帰っても旅人。

旅に出る。帰ってくる。 旅に出ても旅。帰ってきても旅。

たびっき

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些細なことで何か気になる ということがあるのだが、
そんなことを連ねてUPするのはどうか。休憩。

私と酒。
酒も以前はビール、日本酒、泡盛、焼酎、ウォッカ、赤・白ワイン、マッコリ、ウィスキー、ブランディ、ジン、ウゾ(ギリシャ)、グラッパ(イタリア)、テキーラ(メキシコ)、梅酒、養命酒、合成酒、要はアルコールさえ含まれていれば何でもよし。
酒という酒を飲み干していた。
ひょっとすると、テーブルから口元にグラスを運ぶ時間を合計すると、他の何より多い時間を費やしたのではないか。
さすがに日本酒、ウォッカの類は駄目になった。
今は紹興酒か赤ワイン。焼酎も多い。

最近はめっきり減ったが、酒を飲んだあと眠り、起きると知らない人の家のベッドにいるというのがある。そんなことが度々あったからか、自宅で起きた時でさえ「ここは一体どこなんだ?」と一瞬わからないこともあった。
一体どうなってんだ!?
それはやがて書くとして。

海外でヘベレケになったことが数度ある。
イタリア・フィレンツェの駅裏・安酒場に入りデカンタのようなもので赤ワインを飲んだ。
酒場の親父とウェイトレスが遠慮もせず盛大に口喧嘩を始め、
それが意外にも爽快でウットリしながら、その応酬し合う声を聴いているうち、
酒のピッチがどんどん上がってしまった。(ボトルにすれば3本くらいか)
その間にも地元のイタリア人たちが出て行ったり、入って来たり。
「このワインは誰のもんや?わいんのもんや!!」
くらいのことは呂律の回らない口調で言っていただろう。
自分がイタリアの酒場にいるということをすっかり忘れてしまった。
立てなくなるという程ではなかったが、ぼんやり霞んだ頭で思った。
「この店はゲーコクジンばかり入って来るじゃねえか〜!!どうなってんだぁ〜」
浅草あたりで飲んでるつもりになっていたのだろう。
そんなくらい酔ったことがあった。

マドンナを説教する


前回記事でパリ・オペラ座の話。
ついでにオペラ座近くにあったクレヴァン蝋人形館。
入り口はさして派手ではないが、内部はかなりの広さと濃厚な内容。
歴史の中の一場面(例えばフランス革命時の一場面)を取り出してきて、蝋人形で再現してみせるというような正統な再現ドラマもあれば、ありえないシーンを同じステージに置いてみるという試みなど刺激的に演出してある。展示内容を次々と新しいものに変えていくようで、膨大なストックを持っているようだ。

これは「どっちがどっちだか分からない」という話。

壁にガラスがはめ込まれ、向こうの小部屋が覗ける一角があった。
老婦人がガラスの向こう側を熱心に覗き込んでいる。
微動だにせず見つめる姿に思わず引き寄せられて近づき、直前ではっと気付いた。
覗き込んでいる婦人が蝋人形だった。(中に何が展示されていたか今は憶えていない)

映画会社の試写室のような設定。
ある作品の試写が終わり灯りが点き、プロデューサーや主演女優など主要メンバー数名が思い思いの場所に座って出来栄えについて談笑しているというような構図。
後ろを振り返り、背もたれに腕をかけて皆に笑顔で話しかけるプロデューサー。
よほど完成した映画の出来がよかったのだろう。
(私には女優や男優の顔が誰であるのかわからず、何の作品なのかわからない)
その部屋に入った時には既にその人形たちを撮影している観光客が数人いた。
だから余計に迷彩が効いていたのだが、その中に撮影する男の蝋人形が一体混じっていた。
しばらくそのことに気付かなかった。
更に試写係りらしい男が一人。こちらは最後尾の端の椅子に座り、次の指示を待っている人形。
部屋を出ていく時になって男がチラッと動いた。こちらは本物の人間だった!

こうなると、観光客も人形も館員もどれがどれだか判らなくなってくる。

一堂に会することがない筈の歴代アメリカ大統領の集まりなど奇妙な取り合わせが様々に。
展示された蝋人形が誰で、互いがどんな関係にあったか知っていれば、ありえないマッチングや込められた皮肉・笑いをもっと楽しめただろう。

壁から細い廊下が奥へ続いていて、手前でロープが渡されており奥へ進むことができない。
廊下の奥にはカーテンが垂らされ中の様子が見えない。
男のスーツの背中がほんの少しカーテンの隙間からのぞいている。
くぐもった男の声と恐怖に怯えたか細い女の声が途切れ途切れ聴こえてくる。(フランス語だから聴こえたところで意味は解らないが)
見せないことで不気味さを高めている。スーツの切れ端が蝋でできているのか。

マドンナが椅子に座っていた。
彼女に是非とも言っておかなければいけないことを思い出し、傍にいた観光客の一人にカメラを渡し私が彼女に話しているところを撮影してほしいと頼んだ。
私は彼女の視線と合う位置に移動し、指を真直ぐ突きつけ怒りの表情を少し込め、ピタッと静止する。
後から入ってきた客たちは一瞬おかしな人形の組合せに驚き、すぐに気付いて笑い出す。かなり受けた。
そんなことをしてみたくなる場所なのだ。

