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過去記事「(続5)チベット問題」への注080425(1)
副題「(続7)チベット問題080425」(1)

*当HP過去記事
「(続5)チベット問題」
へ(注)を付ける。

(注1)「これが中国の伝統と成った。飢饉の時は互いの家が子供を交換して食う」:

中国の食人の慣習は、「史記」を初めとする正史に無数に出てくる。最近では文化大革命の際も敵の肉を食うことは行われた。
「二,三日前、狼子村から小作人が来て・・村に大悪人がいて、みんなに殴り殺されたが、そいつの内臓を抉り出して、油でいためて食った・・」(魯迅「狂人日記」)。
「うちの兄貴だって・・おれに本を教えてくれたとき・・「子を易(か)えて食う」ことはありうることだと・・」(同)。
「易牙(古代の料理人)が自分の子を蒸して、桀紂(古代の暴君)に食わせた話は、あれはずっと大昔のことなんでしょうか」(同)。
「兄貴がこんなことを言ったっけ。父母が病気になったら、子たるものは自分の肉を一片切り取って、よく煮て父母に食わせるのが立派な人間だと」(同)。
魯迅の「吶喊」という短編小説集(1923年)は現在「阿Q正伝・狂人日記−他十二篇」(岩波文庫)などの形で読むことが出来る。この短編集の大きなテーマの1つが食人の問題だ。「薬」という短編では、病気を直すため、死刑囚の内臓を密かに賄賂で買い、食う話が出てくる。

(注2)「大河のある中東・印度・中国と、大河のない日本・・。・・大河の有るところでは治水が重要・・。治水には強大な国家権力が必要だし、皇帝は治水さえしっかりやっていれば人民から感謝される。・・「武」より「文」が上とされる伝統が出来ていく」:

当HP姉妹編「安岡HP」過去記事「憲法護持を論ず」(2007年元旦に当たり)2.参照のこと。

(注3)「ジェファーソンなどは奴隷に子供を作らせていたという」:

「187人の奴隷を所有していたとの記録が残っている。また黒人は白人よりもあらゆる点で劣っており、二つの人種が一つの国家のもとで平等に暮らすことはできないとの意見を表明する一方で妻の死後に奴隷のサリー・ヘミングス(Sally Hemings)を終生愛人とし、数人の非嫡出子をもうけた疑いが濃厚であるため、偽善的だとの見方もある」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)。
この醜聞は大統領就任中の1802年9月ジャーナリストのJ・T・カレンダーによりリッチモンド紙で報道された。大統領はノー・コメントを貫いた。20世紀後半にDNA鑑定技術が進歩し、この醜聞を解明できる手段が開発された。イギリスの科学誌「Nature」1998年11月05日号にユージーン・A・フォスターのティームがDNA鑑定の結果を発表した。更にこの論文の一部のミスについて、チームの一員だったH・バーガー氏より「ウォール・ストリート・ジャーナル」1999年03月11日号A23頁に手紙が発表された。
以上より、やはりジェファーソンが奴隷に子供を作らせていた可能性は極めて強いこと。だが別の可能性として、この奴隷の子孫である人に何らかの形でやはり(ジェファーソン本人でなく)ジェファーソンの子孫の血がどこかで混じった可能性も完全には排除できないことが分かっている。現在の技術ではそれ以上のことは分からない。

(注4)「ワシントンも大奴隷農場の持ち主だ」:

「ワシントンはその人生の大半、典型的なバージニアの奴隷所有者としてそのプランテーションを経営した。1760年代、たばこを諦め(格式はあったが利益は出ていなかった)、小麦の栽培に転じ、小麦粉の製粉、衣類の製織およびブランディの醸造と多角化した。その死のときまでにマウント・バーノンには317人の奴隷がいた」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)。
ウィキペディアだけで済ませて申し訳ないが、この話しは有名な話なのでこのままとする。

(注5)「独立が達成されるとフランクリンなどの有力者は早速秘密会議を開き米国憲法を決めてしまった」:

「会議は秘密会議として、厳重に討議内容の漏洩を防いだ。代表には・・フランクリン・・など、商業資本・大地主・大プランターの代弁者が大部分をしめ、農民側の代弁者はひとり・・のみであった。・・連合規則の改正を名目としたこの会議は、実際上、新しい憲法を制定する会議に変身を遂げたのである」(「アメリカ史(増補改訂版)」p.84)。
つまり、人々は誰1人、憲法が設けられることになって・討議されていると知らなかった。臨時的な13州の連合規則の改定が話し合われていると思っていた。

(注6)「(米国で)普通選挙権がぼちぼち州によっては認められるようになったのは19世紀に入ってからだ」:

「東部諸州では一般に選挙権には特定の制限があった。独立戦争中の有権者は全人口[黒人・インディアンを除く全白人]の6%に過ぎなかった。しかし一八二〇年代に開けてきた西部では土地は廉く一定の土地所有を選挙資格とすることは無意味となった。一七九一年に州となったヴァーモントが男子普通選挙の最初で西部のケンタッキーとテネシーがこれに続いた。しかしそれが普及するのは第二次独立戦争[1812-4]後の西部においてであった」(「アメリカ史(増補改訂版)」p.118)。

(注7)「(独立当時)米国で・・奴隷1人が当時百万円した」+
(注8)「21世紀の現代では奴隷は非常に安く、1人2−3万円といわれている」:

これには非常に諸説有るが、現在ハイチでは9歳の少女が50ドル(約5千円)で奴隷として売られているという。
北米500局で放送されているニュース番組「Democracy Now!」の運営するサイト「NPR (National Public Radio)」によると、作家であるベンジャミン・スキナー氏が実際に2005年の秋にハイチを訪れたとき体験した。その時のことは現在、グーグル検索で「Author Struggles to Stay Removed from Slave Trade」と入力すると読むことが出来る。又記事によると、1850年代に奴隷は一人あたり現在価値にして3万ドルから4万ドルしたという。これほど奴隷の価格が下がったのは、戦争が多く食い詰めた人間が多くなったということだ。

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