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書庫資料:空海とチベッ

この分野は元々は「歴史」の分野名でしたが、表題通り変えます(110817)。
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*以下の目次は当HPの「目次類」分野に掲載されているものと同一のものでありますが、便利さを高めるためこちらの「資料:空海とチベッ 」分野にも掲載することにいたしました。
------------------------------------------------
1.この資料シリーズは当HP
「空海のタントラ『仏教』とチベット」シリーズ
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/39672281.html
の資料です。目次は次のとおり:

「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(A)」
=建武新政関連1=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/37849665.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(B)」
=建武新政関連2=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/37851227.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(C)」
=河口慧海和尚の「チベット旅行記」紹介=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/37898581.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(D)」
=建武新政関連3=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/37931011.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(E)」
=米国史関連=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38049885.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(F)」
=2008年チベット暴動関連=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38084353.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(G)」
=2008年北京五輪関連=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38093175.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(H)」
=2008年北京五輪関連2=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38093566.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(I)」
=ダライ・ラマ14世時代のチベット=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38093718.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(J)」
=チベット密教の実態1=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38096847.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(K)」
=ダライ派のデマを斬る1=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38184777.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(L)」
=小室信介関連=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38209215.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(M)」
=ダライ・ラマ14世時代のチベット2=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38241138.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(N)」
=チベット密教史関連1=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38335922.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(O)」
=チベット密教史関連2=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38336812.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(P)」
=チベット密教史関連3=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38398324.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(Q)」
=R・フォード問題(1)=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38403624.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(R)」
=R・フォード問題(2)=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38404439.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(S)」
=R・フォード問題(3)=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38406495.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(T)」
=ダライ派のデマを斬る2=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38428345.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(U)」
=ダライ派のデマを斬る3=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38433345.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(V)」
=ダライ派のデマを斬る4=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38434892.html
「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット(W)」
=ダライ派のデマを斬る5=
http://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/38435113.html
 

過去記事「(続5)チベット問題」への注080425(2)
副題「(続7)チベット問題080425」(2)

(注9)「先進国でさえ民主主義を確立することは時間がかかった。後進国が直ぐにできないからと、外部から押し付けるために先制攻撃で核戦争など起こして欲しくない」:

1.「核武装と日本の軍事戦略-防衛省OB太田述正ブログ」2006年03月20日 ブッシュ三題噺(その9)によると、「米国はその核戦力を、ロシアや中共のような核保有国に対してだけでなく、北朝鮮・イラン・リビア・シリア・イラクのような非核国が(核以外の)大量破壊兵器で攻撃してきた時にも使用すると宣言し、核先制使用戦略が非核国にも拡大適用することを明らかにすることによって、上記核廃棄コミットメントを事実上棚上げしてしまいました(The future of nuclear deterrence, IISS Strategic Comments, Volume 12, Issue 1 February 2006)」。
2.NYタイムスHP記事(2006年3月14日の日付となっている)によると、「ブッシュ政権下で米国がアラスカとカリフォルニアに設置し始めたミサイル防衛網はロシアや中国に対して核先制攻撃をした場合に生き残ったわずかな核が発射されたときにこれをたたき落とすために有効だ」とされる。この記事ではロシア・中国に対する核先制攻撃が米国の重要な戦略となっていることが明かされている(記事名「The Rise of U.S. Nuclear Primacy」March 14, 2006 By KEIR A. LIEBER AND DARYL G. PRESS)。
3.ワシントン・ポスト紙が2005年9月11日に報じ問題となった米国『統合核作戦ドクトリン』によると、「次の場合、現地戦闘軍司令官は大統領に核使用の承認を要請出来る」として核先制使用の想定事例を8つ挙げている。
「1.敵が大量破壊兵器を使用、または使用を企てている。
2.敵の生物兵器使用が差し迫り、核兵器ならそれを安全に破壊できる。
3.地下深くの敵の大量破壊兵器施設やそれを使う敵司令部を攻撃する。
4.圧倒的に強力な敵の通常戦力に対抗する。
5.米国に有利にすばやく戦争を終わらせようとする。
6.米軍の作戦を確実に成功させようとする。
7.敵を脅して大量破壊兵器使用を防ぐため米国の核使用の意図と能力を誇示する。
8.敵の代理人が大量破壊兵器を使うのに対抗する」。

