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=2008年チベット暴動関連=
1.「安岡明夫HP資料篇」の「空海のタントラ「仏教」とチベット」シリーズの為の資料を掲載する。
1.今回は昨年のチベット暴動に関するものを掲載する(一部、「安岡明夫TP」過去記事のリサイクル)。

○過去記事「チベット問題080405」より:
「1.さて、今回のチベット動乱について考える。情報が少ないため確実なことはいえないが、初めこの事件は「平和的なデモに中国軍が発砲して起きた事件だ」といわれていた。ところが中国のTVにチベット僧が無抵抗な中国警察当局に棍棒や石つぶてで襲い掛かる映像が流れた。すると今度は、「オリンピックを控え、中国側は早い内にチベットを暴発させて平定しようと考え、挑発をかけたためチベット僧が怒ってこうなったのだ」といわれた。だが、今中国政府は追い詰められている。別に挑発で自分の首を絞める必要はなかったようだ。

すると今度は、普段の中国の締め付けがひど過ぎて、僧侶でさえ立ち上がらざるを得なくなったのだといわれている。だがそうだろうか?動乱が起きる前、多くの観光客を含め日本人もチベットに立ち入ることが出来た。NHKのチベット報道もあった。民衆が命懸けで蜂起せざるを得ないような状態があったとはかんがえられない。

つまり、今回の事件は、主として僧侶が引き起こしている。中国警察当局に棍棒や石つぶてで襲い掛かることで始まった事件と考えざるを得ないのだ。又最近の報道によると、ダライ・ラマが中国からの独立に反対する為、若手の亡命者を中心に蜂起を決定し、それをチベット内に持ち込んだと印度内やチベット内のチベット人が日本の新聞に言い始めている。

「チベット 二つの不満:
・・今なお原因や犠牲者数など真相は分からないことが多いが、背景には、長年の中国政府の統治に不満を持つチベット人を、インドの亡命政府ですら抑えきれなくなっている現実があるようだ。
・・
昨年6月末から7月に上海などで開かれた6回目の協議で中国側が「チベット問題など存在しない」と態度を硬化、議論が入り口で止まってしまった。
この結果が騒乱につながったと指摘するのはダライ・ラマ・チベット宗教基金会(台湾)のソナンドチェ秘書長。中国への不満と、ダライ・ラマの対話路線への疑念が広がったという」(朝日080328)。

朝日記事はそのあと、47カ国からのチベット人代表が武装蜂起を計画したという情報の紹介を行っている。

つまり今回事件は、普通の国での様に先ず民衆が立ち上がり、最後の段階で僧侶さえも立ち上がらざるを得なくなったということと全然違う。僧侶が中心になって引き起こしたことだ。それが可能なのは、「チベット仏教」とは実はタントラ・バジラヤーナだからだ。「チベット仏教」においてはダライ・ラマ(いわゆる「グル」)の命令は絶対である。だから、上の記事の”若手が勝手にダライ・ラマの言うことを聞かないで引き起こした”と、側近が言い訳していることもまだ嘘があるのではないか?

先の朝日記事も書く。
「ニューデリーでは連日、若い亡命チベット人のデモが続く。ジャンパさん(26)は「多くの若者はチベットの完全な独立を求めている」。だが「もし、姿勢を変えろと命じられたら、変えなければならない」とダライ・ラマの権威を認める。
ニューデリーのチベット人街に住むノルブさん(64)も「内外に600万人いるチベット人は今もダライ・ラマの助言と指示が頼りだ」と話す」。

つまり、今回事件はダライ・ラマの命令で起きた?だからチベット僧は命懸けで警官隊に棍棒と石つぶてで殴り込みをかけた?

先の朝日記事はこう続ける。
「・・中国政府は騒乱自体を「ダライ(・ラマ14世)一派が組織的、計画的に策動した」と断定する。16日に英BBCの取材を受けたダライ・ラマが「チベット人がいつ何をしようとも・・中止を求めることはない」と発言したのが証拠というのだが、かなり無理がある」。

だが私には中国側の言っている方がよほど筋が通っていると考えられるのだ」。

これに幾つか付記する。
○チベット密教においてダライ・ラマのいうことは絶対である証拠に、次のような事実もある。ダライ・ラマ14世はかつてCIAから金をもらい、中国内に部下を潜入させてはテロ・破壊活動、ゲリラ戦をおこなっていた。然し、もうとても中国の力にかなわないと思い始めたのである。むしろ、中国側と友好な関係を結ぶことで、再び元の地位に就けないか・もっと有利な条件で復帰出来ないかを模索するようになった。

そのような時彼は、中国内に潜入していた部下達に、ゲリラ戦をやめ降伏することを命じた。しかし、彼らはダライ・ラマ14世に、「頑張ればチベットの独立が勝ち取れるぞ」と教えられ、全てを犠牲にして頑張ってきた人たちだった。だから彼らは、ゲリラ戦をやめることを命じる命令に従い、降伏することがどうしても出来なかった。しかし、ゲリラ戦をやめなければダライ・ラマの命令に反することになる。そこで彼らは集団自決の道を選んだのだ。

「・・ネパール軍と中共の共同作戦で抵抗勢力狩りが開始された。・・
一方、インド政府はダライ・ラマに圧力をかけ、抵抗勢力に降伏を促すよう求めてきた。もしムスタンで争いが始まったら、ダライ・ラマはインド、ネパール両政府から責められるのは必至であった。ネパールにも数千人の難民がいるのだ。ダライ・ラマはやむなくメッセージをテープに吹き込み、方々の抵抗運動部隊に配布した。・・
・・テンジン・ギュルメは次のように語っている。
「法王の声を聞いた私たちは皆泣いた。法王の気持ちには逆らえないという思いと、すべてをなげうって戦ってきた末に降伏する気には到底なれないという思いとがあった。・・
法王の意に背くよりはと何人もが自殺した。五人の指揮官の一人、パチンは余りの怒りと余りの力でのどをかき切ったため、首が落ちてしまったほどだ。私の秘書ツェワン・ギャポは、近くの古い石の建物から何もいわず河に飛び込み死んだ。多くがそうして死を選び・・」(参考文献1;p.267-268)。

○「チベット仏教の形態的な特色は、「ラマ教」という俗称が示すように、教えを伝えるラマ(師僧)に絶対的信仰を寄せることである」(参考文献2;p.792)

とあるように、チベット密教において「ラマ」の命令は絶対である。そもそもチベット語「ラマ」とは印度語「グル」の訳語であり、オウム真理教においてグルの命令が絶対であったことと同じなのである。

参考文献:
1.「中国はいかにチベットを侵略したか」(マイケル・ダナム/2006/講談社インターナショナル)
2.「ブリタニカ国際大百科事典12」(F・B・ギブニー編/1993/TBSブリタニカ)

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