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=チベット密教史関連1=
1.当HP「空海とチベット」分野の「空海のタントラ「仏教」とチベット」シリーズの為の資料を掲載する。
今回以降、何回かチベットの歴史について補足したいが、その場合、チベット密教の様々な派が登場し、混乱することがあり得る。

そこで、まずチベット密教の各派について、これだけ知ればあなたもチベット密教の「通」だという勘所(かんどころ)を紹介したい:

1.まず、昔は「ラマ教」と言われていたものが最近は「チベット仏教」と言われている点についてである。そもそも「チベット仏教」なるものは「仏の教え」なのだろうか?

「人間を含むこの世の全生物を殺害せよ。
他人の財物を奪え。
他人の妻と姦通せよ。
嘘のみを語れ。
大衆はこの業により灼熱地獄に落ちるが、
我が行者は、まさにこの業によりて悟りをひらくのだ」
(「最勝楽出現タントラ経」)。

これは「仏の教え」なのだろうか?これを仏の教えと言っては、「仏」とは何なのだろうか?慈悲と知恵と悟りこそ仏の本質ではないだろうか?これでは小乗仏教・大乗仏教とタントラ・ヴァジラヤーナの区別が全然なくなってしまうのである。

この点について、チベット密教が仏教の用語を用いている点を挙げて、それを彼らが仏教徒の証拠とされる学者も居られる(中村元氏など)。しかし、これは全く科学的といえない。ファシストが民主主義的言語を用いて自己合理化をすれば、彼らは民主主義者なのだろうか?呪術師が科学的言語を用いれば彼らは科学者なのだろうか?どのような言葉を用いるかではなく、本質こそが重要ではないだろうか?

第2に、では彼らを何と呼ぶかに関しては、「ラマ教」こそが最も科学的である点である。つまり、ラマ(印度語「グル」のチベット訳)の教えだから「ラマ教」なのだ。同じようにバラモンの教えだから「バラモン教」である。仏の教えだから「仏教」であり、キリストの教えだから「キリスト教」なのだ。

また、シャーマンが中心になっているから「シャーマン教」であり、ムスリム(回教徒)の教えであり・ムスリムに教えられている教えだから「ムスリム教」である。印度人の教えであり・印度人に教えられている教えだから「印度教」(ヒンズー教)なのだ。儒者の教えだから「儒教」であり、道家の教えだから「道教」である(*)。

第3に、「チベット仏教」と言うと、これにはチベットの特色が色濃く含まれていると暗示することになる。ところがこれも事実と違い、「中国仏教」・「日本仏教」と同じ意味で元々の「印度仏教」が風土によって変容されたものと見ることは出来ないのだ。

つまり、「チベット仏教」とは印度直輸入の極めて現物に忠実なものであり、現物が回教徒の印度侵入により一挙に抹殺されたため残っていないだけで、経典の翻訳も忠実であるし、実は「印度秘密金剛乗」を忠実に保存したものである。チベット的特長を持っているものは、所謂「黒教」(タントラ移入以前にチベットに原始時代から存在した「ボン教」というシャーマン教が今日、密教的外見を備えたもの)や「紅教」(「ニンマ派」とも言うが、本地垂迹説によりボン教と印度密教を結びつけたもの)しか無い。

今日、「チベット仏教」の本拠はダライ・ラマ14世の居住する印度である。信者も欧米に増えつつあり、チベット本土では減りつつある。昔は満州や蒙古・中国本土での信者の数の方が多かった。明らかに「チベット仏教」と言う名前は暫定的なものであり、科学的とは考えられないのだ(つづく)。

*訂正:
はじめ、「イスラムの教えだからイスラム教だ」と書きましたが「イスラム」は「神への服従」の意味でした。お詫びして訂正します(090429)。

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