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▽ 葵 区・追手町(おうてまち)・2番
![]() ![]() 2008年にこちらでとりあげた「くまたかばしの碑」 たまたま通りかかった際 以前と少々違うような気がしたので近づいてみると 説明板が設置されていました。 どういう経緯で取り付けられたのか分かりませんが こういうことに無頓着な静岡市にしては 粋な計らいですね。 (静岡市が設置したのかどうかは未確認ですが・・・・) |
路傍のいしぶみ (碑)
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▽ 葵区・西草深町・15番
西草深町の静岡環状線(県道354号)沿いのポケットパークにある
慶喜公屋敷跡の碑です。
▽ 西草深公園(葵区・西草深町・27番)設置の徳川慶喜公屋敷についての説明板に掲載の地図と写真 (写真の山の位置からすると長谷通り沿いだと思われる) 慶喜公屋敷跡というと、屋敷跡が結婚式場・浮月楼として保存されている
静岡駅近くの紺屋町11番地にあるものが有名で
西草深町の方は屋敷跡が跡形もなくなくなってしまっているためか 紺屋町のそれより知られていないのかもしれません。 慶喜公は、1889(M22)年に 東海道線が静岡まで開通することによる騒音 (当然のことながら当時は電車列車ではなく、蒸気機関車牽引による客車)を嫌い
1888(M21)年に紺屋町から西草深町へ転居し 東京へ戻る1897(M30)年まで市井の人として西草深町で過ごしたと言われています。 西草深町は、戦後の土地区画整理と都市計画街路静岡環状線の貫通で 当時とは全く区画が変ってしまったのですが 屋敷跡の位置は、現在の住居表示による街区符号で言うと 概ね14番、15番、29・30番の東半分、31〜34番に該当するようです。 なお、慶喜公が東京へ戻った後の屋敷は 「葵ホテル」として活用され、さらに日露戦争の捕虜収容所として活用されたものの 1905(M38)年、失火により焼失してしまったそうです。 |
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▽ 葵区・追手町(おうてまち)・5番
静岡御用邸跡の碑については、過去に拙ブログで取り上げました。
その際、せっかくの碑なのに説明板と明治天皇の歌碑の文字が読めないことを
指摘しました。
数日前、この前を通りがかったところ
なんと説明板が設置され さらに歌碑の文字がきれいに復元されていました。 もちろん、拙ブログを見て設置されたということはありえないとは思いますが 同じ思いの人がいたということなのでしょう。 ※ 追 記 この説明板は葵区自治会連合会の寄付によるものだということです。 |
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A=駿府薬園、 B=一加番、 C=二加番、 D=三加番、 E=町奉行所、 F=宝台院、 橙線=東海道
▽ 静清(せいしん)信用金庫 安東支店
▽ 駿府薬園跡の碑
▽ くたびれた住居表示の「街区符号板」
駿府城の北側、安東一丁目22番街区の長谷通りに面したところ(静清信用金庫安東支店前)に
駿府薬園 (薬園=薬の原料となる薬草木を栽培) 跡の碑があります。 駿府薬園は、家康公が大御所として駿府城に在城したころ開園し 4000坪の規模であったものの 家康公が没したのち、次第に衰退したと言われています。 その後、三代将軍家光の時代に江戸の麻布・大塚(のち小石川、駒場に統廃合)に 幕府による御薬園が開設され 以後、江戸以外にも京都、長崎などの主要地に御薬園が設けられ その際、駿府の薬園も復活したもののようです。 江戸中期以後はほぼ各藩に薬園が設けられるようになったということですが 駿府は幕府による薬園のさきがけの地であったと言えるかも知れません。 なかなか興味深い碑だと思われるのですが 残念ながら静岡市は文化財に指定されているもの以外には 説明板などを設けることには非常に消極的で ここも例外ではなく 碑以外には何もないのはちょいとさびしいです。 この種の碑は必ずしも市で設置したものばかりでないのでしょうが もう少し積極的に静岡をアピールする姿勢があってもよさそうに思えてなりません。 (静岡市立病院前にある「戸田茂睡生誕之地の碑」など 説明板がないのでほとんどの人が存在さえ気がつかないようです。) 参考:長崎大学薬学部HPほか |
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▽ やってきた電車はお茶ならぬ、午後の紅茶のラッピング (笑)
▽ 津島神社(駿河区 中吉田(なかよしだ)41番)
今年は3月の気候が良好だったため
お茶の生育が例年より1週間ほど早いようで 早くも市内のお茶の小売店では新茶を売り始めました。 ここは静岡鉄道・県立美術館前駅近くにある津嶋神社
それほど大きな神社ではありませんが 実は、お茶の品種のひとつである やぶきた茶発祥の地なのです。 現在栽培されているお茶の品種のうち
最も多いのは「やぶきた」という品種ですが (全国で生産されるお茶の7割以上、県内では9割が「やぶきた」だと言われています。) この「やぶきた」というチャノキは
現 駿河区中吉田の篤農家杉山彦三郎(1857 - 1941年)氏が 竹やぶを切り開いて栽培していた茶園の北側のものから選抜した優良品種です。 つまり、現在、全国で見られるお茶畑のチャノキのほとんどは
ここがルーツというわけです。 ▽ 「やぶきた茶発祥の地」のいしぶみ
▽「やぶきた88年の記録誌」を刻んだいしぶみ
この神社の鳥居の向かい側あたりに
その茶園があったということですが 静岡鉄道の線路と幹線道路(南幹線)に挟まれた地域であるため 宅地化が進んでしまい 現在はその面影は全くありません。
そんな環境ゆえに 神社の道路沿いに建てられた「やぶきた茶発祥の地」の碑が かえって誇らしく自己主張しているように思えてきます。 また、同地には 「やぶきた88年の記録誌」の碑もあり こちらは「発祥の地」の碑よりも前の やぶきた茶が選抜されてから88年目の 平成8年(1996年)8月8日の日付が刻まれ どこまでも88夜にちなんだ「8」にこだわりを見せています。(笑) なお、やぶきたの原樹はこの附近にはなく 静岡県立美術館への道路沿いに移植され 保存されています。 ▽ やぶきた原樹 (駿河区 谷田(やだ)24番)
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