帰っても旅人。

旅に出る。帰ってくる。 旅に出ても旅。帰ってきても旅。

日常の旅

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久々の更新。
パスワードを忘れてしまうほどの長い空白。
と言っても挨拶だけ。

こんなに空けたのに、時折訪れてくれる僅かな人のために
ここは挨拶の一つもしておかなければ。
 
まだ生きてます。
まあまあ元気です。
 
良いお年を。

空気が冷たく張りつめている中、井の頭公園を歩く。
本を読みながらトラックを回る。
読む本が(一部は読まなければいけない本が)がすでに100冊を超えている。
公園内の木のテーブルでメモを取る。そんな冬の日々だった。
 
暮から正月にかけて、さんざんだった二週間。
例年なら正月の数日は人に会わないことにしているのだが、今年は“会えない”だった。
晦日から正月にかけての数日間、悪寒、咳、洟、発熱、そして意識朦朧。
「迫力ある風邪だな」と感心しつつ、厚着に厚着を重ねて横になり、汗をグッショリかいては全て着替える。
その繰り返しを3度もやれば、翌朝にはすっかり回復している、というのが今までのこの種の風邪の回復パターン。
深い脱力感を感じながら、汗で 肌に張り付いた下着の引き剥がしをノロノロと繰り返す。
一向に回復する兆しがない。
 
ただの風邪ではなかった。
年があけて、休診している病院を開けてもらい診断の結果、
A型インフルエンザ。
新しく出たインフル用の粉末を貰って、それを口から吸い込むのだが、
手順を間違えたりしたので、効くかどうか不明だったが、服用二日目から症状が和らいできたので、多少は効いたのだろう。
その間、寝ているか、脱力状態で椅子に座ってガラス戸の向こうに広がる冬枯れた木々をボンヤリ眺めているかの日々。
2日程で多少回復したか。咳も洟も熱も最悪時に比べて減った。
最悪時は目の前のカップを取り上げるのも億劫、という状態だった。
 
その後の経過がよくなかった。
微熱が続き、咳も止まらない。
再び医者へ。
マイコプラズマ肺炎を併発した可能性。やれやれ。
 
去年末の30日。
A師(社長。私は「オヤジ」と呼んでいる)と吉祥寺で待ち合わせ、ハモニカ横丁に潜り込み、焼鳥で最後の杯を交わす。
オヤジの郷里を流れる安田川で育った鮎の甘露煮10尾ほど、受け取る。
きっとその時の行き来する雑踏の中からウィルスはやってきたのではないか。
そのことに気付く訳もなく、年が明けたらもう一度、弘前に行きたい旨など話したりしていた。
(なんと去年9月に終わっていなければいけない素人演劇サークルの記録映像を、いまだにやり終えていないのだ)
会社には酒を飲む機会(忘年会や記念日)以外、この数年行っていない。
そして給料だけは振り込まれてくる。
仕事らしき仕事はしていない。
今までに数度、もうそろそろ私を廃棄処分してほしい、と伝えている。
「おまえはいるだけでいい。そのために俺がこの会社にきた」と毎回言う。
その問答を繰り返す意味もないのだが、
「今後も会社に行くことはないと思う」と、つい言ってしまう。
「好きにすればいい」といつもの答え。
この人の堪忍袋はどういう構造になっているのか。
いずれにせよ私の中で何かが煮詰まり始めている。
ようやく二つの病気が去った感覚。
 
それとは別に去年受けた再検査入院で肺の手術の可能性も出てきた。
病名が特定できない。影が消えない(空洞化?)のだが、癌にしては成長していないし、検査で採取した粘液の培養から結核菌は出なかった。
(インフルといい肺炎といい何だか肺にばかり集中しているな。一体なんなんだぁ〜)
二月に入って返ってきたのは、病名は特定出来ない、とのこと。
特定は出来ないけれど「どうしますか?」と最終的には聞いてきfた。
肺の一部を切除することで起こる合併症を考えると今少し経過をみたいところ。
 