(注10)「ロシアの歴史を調べると、ロシア人は蒙古に支配される前から凶暴で独裁的な国民性があった」:

「・・年代記作家はことあるたびにノヴゴロドの人々をその『悪しき不信心』、傲慢とわがままにたいして、その誓約を破り諸公を追放する習慣について責め立てるのが常であった」(「ロシア史講話1」p.117)。
「悪しき人間は悪魔よりも悪い。悪魔はせめても神を恐れるが、悪しき人間は『神をも恐れず人間にも恥じない』」(「ロシア史講話1」p.119)。
「『過ぎし歳月の物語』の・・九八〇年の項には、次のように出ている。「ウラジーミルは一人でキーエフに公として治め始め、岡の上・・に偶像を立てた。・・人々はそれらを神と呼んで犠牲をささげ、自分たちの息子や娘をささげていた」」(「ロシア史(新版)」p.56)。
「先進国への遠征は、強大な軍事力に基づく突然で徹底的な現地住民の直接的収奪にほかならなかった。・・船団を組んでコンスタンチノープルにむかった。・・発達した社会経済構造を持つビザンツ・イスラムの先進地帯が先ず存在し、それらが河川・海洋・ステップを媒介にして、単純かつ未発達な社会構造の中に生きる・・スラブ人・・と・・。・・タキトゥス風にいえば「血をもって贖(あがな)い得るものを、額に汗して得るのは怠惰の証拠」でしかなかった」(「ロシア史(新版)」p.73-76)。
「夫の殺害に怒ったオリガは、「マル公の妃になれ」とすすめるドレヴニャーニンの使者たちをだまし討ちにして穴に生き埋めにし、風呂で焼き殺した。九四六年には征討の軍をすすめ、徹底抗戦の町に硫黄の火を背負った小鳥を飛ばしてこれを炎上させ、懲罰の重い貢税をかける」(「ロシア史(新版)」p.80)。

(注11)「ダライ・ラマ14世がチベットを支配していた1959年以前はチベット人の平均寿命は37歳。現在は68歳だ」:

中国駐日大使館HPによると、「チベット自治区主席が北京で記者会見、最近の状況説明」(2008/04/09)した。それによると、「チベットの平均寿命は解放当初の35・5歳から現在は67歳に延びた」という。
ちなみに日本の統治により、朝鮮は平均寿命が24歳から45歳に延びた。日本の朝鮮侵略は誠に申し訳ないことだがこのことは感謝して貰わなくてはならぬ。

(注12)「1959年以前はチベット人で(一般)教育を受けた人は2%だったのが今は99%」:

「俗界の数少ない学校に入学できるのは、富裕な人々や貴族の子弟に限定されていた」(「ブリタニカ国際大百科事典12」p.774)。
「近年の変化:
・・多くのチベット人の科学者や技術者が育ってきている。各地に小・中学校が設立された。一般人の子女も入学の機会を持てるようになった。
以前はラサには、ラマ医者をはぶいて、医者はほとんどいなかったが、今日では近代的な設備をもつ4つの人民病院と多くの衛生所がある」(「ブリタニカ国際大百科事典12」p.777)。

(注13)「1959年以前はチベット人の多くは農奴だった」:

「チベット仏教の・・特長は、「ラマ教」という俗称が示すように、教えを伝えるラマ(師僧)に絶対的信仰を寄せることである。
・・有力な氏族は権力、財力に恵まれた活仏の位をねらってそれを子弟に独占させ、教団の利権にむらがった。一方、庶民は教団の内外でいかなる機会にも恩典にもあずからず、わずかの資力を投出して、ひたすらラマの加護を頼み、むなしく来世を期待させられ、教団を安泰ならしめる「善行」に追い立てられた」(「ブリタニカ国際大百科事典12」p.792)。
「チベットは世界で最後の神政国家であった。観音の化身・・ダライ・ラマは、政府の首長でもあり、世俗的権力を行使した。・・ラマBla-maとは「高尊の師」を意味し、元来、サンスクリットのグルguru(師)の訳語であった。・・
・・僧院は・・上流階級出身の僧は、その財力によって昇進に一層有利な機会をつかむことができた。・・僧院は政府と個人の両方から寄付を受け、政府からは現物、現金、税金が取れる荘園を・・受けた。・・
チベットの一般民は、農耕民と牧畜民にわけられる。農耕民は主に南チベットと南東チベットの河谷に住み、政府、僧院、ラマ、貴族の小作人として働く農民もいた。・・土地をもつ農民はきわめて少なく・・」(「ブリタニカ国際大百科事典12」p.774)。

参考記事:
「チベット問題080405」
「(続)チベット問題080406」
「(続2)チベット問題080409」
「テロを支援する朝日社説080409」
「(続4)チベット問題080411」
「(続5)チベット問題080421」
「古舘伊知郎氏に問う080422」
過去記事「(続5)チベット問題」への注080425

参考文献:
「阿Q正伝・狂人日記−他十二篇」(2006/魯迅/岩波文庫)
「アメリカ史(増補改訂版)」(1990/清水博・編/山川出版社)
「ロシア史講話1」(1979/B・O・クリュチェフスキー/恒文社)
「ロシア史(新版)」(1988/岩間徹・編/山川出版社)
「ブリタニカ国際大百科事典12」(1993/F・B・ギブニー編/TBSブリタニカ)

過去記事「(続5)チベット問題」への注080425(1)
副題「(続7)チベット問題080425」(1)

*当HP過去記事
「(続5)チベット問題」
へ(注)を付ける。

(注1)「これが中国の伝統と成った。飢饉の時は互いの家が子供を交換して食う」:

中国の食人の慣習は、「史記」を初めとする正史に無数に出てくる。最近では文化大革命の際も敵の肉を食うことは行われた。
「二,三日前、狼子村から小作人が来て・・村に大悪人がいて、みんなに殴り殺されたが、そいつの内臓を抉り出して、油でいためて食った・・」(魯迅「狂人日記」)。
「うちの兄貴だって・・おれに本を教えてくれたとき・・「子を易(か)えて食う」ことはありうることだと・・」(同)。
「易牙(古代の料理人)が自分の子を蒸して、桀紂(古代の暴君)に食わせた話は、あれはずっと大昔のことなんでしょうか」(同)。
「兄貴がこんなことを言ったっけ。父母が病気になったら、子たるものは自分の肉を一片切り取って、よく煮て父母に食わせるのが立派な人間だと」(同)。
魯迅の「吶喊」という短編小説集(1923年)は現在「阿Q正伝・狂人日記−他十二篇」(岩波文庫)などの形で読むことが出来る。この短編集の大きなテーマの1つが食人の問題だ。「薬」という短編では、病気を直すため、死刑囚の内臓を密かに賄賂で買い、食う話が出てくる。

(注2)「大河のある中東・印度・中国と、大河のない日本・・。・・大河の有るところでは治水が重要・・。治水には強大な国家権力が必要だし、皇帝は治水さえしっかりやっていれば人民から感謝される。・・「武」より「文」が上とされる伝統が出来ていく」:

当HP姉妹編「安岡HP」過去記事「憲法護持を論ず」(2007年元旦に当たり)2.参照のこと。

(注3)「ジェファーソンなどは奴隷に子供を作らせていたという」:

