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 衆議院議員・稲田朋美氏の国家観・政治思想   … 武藤もヤバイが稲田朋美も怖い

衆議院議員・稲田朋美氏の国家観・政治思想

衆議院議員・稲田朋美氏と生長の家創始者・谷口雅春氏の思想


 【問題】
(1)「私は、谷口雅春先生の教えをずっと自分の生き方の根本において参りました」という稲田朋美・衆議院議員の発言がなされた下記【資料1】、および、生長の家創始者・谷口雅春氏の教えに関する下記【資料2】をもとに、稲田朋美・衆議院議員がどのような国家観および政治思想を持った政治家か、考察しなさい。

(2) (1)を前提に稲田朋美・衆議院議員を自民政調会長として重用する安倍総理の国家観および政治思想についても考察しなさい。


 
【資料1】稲田朋美「私は、谷口雅春先生の教えをずっと自分の生き方の根本において参りました」
【下の写真をクリックしたあと出てきた写真を、もう一度クリックすると拡大されます】



 
 
 
 
 【資料2】【生長の家創始者・谷口雅春氏の教え】 

(1) 国家は吾々の最高理念である。数字に先立って『数』が存在するがごとく、理念はすべての形あるものに先行して存在する最高の存在であり、生命(いのち)の生命である。国家はその理念のうちの最高なるものである。個生命はこの最高理念のために、『生命の生命』のために、一切をなげうって奉仕しなければならぬ。否、奉仕することそのことが喜びであり、それが個生命なる小さな理念的存在が最高の理念にまで包摂せられ向上し行く最後唯一の道である。銃後の親戚知友に送られて征途に旅立つ軍人の歓呼こそは、見送る人も、見送られる人も、それは個生命が最高の理念に包摂し向上する刹那の生命の凱歌であり、鬨(とき)の声である。

(谷口雅春『明窓浄机』草創篇284−285頁「昭和12年 天皇は中心理念に在す」)

(2)戦争の倫理的意義 谷口雅春

 私は『大自然が催し、大自然がはかろうて自分をその境遇にまで追い寄せた現在の生活』を百パーセント完全に生きることが、生長の家の生き方であるといった。この意味において『戦争』というものが吾々に課せられた場合には(現に課せられているのであるが)それを完全に戦い抜くことが生長の家の生き方でなければならないのである。今与えられた環境から飛出すところの出家道は、否応の選択が働くのであるから、戦争というものは魂の修養にならないというような価値判断がはたらいて、戦争忌避や、敗戦主義に捉えられるおそれがあるが、生長の家では出征する人にとっては戦場が直に魂の修養の道場となり、戦争が直に吾々の魂を練るところの公案となるのである。多くの人たちは戦争の悲惨な方面ばかり見ていて、その道徳的、宗教的意義を理解しない。そして動もすれば戦争を忌避するのであるが、戦争は実に真剣な、否応なしに左右をいわずに、ただひたすらに至上命令に従うところの激しき宗教的行事なのである。しかも同時に、肉体の『無』を理屈でなしに実証するところの行事である。かの天華の修行に天華の教祖渡辺薫美が修行者たる一婦人に課したところの『千仭の谷へ、今跳べ!』の必至命令の如く、否やの選択を許さぬ絶対命令と同じことである。『爆弾を抱いて、そのまま敵のトーチカに跳び込め!』これに対して、軍人はただ『ハイ』と答えて跳び込むのである。宗教の修行においては、たとひ教祖の命令通り跳び込まなくとも、『修行が足りない、まだ心境がそこまで達していない』位で許されるだけに、それは修行の『型』をやっているだけである。また、その命令者が教祖という個人である。しかし戦争においては否応はない、言葉通り肉体の生命が放棄せられる。そして軍隊の命令者は天皇であって、肉体の放棄と共に天皇の大御命令に帰一するのである。肉体の無と、大生命への帰一とが、同時に完全融合して行われるところの最高の宗教的行事が戦争なのである。戦争が地上に時として出て来るのは地上に生れた霊魂進化の一過程として、それが戦地に赴くべき勇士たちにとっては耐え得られるところの最高の宗教的行事であるからだと観じられる。

(『谷口雅春選集』谷口雅春著 潮文閣、1941年、302−303頁)