そんな次第で年明けて半月程、誰とも会わずに過ごした。
シンプルな暮らし。
体に力が戻ってくると、外出することもなく丹念にストレッチ、ダンベル、台の上り下りを繰り返す。
癒えてから歩き始める。
ずっと歩いていなかったので相当に減退したかと思ったが、
1日目に1万歩歩き、1万5千歩、2万歩、時には3万歩と、体力はたちまち戻った。
 
病気と関わりなく、その前からあまり人と会わなくなっていた。
この二年程、誘いの電話やメールがあっても、それに応えて出かけることが稀になり、そんなことを繰り返すうち、次第にコールも間遠になり、気付けばシンプルライフになっていた。
今では、ほんの僅かな人たちと会うだけ。取材対象者や数人の知人。
夜毎、誰かに会っていたことを思うと全く違うタイムスケジュールに変わった。
それぞれがどこで何をしているのか。
ストイックでナーバスな o 。彼とはふとした行き違いから会わなくなった。
それでも未だにメールをよこす数少ない知人の一人。結果会えないメールを毎度送ってしまう。
浜田山の t 。彼がある会社を辞めたあと、会っていない。
女の子を紹介するよ、と言ったまま私の不精でまだ果たしていない。
同じ中央線沿線に住む読書家の s 。次第に遠のく人たちの中で、彼女はめげずにコンタクトしてくる。
そろそろコールに応えないといけないのか。
会社関連の人たちには全く会わなくなった。
行かなくなった酒場の常連たちと街ですれ違うこともない。
30年来の yt 。グラフィックの会社をうまく経営しているだろうか。
中国人の c 。IT企業に勤める彼は一時期、毎日のように連絡してきたが、今ではパッタリしてこなくなった。きっと仕事を一緒にする可能性を探りたかったのだろう。彼とは春になれば会うことになるだろうか。
e からは時折「会わないか」のニュアンスのメールが入るが、丁寧に直接的でない言葉で断わる。
もう三年前に終わったこと。彼女は結婚の扉の向こうに消えたのだ。
彼女の方からすれば、私が彼女の人生から出ていったと思っているかもしれないが。
今一番、気がかりなのは hs。今の暮らしは迷走なのか。雨宿りなのか。彼女とは“数奇な”といってもいい出会い方をした。つい先日、メールがきた。締め切りを過ぎなければ会えない旨、返信する。
雑誌のライターをしている hy 。彼女もしばらく会わないうちに40を過ぎた。
もう一人のライター yy と3月に会おうということになっている。
建築関係のグループの面々。もう会うこともないと思っていたが、仕切っている t の秘書が辞めることになったので、その送別会だけは参加予定。
ms。yf。ah。  a b c d e f g h i  ・・・・・・・・
 
 
公園を一緒に歩いた本。(読みかけも含む)
軽い読み物もあるが、それぞれに面白かった。
(“軽い”とは何を基準にしてんだぁ〜!
宮本常一「忘れられた日本人」  中村哲「医者井戸を掘る」  カズオ・イシグロ「私を離さないで」
高野和明 「ジェノサイド」  道尾秀介「月と蟹」「水の柩」  池井戸潤 「下町ロケット」
辻邦生「西行花伝」  ゾラン・ドヴェンカー「謝罪代行社」  多和田葉子「容疑者の夜行列車」
田部井淳子「エプロンはずして夢の山」「高いところが好き」「アンナプルナ―女の戦い」
辻原登「東京大学で世界文学を学ぶ」

立ち寄る酒場も変えた。
気付けばいつのまにか幾つかの飲み屋で「馴染み」になっていた。
「常連」「馴染み」という言葉に文字通り馴染めない。
家で一人飲むことが多くなった。
それでも吉祥寺に一軒、ひっそりと目立たない店を見つける。
階段を上がりドアを開けると、地味な外観からは想像もつかないフワァとした清潔な空間が広がっている。
うわべだけ洒落のめした(「こじゃれた」というらしい)内容のない店の多いこの街で特異な存在。
酒、肴、申し分なし。
「静かな祝祭」という言葉がこの店にこそ相応しい。
「馴染み」と呼ばれない程度に行くことにしよう。