「187人の奴隷を所有していたとの記録が残っている。また黒人は白人よりもあらゆる点で劣っており、二つの人種が一つの国家のもとで平等に暮らすことはできないとの意見を表明する一方で妻の死後に奴隷のサリー・ヘミングス(Sally Hemings)を終生愛人とし、数人の非嫡出子をもうけた疑いが濃厚であるため、偽善的だとの見方もある」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)。
この醜聞は大統領就任中の1802年9月ジャーナリストのJ・T・カレンダーによりリッチモンド紙で報道された。大統領はノー・コメントを貫いた。20世紀後半にDNA鑑定技術が進歩し、この醜聞を解明できる手段が開発された。イギリスの科学誌「Nature」1998年11月05日号にユージーン・A・フォスターのティームがDNA鑑定の結果を発表した。更にこの論文の一部のミスについて、チームの一員だったH・バーガー氏より「ウォール・ストリート・ジャーナル」1999年03月11日号A23頁に手紙が発表された。
以上より、やはりジェファーソンが奴隷に子供を作らせていた可能性は極めて強いこと。だが別の可能性として、この奴隷の子孫である人に何らかの形でやはり(ジェファーソン本人でなく)ジェファーソンの子孫の血がどこかで混じった可能性も完全には排除できないことが分かっている。現在の技術ではそれ以上のことは分からない。

(注4)「ワシントンも大奴隷農場の持ち主だ」:

「ワシントンはその人生の大半、典型的なバージニアの奴隷所有者としてそのプランテーションを経営した。1760年代、たばこを諦め(格式はあったが利益は出ていなかった)、小麦の栽培に転じ、小麦粉の製粉、衣類の製織およびブランディの醸造と多角化した。その死のときまでにマウント・バーノンには317人の奴隷がいた」(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)。
ウィキペディアだけで済ませて申し訳ないが、この話しは有名な話なのでこのままとする。

(注5)「独立が達成されるとフランクリンなどの有力者は早速秘密会議を開き米国憲法を決めてしまった」:

「会議は秘密会議として、厳重に討議内容の漏洩を防いだ。代表には・・フランクリン・・など、商業資本・大地主・大プランターの代弁者が大部分をしめ、農民側の代弁者はひとり・・のみであった。・・連合規則の改正を名目としたこの会議は、実際上、新しい憲法を制定する会議に変身を遂げたのである」(「アメリカ史(増補改訂版)」p.84)。
つまり、人々は誰1人、憲法が設けられることになって・討議されていると知らなかった。臨時的な13州の連合規則の改定が話し合われていると思っていた。

(注6)「(米国で)普通選挙権がぼちぼち州によっては認められるようになったのは19世紀に入ってからだ」:

「東部諸州では一般に選挙権には特定の制限があった。独立戦争中の有権者は全人口[黒人・インディアンを除く全白人]の6%に過ぎなかった。しかし一八二〇年代に開けてきた西部では土地は廉く一定の土地所有を選挙資格とすることは無意味となった。一七九一年に州となったヴァーモントが男子普通選挙の最初で西部のケンタッキーとテネシーがこれに続いた。しかしそれが普及するのは第二次独立戦争[1812-4]後の西部においてであった」(「アメリカ史(増補改訂版)」p.118)。

(注7)「(独立当時)米国で・・奴隷1人が当時百万円した」+
(注8)「21世紀の現代では奴隷は非常に安く、1人2−3万円といわれている」:

これには非常に諸説有るが、現在ハイチでは9歳の少女が50ドル(約5千円)で奴隷として売られているという。
北米500局で放送されているニュース番組「Democracy Now!」の運営するサイト「NPR (National Public Radio)」によると、作家であるベンジャミン・スキナー氏が実際に2005年の秋にハイチを訪れたとき体験した。その時のことは現在、グーグル検索で「Author Struggles to Stay Removed from Slave Trade」と入力すると読むことが出来る。又記事によると、1850年代に奴隷は一人あたり現在価値にして3万ドルから4万ドルしたという。これほど奴隷の価格が下がったのは、戦争が多く食い詰めた人間が多くなったということだ。

古舘伊知郎氏に問う080422
副題「(続6)チベット問題080422」

1.昨日080421のTV朝日「報道ステーション」において、古舘伊知郎氏は次ぎの趣旨の発言をされたと思う。

1*北京五輪は中国の政治的宣伝の為行われるものだ。
2*中国が世界中から資源や食糧を買っていることは許されない。
3*スーダン政府を支援していることは悪いことだ。

