バックギャモン日記

バックギャモン復帰はいつになるのかな

日々雑感

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サイコロ

何年もここ(ヤフー)でやっていたら、何かがおかしいと普通は気づくはずなのに、ヤフーのサイコロが平等だとか言っている人もいる。
きっと頭がぼけているんだと思う。
そういう人に限って他人に説教を垂れたりするので始末に終えない。

yahoo!掲示板に上のように書かれてしまった。
Yahooバックギャモンの出目は公平だとレスしたことがあったからだ。

100%の確信を持って言った訳ではないので、あえて反論レスはしない。(99.99%くらいの確信はあるぞ)

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高校生時代の進学コースは私学文系だったのだが、数学の基礎知識くらいは持ってる。
バックギャモンに使えるといえば確率についてだ。

サイコロは真性乱数発生器であり、規則性などはない。
例えば出目12が連続5回続いたとしても何の不思議ではない。
出目が14、56、42、31、64、この順番で発生しても同じ確率だ。
出目12の連続だけ(確率1889568分の1)だけは記憶していて、それ以外は記憶していないということだ。似通ったもの(13の連続など)は記憶に残るが大半は忘れてしまう。

おなじ理由で6ゾロが100回続いても、なんの不思議もない。
これを実際目撃しても、乱数の順列は無限にあるのだから、一瞬の事象にすぎない。(一生かかっても6ゾロ100連発には遭遇はしないが・・・)

バックギャモンを理解できていない人は己の負けを、サイコロのせいにする。冒頭がそのいい例だ。


この記事を書く前に、小6の息子とこんなやり取りをしていた。

「サイコロを二つ同時に転がして、連続4回1と2がでた。これって凄いよな!」
息子「凄いげ。何回やるとでるや?」
私は確率計算式を言った。珠算暗算5段の彼は少し時間はかかったが答えを出した。
息子「めんどくさ」
この後6ゾロの話になり・・・(中略)・・・息子が何か考えてる様子がみえた
息子「5と6が(連続で)出てもすげーけど、なにが出てもいっしょじゃん」
「どういうこと?」
息子「みんなすげー(凄げー)から、(何が出ても)普通じゃん」

彼は、ここ2年くらいバックギャモンで遊んでいないといえ、サイコロが何であるか知ってる。

家族との時間

生を授かって半世紀。最初の四半世紀は親元で何の不自由なく暮らしていました。後の四半世紀は結婚し親となり今があります。
はっきり言って私はボンボン育ちで、自分のやりたいことを両親に全てさせてもらえました。この行動は結婚しても続きました。駄目オヤジに突入です(汗)

物事に熱中しやすくトコトンやってしまうタイプです。結婚後、友人に誘われた釣りにのめり込みました。毎週末の釣り遠征に始まり、ウィークデイも4日釣りにでかけるようになりました。ウィークデイといっても仕事を夕方までに片付けて夜釣りになります。帰宅は草木も眠る丑三つ時です。片道55キロある名古屋港までの釣りでした。
家内が二人目の子供を身ごもって誕生予定日を過ぎているにも係わらず、遠征釣行計画通りに家をでたこともありました。案の定、帰宅後長女が生まれていました。釣行が鮎掛けだったので、「あゆ」と名づけようか?と言ってしまい、数日口も聴いてもらえませんでした(あたり前だ・・・)

一緒に行ってた友人の病気がきっかけで釣行回数は減っていきました。一人での遠征、夜釣りは止めてくれ!と家族に言われ自然と行かなくなりました。もしものことがあったら大変です。


釣り熱も下がり、次に始まったのがネオンきらびやかな繁華街通いです。「付き合いだ」、「接待だ」と言い、午前様帰りが続きました。その仲間と週末には視察だと言って、日本中遊び歩いたものです。
ほんとに好き勝手やっていたのです。家族の私を見る目は冷たいものがありました。どんどん駄目オヤジになっていく自分がいました。人としての褒められたものではありません。親元で自由勝手気ままに暮らしていた時期とまったく同じです。

長男が小1になり町道場で柔道を始めました。最初は「強くなれよ!」と言うばかりで自分は動こうとしませんでした。2ヶ月もたった頃柔道を止めたいと言い出し、「それならお父さんも練習するから続けなさい」となり柔道復活です。
80キロあった体重も少しずつ減っていきました。飲む量が減り、運動量が増えたからです。2段を学生の頃取っていましたが、上の段を目指すには筋トレを含めた稽古が必要になり、繁華街通いも月1、2度になりました。

柔道を復活した頃から時間ができ始め、地域などの奉仕活動を幾つか始めました。現在も8つ程参加しています。「大変ですね〜」とよく言われますが、楽しみを見つけながらやってるので苦にはなりません。
で、この頃ネットでのバックギャモンに再会し、23年ぶりの復活になりました。まあ〜また、のめりこんでいった訳です(笑)
そして、またまた家族との時間が少なくなっていきました・・・


最近年をくったせいか人と意見がぶつかりがちです。同じ目的で活動してる仲間でも、自分の意見に異論を示されると抵抗してしまいます。また自分のしていることに自己嫌悪を感じることもあります。また暴走もありました。ここ数ヶ月で1度や2度ではありません。困ったものです・・・

生活していくには沢山のストレスと付き合っていかねばなりません。そしてこのストレスを家族に向けてはいけません。
しばらく家族との時間を増やしていこうと考えています。上二人は大学生、高校生、小学6年生と続き、もう父親にはついてこないでしょうが、同じテレビをみたり同じ空間に居ようと思います。家族との時間を大切にしようと思います。

そして、1番苦労をかけているのは家内です。いつか熟年離婚されないよう、優しい言葉でもかけなくては、と思う今日この頃です(爆)

