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書庫資料:空海とチベッ

この分野は元々は「歴史」の分野名でしたが、表題通り変えます(110817)。
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「(続5)チベット問題080421」(1)
1.現在、東京の6大紙の内5紙までは五輪聖火に対するテロに反対する社説を書かれている(080408-080419)。ところが、内1紙は、残念ながら聖火に対するテロを支援する主張をしている。ここで、昨年から今年にかけての印度洋給油新法に関する取り組みを思い出してみよう。

1.当HPグループは、テロに反対する為、まさに地球上からテロをなくす崇高な目的の大義の為印度洋給油新法に反対したのである。この法律が恨みの連鎖を作り出し、まさに逆効果によるテロの地獄を創出することに反対したのだ。

そして、毎日新聞や東京新聞がこの印度洋給油新法に様々な異議を唱えられたことも、まさにテロに反対し、テロを地上から根絶する崇高な人類の理想の為行われたことを私は知っている。

一方、この印度洋給油新法に賛成された読売・日経・産経の各紙も、まさにテロを地上から根絶する崇高な人類の理想の為行われたのである。

1.ところが印度洋給油新法に賛成した知名人の中に、地上からテロをなくす目的の大義の為賛成されたのでは実はなかったことが判明したことは実に残念だ。その人は次のようにいう。

1*「スポーツは政治である」。
2*「北京オリンピックを「平和の祭典」とみる我が国での主流の世論は、それ自体として、文化的小児病の一種とみなさなければならない」。
3*「首都ラサでの暴動や世界各地での聖火リレーへの妨害によって、チベッタンが中国の政治宣伝にたいして逆宣伝を仕掛けたのは自然の成り行きである。それを「不法の力」(暴力)と難ずるのは、民族浄化が国際法の大前提への破壊行為であることを見逃している」。

つまりテロは「自然の成り行き」で、「それを「不法の力」(暴力)と難ずるのは」おかしいと。要するにテロは当然だと。だが1*も2*も完全に間違っているのだから、3*も完全に間違いだろう。

1.つまり、この人はその人の生徒が編集した講義録から印度洋給油新法に賛成した人であることが分かっているが、テロに反対でこの法律に賛成したのではなかった。つまり、ある新聞がテロに大いに賛成であり、テロを益々盛んにしたいが故にこの法律に異議を唱えた訳だが、それを全く裏返したような立場だったのだ。確かにこういう法律が通ることで恨みの連鎖を引き起こしテロは益々盛んになるわけだが、多くの人々がテロに反対するが故にこの法律に反対し・或いは賛成したとき、テロに賛成するが故に・テロを益々盛んにする為この法律に或いは賛成し・或いは反対する人が居ただろうとは返す返すも残念と言う外ない。こういう立場は全く大義がないといわねばならない。

1.そこで、「スポーツは政治である」というようなことは論外としても、「スポーツの祭典は現実には政治と切り離せない。聖火リレーは1936年のベルリン五輪から始まった。ナチスの宣伝だった面は否めない」というような考え方は正しいのだろうか?

私はヒトラーの心の中まで覗いて見たことはないが、ヒトラーという人は政治宣伝には非常に力を入れ、また「現代宣伝理論の祖」といえる様な人でもあったから、おそらく1936年のベルリン五輪の聖火リレーはドイツの国威発揚といった面は間違いなくあったろう。しかし、この一事を持って全ての五輪聖火が政治宣伝とはいえないし、「政治と切り離せない」と断定出来るものでもない。論理の飛躍がある。現実の世界は多様なのだから、政治と関係ない聖火もあろうし・又有り得るのである。またそういうものを目指して進むべきことも自明であろう。

そもそも古代ギリシャにおけるオリンピックもそのようなものであった。4年に1回は全ての争いをやめてスポーツで友情を確かめ合う為に有ったのである。過去に有ったことは現在もありうるし・未来にもあり得ることである。そして現在の北京五輪も、純粋に中国人はスポーツのお祭りとして世界の人々と仲良くしたいと思ってやっているだけだ。これは手段ではなく・それ自体が目的であり、中国人はこういうことが自分たちで出来るようになったことを非常に喜んでいる訳だ。

1.次に、中国がチベットに対し所謂「民族浄化」=ジェノサイドを行っているというのは事実だろうか?私は、色々な人権問題があることは事実と思うが、ここまで言うことはどうか?こういうことは結局、ダライ・ラマ派が流している宣伝ではないのか?