氏の発言は正しいのかも知れぬ。又間違ったものかも知れぬ。そこで伺いたい。

Q1.「北京五輪は中国の政治的宣伝の為行われるものだ」と判断される根拠は何か?それとも根拠なく、証明なしで断定されているのか?
Q2.第2の点に関しては日本も同じことをやっているではないか?氏は貿易はいけない。鎖国すべきだと言われているのか?TV朝日の過去の主張に中国は更に改革開放すべきだと言うものがあったがそれとの関係はどうか?又仮に日本が貿易を行っていることがいけないことなら、氏は今後一切の輸入した食品・石油・原料から出来た製品を買わないのか?
Q3.第3の点については、私の理解では、中国はスーダンの石油を求め、その関係で経済援助や国連でのバック・アップを行っているのだと思う。日本も同じことをやっている訳だ。日本も石油が欲しくて、中東の様々な国々が様々な悪いことをやっても同じことをやらざるを得なかった。又どこの国も多かれ少なかれ同じことをやっている訳だ。それでは氏は、日本が中国と貿易することは中国を助けることになり、間接的にスーダンを助けることになるから、中国と貿易すべきでないと言われるか?中国と同レベルの国からの製品・原料・燃料を拒むべきだと。そうでないなら結局それは中国がスーダンにやっていることと同じではないだろうか?

以上、別に急ぐ訳ではないが、将来万一当記事が氏のお目にかかったら、コメントでも入れて頂けると有り難い。なお、当HP記事「(続5)チベット問題080421」にお目を通して頂けると幸いだ。

参考記事:
「チベット問題080405」
「(続)チベット問題080406」
「(続2)チベット問題080409」
「テロを支援する朝日社説080409」
「(続4)チベット問題080411」
「(続5)チベット問題080421」
「古舘伊知郎氏に問う080422」

「(続5)チベット問題080421」(2)
1.さて、民主制度の発達が先行した欧米だが、そこでも一直線的に民主制度が定着した訳ではない。

英国を見よう。清教徒革命は1642年に始まった。国王の首を斬ったがそのあとクロムウエルの独裁体制が始まる。1660年、王政復古となる。これが名誉革命(1688年)で倒され、やや穏健な王政となるが、議会制度は認められたが国王には強大な権力がまだまだあった。百年がかりで次第に議会の力が強くなっていく。19世紀の末になって漸く、男子普通選挙が行われるようになった。ここまで来るのに2百年以上かかっている。

フランスはどうか? 1789年にフランス大革命。直ぐにジャコバン党の独裁。次にナポレオンが皇帝となって独裁国家を造る。1814年、ナポレオンロシア遠征に失敗して全欧州を敵に回し戦さをやって完敗。ブルボン王朝が復活する。1830年、革命が起きより穏健な王政に代わる。1848年、革命が起き民主制復活。1852年、ナポレオン3世がクーデターで得た権力を使い、第2帝政を始める。1870年、普仏戦争で皇帝ナポレオン3世、プロシャのビスマルクに完敗。英国に逃亡し、共和制復活。ところが実は右翼による強権政治だった。19世紀末にユダヤ人の冤罪事件があり、これを巡る民主化運動で漸く民主主義が定着した。ここまで約百年かかっている。

米国はどうか?1775年独立戦争始まる。ところがこれは、民主主義とは全然関係なかった。英国はスペインやフランスから米国を守る為莫大な金を使った。その頃は北米大陸の大部分はスペインとフランスのものだったから。この戦争により、米国の領土は広がった。だが英国は戦費がかさみ、税金を上げざるを得なかった。すると米国は、英国議会に代表を選出していないから、英国は米国に税をかける権限はないと言い掛かりを付けた。

米国人は英国に帰れば選挙権があったのである。だが海の向こうでは遠すぎて選挙権がなかった。実は21世紀の最近になるまで、多くの先進国では海外に出かけた人の選挙権は認めていなかったのである。電信技術の発達した現在でさえそうした状態だ。まして18世紀に無理なことだったのだ。現在日本では海外に行った人の選挙権はどうなっているのか?少なくとも最近まで認められていなかったはずだ。