(クレヴァン蝋人形館はその後潰れたという話も。あまりにも凝りすぎたのか)

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日常というのはこちらの都合もきかず毎日やってくることになってる。
今日はパスします。という訳にいかない。
ここ数ヶ月テンションはそれと気付かない程ゆっくりと落ちつづけていた。
ちいさな棘が日々刺さりつづけた、というのだろうか。
ここ2、3日で風が起こり、微かだが上昇へ。
今は自分でもまとまりがついていないが、いつかはっきりとした風景として見えてくる筈。


2001年秋に始まった少し長い旅。
ひょっとするともう帰れないかもしれない、という思いがよぎる。
アジアの東、ベトナムに始まりタイ、灼熱のインドからヨーロッパへ。ギリシャ、イタリアを抜けてフランス・パリに着いたのは旅が始まって2ヶ月あまり、その年の12月の初めだった。
宿は新オペラ座の近く。
着いてすぐ風邪をひき、熱が出て安宿のベッドに潜りこんだまま数日を過ごした。
夕方になるとヨロヨロ起き出し街に出て食べ物を買い求め、またベッドに潜りこむ。
食堂に入る気力も街を散策するゆとりもなく、ひたすら宿を目指す。
ようやく熱が下がってきて街に出るようになり、ルーブル、オルセー、セーヌやモンマルトル、シャンゼリゼなどやみくもに歩き回る。
毎日、或いは日に数度、オペラ座の前を通る。
否応なく目に入ってくるが、たいして見てもいない。
建築史的な意味や位置付けがどんなものであるか知らないし、知ろうともしない。
美味い食堂はどこか、モモヒキをどこで売っているか、知ることの方が重要案件だった。
ある日の夕方、オペラ座の前で信号待ちしていた。
ほどなく信号は変わったが私は歩き出さなかった。
オペラ座?
オペラ座?
オペラ座?
初めて私はオペラ座を真直ぐに見た。
記憶の底の方で消えかけていた一枚のファイル。
もうひとつのオペラ座。目の前にあるオペラ座とは違う形の。
記憶の中で私はそのオペラ座を上空から見ている。

鹿島建設。建築設計本部のある赤坂 KIビル。入り口を入ったところにケースに収められて、それはあった。
パリ・新オペラ座 建築模型。数年前にそれを見ていた。
コンペでは現在建っている建築に次ぐ評価を受けた筈。
トップでゴールしない限り、決してそこに建つことはない。
建てられて10年以上が経過しているオペラ座はもっと以前からそこにあったかのようになじんでいる中、その模型はかなりの年月を経ながら、たった今、造られたばかりとでもいうように傷ひとつなく白い姿で東京・赤坂にあった。

建っているオペラ座。建つことのなかったオペラ座。
これが「ある」ということは、あれが「ない」ということ。

光を観る


観光。光を観る。なんともいえず艶のある言葉。
一体誰が考えたのだろう。
今はちょっと堕落した言葉になってしまった。
英語の sightseeing (名所をみる)などと比べるとはるかに奥行きのある言葉だと思う。
ついでに「心中」
相愛の二人が一緒に死ぬことを「こころの中」とは・・・
英語ではa double suicide(2つの自殺)
これも どうも今ひとつ・・・。

数年前、自宅でワインを飲んでいる時、グラスを割った。
その割れ方があまりにも美しかったので片付けず、テーブルの上にそのままにしておいた。(当時はほっとけるほど広い所に住んでいた。今そんなことしたら大変)
テーブルに飛び散ったワインも拭き取らずそのままにしておいたのだが、飛び散った範囲が広く、ちょっとした大きさのテーブルではあるが、ものを書いたり食べ物を置いたりするのに邪魔になる。
日が経つにつれ次第に整備していくことになる。
事故発生地点から遠くにある小さなガラスの破片や飛沫は取り除いたり拭き取ったりして、しかし残しておく意味を失わない配慮をしながら1ヶ月位、置いてあったか。
途中、グラスが埃をかぶっているように感じられ洗ってまた元の位置に置きなおしたこともある。
その時、自分に都合のいいように(更に美しく見えるように)レイアウトし直している。

広島原爆ドームでも、同じような話を聞いたことがある。
観光しやすいように修復、整備しているという内容のこと。
“悲劇”をその時のまま残すより安全に観やすくする配慮。
メキシコシティのテオティワカン遺跡。あるピラミッドの石を取り外し、ナンバーをふって並べてあった。
取り替える必要のある石は新しいものに取り替えたりするためだろうか。

十数年前。
インド・ボンベイ(現在のムンバイ)から南へ車で8時間。
高原の村のコミュニティで、没したばかりの求道者の石碑を見た。
そこに記されていた言葉。


生まれたことがない

死んだことがない

ただこの惑星にちょっと寄っただけ


そうか、私たちはちょっと寄っただけだったのか。
はやく知ればよかった。
こんなに人生、ジタバタすることもなかったな。
私は慰められ、励まされ、「諦める」ことさえ教えられた。

私のために用意された銀河鉄道がいつプラットフォームに入ってくるのか。
時刻表は手元にない。


甲子園に出場した高校球児の一人が大学に入りたての頃、
最も強く彼の中に残っている言葉として
「死は一握りの灰にすぎない。だがそれゆえにこそ ひたむきに生きねばならぬ」と書いていてちょっと驚いた。

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