ではダライ・ラマ14世とはどういう人物なのか?米紙ニューヨーク・タイムズ1998年10月2日号は、CIAから莫大な金を貰ってテロをやっていた人物であることを報じた[この記事は現在、グーグル検索で「Dalai Lama Group Says It Got Money From C.I.A」と入力すると出てくる]。

「ダライ・ラマ派、CIAからカネを貰ったと発言:

ダライ・ラマ亡命政府は本日、1960年代にCIAから1年当たり170万米ドルにのぼる資金援助を受けていたことを認めた。・・その抵抗運動の為 割当てられたカネは、志願者の訓練と中国に対するゲリラ作戦に支払われたと、チベット亡命政府は声明で言った。・・10年の長きにわたるチベット独立運動を支援した秘密工作は、CIAの共産政府、特にソ連・中国を弱体化させる全世界的努力の一環であった」。

1.だがそれにしても、中国には色々と人権問題があるのではないだろうか?これが早く改まることが良いことは全く同感だ。そして、大半の新聞がこうした善意に基づき、中国における人権問題をまさに問題とされていることはまことに立派なことであると思う。だがここでも意見が分かれ、この問題を非常に大大的に問題にすることがこうした問題を早く解決することになるという意見と・余り大した効果はないという意見がある。

当HPの考えでは、聖火に対するテロは別として、言論で論じることは決して逆効果にはならないと思う。つまり、論じればそれだけやらないよりは効果が有る。又絶えず論じることでこの問題の重要性を(まさか忘れることはないと思うが)意識させることは、やらないよりは意味があろう。

だが非常に費用-効果比が低いと考える。その原因を良く認識した上で作戦を考えれば、もっとBbyCの高い方法を考えることが可能となる。そこで、以下に論じる(なお、結論としての当HPの提言は、既に過去記事「(続4)チベット問題080411」で論じた)。

1.「風土」:
和辻哲郎博士の『風土』は、風土の全問題を解決した訳ではないが重要な基礎を置いた。氏は先ず、熱帯−温帯−寒帯に区分をされる。だが次のモンスーン気候−草原地帯−砂漠という区分も非常に重要だ。

あまりに常識的だと思うが、熱帯の気候では、寒帯に比べ、食べ物が豊富だ。しかも暑すぎて昼寝をしなければやっていけない。いわばキリギリス。これに対しノルウエーやスウェーデン・フィンランドでは冬が来る前に準備が必要だ。勤勉な蟻にならざるを得ない。

問題は次の乾・湿の部分だ。つまり、農業国と騎馬民族国家という問題である。つまり、騎馬民族が攻めてきた時、中国人は全ての利用可能なもの一切を堅固な城の中に持ち込んだ。城外には一切の獲物を残さなかった。それを囲んだ騎馬民族は、食糧が切れるまで城を囲い続ける。

城の中では食糧が不足し、遂に人肉食が始まる。しかも密かに行われるのではない。堂々と人肉が市場で売られる。こういういざという時の為の規則も十分に出来ている。先ず赤ん坊や年寄りから食われていく。次に女性が食われる。最後に兵隊が残る。

これが中国の伝統と成った。飢饉の時は互いの家が子供を交換して食う(注1)。堂々と行う訳だ。だから元々モラルはないし、言葉は巧みだが実はない。日本人の様に玉砕などということは絶対にありえないわけだ。どんなことがあっても生き延びていく。

風土に関しては、地味の肥えている東洋と・地味の痩せている(特に地中海周辺で)西洋の区分。また、大河のある中東・印度・中国と、大河のない日本の区分も重要だ。つまり、大河の有るところでは治水が重要となる。治水には強大な国家権力が必要だし、皇帝は治水さえしっかりやっていれば人民から感謝される。こういうところでは「武」より「文」が上とされる伝統が出来ていく(注2)。