今、珍しく仕事の真ん中にいる。
そんな時に限ってブログに寄ってみたくなるから不思議だ。

実質的に去年8月以来の更新。その間にあったことをやがて書く時があるのだろうか。
こうした半ひきこもり生活の意味も。
何だか「病気」「ひきこもり」の話だけになってしまった。
すみません。
躊躇していると、また更新を止めてしまうので更新します。
ほんとにひと言の更新。
とりあえずは生きてます、のひと言。
今年はあまり更新することことはなかったですが、
それでも寄っていただいたブロガーの皆さん、この一年ありがとうございました。
来年はもう少し更新出来るようになれば、と思っています。
良いお年をお迎え下さい。

立ち尽くす夏


7/30(土)PM8時
横浜港・象の鼻桟橋から出て海上をゆっくり進む船上にいた。
レゲエ・船上パーティ。
知りあいの若者が毎年この時期に主催している。
出航前から降り始めた雨が降り止まず、船内フロアでのメインパーティになった。
例年は上甲板で風にあたりながら踊るのだが。
キリッとした音が胸に真直ぐぶつかり爽やかだけを残して弾け飛ぶ。
階段を上ると、そこでも別のレゲエ。
雨をも厭わず、瞬く間に開放され伸びやかに踊る若者たち。
ビール、ワイン。持ち込んだ簡単なつまみは正しい。
 
2時間のパーティが終わって船を降り、四人で桟橋近くの古びたレストランに入る。
最近会わない人たちについて、彼はどうしたの、彼女はどうしないの、と近況について酔いの中で聞く。
そうなんだ。
目の前にいない人々も、どこかで何かをやっているし、まずとりあえずは生きている。
陽の降りそそぐ草原を歩む者、崖っぷちをじりじりと移動する者、
今回は深く酔うこともなく、横浜駅で皆と別れた。
爽やかな一夜。

更新をしなかったこの3ヶ月、一体何をしていただろう。
仕事を一つ。
納得できない仕上がりだったが、意外にも評判は良かった。
不思議なもので、自分では「まあまあ良かったかな」と思ったものが、逆に不評だったりする。(大半は納得出来ない仕上がりだが)
亡くなったその日に娘さんからの電話で知った。
「とても美しい顔ですよ」と晴れやかな声。
ほっとした、というのが正直な気持だろう。
ここ3、4年は見ている方が辛い、という病状だった。
最後の数年、まともに会話したことがない。
喉の奥で言葉が絡まりもつれ、雑音の連なりが漏れ出てくる。
「全うしましたね」と私。
当面、関西に行く予定はないが、西日本に行く時には必ず寄ることを約す。
 
更に仕事とも呼べないのだが、ここ足掛け3年撮り続けてきた弘前の素人演劇サークル・最後の公演を撮りにいった。
撮り貯めたテープの量には、ただただ茫然とするが、何とか9月には仕上げる必要がある。
 
東京への帰路。
仙台で下車。
パンと水を買い、車をレンタルして北上する。
多賀城、塩釜、東松原、野蒜、石巻、女川。
いずれも今回の震災で全国に知られることになった。
東京の知人がネットで調べては、連絡を取ってくる。
やはり宿泊できるところはない。
ひたすら走り、歩き、そして瓦礫の中に立ち尽くした。
去年の10月、これらの町のいくつかの“before ”を見、今“after”を見ている。
網膜でスキャンしては、壊れかけた海馬に送り込む。
様々な土地、街角で去年アーカイブした映像と今の風景を重ね合わせてみる。
 
石巻駅ちかくに蒲鉾の“高政”が既に店を開いていた。
好きなあげ蒲を2個、購入。
店の女性に宿泊について聞く。
石巻の近くにある「上品(じょうぼん)の郷」
そこは宿泊は出来ないが、皆が車を止めて車中泊しているとのこと。
 
