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パーシヴァル・ローウェル(Percival Lowell, 1855年3月13日 - 1916年11月12日)は、アメリカ合衆国ボストン生まれの天文学者である。 もとは実業家であったが、数学の才能があり、火星に興味を持って天文学者に転じた。私財を投じてローウェル天文台を建設、火星の研究に打ち込んだ。火星人の存在を唱え1895年の「Mars」(「火星」)など、火星に関する著書も多い。「火星」には、黒い小さな円同士を接続する幾何学的な運河を描いた観測結果が掲載されている。運河の一部は二重線(平行線)からなっていた。300近い図形と運河を識別していたが、惑星探査機の観測によりほぼすべてが否定されている。 最大の業績は最晩年の1916年に、冥王星の存在を計算により予想した事であり、1930年に、その予想に従って観測を続けていたクライド・トンボーにより冥王星が発見された。 通算約3年間、日本に滞在し、神道の研究等日本に関する著書も多い。 「明朗になろう、耐えきれないほど酷い不幸など有り得ないのだから」
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「言葉の力」
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言葉が持つ力を生きる力へ・・・
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ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte, 1769年8月15日-1821年5月5日)はフランスの軍人・政治家で、フランス第一帝政の皇帝ナポレオン1世(在位1804年-1814年、1815年)。フランス革命後のフランスをまとめあげ、フランスに帝政を敷き、ナポレオン戦争と呼ばれる戦争で全ヨーロッパに侵略し、席巻するも敗北し、その後ヨーロッパの秩序はウィーン体制に求められた。当時のイギリスの首相ウィリアム・ピットは、「革命騒ぎの宝くじを最後に引き当てた男」とナポレオンを評した。 「戦術とは、ある一点に最大の力を振るうことだ」
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乃木 希典(のぎ まれすけ、嘉永2年11月11日(1849年12月25日) − 大正元年(1912年)9月13日)は、明治時代を代表する軍人。陸軍大将 従二位 勲一等 功一級 伯爵。第10代学習院院長。畏敬と親愛を込めて乃木大将などの呼称で呼ばれることも多い。 東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされ、「聖将」とも呼ばれた。 若い頃は放蕩の限りを尽くしたが、ドイツ帝国留学において質実剛健な普魯西(プロイセン)軍人に感化され、帰国後は質素な生活を旨とするようになったという。また、明治天皇の後を追った乃木夫妻の自殺は、殉死として美談にもなった。 山口県、栃木県、東京都、北海道など、複数の地に乃木を祀った乃木神社がある。 作家司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』などの作品により、軍事的才能が皆無の「愚将」との評価が定着していたが、近年再評価されつつある。 「口を結べ、口を開いているような人は心にしまりがない」
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スイスのジュネーブに生まれる。牧師の娘であった母は誕生時に死亡。父は時計職人。10歳の時に父が家出し母方の親戚に育てられる。 16歳にジュネーブを離れ、ヴァラン男爵夫人に庇護されながら、さまざまな教育を受けた。この時期については晩年、生涯でもっとも幸福な時期として回想している。夫人と別れたのち、1740年〜41年にかけてリヨンのマブリ家(哲学者マブリ師、コンディヤック師の実兄の家)に滞在、マブリ家の家庭教師を務める。この職を辞した後、1742年、シャンベリー経由でパリに来住し、カフェでディドロらと知り合う。これがきっかけで後の一時期、『百科全書』に原稿を執筆している。 1742年に音楽の新しい記譜法を発表したもののほとんど受け入れられず、パリでは、経済的にも社会的にも不遇の状態が続いた。しかし1750年にディジョンのアカデミーへの懸賞論文「学問及び芸術の進歩は道徳の純化と腐敗のいずれに貢献したか」において執筆した『学問芸術論』が入選してこの不遇状態は一変、以後次々と意欲的な著作・音楽作品を創作する。ベストセラーとなった書簡体の恋愛小説『新エロイーズ』(1761年)、『社会契約論』(1762年)などはこの時期に書かれている。ただしこの間、ヴォルテール、ダランベール、ディドロら当時の思想界の主流とほとんど絶交状態となった。これは思想的な対立によるものだけでなく、よくいえば個人を重視する、悪くいえば自己中心的なルソーの性格も影響していると考えなくてはならない。 1762年はじめに教育論『エミール』が刊行されると、そのなかの「サヴォア人司祭の信仰告白」のもつ自然宗教的な内容がパリ大学神学部から断罪され、同年6月、フランス国外への亡命を余儀なくされた。亡命中は、スイス、イギリスなどを転々としたが、かれを保護したイギリスの哲学者ヒュームなどとも被害妄想から一方的に仲違いし、1770年、偽名でパリに戻った。パリでは、亡命中から執筆していた『告白』を書き上げ、続いて『孤独な散歩者の夢想』を書き出したが、この作品を中断したままパリ郊外で亡くなった。 ルソーに対する評価は、政治思想家、ロマン主義文学の先駆けというものが多いが、1960年代以降は、1750年代に書かれ、ルソーの死後に刊行された『言語起源論』が、レヴィ=ストロース、デリダなどの構造主義哲学者によって注目されている。 なお日本でおなじみになっている童謡「むすんでひらいて」の曲は、ルソーの作品であるオペラ「村の占者」の一節が、「ルソーの新しいロマンス」と言うタイトルで歌詞が付けられ、その旋律がヨーロッパ各国へ広まったものである。 日本語テクストとしては、『ルソー全集』(全14巻・別巻2巻、白水社、1979年−1984年)がある。 「過失は恥ずかしいことである、だが過失を改めるのは恥ずかしいことではない」
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アメリカの牧師、著述家。1803年ボストンの組合協会派の牧師に任命されたが、早くからカルバン主義的教義に批判的で、19年「ユニテリアン派キリスト教」と題する説教でカルバン主義を否定し、21年にはユリテリアン派の機関誌「クリスチャン・レジスター」に参画、25年には全米ユニテリアン協会を創立した。 「間違いと失敗は我々が前進するための訓練である」
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