つまり、土地の痩せている西洋では人間を牛・馬の代わりにこき使う奴隷制[手足に鎖をつけるギリシャ・ローマの古典的奴隷制]が発達したし、激しい革命も起こりえて民主主義の発達もあった。自然に恵まれない為「自然と戦う」という意識になり、科学技術の発展も進んだ。自然に恵まれた東洋では「自然との一体感」が進み、個人意識の発達も遅れた。

「(続4)チベット問題080411」
1.現在マスコミでは次のようなことが言われている。

1*チベットの文化・宗教に対する人権の弾圧を中国が行っている。
2*これに対しやむにやむを得ず、チベット人を中心に五輪聖火リレーに対するデモやテロが有る
(これに対し、デモは容認できるというしんぶんと・テロも良いという新聞の2つが有る)。
3*五輪の目的には平和と人権が含まれる。従って、この機会に徹底的に人権問題で中国に反省を求め、圧力をかけることが有効であり、中国も五輪を成功させたいのだからダライ・ラマとの話し合いに応じるのではないだろうか?そうなれば中国もある程度は人権への配慮が進み、目出度し目出度しになるのではないか?

1.以上は善意では有るが完全な間違いであることを以下に述べる。
まず、チベットの女性を拷問にかけて、局所に電気を流したとか様々なことが言われているが、私は見たわけではないから断言は出来ないが、恐らくこれらは事実であろう。従って、チベットが中国に含まれることとは別に、中国の人権問題を前進させる必要があることは確かだ。

では、現在の様にデモやテロを行い中国に圧力をかけることは効果が有るのだろうか?全くの逆効果だ。どんどん中国人は自分達の正当性を確信し、又指導部では強硬派が力をどんどん増しているのだ。

これまで米国がベトナムやイラクを侵略してもこの様な無礼な対応をされたことはない。ロシアがチェチェンを侵略してもそうだ。英国やフランス、ドイツがアフガンを侵略してもこの様なことはなかった。中国だけにこの様な無礼で非礼なことが行われているのだ。これで納得できるはずがない。

1.さらに、「北京で開催中の各国オリンピック委員会連合(ANOC)は7日、「五輪の政治利用を拒否する」と声明を発表。
国際オリンピック委員会(IOC)のロゲ会長が「政治を競技の場に持ち込んではいけない」とくりかえしている・・」(東京080409)。

「・・IOC・・のロゲ会長は5日、シンガポールで・・聖火リレーなどへの抗議について「我々は抗議行動を決してうれしくは思わない」・・「非暴力的であるかぎり、抗議行動を尊重する」とのべた」(毎日080406)。

「IOC会長が妨害行為を批判:
・・IOC・・のロゲ会長は7日・・「いかなる理由でも聖火リレーに暴力はふさわしくない」と批判・・」(毎日080407夕刊)。

「「各国各国オリンピック委員会連合のバスケス・ラーニャ会長は5日・・「五輪と政治は無関係。ボイコットを推進する政治家は大きな過ちを犯すことになる」と述べ・・た」(日経080406)。

1.ここで、五輪の目的に平和・人権があるわけだが(「オリンピック憲章」)、五輪と平和・人権とがいかなる関係に有るか、もっと精密に考えよう。一部マスコミの考えでは、五輪の目的に平和・人権があれば、直ちに大々的に聖火リレーを妨害しても良いと。五輪の政治利用は当然だと。果たしてそうなら、五輪の政治利用に反対するIOC指導部こそ間違っていることになろう。

実は憲章の付録で「IOC倫理規定」というものがある。そこに、

「オリンピック関係者は、オリンピック競技大会の普遍性および政治的中立の原則にしたがい、国家機関と調和の取れた関係を維持しなければならない」

とされている(但しそのあとで、

「ただし・・人道、友愛および個人の尊重の精神は、オリンピック競技大会開催国の政府に対し、オリンピック憲章および本規程に定める原則を誠意を持って尊重することを求める」

とされている)。

つまり、考え方の違う国が幾ら互いの考え方をぶつけ合ってもそれだけで人権や平和が来ることはない。だから五輪が有るのだ。五輪を通じ互いの友情を高めることで、道は遠いかもしれないが確実に平和・人権に近づけていくのである。今回の聖火妨害のテロ=政治利用により、中国の民主化は10年遅れてしまったかもしれない。中国は欧米・日本に侵略されたことが有る。再びそうされることを非常に恐れている。この警戒心を強めてしまったのだ。一体中国が民主化されることが不味いからこういう妨害をやっているのかどうか分からないのである。