(3)常住戦死の心 谷口雅春

 宇宙には唯一つ、大御心のみがある。
 天皇の大御心である。『忠』とは、大御心に無我帰一する心である。すなはち天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)の心に『中』(ちゅう)する心である『中』とは的に中(あた)るであり、生命の本質に貫き徹するのである。宇宙の実相に少しもウラハラなることをせず、無我になりて宇宙の心に従ふのである。吾らが大御心を行ずるのは、それによって幸福になれるからでも、都合がよくなるからでもない。さふ云う第二次第三次の事物よりも、尚尚すぐれて無常価値なるものが大御心である。その大御心を実現することは無常価値であるが故に、そのやうな第二次、第三次のお蔭などは心に微塵も止めないで、大御心を行ずるのが『忠』である。そしてそれがまた生長の家家族の心である。大御心を行ずる為に、その他の物質的なるもの悉くを戦死せしむるのである。戦場に於(おい)て戦死せしむるだけではなく、常住戦死の心である。これを『死』と云ふ不吉な連想を伴ひ易き言葉を用ひず、『肉体なし、物質なし』と吾らは云ふ。その死に切った心だけでは消極的否定の心である。そこに『大御心のみあり』の大肯定がなければならぬ。生長の家ではこれを『神一元』と云ふ。天皇独在とも云ふのである。

(谷口雅春「常住戦死の心」『谷口雅春選集』潮文閣、1941年、2頁)

(4)ああ天地万物を見るたびに、吾々は、天皇陛下があがめられます。 天皇の下に生まれ 天皇の大みいのちに還りて死し死して永遠のいのちを得る。   
 天皇万歳である。…・万歳は久遠の象徴(しるし)である。…・・この際、この時、この生長の家の思想を広めて吾ら死なん。死なんかな。死なんかな。来りてともに死に給へ。死は大なる生につながる。

(谷口雅春『明窓浄机』飛躍篇106頁 昭和16年 「天皇はすべてのすべてにまします」)

(5)「草でも一時刈ったり、牛にでも食われたりいたしますと、表面は一時なくなるけれども、それが適当に行なわれることによって次にその草はいっそう大きく生(の)びてくるのであります。…(省略)…樹木でも毎年剪定といって枝葉を適当に切らなければよいぐあいに元気よく育つことはできない。樹木はこれを切ってくれる人があるのでいっそう大きく元気に育ってゆくことができるのです。みんな生かし合いの世界なのです。……具体的にいえば、個体はなく、民族があり、国家がある――これは近頃ドイツで称えられる哲学ですが、これは生長の家の「本来肉体なし」の哲学によって初めてよくわかるのであります。個体というものが本来ないということがわかれば、一個の野菜も個体としては存在しないから、その個体が殺されて食べられるということもない。野菜は理念的存在であって、永遠不滅の野菜の理念が、常に殺されず滅せず、かえって生かされて明年はいっそう大きな優秀な顕われ方をする――すなわちいっそう大きく生かされることになるのであります。」

(谷口雅春著『生命の実相』39巻42−43頁)

(6)大東亜戦争は東洋民族を解放する聖戦であった・谷口雅春
 谷口雅春は、昭和二十七年の『生長する青年』(現『生長の家青年会』機関誌)十月号に「霊の選士としての青年の使命」と題する御文章に、大東亜戦争の意義について次のように書いている。

「日本は大東亜民族の解放の旗幟(きし)をかかげて戦ったのである。そして日本は侵略国として色々の汚辱を蒙ったけれども、それは恰もキリストが十字架に釘(はりつけ)けられたのと同じことである。「人を救いてみずからを救い得ざる者よ」と当時のユダヤ人は十字架上のキリストを嘲笑したけれども、この汚辱ある刑罰の中に彼は全人類を解放したのである。それと同じく、日本は「侵略国」と云う汚名の下に侮辱され、戦争犯罪人と称して裁判にかけられ、上衣を奪われて十字架上にのぼったキリストのように領土の十分の四を奪われたけれども、その犠牲によって、東洋民族は自己の内部に、西欧民族と同様に尊ぶべき人権が、尊ぶべき「神性」が宿っていることを自覚することを得たのである。それまでは多くの東洋民族はみずからの無自覚によって自縄自縛していたために白色民族の支配下に土地はその植民地となり、人間は奴隷の如き生活を送っていたのである。日本の蹶起(けっき)のために多くの東洋民族は目覚めた。西洋民族と同じように彼らも神が平等に造った神の子であり、「何でも出来るぞ」という自覚を得たのだ。かくて東洋民族は続々として白色民族の桎梏から解放されて独立したのである。」

(7)天皇信仰 谷口雅春 (全文)
(以下は『生長の家五十年史』324頁〜325頁 「天皇信仰」からの引用です。)
 
