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当HPは今年終了します。→https://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/48230188.html

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=2008年北京五輪関連=
1.「安岡明夫HP資料篇」の「空海のタントラ「仏教」とチベット」シリーズの為の資料を掲載する。
1.今回は昨年の北京五輪に関するものを掲載する(「安岡明夫TP」過去記事のリサイクル)。

○過去記事「(続2)チベット問題080409」より:
「1.産経新聞が【主張】「北京聖火リレー 五輪精神に基づく解決を」(2008.4.8)を掲載した。
産経新聞は私が覚えているだけでも、1970年頃、「東大全共闘」 なるテロリストを徹底暴露・追及され、その後は多くの新聞が「日本は中国への侵略を進出と教科書を書き換えた」と大誤報したのに対し、率先して新聞第1面を使い、誠実な訂正と反省を述べられた。最も誠実なモラルの高い新聞の1つとして知られるまさに日本の良心・木鐸の1つである。
今回主張も、世界の自由と民主化を願っての、真摯な正論を述べられたものだが、当HPの考えではいくつかの納得できぬ点が含まれていると思われるため、率直な意見を申させていただく。

1*第1に、「開催国」という言い方で、中国を「チベットで人権抑圧を訴える声が噴出し、多数の死傷者が出ている現実を・・開催国を含む国際社会に解決を訴えることは、政治を超えた、五輪精神にかなう行動ではないか」とされていることだ。

だが前々回記事「チベット問題080405」で述べたとおり、中国は「オリンピック開催国」ではない。五輪は国が主催するのではなく・都市に開催権が有る。つまり、北京市は開催市だが・中国は開催国ではない。だからチベット問題と北京五輪は何の関係もないのだ。

確かに誤解が多く、中国を開催国と呼ぶ人も多い。或いは「開催市が存在する国」の意味で「開催国」と言っている人も居るであろう。だが何れにせよ、国が開催しているのではなく、中国は北京市に協力しているだけだから、チベット問題を五輪に結びつけることは無理だ。

2*第2に、「北京五輪開催が決まった2001年のIOC総会・・で・・北京市長は「五輪開催までにあらゆる分野で国際標準化を図る」と述べた。・・この約束をほごにしてほしくはない」ということだ。つまりチベット問題が噴出することはこの約束に反しているのではないかと。

だが同様に、北京市は約束を守っているのだろうが、チベット問題は北京市にはどうしようもないことだと思う。

3*第3に、チベット問題を五輪に結びつけ、チベットの一部の人の政治的野望を実現する為に五輪を政治利用することは、現在行われているような暴力的な、テロを手段とするものは論外だが、言論に基づくならば許容すべきなのだろうか?

だが、法律の限度内に有ることと、道徳を真に守ることは別次元の話ではないだろうか?
結局五輪の政治利用とは、チベットを弾圧している中国には五輪開催を認めるなということだ。実際、北京五輪を認めたのは誤りだったとも論議されている。2度とさせるなとも言われている。中国国内で行われるから、自分の国の大統領や首相は参加しないとか、天皇にも参加させるなとかも言われている。ボイコットせよとも言われている。

何故だろうか?こういう論理ならば、そもそも問題が有る国からの選手を五輪に参加させるなということになるのではないか?ボイコットせよとは、結局中国でやらず、緊急に開催場所を変えて、別の国で行えということではないのか?それで中国選手は参加するのか?

一体、五輪をボイコットせよということと・今後再び中国選手を五輪に参加させるなということと、何処がどう違うのか明らかにしていただきたい。ボイコットを本当に望むなら、今後再び中国選手が参加しないことを大喜びすべきではないのか?

だが、そもそも五輪というシステムに中国が参加することが喜ばしいことならば、どこの国で行おうと中国選手が参加することは喜ばしいことではないのか?そして、五輪というシステムに中国が参加することが喜ばしいことならば、中国で五輪が行われることも喜ばしいはずではないのか?