リクライニングにして眠ろうとするが、ほんの僅かな浅い眠り。
朝3時には走り始める。
南三陸町、気仙沼、陸前高田、大船渡。
瓦礫・瓦礫・瓦礫。
 
蝿には困らされた。
仙台で車を借りた時、既に1匹の蝿が車内にいて、「外にいる方が楽しいよ」と車窓を開けて追い出しにかかるのだが、「いや、私は車の中がいいんです」とばかり、車内を暢気に飛び回っている。
「おまえは困った奴だね」
南三陸では海岸付近で降り、車のドアを開いたまま、群馬県警の警察官と立ち話をし、戻ると車内には20匹位の蝿が飛び回っていた。
 
気仙沼では開いたマンホールに左前輪を落とす。
ただの水溜りだと思った中に蓋のないマンホールが待っていた。
通りかかった瓦礫処理のトラックや漁業関係の車が止まり、瓦礫の中からベニヤ板を引っ張り出して車の下に敷き、潜り込んでワイヤーを架け、引き揚げてくれる。
私の悪い癖だが、礼として非常識な額の紙幣を差し出す。
それには目もくれず、若い運転手は爽やかな笑顔を残して、あっと言う間に走り去った。
不覚にも、どっと涙が溢れた。
 
ボランティアもせず、避難所を訪問することもない。
見る。ただ見る。
そこにあるものを。そこにないものを。
かつて押し寄せた津波の音を聴こうとする。
その音は聴こえてこない。見えてこない。
 
ただの野次馬。
贖うかのように車に積めるだけ土納袋を積み込んで、塩釜社会福祉協議会に設置された災害ボランティアセンターに届けた。
食料、日用品などはもう足りている。土納袋だけは幾らあっても困ることはない、という。
阪神淡路大震災の時も同じようなことをしている。
震災直後、しかも急遽決めたので、早朝の町は店が開いておらず、コンビニというコンビニを回って生理用品を買い求め、大きなバッグに詰めて向かった。その朝、三鷹市内のコンビニに走った女性はどの店も売り切れていることを不思議がったに違いない。
 
3日目、仙台に戻り、空港を起点に南下。
南相馬が頭の隅をよぎったが、引き返す。
もうそちらは決着がついている。忘れることだ。
 
そんな私の夏。季節は中心を通り過ぎつつある。
まとまらないままに、撮影テープを見続け、炎天下を歩き続ける。
会社にはまったく行っていない。

 
 
※本当に長い空白。コメントも返さず、申し訳ありません。
 ゆっくりになると思いますが、ブログに寄らせてもらいますね。
 
またまた2ヶ月近く経っての更新。
パソコンの前に座っていることも多く、すぐブログを開けられる状態なのに行けない。
この1年で十数度の更新しかしていない。
 
やらなければいけないことが溜まっているのに何一つ片付かない。
特に今回はそうだ。体が動かない。
それでも富士宮から盲導犬訓練センターに行って訓練風景を観たり、
福岡まで仕事の打ち合わせに行ったり(震災直後であったにもかかわらず、震災への関心温度は明らかに東日本と違った)、
西日暮里までフラメンコを観に行ったり、毎年恒例の花見さえした。
ブログを休んでいる間に、奇人と言われた指揮者・宇宿充人氏が逝去した。3/5。
その死顔は一度も見たことの無いほどの安らかさだった。
4/13 青年Hの命日。公園に行って林の中を歩く。木のテーブルで黙祷。
弘前の素人芝居は5月末に延期。
 
