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空海のタントラ「仏教」とチベット(7)090321 [ 空海のタントラ「仏教」とチベット ]
1.ここ迄で誤解があるといけないので、次の点をご注意願いたい。
○第1に、チベット密教には様々な派が有ること。その中でダライ・ラマの属するゲルク派はまともな方だと言われている。つまりこの派は、密教修業の前に顕教の修行をみっちりと行う。相当な人格が出来てから○的ヨーガを行うので、○欲は既に克服した僧が多いと言われている(本当?)。
○第2に、日本真言宗でチベット密教張りの○的ヨーガを行い、SEXと殺人を大々的に行った「立川流」と言う派は、正統的なものとしては既に消滅していることだ。時々、「オウム真理教」のような派が発生するが、それは飽く迄も傍流である。

「立川流」とは:
現在の東京都立川市と関係が有る。左大臣の源俊房の子であり、堀河天皇の生母(白河天皇の中宮の賢子)の従兄弟であった仁寛阿闍梨(生年不詳-1114;「阿闍梨」は真言僧の最高位;後三条天皇の皇子の輔仁親王の護持僧でもあった)は、無実の罪を着せられて永久元年(1113年)、静岡県伊豆に流された。ここで立川市出身の陰陽師と出会い、真言宗「立川流」を創始したと言われている。

これを大成したとされるのが、「建武の中興」で有名な後醍醐天皇の側近中の側近であった文観(もんかん;1278-1357)である。文観は「立川流」の奥義を後醍醐天皇にも伝えたとされる。つまり、後醍醐天皇自身が、「立川流」真言密教の行者であった。彼等タントラの行者の行った「建武の中興」とその後の約50年間の「南北朝動乱」がどれ程無意味な戦乱で日本国民を苦しめたかを考えれば、タントラの恐ろしさは身にしみる。大変申し訳ないことだが、後醍醐天皇は日本国史上最悪の「悪王」である。彼らの行なったことは、存在意義を失った古代貴族の世に時代を逆行させるため、自分達の贅沢三昧を復活させるため、無意味に武士同士を戦わせたことだけだ(「太平記」参照)。

つまり、後醍醐天皇や文観は室町幕府によって敗北させられた。だから「立川流」は滅びたのだ。彼らが勝っていたら、日本真言宗はチベット密教と完全に同一になっていただろう。「立川流」が敗北したためその後、真言宗の主流は常に、自分達と「立川流」の違いを際立たせなければならなかった。サバイバルの道がそれしかなかったのである。

一方、チベットでは「無上ヨーガ・タントラ」勢力が武力抗争を勝ち抜いた。だから、その後の歴史の進行がストップしてしまい、何の進歩もない・凍りついたような中世社会が数百年に渡り持続することになったのだ。

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