ここから本文です
当HPは今年終了します。→https://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/48230188.html

書庫全体表示

=チベット密教史関連2=
(つづき)
チベット密教の各派について:
チベットに居住する密教徒のほとんどは「黄教」(ゲルク派)に属す。ダライ・ラマやペンチェン・ラマもこの派に属す。しかし、欧米では実はこの派の人気は今1つであり、「紅教」(ニンマ派)や「白教」(カギュ派)の方が信者が多い。その理由は以下を読めばお分かりになる。

○主な4派:
・「黄教」(ゲルク派)−僧が黄色い帽子・黄色い法衣を着る。
・「紅教」(ニンマ派)−僧が紅い帽子・紅い法衣を着る。
・「花教」(サキャ派)−寺の塀に、文殊・観音・金剛手菩薩を示す赤・白・黒の縞模様が塗ってある(だから「花教」と言う)。
・「白教」(カギュ派)−僧が白い法衣を着る。様々な派があり、「黒帽派」が有名。昔は「赤帽派」と言うものもあった。また、ブータンの国教と成っている派もある。

これ以外に、「黒教」(ボン教)がある。元々は原始時代から伝わるシャーマン教だったが、今日では密教的外観を取っている。寺の形もそっくりだ。内容的には「紅教」(ニンマ派)とほとんど同じで、紅い帽子・紅い法衣の代わりに黒い帽子・黒い法衣を着る点や、密教徒は寺の中で右回りするが、黒教徒は左回りするなどのわずかの違いしかない。魔法や呪術が中心だ。1992年に封切られた香港映画「香港魔界大戦」(元彪監督)と言うのがあり、”チベット・ポタラ宮殿には5百年前から伝わる壷の蓋があった。本体と合体すると世界征服が出来るパワーがあり、それが香港の大富豪の家にあると分かった。黒教の一派が襲い掛かる・・”と言った内容だが、フィクションは兎も角、大体の本質は捉えていると思う。

○次に主な4派を紹介するが、実は4派に本質的な違いはないとの次の説は注目に値する。

「一方、スタンも・・次のように説いている。即ち
・・(ラマ教は竜樹の中観派と無著の唯識派に2分される。「黄教」(ゲルク派)は中観派を重んじ、「紅教」(ニンマ派)は唯識派を重視する)。
「しかし・・(「黄教」=ゲルク派)も・・電光石火の体験(・・頓悟)を認めており、また逆に・・(「紅教」=ニンマ派)も完成への段階的な道程を認め、論理学にも熟達している」。
「ニンマ派に理論的学問が欠如していないのと同様、ゲルク派にも瞑想とタントラ儀軌は欠如していないのである」と説いている(江上波夫氏の記述/R・A・スタンは「チベットの文化」岩波/1971の著者)」(参考文献1;p.160)。

○では何が違うのだろうか?「紅教」(ニンマ派)以外の3派はオリジナルの印度密教に忠実なのだが、まず「黄教」(ゲルク派)は最も重んじる経典を「秘密集会(グヒヤサマージャ)タントラ経」とする。これに対し「花教」(サキャ派)は「呼金剛(ヘーヴァジラ)タントラ経」を最も重んじる。一方、「白教」(カギュ派)の場合は、

「この派は、後発のサキャ派やゲルク派とは違って、整然とした教理体系の構築・・にはあまり関心を示さず、もっぱら密教行法の実践に、自分たちの存在価値を見出してきた」(参考文献2;p.54)。

「カギュ派はキュンポ(・・)とマルパ(・・)という二人に始まる。彼らは、それぞれ・・インドに師を求めて就き、キュンポはマイトリーパとニグマから、教えを授かった。一方、マルパはナーローパとマイリーパから教えを授かった。・・ニグマも男性行者の性的パートナーを勤める女性密教行者で、かつてはナーローパの妻だったといわれる。つまり、カギュー派の始祖たちは・・同じ原点から出発したのである」(同p.53)。

この教えは、様々なテクニックを駆使して、身体的な快楽を極限まで高め、それにより絶対的真理を体得する修行法だった。

○一方、「黄教」(ゲルク派)の最も重んじる「秘密集会タントラ経」と「花教」(サキャ派)の最も重んじる「呼金剛タントラ経」はどう違うのだろうか?

「秘密集会タントラ経」とは、ブッダと性的パートナーが性的ヨーガを実践して曼荼羅を生成する過程を追体験する修業を目的とするとされる。

一方、「呼金剛タントラ経」とは、SEXを極限までやり、行者と仏を合一させる修行を目的にするとされる。極めてオカルト的であり、呪術・黒魔術的だ。

「『へーヴァジュラ・タントラ』(「呼金剛タントラ経」のこと)は、解脱のためなら、何をしても許されると、「解脱至上主義」を唱えた」(同p.38)。

つまり、元のクビライ・カーンは「花教」(サキャ派)のパクパを国師とし、「へーヴァジュラ・タントラ」の潅頂を受けたのだが、これはクビライが「へーヴァジュラ・タントラ」の行者として「解脱」を「至上」とし、人生の唯一最大の目的とし、その為には「何をしても許される」・「何でもやってやるぞ」と決意を固めたことを意味する。クビライの日本に対する侵略も、この様な「解脱」を求める目的のため、殺人を極限までやり、掠奪を極限まで実践し、贅沢三昧を極限まで実践する修行の一環として行われたものである重大な疑惑がある。この結果、

「宮廷の保護をうけてラマ僧は逸楽をきわめた。各地のラマ寺には数百数千のラマ僧がたむろして、民衆からの寄進を強要し、婦女を強姦した。民衆の怨嗟の声は巷にみちあふれるようになった。一三二六年には陜西省で、ラマ僧の駅馬徴発と金品強奪と婦女強姦に反対する民衆の暴動もおき、元朝衰亡の弔鐘となった」(参考文献3;p.48)。

そこで登場したのが、表面を飾り、誤魔化すことの旨い、狡猾な「黄教」(ゲルク派)だったのである。

しかし、これらは全て表面的な違いであり、本当の大きな違いは次の点だったと考えられる
(つづく)。

参考文献:
1.「中央アジア史」(江上波夫/1988/山川)
2.「チベット密教」(ツルティム・ケサン&正木晃/2000/筑摩)
3.「チベット−その歴史と現代」(島田政雄/1978/三省堂)

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事