1.今日本政府がやるべきことを以下にご提言する。

1*聖火に対するテロと徹底的に闘うことを宣言すること。
2*チベットが中国の一部であることを明確化すること。
3*ダライ一派がテロの張本人であることを糾弾すること。
4*ダライ・ラマと話し合うべきでないと中国に提言すること。
5*聖火に対するデモを慎むよう国民に呼びかけること。

以上により、おやっと中国に思わせ、真剣に日本を味方に付けたいと思わせ、これにより早期に北朝鮮問題を片付けた後、国連安保常任理事国入りを出来るだけ早く果たすことこそ政府の使命である。現在政府が聖火への暴力に反対されていることは当然であるが、それだけでは評価に値しない。以上の責務を果たしてこそ、当HPは政府が国家のため何かなすところがあったと評価できるだろう。

参考記事:
「チベット問題080405」
「(続)チベット問題080406」
「(続2)チベット問題080409」
「テロを支援する朝日社説080409」
「(続4)チベット問題080411」

テロを支援する朝日新聞080409
副題「(続3)チベット問題080409」

1.今日の朝日新聞には驚かされた。先ず第1面の「天声人語」にこうある。

「北京五輪の聖火リレーが散々な目に遭っている。・・反体制派は体を張って吹き消そうとする。・・炎の奪い合いは北京へとなだれ込む。・・それで民主化が少しでも進むなら、祝祭に水を差す騒ぎも無駄ではない」。

つまり、テロを非難するどころか称えているのだ。

1.更に社説ではこうだ。

「聖火リレー―中国が試されている:

(前略)
北京五輪の開催を盛り上げる聖火リレーに対する妨害が、激しさを増している。中国のチベット政策に抗議し、世界に訴えようというのである。
(中略)
中国は「ダライ・ラマ派の策動」と切って捨てるのではなく、現実に向かい合うべきだ。
中国はスポーツの祭典は政治と切り離すべきだといいたいだろうが、現実にはそうはいかない。(後略)」。

やはりテロの対する非難は一言もなく、世界がこのテロに対しどうするかが試されているというのに、こともあろうに「中国が試されている」と思っているのだ。

1.他の新聞では、次のように論じている。

「長野県警には細心の注意を払った警備を求めたい」(毎日社説080409)。

「亡命チベット人グループや人権団体活動家らが聖火を奪い取ろうとし、ランナーの行く手を実力で阻むなど手荒な行動に出ている。抗議するにも、こんな強引なやり方では共感を得られまい。聖火リレーは・・26日には長野市でも行われる。混乱を招かないよう、万全の対策を講じる必要がある」(読売社説080409)。

「暴力は許されない」(東京社説080409)。

「暴力を伴う五輪妨害行為は容認できない」(産経社説080408)。

勿論、これらの新聞は、世界の自由と民主化を願い、中国に対しても厳しい要求を突きつけているが、それにしても暴力はいけないのだときちんと筋を通している。朝日だけが、テロを全面的に支持しているのである。

1.朝日に対しては、次の教訓を学んでいただきたいと思う。この様なテロがはびこると、次第にエスカレートするのだ。それは、この様な過激派は、聖火を奪い取る為なら少々人を傷つけても良いと思っている。場合によっては人が死ぬことがあっても仕方がないことだと思う。こういうテロにより、少数派(警察関係者や・中国のやっていることが正しいと考える人々)は次第に黙らされていく。暴力により社会の世論が過激派にやや傾く。すると次に起こることは更に過激なことにならざるを得ない。良識派は黙らされ、今までとは少しだけより過激な人が出現し、これが繰り返される。

つまり、ファシズムとはその芽生えたところですかさず叩かない限り、必然的にどんどん成長するものだ。1960年当時の安保全学連運動が、1970年頃の全共闘運動となり、遂には浅間山荘事件へと発展したことを朝日はお忘れではないだろう。そして誰がこれを煽ったかも。

