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=チベット密教の実態1=
1.「安岡明夫HP資料篇」の「空海のタントラ「仏教」とチベット」シリーズの為の資料を掲載する。

1.今回は、「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット (F)090409」への追記を行う。

○ダライ・ラマ14世も序文を寄せている「【ゲルク派版】チベット死者の書」より:
「質問20−我々人間が植物に輪廻することもありますか?
回答−植物には輪廻しません」(参考文献1;p.210)。

「質問21−六道輪廻の中では天界に生まれることが一番よいことなのですか?
回答−必ずしもそうではありません(完全否定はしていない)。天界に生まれた者には苦しみがありませんから・・解脱に向けて努力することも当然ないのです。・・従って六道輪廻の中では人間に生まれることが一番素晴らしいことだと言えます。・・阿弥陀浄土に生まれた菩薩の方々も、来世は人間に生まれるよう祈願するといわれています」(同p.211-212)。

「人間に生まれる確率は、大きな湖で一日に数度だけ水面に首を出す亀が、首を出した際に穴の開いた船が通りかかり、その穴を塞ぐほどの確率といわれています」(同p.214)。

「質問29−葬式のときにお坊さんに高いお布施をしたり、初七日にお坊さんに御馳走をしたりするのは効果があることなのですか?
回答−お坊さんに供養のお食事を召し上がっていただいたなら、釈尊に供養してお食事を食べていただいたことと等しい功徳を積むとツォンカパは述べておられます。なぜなら釈尊が涅槃に入られたあと、釈尊の教えを正しく伝えることのできるのは僧侶だけだからです」(同p.218)。

「質問35−一日の間になした悪業を浄める方法はないのですか?
回答−あります。金剛薩タ(「土」偏に「垂」)の念誦法を毎日寝る前に21回誦すれば、その日一日に犯した悪業を浄化することができます。・・ちなみにこの行法を10万回行ったら、今世において成したすべての悪業を浄化できるとされています」(同p.223-224)。

「五無間罪とは次の5つをいう。
母を殺すこと。
父を殺すこと。
阿羅漢(ブッダの境涯に達した聖者)を殺すこと。
ブッダとなった者を傷つけること。
仏教教団の団結を破ること。
これらの5つの罪を犯したことにより、すぐに地獄に行く業のことを悪い無間業という」(同p.114)。

○「ダライ・ラマの密教入門」より:
「(入門において唱える祈願文で)三聯目では特に、勝者(仏)と師の足元に帰依します。なぜなら師とは「三つの帰依する対象」(訳者・石濱裕美子氏の注により「三宝」即ち仏・法・僧の意味)がすべて含まれた存在であり、師の祝福によってあらゆる輪廻の恐怖を取り除くことができるからなのです。あなたは清浄なる身体、言語、心をもって、体を地に投げて拝礼し、言葉で仏を讃嘆し、敬虔な心で仏に帰依するのです」(参考文献2;p.118)。

「それから師は自ら弟子の右手を掴んで、以下のように述べる。
これ以後、私はあなたの金剛手である。あなたは私が「これをなせ」ということはなすべきである。あなたは私を軽んじてはならない。もし私を軽んじるなら、汝は恐怖の中で死の時が来たり、地獄に落ちるであろう」(同p.137;→後注)。

「金剛の一族に属するものは殺傷を行うべきである。
剣の一族に属するものは真実でない言葉を語るべきである。
宝珠の一族に属するものは他のものの財産を盗むべきである。
・・・
あなたはこれによって仏陀になるであろう。
そうでなければ無数の劫をへても仏陀にはなれないであろう。

以上の誓いの言葉を「仮の意味」(未了義)と「本当の意味」(了義)の両面から説明する。
・・・
金剛の一族に属するものとは阿閦仏の一族を指しています。
・・「仮の意味」においては・・他の手段ではどうにもならない場合において、教えに害をなしているもの、命あるものを憎むもの、忌まわしい悪業をまさになそうとしているものなどを慈悲に動かされて殺すことができる、ということを意味しています。
・・「本当の意味」においては、阿閦仏の一族に属するものは・・(自らの)射精をもたらす「風」(生体エネルギー)の命を取るべきであることを意味しています。
剣の一族とは、不空成就仏の一族を指しています。
「真実でない言葉を語るべきである」という言葉は、「仮の意味」においては、不空成就仏の一族に属するものは、命あるものの好みや性質にあわせたさまざまな教えを、仮の意味と本当の意味の両者によって語るべきであることを意味しています。・・
「本当の意味」では・・以下のように解釈されています。真実においては、あらゆる現象は関係性の中にあり、その実体は空である・・。・・つまり、仏教の真実を語ることを凡夫の目から見て「真実でない言葉を語るべきである」と表現しているのです」(同p.273-276)。

つまり、既にご存知のとおり、全ては「空」だから何をやっても良いのであり、全生物を殺してもあっという間に成仏できるのであり、全ては「空」だから元々「真実」だの「虚偽」と言うものは無いから、自分達が棍棒で中国警察隊に一方的に殴りかかっても、「相手に殴られた」とデマを飛ばして良いのだと言っているのである。

このような滅茶苦茶な「教え」が説かれるに至った原因を訳者・石濱裕美子氏は「この本を読むまえに」の中で次のように解説している。

「本書の扱う密教経典『カーラチャクラ・タントラ』(「時輪タントラ経」)は、インド密教最後の華である。・・十一世紀頃に成立したものとされている。当時、インドはイスラム教の攻勢下にあり、その後間もなくして仏教はインドから姿を消す運命にあった。そのためか『カーラチャクラ・タントラ』には、永劫回帰を説く仏教の経典にしてはめずらしく最終戦争が説かれている。・・
オウムが「ヴァジラヤーナの教え」と称して、人殺しや盗みを行っていたのは、本書の最終章にあたる箇所が典拠になっている。また、オウムの”ハルマゲドン”とは『カーラチャクラ・タントラ』に説かれる異教徒との最終戦争にほかならない。
しかし、本書を読んでいただければ一目瞭然であるが、彼らの密教理解はまったく誤っている(そうかな?)」(同p.7-8)。

つまり、回教徒との最終戦争のため殺人・デマ・略奪を必要とし正当化したのであり、「仮の意味」こそ本当の意味で、「本当の意味」とはお為ごかしも含まれているようだ。

後注:
これと同じことが、「金剛頂経」(初会)にも述べられている。
「(入門儀式において)それから、阿闍梨は弟子にいえ。「今日よりのち、余は汝の金剛手である。余が汝に『これをせよ』と語ったことを、汝は実行しなければならぬ。そして、汝は余を侮ってはならぬ。汝は進退を誤って、死後に地獄に落ちることなかれ」」(参考文献3;p.130)。090412追記。

参考文献:
1.「【ゲルク派版】チベット死者の書」(ヤンチェン・ガロ撰述/1994/学習研究社)
2.「ダライ・ラマの密教入門」(ダライ・ラマ14世/1995/光文社)
3.「密教経典」(岩本裕・訳/1975/読売新聞社)

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