 谷口雅春先生は昭和十五年の『生命の教育』九月号の巻頭言に「天皇信仰」といふ生長の家の教義の根本である文章を発表された。これは宗教結社として届出された「教義の大要」を敷衍したものであった。なお、以下の文章を短く圧縮した文章が『天皇陛下を讃える』(日本教文社昭和52年刊)にも再掲されている。

《天皇への帰一の道すなはち忠なり。忠は、天皇より出でて天皇に帰るなり。天皇は一なり。ハジメなり。一切のもの、天皇より流れ出て、天皇に帰るなり。わが『忠』、わたくしの『忠』、我輩の『忠』などと言ひて、『我』を鼻に掛ける『忠』はニセモノなり。私なきが『忠』なり。
 天皇は、天照大御神と一体なり。天照大御神は、天之御中主神と一体なり。斯くして、天皇はすべての渾てにまします。『忠』の本源は天之御中主神の『御中』の理念より発して再び天之御中主神に復帰するなり。天皇を仰ぎ、天皇に帰一し、私なきが『忠』なり。わが『忠』と誇るとき、もうそれは『忠』にあらず、『我』となるなり。
 全ての宗教は、天皇に帰一するための前提として存在の意義があるなり。すべての宗教が、『我』を捨つるを説き、『無我』を説き、富を捨つるを説き、『無所有』を説くは、『この世は何も無いものだから諦めよ』と云ふ意味に非ず。すべてのものは、天皇の一元より発現することを教へたるなり。すべての森羅万象、天皇の大御いのちの顕現ならざるはなきなり。天皇を説かず、仰がず、『無』のみを説く宗教は準備時代の宗教に過ぎず。
 わたくしの『生命』を愛護すること勿れ。『生命』が尊きは、天皇の大御いのちの流れであり、岐れであるが故に尊きなり。寸時も、『天皇のみたまのふゆ』なることを忘るべからず。『天皇のみたまのふゆ』なることを忘れるとき、人は悪逆無道の迷妄の徒となるなり。
 愈々日本も政治新体制の曙は近づけり。一切の政党は解党せり。新たに党を結ばんがための解党にては意味を成さず、この事肝に銘ずべきなり。挙国一党なりとも、党のある限りは、『無我』に非ざるなり。大みごころあるのみなり。大みごころへの無我随順あるのみなり。若し新党を樹つるとも、新政体を建つるとも一点の『我』ありて、大みごころを晦ますとき、天皇の御徳を遮して、自分の都合をはかる無道の徒となり了るなり。
 無道とは、道の無きことなり。道は宇宙にミチてあれども、『我』のあるところには、道は遮られてあらはれぬなり。大海原に海水は満ちたれども岩石の固まりたるところには海水は満ちをること能はざるが如きなり。『我』がなくなりて、はじめて『道』は生きるなり。私の『善』、私の『道』、私の『宗教』などと言ふものあるべからざることなり。
 すべて宗教は、天皇より発するなり。大日如来も、釈迦牟尼仏も、イエスキリストも、天皇より発する也。ただ一つの光源より七色の虹が発する如きなり。
各宗の本尊のみを礼拝して、天皇を礼拝せざるは、虹のみを礼拝して、太陽を知らざる徒なり。すべてのもの、太陽にて生くるが如く、すべてのもの、天皇の大御いのちにて生くるなり。
 生長の家が、一宗一派を樹てざるは、宗派と言ひて党を樹て、閥に籠りて、相争ふことが『忠』に非ることを知る故なり。特に『一宗一派に非ず』と言ふことを教義の『七つの光明宣言』に記入して、宗教であることを許されしは、文部当局の賢明なる処置なり。文部当局が一宗一派にあらざる宗教をみとめたるなり。宗教が正しくなりたるなり。すべての宗教は私のものにあらざるなり。すべてを、天皇に帰一し、天皇に奉還し奉る宗教なり。
 宗はオホモトなり。天皇なり。すべての教も則も範も矩も規も法も、悉くスメラミコトより発するなり。宗教は宗派と言ふものに立ち籠りて、宗祖と言ふ一人の国民に過ぎざる人間を尊崇するは邪道なり。されば我は夙に喇叭に過ぎずと言ひたるなり。すべての宗祖は喇叭に過ぎざるなり。宇宙の大教祖は、天皇にてあらせられるなり。ミチとノリとは悉く、スメラミコトより出づればなり。
 釈迦在世のとき、金波羅華を拈じて衆に示すに、迦葉のみ微笑す。金波羅華は『空』の象徴に非ず、宇宙がコスモスであり、中心帰一である象徴なり。日本国体の象徴也。迦葉のみ微笑す、とは悲しいかな。他の大弟子皆解せざる也。今の仏教者はいかほど金波羅華の秘密を解せりや。仏教を以て『空』を説くとなす者、百尺竿頭に坐する底の者なり。百尺竿頭に達せざる者よりは優れり。されど『空』の百尺竿頭より進一歩して、中心帰一世界を見ざるものは、外道の仏教にして、日本仏教にあらざるなり。
 東大寺の大仏は中心帰一の蓮華蔵世界を彫刻にあらはせるなり。中心座にましますは、光明遍照者(ヴェーローシャナ)にましまして、それを守護し奉るために、千葉(せんよう)の蓮華その御足の下にありて、各々の蓮華に、悉く釈迦牟尼仏ゐまして、光明遍照者(ヴェーローシャナ)の御徳を讚ふるなり。ヴェーローシャナと言ふ梵語をば、大日如来などと、仏教が如来の如く訳したるは誤謬にはあらざれども、人をして外国の仏様の如く誤解せしめたるや久し。
 ヴェーローシャナとは、単に『光明遍照』の意なり。宇宙の中心座に在す『光明遍照』なり。畏くも天照大御神にましますなり。天皇は天照大御神と一身にましますが故に、釈迦は、天皇信仰を教へたるなり。それを知らずして、迦葉のみ微笑す。善い哉。迦葉微笑せり。今は日本人悉くが微笑せざるべからざる時なり。天皇信仰を知らざるべからざる時なり。今はすべての宗教が天照大御神を礼拝すべき時なり。そのほかに宗教ある筈はなきなり。》