1.それにしても珍しい社説である。ここには只、中国が悪い・テロリストが正しいとだけ在り、一体具体的に何を中国にせよといっているのか全然かかれていない。典型的な破壊的で・建設的でない書き方だ。しかも朝日は、「チベットで何が起きているのか未だに明らかでない」ということも言っているのである。

チベットで何が起きているのか明らかでなく、どうせよとも言わず、ただただテロを支援する。全く面白い文章というほかはあるまい。

1.一番肝心なことは中国にチベット問題でどうせよというかということだ。

「ラサで抗議デモが始まったのは「3月10日」だった。・・
僧侶は袈裟を着て「チベットに自由を」「人々を釈放せよ」「ダライ・ラマ14世の長命を」「我々は独立したチベットを求める」などと叫んだ・・」(山際澄夫「言明せよ 福田首相「中国にもはや五輪開催の資格はない」」;『諸君』2008年5月号p.102)。

既に当HPが明らかにしたとおり、チベット人は元々中国人だ。チベットが中国であることはダライ・ラマさえ言っていることだ。独立は認められない。更に当HPが明らかにしたとおり、今回の事件を起こしたのはダライ・ラマ派の陰謀である。一方的に無抵抗の警官隊に対し、棍棒や石つぶてで襲い掛かったのだ。それは現在の聖火に対するテロを見ても完全に明らかである。

つまり、1980年ごろの天安門事件と今回事件は、全く性格が異なる。天安門事件は無抵抗の学生の集会に対し、武力で襲い掛かった。それと全く同じことを、ダライ派は中国当局に対し行ったのである。こういう犯罪者を徹底的に取り締まるのは当たり前だと言うことだ。中国当局に当HPは要求する。断じてダライ・ラマと話し合うべきではないと。

1.現在重要なことは、日本にとり大きなチャンスが生じていることだ。教条的に少数民族問題や自由・民主化を西洋の色眼鏡で捉え理不尽な攻撃を欧米は行っている。今こそ日本は、正論に立ち、テロとの闘いを高らかに歌い上げるときである。

現在日本の製品などを通じ、中国人は日本の底力に対し一定の敬意は持っていると思われるが、今日本が正義の側に立つことにより、中国の日本に対する見方を大きく変え、彼らを心服させることが可能となるだろう。武力や金力の力ではなく、モラルの力こそ本物であり、世界を動かすことが出来るのである。今こそ日本はその底力を示し、中国に真のモラルの見本を示し、彼らを信服させることで日本の味方に引き入れ、世界を動かす力を手にすべきときである。

参考記事:
「チベット問題080405」
「(続)チベット問題080406」
「(続2)チベット問題080409」
「テロを支援する朝日社説080409」

(続2)チベット問題080409
1.産経新聞が【主張】「北京聖火リレー 五輪精神に基づく解決を」(2008.4.8)を掲載した。
産経新聞は私が覚えているだけでも、1970年頃、「東大全共闘」 なるテロリストを徹底暴露・追及され、その後は多くの新聞が「日本は中国への侵略を進出と教科書を書き換えた」と大誤報したのに対し、率先して新聞第1面を使い、誠実な訂正と反省を述べられた。最も誠実なモラルの高い新聞の1つとして知られるまさに日本の良心・木鐸の1つである。
今回主張も、世界の自由と民主化を願っての、真摯な正論を述べられたものだが、当HPの考えではいくつかの納得できぬ点が含まれていると思われるため、率直な意見を申させていただく。

1*第1に、「開催国」という言い方で、中国を「チベットで人権抑圧を訴える声が噴出し、多数の死傷者が出ている現実を・・開催国を含む国際社会に解決を訴えることは、政治を超えた、五輪精神にかなう行動ではないか」とされていることだ。

だが前々回記事「チベット問題080405」で述べたとおり、中国は「オリンピック開催国」ではない。五輪は国が主催するのではなく・都市に開催権が有る。つまり、北京市は開催市だが・中国は開催国ではない。だからチベット問題と北京五輪は何の関係もないのだ。

確かに誤解が多く、中国を開催国と呼ぶ人も多い。或いは「開催市が存在する国」の意味で「開催国」と言っている人も居るであろう。だが何れにせよ、国が開催しているのではなく、中国は北京市に協力しているだけだから、チベット問題を五輪に結びつけることは無理だ。

