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=米国史関連=
「安岡HP資料篇」記事「空海のタントラ「仏教」とチベット(26)」に関する資料を掲載する
(過去記事の再利用)。

(注1)「ジェファーソンなどは奴隷に子供を作らせていたという」:

「187人の奴隷を所有していたとの記録が残っている。また黒人は白人よりもあらゆる点で劣っており、二つの人種が一つの国家のもとで平等に暮らすことはできないとの意見を表明する一方で妻の死後に奴隷のサリー・ヘミングス(Sally Hemings)を終生愛人とし、数人の非嫡出子をもうけた疑いが濃厚であるため、偽善的だとの見方もある」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)。
この醜聞は大統領就任中の1802年9月ジャーナリストのJ・T・カレンダーによりリッチモンド紙で報道された。大統領はノー・コメントを貫いた。20世紀後半にDNA鑑定技術が進歩し、この醜聞を解明できる手段が開発された。イギリスの科学誌「Nature」1998年11月05日号にユージーン・A・フォスターのティームがDNA鑑定の結果を発表した。更にこの論文の一部のミスについて、チームの一員だったH・バーガー氏より「ウォール・ストリート・ジャーナル」1999年03月11日号A23頁に手紙が発表された。
以上より、やはりジェファーソンが奴隷に子供を作らせていた可能性は極めて強いこと。だが別の可能性として、この奴隷の子孫である人に何らかの形でやはり(ジェファーソン本人でなく)ジェファーソンの子孫の血がどこかで混じった可能性も完全には排除できないことが分かっている。現在の技術ではそれ以上のことは分からない。

(注2)「ワシントンも大奴隷農場の持ち主だ」:

「ワシントンはその人生の大半、典型的なバージニアの奴隷所有者としてそのプランテーションを経営した。1760年代、たばこを諦め(格式はあったが利益は出ていなかった)、小麦の栽培に転じ、小麦粉の製粉、衣類の製織およびブランディの醸造と多角化した。その死のときまでにマウント・バーノンには317人の奴隷がいた」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)。
ウィキペディアだけで済ませて申し訳ないが、この話しは有名な話なのでこのままとする。

(注3)「独立が達成されるとフランクリンなどの有力者は早速秘密会議を開き米国憲法を決めてしまった」:

「会議は秘密会議として、厳重に討議内容の漏洩を防いだ。代表には・・フランクリン・・など、商業資本・大地主・大プランターの代弁者が大部分をしめ、農民側の代弁者はひとり・・のみであった。・・連合規則の改正を名目としたこの会議は、実際上、新しい憲法を制定する会議に変身を遂げたのである」(「アメリカ史(増補改訂版)」p.84)。
つまり、人々は誰1人、憲法が設けられることになって・討議されていると知らなかった。臨時的な13州の連合規則の改定が話し合われていると思っていた。

(注4)「(米国で)普通選挙権がぼちぼち州によっては認められるようになったのは19世紀に入ってからだ」:

「東部諸州では一般に選挙権には特定の制限があった。独立戦争中の有権者は全人口[黒人・インディアンを除く全白人]の6%に過ぎなかった。しかし一八二〇年代に開けてきた西部では土地は廉く一定の土地所有を選挙資格とすることは無意味となった。一七九一年に州となったヴァーモントが男子普通選挙の最初で西部のケンタッキーとテネシーがこれに続いた。しかしそれが普及するのは第二次独立戦争[1812-4]後の西部においてであった」(「アメリカ史(増補改訂版)」p.118)。

(注5)「(独立当時)米国で・・奴隷1人が当時百万円した」+
(注6)「21世紀の現代では奴隷は非常に安く、1人2−3万円といわれている」:

これには非常に諸説有るが、現在ハイチでは9歳の少女が50ドル(約5千円)で奴隷として売られているという。
北米500局で放送されているニュース番組「Democracy Now!」の運営するサイト「NPR (National Public Radio)」によると、作家であるベンジャミン・スキナー氏が実際に2005年の秋にハイチを訪れたとき体験した。その時のことは現在、グーグル検索で「Author Struggles to Stay Removed from Slave Trade」と入力し、上から4番目位の「Author Struggles to Stay Removed from Slave Trade : NPR -」をclickすると読むことが出来る。又記事によると、1850年代に奴隷は一人あたり現在価値にして3万ドルから4万ドルしたという。これほど奴隷の価格が下がったのは、戦争が多く食い詰めた人間が多くなったということだ。

参考文献:
「アメリカ史(増補改訂版)」(1990/清水博・編/山川出版社)

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