せともの祭

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毎年9月の第2土曜、日曜に開催される産業祭です。数年前から第三土日から変更になりました。必ず雨が降るといわれてる祭りです。それは磁祖加藤民吉の奥さんの怨念だとも言われています。

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今年で75回になるせともの祭なのですが、何故瀬戸物祭と命名しない理由を考察します。
瀬戸市で開かれるのに瀬戸の文字を使わないのはおかしいです。焼き物の巨大生産地瀬戸なのです。瀬戸の名をアピールするのにもってこいなのですが、平仮名でせとものなのです。

焼き物は瀬戸市の地場産業で最盛期には1000件以上の窯元がありました。瀬戸市で作られる焼き物と他産地の焼き物の総称がせとものといわれてきました。最近では地域色を出し、有田、九谷、清水、萩だと区別しますが昔はそうではありませんでした。
これが平仮名を使う理由なのです。実はこの祭は産地問屋の祭であって、窯元の祭ではありません。
多くの磁場のメーカー(窯元)にとっては、どうでもよい祭だったのです。

「え?」と思われるでしょう。

廉売市がメインで、そこに並んでる焼き物はとても安く観光客には好評なのです。実は10年前ぐらいまで瀬戸産の品物は1割程度しかなく、ほとんどが他産地なのです。そのほとんどが隣りの岐阜美濃地区の焼き物でした。美濃は大量生産を目指した地区で、1個あたりの生産コストを下げることに成功した地域です。廉売市に出展する産地問屋は美濃地区から安く仕入れて利益をあげていました。これも商売、なんの問題はありません。ただし、瀬戸物祭とは名乗ることはできませんでした。
産地問屋には蔵が建ち、窯焼きは貧乏という構図は何十年も続いてきた地域なのです。最近のせともの祭は瀬戸産が5割超えていますが、まだ他産地物は多いです。安いので客には嬉しいので、これはこれで良いと思います。

目利きに自信ある人は、露天先で店の人との言葉のやりとりは面白いのではないでしょうか。産地とか価格とか、是非楽しんで欲しいです。
とにかくあらゆる焼き物が手に入り、1度は足を運んで欲しい祭です。  

盆休み

12日から盆休みに入っています。夏休みです。都会では盆休みと言うのでしょうか?ふと思いました・・・田舎だけの言い方なのかと・・・

ま〜のんびりしています。喫煙者なのですが休みの間は禁煙予定です。止めようと思えば月単位で止めてしまいます。いっその事永遠に止めればいいのですが、そうはいきません^^;吸いたくなったら火を点けてしまいます(汗)

去年から仕事が忙しくなって、のんびりできる時間がありません。この夏休みは少しでも家族との時間を持とうとしています。

12(土)は次男、三男としっかり柔道の乱取りをしました。高2の次男にやられそうになり、意地をみせ最後は頭から落としてやりました(やりすぎ・・・見ていた妻が怒ったゾ・・・)

13日は、昼から三男のサッカーの練習に妻と応援にいきました。試合ではないのですが、木陰で寝転がって見るのもいいもんです!泡があれば最高なのですが、それはちょっとね^^;

14日、今日ですが、私の父親が入院します。腹部大動脈瘤の手術です。健康状態をチェックしてたら、出るは出るは・・・悪いところだらけです。79才だから仕方ありません。
とても元気なのですが、万が一を考えて手術です。

15日は妻と三男と映画でも観てこようかと思っています。

16日は、私だけの時間をもらう予定です。ま〜あ、何することも無くのんびりしようと考えています。


・・・ちょっとバックギャモンすることに疲れ気味・・・名古屋オープンの反動でしょうか?・・・それとも年のせい?
盤聖ネット予選しなくちゃいけませんが、お休みさせてくださいm(_ _)m


何も意味ありませんが・・・載せます  ↓ カローリング

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軍事産業

大戦中、名古屋の衛星都市の畑違いの産業が戦争に参加しました。

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飛行機マニアに方はご存知かもしれません。日本で最初のジェット機が開発されていました。
その名は、戦闘機「秋水」 です。
ロケットエンジンを搭載するために、燃料タンクを軽量化しなければなりません。金属だと比重が高くなり、また耐酸性に弱くなります。そこで目を付けられたのが焼き物です。
比重は使用原料にもよりますが、アルミナ質を下げれば2.1g/cm³ぐらいでできます。(鉄だと比重 7.85g/cm³) マグネシウム素材だと焼き物ぐらいまで比重を下げることができますが、あまりにも高価であり、資材の乏しい日本では手に入れることが困難です。
知多半島の常滑地区ではかめの生産が行われており、貯蔵槽には最適です。
鉄分の多い常滑地区の粘土では不適で、他産地の粘土が使われたそうです。
焼き物の原料を仕事にしている私、その粘土は瀬戸地区の粘土だと確信します。海外に目をむけると良い素材はありますが当時は輸入は困難です。
そして秋水は終戦に間に合わず幻の戦闘機となりました。


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私の住む瀬戸地区は焼き物の大生産地です。陶貨を生産し流通ま寸前までいったそうです。1300万枚が名古屋日銀に納品されたら終戦になったそうです。 京都清水、佐賀有田でも生産されたそうです。

瀬戸市瀬戸蔵ミュージアムに展示されています
http://www.city.seto.aichi.jp/sosiki/setogura/002492.html




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岐阜県美濃地区は和紙の生産地です。ここでは風船爆弾の気球を手がけていました。
15000個生産され9000個が放球されたそうです。
偏西風(ジェット気流)に乗り、361個がアメリカ本土まで到達し、山火事、ピクニックに来てた人がそれに触り6名死亡との記録があります。


地場産業はこうして戦争に携わっていました。

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