しかけるための初めの一言を探した。
「泣いてるの?」
 ピノは自分の言葉に我ながら情けなくなった。そんなことは見れば分かることで、もっと気の利いた台詞はいくらでもあったはずだ。ルナの反応を待たずに次に掛けるべき言葉を探した。
「今日もいい天気だね」
 ピノはその言葉がこの場に相応しくないことは分かっていたが、まるで習いたての英会話の基本例文のような他人行儀な言葉しか思いつかなかった。
 そんなピノの言葉にゆっくりとルナは振り返り、反らし続けていた視線をピノに向けた。 ルナの瞼は赤く腫れ上がり、頬には涙の跡を残していたが、それらを隠すために小さな笑顔を作っていた。
「元の世界であんまりもてなかったでしょう?」
 突然のルナの問いに、ピノは咄嗟に言葉の意味を理解することが出来なかったが、その言葉の意味を理解すると反論に出た。
「だいぶ僕を誤解してるみたいだね。こう見えても僕は結構もてるんだよ」
 ピノは自分の記憶を思い起こし、その記憶をねじ曲げながらルナに反論した。それでもルナは疑いの眼差しを向け、ピノの言葉を鼻で笑い飛ばした。
「君には分からないかもしれないけど、僕はこう見えてクールだったんだよ。密かに僕に思いを寄せる女の子はたくさんいたんだ」
 ピノは言葉を付け加え、疑いの眼差しから逃れようと試みた。ピノの言っていることは全てが嘘ではなく、実際にピノに幼い恋心を寄せる異性は少なからず存在していた。ある意味、ピノは自分で言うように寡黙で影のある、クールといえば言えないこともない少年であった。そしてピノは他人に対して強い警戒心を持つ上で、他人の考えを把握する力を身につけていた。自分に寄せられる思いに気付きながら、ピノは更にその思いを避けるように距離を取り続けていたのである。
「クールじゃなくて、ネクラでしょ?」
 ルナは少し前まで涙を流していたことを忘れさせるような明るい笑顔を見せた。
「そうやって自分の心の中とは真逆のことを言ってるんだろ?もしかして僕に惚れちゃった?」
 ピノはからかうつもりで言ってみたが、ルナは何も言い返さずに黙り込んだ。
「よく分からないけど、好きだよ」
 小さな沈黙を破るルナの言葉に今度はピノが言葉を失ってしまった。
 掌に異常なほど吹き出してくる汗をルナに気付かれないよいにジーンズに擦り付け、ピノは殆ど正常には働かなくなってしまった脳で、今自分が言うべき言葉を探した。
 そんなピノにルナは優しく微笑んだ。
「そう、その笑顔が僕は好きなんだ」
 そう言おうとしたが、ピノは瞬間的に言葉の出し方を忘れてしまったように、言葉は喉の奥に支えてしまった。
「直ぐに出発するの?」
 ルナの眼差しは次第に真剣な眼差しに変わり、ピノはそれに頭を横に振るだけで答えた。「色々と準備もあるから出発はもう少し後になると思う」
 漸く正常に声を出すことが出来たが、すでに喉の奥に支えたままの言葉を口にする機会を失っていた。
「じゃぁ、明日もう一度尋ねてきて。明日までにちゃんと自分の考えを整理するから。今は色々なことが急に起こって、自分でもどうしていいか分からないの。だから、もう少しだけ時間を下さい」
 ルナはそう言って、ピノのお気に入りの笑顔を向けた。しかし、その笑顔は悲しみや迷いを隠しきれずに小さく震えていた。
 ピノはルナの言葉に小さく頷き、明日もう一度ここを訪れることを約束して、その場を跡にした。

「鉄の胃袋」〜30〜

 ピノはルナの作ってくれた夕飯をバンヤと共にご馳走になり、自分は今バンヤの世話になっていることを話し、明日も来ることを約束し、ルナの家を出た。ルナは思っていたほど辛そうには見えなかったとピノは胸をなで下ろす反面、それはただ、自分には本当の悲しみや孤独を隠しているだけのような気がして、少しだけ悲しくなった。かといって自分はルナが悲しみに暮れる姿を目の前にしてどんな言葉を掛けることが出来るのだろう。そうピノは考えていた。

 その夜、ピノはバンヤとサカキを探すための具体的な話を進めた。それは自分が考えていたのと同じで、ブルーポートタウンを出て、センタータウンに向かうということだった。バンヤは自分も一緒にセンタータウンに行くと言ってくれたが、ピノは何度も自分のためにそこまでしてくれなくても良いと、バンヤの好意を断った。しかし、バンヤはピノのためではなく自分もセンタータウンに行く目的があると答え、二人は明日以降、ルナに別れを告げてからセンタータウンに出発することを決めた。勿論、ルナにはその目的は告げることは出来ないという二人の共通の意見で、ルナに上手い言い訳を考えねばならなかった。
「バンヤさんの里帰りに、僕も付き合うってのはどうですか?観光もかねて」
「彼女も一緒に行きたいと言ったらどうするんだ?」
「そんなこと言いますかね?おじいさんが亡くなって直ぐに、その場を離れようとはしないのでは?」
「だから言ってるんだよ。きっと彼女は表には出さないが、寂しい思いをしているはずだ。観光に行くなどと言えば、普通なら気晴らしに一緒にどうだと誘うのがふつうだろ?だから、僕は彼女には何も告げないのが一番だと思うのだが」
 ピノはバンヤの言葉に力なく頷き、直ぐに頭を振った。
「それじゃ、わざわざ彼女に会いに行ったこと自体意味のないことになってしまう。僕はこれ以上彼女を傷つけたくない」
「それならいっそのこと全てを彼女に話すか?」
「彼女が全てを知ったとき、どうなると思います?」
「分からない・・・・」
 そうやって二人は答えを出せぬまま話を続けた。結局二人はルナの為を思い、嘘を吐くことを選んだ。バンヤは仕事でセンタータウンに戻り、その手伝いをするためにピノも同行するという案で、仕事となればルナも一緒に行きたいとは言わないだろうと二人は何とも言えぬ、すっきりとしない心持ちのまま、そうすることを決めた。

 ピノは一人で家を抜け出し、港を抜け、暗闇に包まれた砂浜に向かった。
 少し前までは恐ろしい存在でしかなかった闇が、今は心地よい静かな時間を与えてくれていることにピノは気が付き、砂浜に座り海水の消えた海を見詰めた。耳を澄ませば波の音が聞こえてくるようにも思えたが、辺りは変わることのない静寂に浸っていた。聞こえるのは自分の吐息と鼓動だけであった。
 ピノの頭の中には次々に異なる思いが浮かび上がり消えていった。そしてその中の一つに、ピノがまだ小学生になったばかりの頃の消えかけていた思い出が蘇った。それは彼の記憶の中には存在しない母親へ宛てた手紙だった。その手紙の内容は覚えていなかったが、書き終えた手紙をブリキの缶に入れ、裏庭にある柿ノ木の根本に埋めたことを思い出した。何故今になってそんなことを思い出したのかは分からないが、その手紙を覚えたばかりの文字で書き上げ、大事に木の根本に埋める自分の幼い頃の姿がはっきりと脳裏に浮かび上がった。
 ピノはもう一度その手紙を読むことが出来るという小さな確信のような思いを胸に勢いよく立ち上がった。心の中に存在していた明日へ進むことへの迷いは消え去り、軽やかに
大股で歩き出した。

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