http://sei4ch1ou.seesaa.net/article/421281552.html
 
 
安倍晋三が稲田朋美を推す?
もはや
政治では無い
日本は「日本会議」や「カルト宗教集団」の
狂気に包まれる!
 
 

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    > teruchanさん
    そうなんですが、安倍憲法にはオカルト公明党に配慮(容認)した条文があります。
    戦争は宗教的尊厳の昇華の対象という稲田朋美は「成長の家」ですが、その主張は「浅原彰晃」と全く同じです。
    狂気の総理大臣がゾッコンなのも、自民党自体が「オーム真理教」と同類になってしまったようですね!

    [ ]

    2015/10/14(水) 午後 7:27

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    > mymemine0さん
    かも^^;

    [ ]

    2016/8/4(木) 午後 7:41

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    > wai*****さん
    アホそのものの文章だね。
    幹事の事なら、成功の成の字も書けない(2個所も間違う)安倍に言ってやりな!
    ついでに、漢字読めない麻生にもな。

    [ ]

    2016/8/9(火) 午後 10:43

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    > wai*****さん
    幹事間違いだったネ^^

    [ ]

    2016/8/9(火) 午後 10:51

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    > wai*****さん
    野党がこんな対案を出しているって、新聞が報道すればいいのにね。
    国会での議案を決める権利を持っている与党が、採り上げた議案と排除した議案はこれだってね。
    そうすれば、もう少し解かり易いのにと思う。

    [ ]

    2016/8/9(火) 午後 11:02

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    > wai*****さん
    全く、困ったものです。

    [ ]

    2016/8/9(火) 午後 11:15

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    > wai*****さん
    本当にその通りです。
    おやすみ。

    [ ]

    2016/8/9(火) 午後 11:25

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    日本だけが道義大国を目指す資格のある国
    って
    気持ち悪いなぁこのおばさん。
    早くやめてほしい。
    なんでこの人の右翼ごっこにつきあって多くの人が死ななきゃいけないの

    [ mon***** ]

    2017/2/23(木) 午後 7:45

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    > mon*****さん
    私の息子だけは戦争に行かせたくないそうです。

    [ ]

    2017/2/23(木) 午後 7:51

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    麻原真理教と安倍真理教のどこが違うのか、教えてもらいたいくらいです。
    カルト宗教ってのは、なべて同じ。
    幹部の欲望のために信者はあるんだけど、いまや多くの日本人が進んで10万人もいない日本会議のために生命財産を投げ出してもいとわないほど洗脳されてますね。
    洗脳された人間を正気に戻すのは困難。
    麻原で証明済みです。

    [ sho*ha*ng*5 ]

    2017/2/24(金) 午後 11:50

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    > sho*ha*ng*5さん
    日本人って、所詮はこの程度の民族なんでしょう。
    動物以下の世界ですネ。
    同じ事をやっても、浅原(民間)のする事は悪くて、安倍(官憲)のする事は正しいなんてね!

    [ ]

    2017/2/25(土) 午前 0:17

    返信する

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