バックギャモン日記

バックギャモン復帰はいつになるのかな

バックギャモンとの出会い

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ヤフーのオレンジレートの頃、samiさん(私より、かなり若いのには驚いた・・)に声をかけられ、毎週土曜夜に行なわれるSSDの例会に参加する事になりました。http://www.aurora.dti.ne.jp/~asami-/backgammon/ssd.html

ダブルの意味さえ分からない私、また5Pなど経験したことはありませんでした(汗)
夜10時開始でしたが、その時間までの緊張感は、ただごとではありませんでした(気が小さいね^^;)

初めて対戦していただいたのは、ラスベガスオープン初級の部で優勝経験のある[ssd_tommy]さんでした。
レベルの差は歴然としており、何もできないまま負けました。
毎週の例会から学んだことに、「キューブアクション」「ルースヒット」がありました。

私は「ダブル」されたら「パス」するものと思っていました。私が出すダブルは勝負がほとんど決まってからのものでした。
とても驚いたものに「ルースヒット」がありました。インナーにブロットを残すヒットは、以前の私には考えられないものでした。

例会でもまれた結果、ID[oyajisan4646]は赤レートになりました。その時の感激は生涯忘れることができないものでした。

それから数ヵ月後、新たな出会いがあります。 チームAKMです。
続く・・



今夜、ネット名人戦予選を[michy]こと景山プロとします。
SSD時代に、院聖戦予選リーグで7Pを2戦しています。去年のネット盤聖戦予選二次リーグでも、7Pを2戦しています。 出目絶好調で全勝していますが、今夜は25P! 当たって砕けろ!の意気込みで胸を借ります!
 明日、試合経過を載せます。

観覧車

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昨夜は、娘が先月卒業した高校PTA生活部「3年生を送る会」に行ってきました。
3年間の役員のうち、最後はPTA会長として多忙な1年を送りました。小学校でも5年間(うち2年間PTA会長)やっており、「すっきやなぁ〜」と何度言われたかわかりません^^;
「すき」か「きらい」かと聞かれれば、『すき』と答えるでしょう^^; 
きれいなお母さんたちに囲まれ、懇親会、反省会と称した飲み会も魅力でした^^;

男5人(うち先生2人)、女15人で「上海湯包小館 栄町本店」で紹興酒で小籠包に舌鼓してきました。http://r.gnavi.co.jp/n052700/(画像1枚目)

楽しく食事してお母さんたちと別れ、2次会は錦4丁目のクラブできれいなオネー様たちと楽しい時間を過ごしました。終電に乗り遅れ、タクシーで名古屋から尾張旭の三郷の居酒屋に移動し、3次会の開始です。60歳近い教頭先生は帰られ、40台の学年主任の先生を人質に3人で閉店までいました。
帰宅は3時近く・・・   酒が残り・・今日は禁酒日・・になります・・でも・・ワインを一口くらいにしておくか・・

バックギャモンの話題がありました。
3次会まで付き合ってくださった先生は、双六を知ってて、バックギャモンを知らないのです。
国語の教師なので、古典に数多く出てくる「双六」がどういうものか知っていても、バックギャモンボードを見た事がないそうです^^;
またしても、バックギャモンの認知度の低さを痛感した次第です(汗)


今月観覧車付きのビル(画像2枚目)が名古屋の繁華街にできたのですが、大阪のキタ梅田の観覧車(画像3枚目)のパクリのような気がします^^; 大阪ミナミにも最近観覧車付きのビル(画像4枚目)ができました。
愛知万博にも2つの観覧車が出来ました。一つは東海地区最大の観覧車です。

http://www.expo2005.or.jp/jp/C0/C3/C3.8/C3.8.8/
http://expo.jama.jp/

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第二期:初心者時代    プレイ場所:自宅・ヤフーバックギャモンラウンジ

前回の「バックギャモンとの別れがきます」で締めくくった続きです。

友人宅で毎夜繰り広げられたジャックポットは1ヶ月ほどで終止符を打ちましたが、そのとき買ったボードは家の片隅に残りました。
それから2年後、今の嫁さんと結婚してボードを開くことになりました。最後は、お決まり^^;ですがその前に遊んだわけです。

ボード購入時にゲームの説明書(A4両面印刷の紙が1枚)があって、「プライム」の説明がありました。「これだ!!」と思い、全てのゲームでプライムを目指すようになりました。13,46はインナーにブロックを作りましたが、24は、ミッドから2メンダウンでした。バックマンのスプリットはまったくなく、ほとんど2メンダウンだったと思います。アウターを固め、ウォーキングプライムしていくのが理想だと確信していました(汗) プライムができたら、バックマンが動き出します。

それから妻の妊娠がわかり、半年の甘いバックギャモン生活は、またしても終止符を打ちます。



20年後にヤフーのバックギャモンサイトの出会いがあり、バックギャモンにのめり込んで行くことになります。アナログ回線で、高い通話料を払いながらゲームし始めました^^;
キューブ(ダブル)の意味をしらないことから、もっぱら1ポイントゲームばかりで、ゲームプランは上記の通りで、プライムを目指していました。
でも、理想だと思っていたゲームプランはうまくいきません・・・レート1700台前半で推移する期間が半年続きました。 実力は、この程度か?!と諦めムードが漂い始めたとき、ある出会いがありました。

ある日、新興宗教っぽい集団が上級ラウンジで毎土曜日の夜に集まっているのを目撃しました。
やけにレートの低い人たちが遊んでいるな!と思ったものです^^;
ところが、日本を代表するメンバーも多く参加しているSSD(新盤双六道院)というグループでした。

例会を見学していたら、院長のsamiさんに声をかけられ入門することになりました。
第一期:初級者時代の始まりでした。
続く・・・

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こんなポジションは日常茶飯事でした(爆汗)


今から25年前にバックギャモンとの出会いがありました。
友人達と行くBARにバックギャモンボードが置いてあり、グラス片手にダイスを転がしていました。
ルールはマスターに教えてもらいながらやっていました。
先月この店があった場所にいきましたが、残念ながら洋服屋になっていました・・・若かりし頃の思い出の場所がなくなったのは寂しいものです。

突然友人がデパート(名古屋松坂屋)でMボードを買ってきたのがきっかけで、彼の家に、毎夜2,3人で押しかける日々が1ヶ月ほど続きました。
BARでは、「お酒」「バックギャモンボード」「美女」、バックギャモンの世界では、こんな情景が思い浮かびますが、友人の家では「美女」が「おばさん」になりました。(注:親しみを込めて、友人のお母さんをこう呼んだのです)



第一期:初心者時代  プレイ場所=BAR,友人宅

ヒットされることを極端に嫌い、6と8が瞬時にツインタワーになっていました(汗)
バックマンはゾロ目が出るまで動かすことはありませんでした。1ゾロは24/22(2)、2ゾロは24/20(2)、3ゾロは24/18(2)、4ゾロは24/16(2)、6ゾロは24/18(2)、13/7(2)です。こんなムーブしていたら勝てるわけありませんが、仲間全員が、こんな感じで大きく差はつきませんでした。
当然キューブダイスの意味が分からなくて、使用する事はありません。今思えばツマラン!ゲームをしていたわけです(汗)
不謹慎ですが、ワンコインが仲間内で移動していました^^; ダブルス形式のゲームも考え、相談しながらもしました。(シュエットを知ってれば、何人でも遊べたのにね^^;・・・キューブの使い方もしらないメンバーばかりだから、仕方ありませんが・・・)

こんな状況が続き、飽きもきて、1ヶ月ほどしてバックギャモンとのお別れが来ます。

続く・・・  

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