 
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
 
3・11 東日本大震災。
日本人にとって忘れることの出来ない日になった。
アメリカ人にとって「9・11」が忘れられないように。 
 
その日、弘前に出かける予定だった。
しかし直前になって会社に忘れ物をしたことに気付き、東北新幹線のチケットを翌日に変更した。(結局、行くことは出来なかったが)
もし、当日の昼過ぎの列車に乗っていれば、震災の起こった午後2時46分は八戸の手前を走っていた筈。
その日は忘れ物を取りに会社に行き、オフィスを出た直後、地震が起こった。
結局、会社で夜中過ぎまで過ごし、繋がりはじめた地下鉄など乗り継ぎながら、明け方、自宅に戻る。
その日からマスコミの話題は震災一色になった。
TVは震災の様々を伝えていた。
津波が家々を車を押し流していく。             
八戸、釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼、石巻、塩釜。
 
思えば仙台、塩釜、松島、野蒜に去年10月に寄っている。
http://blogs.yahoo.co.jp/oyajibag1/27113804.html
 
自分にも痛みのある額の義捐金。
あれこれ考えている自分の卑しさに気付き、情けなくなる。
3日目の夜、友人に託す。(私の出来ることはしれてるが)
被害を受けた東北大で知人が教授をやっているので、そちらの復旧と赤十字の二ヶ所への振り分けは友人に任せる。
 
今回、現地に行くことはなかったし、思いつきもしなかった。
きっと私の出来ることは別にある、という思いがどこかにあった。

激しく揺れたあの日から、ただただ茫然と暮らした。
私の中に「私ひとりの地震」がやってきたのは、震災から2週間くらい経った頃だっただろうか。
きっかけもなく、前ぶれもなく、突然グラグラッとやってきた後、津波はやってきた。
既にガラクタだらけだった私の中の様々を押し流していった。
 
建物が一つ残った。福島第一原発。
そうか、そういうことか。

ネットを検索していくと現場作業員の募集に辿り付く。
本物かどうか判然としないまま、第一原発に直接、電話してみるが案の定、話中。
福島県南相馬市にある東電の下請けに行き当たったので、そちらにも電話してみる。
こちらは意外にも通じた。
募集要項には「経験・不問」とあったにも拘わらず、今は未経験者は募集していない、とのこと。
冷やかしや悪戯の電話もあるようで、最初は懐疑的な応対だったが話すうち、こちらが本気であると感じたのか真摯な態度に変わる。
募集はしていないが、補欠要員として確保しておきたいといったニュアンスがある。
こちらの電話番号を伝え、補充の必要が生じた時は連絡してほしい旨、伝える。
 
知人のリストからこれと思われる人を二人選んだ。
東京電力の上層部と繋がりのある、もしくは辿っていけばそのような人物に行きつける可能性のある人。
そのうちの一人がしばらく思いを巡らせ「紹介出来ないこともないな」
続けて「何故?」
説明した。
「福島第一原発の現場作業員として志願したい」
何百人の下請け作業員が待機しているか判らないが、長丁場では彼らの体内に蓄積する放射線量はやがて限界点に達する筈。
スキルはないが、ある程度の研修で、単純作業は可能な筈だ。
 
ヒロイックな気持は毛頭なく、愛国心を人一倍持っているからでもない。
意識の底に降りていくと、無意識との境界あたりで、曖昧な一つの思いが漂っていることに気付く。
この惑星にちょっと寄っただけの筈が結構長居している。
このパーク(地球)では随分気ままに遊ばせてもらった。
もうこのあたりにしておこうか。そんな思いが微かに曖昧にある。
生まれてから何一つ社会に貢献したことのない人間が、場合によっては多少の貢献が出来るかもしれない。
そのことがささやかに成就すれば、この双六は「上がり」にしてもらってもいいのではないか。
その人にはそこまでは話さなかった。
しかし「志願したい」ことを伝えた段階で、一笑にふされた。
「ありがた迷惑」
「足手まとい」
 
おそらく、原発下請け会社から連絡がくることはないだろう。
私のような者にさえ頼まなければならないことに到ったら、それは最悪の事態を意味している。
 

もう一度生き直してみようか。
 
 
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
返コメ、遅れてすみません。
また少しずつ、ブログに寄らせてもらいます。

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