ここでそもそも何故五輪というものが行われるようになったか考える。2回の世界大戦を経てきたが、世界平和への願い、その為の貢献として始まったのではないのか?だから敵味方が一堂に参加すべきではないのか?

そして今回の中国への態度は何だろうか?失礼千万というほかない。世界は中国で五輪が行われることに同意したのだ。こんな失礼な態度を取るならそもそも初めから中国で五輪をやると決めなければ良かった。中国に対しても失礼だし、北京市に対しても失礼だ。北京市はチベットをどうすることも出来ないのだ。

一旦やると決めた以上、北京市に対しこういう失礼なやり方は取るべきでない。モラルに反するではないか!

五輪を政治利用しようと思えば、中国側こそ幾らでも出来るはずだ。だが彼らはそうしようとしなかった。五輪の政治利用が出来るということになれば、今後、様々な悪い国が、徹底してそういうこともやるだろう。今回の妨害事件はその口実とされるだろう。チベット問題を訴えたければ五輪と関係ないところで幾らでも出来るはずである。原点にもどらなければならない」。

○過去記事「テロを支援する朝日新聞080409」より:
「1.今日の朝日新聞には驚かされた。先ず第1面の「天声人語」にこうある。

「北京五輪の聖火リレーが散々な目に遭っている。・・反体制派は体を張って吹き消そうとする。・・炎の奪い合いは北京へとなだれ込む。・・それで民主化が少しでも進むなら、祝祭に水を差す騒ぎも無駄ではない」。

つまり、テロを非難するどころか称えているのだ。

1.更に社説ではこうだ。

「聖火リレー―中国が試されている:

(前略)
北京五輪の開催を盛り上げる聖火リレーに対する妨害が、激しさを増している。中国のチベット政策に抗議し、世界に訴えようというのである。
(中略)
中国は「ダライ・ラマ派の策動」と切って捨てるのではなく、現実に向かい合うべきだ。
中国はスポーツの祭典は政治と切り離すべきだといいたいだろうが、現実にはそうはいかない。(後略)」。

やはりテロの対する非難は一言もなく、世界がこのテロに対しどうするかが試されているというのに、こともあろうに「中国が試されている」と思っているのだ。

1.他の新聞では、次のように論じている。

「長野県警には細心の注意を払った警備を求めたい」(毎日社説080409)。

「亡命チベット人グループや人権団体活動家らが聖火を奪い取ろうとし、ランナーの行く手を実力で阻むなど手荒な行動に出ている。抗議するにも、こんな強引なやり方では共感を得られまい。聖火リレーは・・26日には長野市でも行われる。混乱を招かないよう、万全の対策を講じる必要がある」(読売社説080409)。

「暴力は許されない」(東京社説080409)。

「暴力を伴う五輪妨害行為は容認できない」(産経社説080408)。

勿論、これらの新聞は、世界の自由と民主化を願い、中国に対しても厳しい要求を突きつけているが、それにしても暴力はいけないのだときちんと筋を通している。朝日だけが、テロを全面的に支持しているのである。

1.朝日に対しては、次の教訓を学んでいただきたいと思う。この様なテロがはびこると、次第にエスカレートするのだ。それは、この様な過激派は、聖火を奪い取る為なら少々人を傷つけても良いと思っている。場合によっては人が死ぬことがあっても仕方がないことだと思う。こういうテロにより、少数派(警察関係者や・中国のやっていることが正しいと考える人々)は次第に黙らされていく。暴力により社会の世論が過激派にやや傾く。すると次に起こることは更に過激なことにならざるを得ない。良識派は黙らされ、今までとは少しだけより過激な人が出現し、これが繰り返される。

つまり、ファシズムとはその芽生えたところですかさず叩かない限り、必然的にどんどん成長するものだ。1960年当時の安保全学連運動が、1970年頃の全共闘運動となり、遂には浅間山荘事件へと発展したことを朝日はお忘れではないだろう。そして誰がこれを煽ったかも(後略)」。

(つづく)

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