実は真の独立の理由は、その頃英国で奴隷制が廃止されたことに有るらしい。これでは奴隷制に基づいている米国は終わりだと、民衆を扇動したという。ジェファーソンなどは奴隷に子供を作らせていたという(注3)。ワシントンも大奴隷農場の持ち主だ(注4)。

そして独立が達成されるとフランクリンなどの有力者は早速秘密会議を開き米国憲法を決めてしまった(注5)。絶対に内容がばれないようにしたという。というのは、国民の権利が極めて曖昧なものだったからだ。普通選挙権など認められなかった。普通選挙権がぼちぼち州によっては認められるようになったのは19世紀に入ってからだ(注6)。というのは必要性がなかったのだ。金持ちになれば選挙権が出来る。米国で金持ちになるのは簡単だった。奴隷1人が当時百万円(注7)した(21世紀の現代では奴隷は非常に安く、1人2−3万円(注8)といわれている)。つまり、初めは一生懸命働き、先ず百万円貯める必要があった。そして奴隷1人を買えばあとは左団扇だったわけだ。民主主義の要求が労働者から高まってきたのは、豊かな土地が次第に少なくなっていった後の話だ。つまり奴隷を買っても畑で働かせることが出来ず、自分は一生労働者を続ける以外ないとなった為だ。そしてリンカーンが奴隷制をなくし、実際に黒人が人権を持つようになるまでには20世紀になる必要があったし、結局100年以上かかっている。

我が日本ではどうか?明治維新が1868年。終戦になって民主制度が出来るまで約80年。しかもこのままいくと、現在のままの民主制は維持できそうもない。

現在日本で起きていることは、非常にモラルが急激になくなっていることだ。これは根深い原因があり、親が駄目だから子供も駄目だという連鎖が何代にも渡り、しかも急激に加速度的に悪化を進めている。つまり、道徳を守る人が少なくなる・法律も守らないという状態になっている。恐らく国民の90%以上が既に犯罪者となっているだろう。政府・自民党政治家・公務員・警察の腐敗は特に激しい。

こういう状態になると、然も人々が絶えず勝手なことを言う状態ではとても国はやっていけるものではない。では何故議会制度が辛うじて保たれているのか?それは第2次大戦により、ファシズムが敗北し、1990年ごろに旧ソ連という左の全体主義が崩壊した為だ。つまり、民主主義こそが最も強い制度であることは既に実証されているから、ここをやめて非能率的国家体制を作ることは支持者がない。だからせいぜいブッシュ流の議会制の建前を残した独裁制が考えられる有力な国家像となる。

私はこういうことに賛成するものではない。反対だ。だが人々が勝手なことを言い、勝手なことをやる状態では、如何しても強い権力が必要とされるようになっていくと思う。あと10年もすれば臨界状態に達するだろう。それまでに世直しが成功することに力を入れねばならぬ。

1.つまり何を私は言いたいのだろうか?
第1には、先進国でさえ民主主義を確立することは時間がかかった。後進国が直ぐにできないからと、外部から押し付けるために先制攻撃で核戦争など起こして欲しくないということだ(注9)。

第2に、或る国がどういう国家体制を造るかは風土で決まる面が大きいのではないかということ。結局現在の中国とは、歴代の中国王朝がやっていたことと同じだ。

よく言われることは、ロシアが民主化されたあと、色々旨くいかないのは共産主義の残りかすがある為だと。だがレーニンのロシア革命のときも同じことが言われた。共産制度が旨くいかないのはそれまでの資本主義の残りかすがまだあるからだと。
実はそれは、蒙古がロシアを2百年間支配した為ではないか?中国は蒙古(元)に百年しか支配されなかったのにロシアは2百年間支配された。だから東洋的になったのではないかとも言われている。ところがロシアの歴史を調べると、ロシア人は蒙古に支配される前から凶暴で独裁的な国民性があったのだ(注10)。蒙古は中国を支配するときは元々の中国の風土・民情・制度に合わせて支配を行った。ロシアの時も全く同じだったのだ。アフリカが欧州に植民地支配されたから遅れたというのも同じ言い訳に過ぎない。