2*第2に、「北京五輪開催が決まった2001年のIOC総会・・で・・北京市長は「五輪開催までにあらゆる分野で国際標準化を図る」と述べた。・・この約束をほごにしてほしくはない」ということだ。つまりチベット問題が噴出することはこの約束に反しているのではないかと。

だが同様に、北京市は約束を守っているのだろうが、チベット問題は北京市にはどうしようもないことだと思う。

3*第3に、チベット問題を五輪に結びつけ、チベットの一部の人の政治的野望を実現する為に五輪を政治利用することは、現在行われているような暴力的な、テロを手段とするものは論外だが、言論に基づくならば許容すべきなのだろうか?

だが、法律の限度内に有ることと、道徳を真に守ることは別次元の話ではないだろうか?
結局五輪の政治利用とは、チベットを弾圧している中国には五輪開催を認めるなということだ。実際、北京五輪を認めたのは誤りだったとも論議されている。2度とさせるなとも言われている。中国国内で行われるから、自分の国の大統領や首相は参加しないとか、天皇にも参加させるなとかも言われている。ボイコットせよとも言われている。

何故だろうか?こういう論理ならば、そもそも問題が有る国からの選手を五輪に参加させるなということになるのではないか?ボイコットせよとは、結局中国でやらず、緊急に開催場所を変えて、別の国で行えということではないのか?それで中国選手は参加するのか?

一体、五輪をボイコットせよということと・今後再び中国選手を五輪に参加させるなということと、何処がどう違うのか明らかにしていただきたい。ボイコットを本当に望むなら、今後再び中国選手が参加しないことを大喜びすべきではないのか?

だが、そもそも五輪というシステムに中国が参加することが喜ばしいことならば、どこの国で行おうと中国選手が参加することは喜ばしいことではないのか?そして、五輪というシステムに中国が参加することが喜ばしいことならば、中国で五輪が行われることも喜ばしいはずではないのか?

ここでそもそも何故五輪というものが行われるようになったか考える。2回の世界大戦を経てきたが、世界平和への願い、その為の貢献として始まったのではないのか?だから敵味方が一堂に参加すべきではないのか?

そして今回の中国への態度は何だろうか?失礼千万というほかない。世界は中国で五輪が行われることに同意したのだ。こんな失礼な態度を取るならそもそも初めから中国で五輪をやると決めなければ良かった。中国に対しても失礼だし、北京市に対しても失礼だ。北京市はチベットをどうすることも出来ないのだ。

一旦やると決めた以上、北京市に対しこういう失礼なやり方は取るべきでない。モラルに反するではないか!

五輪を政治利用しようと思えば、中国側こそ幾らでも出来るはずだ。だが彼らはそうしようとしなかった。五輪の政治利用が出来るということになれば、今後、様々な悪い国が、徹底してそういうこともやるだろう。今回の妨害事件はその口実とされるだろう。チベット問題を訴えたければ五輪と関係ないところで幾らでも出来るはずである。原点にもどらなければならない。

参考記事:
「チベット問題080405」
「(続)チベット問題080406」
「(続2)チベット問題080409」

(続)チベット問題080406

(続)チベット問題080406
・前回記事へ加筆を行う。

1.「○宋の時代:
羌のタングート族がオルドス地方(黄河上流の屈曲部付近)に「西夏」という騎馬民族国家を樹立した」。

これに対しては、タングート(党項)族はチベット族でなかった。羌族でもなかったとの説も有る。

1.「羌」が果たして後のチベット族を意味するかどうか論議が有る。だが近年、チベット説は有力となっている。本年1月6日、享年94歳にて永眠された 佐藤長(ひさし)・京都大学名誉教授【チベット学者】の説を紹介する。

「羌」の文字は、「羊」と「人」の合字。牧羊人の意味だ。問題はその発音だ。
中国音kiangに当たる本来のチベット語があり、khyum又は khyuと発音される。
人間集団の意味だ。
つまり漢族は、チベット人の生活形態から「羌」の文字をつくり、その発音はチベット人が自分たちのことを指して言っていた発音を借りたと考えられるという(下の参考文献p.116-117に紹介されている)。

参考文献:
「中央アジア史」(江上波夫・編/山川出版社/1987)

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