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=ダライ・ラマ14世時代のチベット=
1.「安岡明夫HP資料篇」の「空海のタントラ「仏教」とチベット」シリーズの為の資料を掲載する。
1.今回は、チベットの主として経済状況とその変化に関するものを掲載する(「安岡明夫TP」過去記事のリサイクル)。

○「(続5)チベット問題080421」より:
「(前略)080416、TBSテレビの「ピンポン」という番組で「生激論 亡命チベット人VS.中国人 本音を語る」というものがあった。
そこに宋青宜という女性(日中環境協会理事長)が出演し、次のように語った。

「ダライ・ラマ14世がチベットを支配していた1959年以前はチベット人の平均寿命は37歳。現在は68歳だ(注11)。同じく教育を受けた人は2%だったのが今は99%(注12)。以前はチベット人の多くは農奴だった(注13)」と(後略)」。

○「過去記事「(続5)チベット問題」への注080425」より:
「(前略)
(注11)「ダライ・ラマ14世がチベットを支配していた1959年以前はチベット人の平均寿命は37歳。現在は68歳だ」:

中国駐日大使館HPによると、「チベット自治区主席が北京で記者会見、最近の状況説明」(2008/04/09)した。それによると、「チベットの平均寿命は解放当初の35・5歳から現在は67歳に延びた」という。
ちなみに日本の統治により、朝鮮は平均寿命が24歳から45歳に延びた。日本の朝鮮侵略は誠に申し訳ないことだがこのことは感謝して貰わなくてはならぬ。

(注12)「1959年以前はチベット人で(一般)教育を受けた人は2%だったのが今は99%」:

「俗界の数少ない学校に入学できるのは、富裕な人々や貴族の子弟に限定されていた」(「ブリタニカ国際大百科事典12」p.774)。
「近年の変化:
・・多くのチベット人の科学者や技術者が育ってきている。各地に小・中学校が設立された。一般人の子女も入学の機会を持てるようになった。
以前はラサには、ラマ医者をはぶいて、医者はほとんどいなかったが、今日では近代的な設備をもつ4つの人民病院と多くの衛生所がある」(「ブリタニカ国際大百科事典12」p.777)。

(注13)「1959年以前はチベット人の多くは農奴だった」:

「チベット仏教の・・特長は、「ラマ教」という俗称が示すように、教えを伝えるラマ(師僧)に絶対的信仰を寄せることである。
・・有力な氏族は権力、財力に恵まれた活仏の位をねらってそれを子弟に独占させ、教団の利権にむらがった。一方、庶民は教団の内外でいかなる機会にも恩典にもあずからず、わずかの資力を投出して、ひたすらラマの加護を頼み、むなしく来世を期待させられ、教団を安泰ならしめる「善行」に追い立てられた」(「ブリタニカ国際大百科事典12」p.792)。
「チベットは世界で最後の神政国家であった。観音の化身・・ダライ・ラマは、政府の首長でもあり、世俗的権力を行使した。・・ラマBla-maとは「高尊の師」を意味し、元来、サンスクリットのグルguru(師)の訳語であった。・・
・・僧院は・・上流階級出身の僧は、その財力によって昇進に一層有利な機会をつかむことができた。・・僧院は政府と個人の両方から寄付を受け、政府からは現物、現金、税金が取れる荘園を・・受けた。・・
チベットの一般民は、農耕民と牧畜民にわけられる。農耕民は主に南チベットと南東チベットの河谷に住み、政府、僧院、ラマ、貴族の小作人として働く農民もいた。・・土地をもつ農民はきわめて少なく・・」(「ブリタニカ国際大百科事典12」p.774)(後略)」。

参考文献:
「ブリタニカ国際大百科事典12」(1993/F・B・ギブニー編/TBSブリタニカ)

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