つまり、チベットに今人権がないと言われているが、それも中国がチベットの風土・民情・制度に合わせて支配を行っている為に過ぎないだろう。080416、TBSテレビの「ピンポン」という番組で「生激論 亡命チベット人VS.中国人 本音を語る」というものがあった。
そこに宋青宜という女性(日中環境協会理事長)が出演し、次のように語った。

「ダライ・ラマ14世がチベットを支配していた1959年以前はチベット人の平均寿命は37歳。現在は68歳だ(注11)。同じく教育を受けた人は2%だったのが今は99%(注12)。以前はチベット人の多くは農奴だった(注13)」と。
この発言はチベットを詳しく調べると正しいのである。つまり中国は、チベットの風土・民情・制度に合わせてチベット人を良い方向に導いていると言えるだろう。だがそれなら何故暴動がおきるか?
普通自分の状態が悪くなるとき暴動がおきるということはない。世界の何割かは飢えているがそれで普通暴動が起きるということはない。悪い状態が暴動を引き起こすのであればこれまでの世界の歴史の大部分は暴動の歴史のはずだが、実際は民衆とは悪い状態に黙々と耐えるものである[その理由は、悪い状態が暴動を引き起こすならあらかじめ体制側が予測できるからだ。だから万全の準備が終わっているはずだ。だから普通は暴動がおきても大規模になることはないし、暴動後は更に苦しい状態が続いても民衆は耐えていく]。逆に1970年ごろの世界的学生暴動とは何だったのだろうか?黒人は奴隷制度のとき暴動を起こさなかった。暴動を起こしたのは自由を手にした1960年代だ。世界の革命の歴史を見ても生活が悪化して革命が起きたということは稀だ。そのことはA・トクヴィルが『アンシャン・レジームと革命』のなかで述べていることだ。殺されないと思ったから暴動を起こしたのである。

第3に、中国の風土から来る国民性を考えよう。人肉食こそ中国の真の伝統であることを先に述べた。そこにモラルはない。だから現在金儲けの為全く考えられないことが次々に起きている訳だ。つまり中国人は自分のことしか考えない。出来るだけ平和に丸く収まる方法をとるだろうが自分を守り抜く為なら文字通りなんでもやるだろう。現在の日本でさえ勝手な人間が増え過ぎて民主主義を維持することが困難になると予想される訳だ。米国もブッシュ流の独裁の後には自由化が起きるだろう。だが自由化が今度は行き過ぎて勝手な人間が増える。麻薬に手を出す人間・銃を乱射する人間・ゲイだホモだシビリアンだと男同士で結婚する権利を認めよとかも要求するだろう。裁判では次々に言い掛かりで奇妙な判決が出、真面目に働く人間が少なくなり言い掛かりにぶら下がって食う人間が増えるだろう。こうして持続可能な限界状態に達する。そして再び何らかの独裁制が生まれるわけだ。つまりモラルのない状態ではこうした輪廻しかありえないわけだ。中国で今民主化されたらそれこそ勝手な人間が多すぎて大変なことになるだろう。今独裁政権が有るから辛うじて押さえつけて、いい方向へも進ませられる。もう少し経済発展し「衣食足りて礼節を知る」状態になるまでは無理だ。犯罪天国になるのは確実だ。マフィアが国と核兵器を支配する国に成るだろう。その被害を受けるのは近隣国だろう。毒入り食品を食べさせられるのは現在のようなこととは規模が違ってくるだろう。自分のことしか考えない人間がどうして国全体のことを考えられるか?そしてどうして民主主義が可能なのか?

(注1-13):次をクリックして下さい。
過去記事「(続5)チベット問題」への注080425

参考記事:
「チベット問題080405」
「(続)チベット問題080406」
「(続2)チベット問題080409」
「テロを支援する朝日社説080409」
「(続4)チベット問題080411」
「(続5)チベット問題080421」

080422/0425/0425pm加筆訂正

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