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=河口慧海和尚の「チベット旅行記」紹介=
1.当HPの「空海とチベット」分野記事
「空海のタントラ「仏教」とチベット(14)090329」
関連の資料を掲載する。河口慧海和尚の「チベット旅行記」からの引用で、以下で文献名が明示されていない場合は、頁数は全て下記参考文献のものである。

○「すると、雪峰チーセに礼拝している人がある。見るからに獰悪豪壮なカム人(カム地方の人)で、その人の懺悔しているのを聞いていて実に驚いた。なぜなら、およそ懺悔というものは自分のこれまでにした罪業の悪いことを知って、その罪を悔いて許しを乞い、これからあとは悪いことをしないというものである。しかるに、その人はこう言っているのです。
−ああ、カン・リンボ・チエよ、釈迦牟尼仏よ、三世十方の諸仏諸菩薩よ、私がこれまで幾人かの人を殺し、あまたの物品を奪い、人の女房を盗み、人と喧嘩口論をし、人をぶんなぐったいろいろの大罪悪を、ここで確かに懺悔しました。だからこれで罪はすっかりなくなったと私は信じます。これから後、私が人を殺し、人の物を奪い、人の女房を取り、人をぶんなぐる罪も、ここで確かに懺悔いたしておきます」」(p.207-208)。

○「法王(ダライ・ラマ13世)が正面の右の席に着かれましてから、私はうやうやしく三べん礼拝し、袈裟を片肌ぬいで、小走りに法王の前まで進んでゆきますと、法王は私の頭に手を載せられました」(p.233)。

○「私と非常に関係の深くなった前大蔵大臣チャンバ・チョエサンの話は述べなくちゃならん。・・ある日、
「たくさんの病人が来て、本がお読みになれないのも気の毒なことだが、そうしていると、だいいちあなたの生命が危ない」と言う。
「何で危ないか・・」
「あなたが来てからほかのお医者さんが食うことができんようになったから、その医者たちが人を回してあなたに毒薬を盛らんとも限らん・・、私のみるところではまあたいてい殺られましょうな」」と言う訳で、この前大臣の家に住み込むことになった(p.236)。

○「ところが、ここに最もよい教師につけることになった。前大蔵大臣の兄さんで、前年、ガンデン・チー・リンボ・チエ(坐台宝)というチベット最高の僧位につかれた六十七歳のかたである。ガンデンにある新教派の開山ジエ・ゾンカーワの坐られた坐台へ坐ることのできるかたで、ここへ坐れるのは法王とこのかたの二人だけである。法王は生まれながらにしてその位を占めているのですが、このチー・リンボ・チエは五、六十年の修行を重ね、学徳兼ね備わり、この人よりほかにこの坐台に坐るべきかたはないという高僧になって、初めて法王の招待によってこの位につかれるのです。・・
・・私は前大蔵大臣の厚意によって、こういうかたを師匠として仕える幸福を得ることになり、チベット仏教の顕部についても、秘密部についても、このかたから十分学ぶことができた」(p.237-238)。

○「チベットはよく知られているように多夫一妻である。それにも種類があって、兄弟でもらうのと、他人同士が相談してもらうのと、それから最初は一夫一妻であったが、その妻君の権力が強くてよその男を引っ張ってまいり、自分の古い聟(むこ)さんの承諾を得て、多夫一妻になることもたくさんある。・・法律上すこしもさしつかえない。・・
チベットでは一般に妻の権力が非常に強い。たとえば夫が儲けてきた金はたいてい妻に渡してしまう。三人夫があれば三人の儲けてきた金を妻がみな受け取ってしまい、儲けようが少なかったような場合にはその妻が叱言をいう。夫は自分が入用の時分には、こういうわけでこれこれの金がいるからくれ、と言わなくてはならぬ。もし夫が臍繰り金を持っていることがわかると、妻が大いに怒って、夫に喧嘩をしかけ、はなはだしきは夫の横面をぶんなぐるというのもある」(p.241)。

(注)当時のチベットでは、「多夫一妻」の他に「一夫多妻」も行われていた。また、大半は「一夫一妻」だった。また、「多夫一妻」と「一夫多妻」は上流階級で多かったといわれている(「ブリタニカ国際大百科事典(REFERENCE GUIDE)4」p.324,&「ブリタニカ国際大百科事典12」p.772-773;F.B.ギブニー編/1993/TBSブリタニカ)。

○「私が駐蔵大臣の秘書官の馬詮という人から聞いたところによると、ずいぶん弊害のあったこともあるようです。それは、自分の子供が法王になれば、自分らは王族として財宝もたくさん得られて幸福を受けることができるというので、駐蔵大臣や高等僧官にたくさん賄賂をつかって奔走するものがあるそうです。すると、その賄賂をくれた者の子供の名まえしか摘みだされないような方法にしておいてやったこともあるらしいようすです。それをはっきり証拠だてることはできないですけれど、そういうことがあったという話をたびたび聞きました。
とにかく、第五代目の法王の時からこういう神降(かみおろし)が起こって、何ごともこの神降に相談するということになったのですが、この神降が実に悪いやつで賄賂を貪りとることは非常なものです。ですから神降の坊さんにはたいへんな金持ちがおります。現に法王政府の神降のネーチュンのごときは、チベット一の金満家といわれるくらいに金があります。
そこで高等ラーマの化身は、たいてい貴族,金満家,大商人などの子供というような者が多い。貧乏人の子供にラーマの化身が宿らないときめてあるように、ほとんど十中の九までは富貴の家から化身が出るというにいたっては、必ずその間に何かのことが行われているに違いない。それはただうわべを観察しただけでもわかりますが、実際に妙なことが行われていて、おりおりいやなことを耳にしました。単なる推測ではありません。・・
もっとも、法王にいたっては富貴の子供でなく、かえって貧賤の中からたくさん出ている例もあるのですから、一概に法王あるいは第二の法王まで神降の勢力が及んで決定しているとはいえない。現に今の法王も、第二の法王も、実に貧乏なつまらぬ身分の家から生まれてきておられるのです」(p.251-252)。

○「この集まった税金の大部分は僧侶を養うことに使用するのです。・・仏堂を普請するとか、あるいは
仏陀に供養するためにずいぶん金がかかる。その他は親任、勅任、およびそれ以下の官吏の俸給です。その額はわずかなもので・・」(p.254)。

○「その翌日、書記官馬詮氏が例のごとく遊びにきて、いろいろな話をしましたが、その話のなかで、
「あなたはシナの福州のかただというが、シナ人一般の性質とどうも違っているところがある。あなたの先祖は、どこかほかの国の人ではありませんか」と言う。
「さあ、先祖はどこから来たかいっこう知らないが、あなたはなぜ私の性質が、シナ人一般と違っていると言うのですか」と、問いかえすと、
「シナ人は、私どもはじめ悠長な風がありますが、あなたには悠長なところが欠けている。機敏に、こまかに立ち回るという風が見える」と言う」(p.256)。

これは、1903年ごろの話で、禅宗の日本の和尚さんに対する中国人の観察だった。

参考文献:
「ノンフィクション全集4」(河口慧海著・河口正編-等/1973/筑摩書房)

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