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日常のなにやらに気を取られているうち、遠く過ぎた2004旅がブログ上でまだ終っていないことに気付く。
もう何度かで終らせるつもり。
旅の中にあった小さな振動、題して「たびっき」
ミラノを通り過ぎるあたりでUPすればよかった記事。
イタリア・ミラノで入ったレストラン。
駅から遠く、暗がりの続く中、そこだけ明るい光が通りにこぼれている。
いつもその前を通ると待っている人が外に溢れていて一度は入ってみたい、と思っていた。
高い雰囲気でなく、庶民的(なんちゅう言葉だ)。
ある日、その前を通ると誰も並んでおらず入ることが出来た。ちょうど満席なくらい。
私の正面にちょっと離れて、父親、12歳くらいの息子、10歳くらいの娘 の三人家族が座っていた。
スパゲッティ、ピザを食べたり、親父はワインを飲みながら子供たちに話しかける。
母親は今日はどうしたのか。今日だけいないわけ じゃなく、ずっといないのかな。
親子ってこんなに話し合うものかという位、何事かについて熱心に話し合っている。
そのうち娘の方と目があった。
すると娘は艶然と笑ったのだ!
「艶然」と!
成熟した女の「艶然」!。
あのですね、君は未だ10歳くらい。
学校じゃ、その微笑の仕方、教えとらんだろう。
ジョデイ・フォスターが初めて「ダウンタウン物語」に出てきた時(14歳)もビックリしたが、この日も驚いた。
(大人になってからのジョデイ・フォスター、「羊たちの沈黙」「ホテル・ニューハンプシャー」。
まだ20代だったというのに、ひとっかけらの艶然もない。子供の頃に使い果たしたのか)
ちらっちらっと艶然を投げてくる。
5分ほどの間、間をおいて「艶然」は続いたが日本オヤジの慌てぶりに飽きたらしく、まもなく親子の会話に戻った。
いいように弄ばれたのだ。オモチャにされた!
オヤジがどれぐらい慌てるか、効果の確認だけしたのだろう。
日本の小学生がどれだけ厳しいトレーニングを積んでも足元にも及ばない。
ダイリ―グギブスならぬ悩殺ギブスで鍛えたのか。(それってどんなんだぁ?)
1時間ほどして彼らは店を出たが、彼女は完璧に小学生の顔で出て行った。
日本の小学校の教科に「艶然」は取り入れない方がいいように思う。
殆ど効果がない。
頑張る奴は14、5歳から自主トレでやるだろうし、いつまでたっても、場合によっては一生習得しない女性もいる。
因みに私の中で男性・女性を見る時に一番何にポイントを置いているかといえば、キーワードは「セクシー」
セクシー度が低い人は私の中の評価は低い。80歳になった人でも同じ。幾つになっても人はセクシーでなければ・・・
目の病気を患っているのでないかと間違う、あの出来そこないの流し目・ウインクに高い評価をする、という意味ではない。短めスカート、太ももチラチラではない。耳元で囁くかすれた声ではない。
アンデスを越えていった日を痛快に語りながら、或いはスーパーマーケットで見かけた奇妙な老婆の仕草を真似ながら、話の山場で瞬間、溌剌が炸裂し、セクシーが表情をかすめる。見過ごしてしまいそうなセクシーを掬いとるのは楽しい。
それなら私自身はどうか。かなり程度が低いだろう。(一部「結構いけるよ」の声があるのは嬉しい限り)
教科で思うのは「プライド」。
「プライド」という教科が算数や国語と並んでどこかの学校で取り入れられたという話は聞かない。
それなのにどこでどう習得したのか、プライドに関しては立派に殆ど全員が多すぎるほど習得している。
「傷つくことだけ上手になって」とある作家が書いていたが、正に「プライドだけは沢山持って」と感じる時がある。
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