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書庫資料:空海とチベッ

この分野は元々は「歴史」の分野名でしたが、表題通り変えます(110817)。
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=チベット密教の実態1=
1.「安岡明夫HP資料篇」の「空海のタントラ「仏教」とチベット」シリーズの為の資料を掲載する。

1.今回は、「(資料)空海のタントラ「仏教」とチベット (F)090409」への追記を行う。

○ダライ・ラマ14世も序文を寄せている「【ゲルク派版】チベット死者の書」より:
「質問20−我々人間が植物に輪廻することもありますか?
回答−植物には輪廻しません」(参考文献1;p.210)。

「質問21−六道輪廻の中では天界に生まれることが一番よいことなのですか?
回答−必ずしもそうではありません(完全否定はしていない)。天界に生まれた者には苦しみがありませんから・・解脱に向けて努力することも当然ないのです。・・従って六道輪廻の中では人間に生まれることが一番素晴らしいことだと言えます。・・阿弥陀浄土に生まれた菩薩の方々も、来世は人間に生まれるよう祈願するといわれています」(同p.211-212)。

「人間に生まれる確率は、大きな湖で一日に数度だけ水面に首を出す亀が、首を出した際に穴の開いた船が通りかかり、その穴を塞ぐほどの確率といわれています」(同p.214)。

「質問29−葬式のときにお坊さんに高いお布施をしたり、初七日にお坊さんに御馳走をしたりするのは効果があることなのですか?
回答−お坊さんに供養のお食事を召し上がっていただいたなら、釈尊に供養してお食事を食べていただいたことと等しい功徳を積むとツォンカパは述べておられます。なぜなら釈尊が涅槃に入られたあと、釈尊の教えを正しく伝えることのできるのは僧侶だけだからです」(同p.218)。

「質問35−一日の間になした悪業を浄める方法はないのですか?
回答−あります。金剛薩タ(「土」偏に「垂」)の念誦法を毎日寝る前に21回誦すれば、その日一日に犯した悪業を浄化することができます。・・ちなみにこの行法を10万回行ったら、今世において成したすべての悪業を浄化できるとされています」(同p.223-224)。

「五無間罪とは次の5つをいう。
母を殺すこと。
父を殺すこと。
阿羅漢(ブッダの境涯に達した聖者)を殺すこと。
ブッダとなった者を傷つけること。
仏教教団の団結を破ること。
これらの5つの罪を犯したことにより、すぐに地獄に行く業のことを悪い無間業という」(同p.114)。

○「ダライ・ラマの密教入門」より:
「(入門において唱える祈願文で)三聯目では特に、勝者(仏)と師の足元に帰依します。なぜなら師とは「三つの帰依する対象」(訳者・石濱裕美子氏の注により「三宝」即ち仏・法・僧の意味)がすべて含まれた存在であり、師の祝福によってあらゆる輪廻の恐怖を取り除くことができるからなのです。あなたは清浄なる身体、言語、心をもって、体を地に投げて拝礼し、言葉で仏を讃嘆し、敬虔な心で仏に帰依するのです」(参考文献2;p.118)。

「それから師は自ら弟子の右手を掴んで、以下のように述べる。
これ以後、私はあなたの金剛手である。あなたは私が「これをなせ」ということはなすべきである。あなたは私を軽んじてはならない。もし私を軽んじるなら、汝は恐怖の中で死の時が来たり、地獄に落ちるであろう」(同p.137;→後注)。

「金剛の一族に属するものは殺傷を行うべきである。
剣の一族に属するものは真実でない言葉を語るべきである。
宝珠の一族に属するものは他のものの財産を盗むべきである。
・・・
あなたはこれによって仏陀になるであろう。
そうでなければ無数の劫をへても仏陀にはなれないであろう。

以上の誓いの言葉を「仮の意味」(未了義)と「本当の意味」(了義)の両面から説明する。
・・・
金剛の一族に属するものとは阿閦仏の一族を指しています。
・・「仮の意味」においては・・他の手段ではどうにもならない場合において、教えに害をなしているもの、命あるものを憎むもの、忌まわしい悪業をまさになそうとしているものなどを慈悲に動かされて殺すことができる、ということを意味しています。
・・「本当の意味」においては、阿閦仏の一族に属するものは・・(自らの)射精をもたらす「風」(生体エネルギー)の命を取るべきであることを意味しています。
剣の一族とは、不空成就仏の一族を指しています。
「真実でない言葉を語るべきである」という言葉は、「仮の意味」においては、不空成就仏の一族に属するものは、命あるものの好みや性質にあわせたさまざまな教えを、仮の意味と本当の意味の両者によって語るべきであることを意味しています。・・
「本当の意味」では・・以下のように解釈されています。真実においては、あらゆる現象は関係性の中にあり、その実体は空である・・。・・つまり、仏教の真実を語ることを凡夫の目から見て「真実でない言葉を語るべきである」と表現しているのです」(同p.273-276)。

つまり、既にご存知のとおり、全ては「空」だから何をやっても良いのであり、全生物を殺してもあっという間に成仏できるのであり、全ては「空」だから元々「真実」だの「虚偽」と言うものは無いから、自分達が棍棒で中国警察隊に一方的に殴りかかっても、「相手に殴られた」とデマを飛ばして良いのだと言っているのである。

このような滅茶苦茶な「教え」が説かれるに至った原因を訳者・石濱裕美子氏は「この本を読むまえに」の中で次のように解説している。

「本書の扱う密教経典『カーラチャクラ・タントラ』(「時輪タントラ経」)は、インド密教最後の華である。・・十一世紀頃に成立したものとされている。当時、インドはイスラム教の攻勢下にあり、その後間もなくして仏教はインドから姿を消す運命にあった。そのためか『カーラチャクラ・タントラ』には、永劫回帰を説く仏教の経典にしてはめずらしく最終戦争が説かれている。・・
オウムが「ヴァジラヤーナの教え」と称して、人殺しや盗みを行っていたのは、本書の最終章にあたる箇所が典拠になっている。また、オウムの”ハルマゲドン”とは『カーラチャクラ・タントラ』に説かれる異教徒との最終戦争にほかならない。
しかし、本書を読んでいただければ一目瞭然であるが、彼らの密教理解はまったく誤っている(そうかな?)」(同p.7-8)。

つまり、回教徒との最終戦争のため殺人・デマ・略奪を必要とし正当化したのであり、「仮の意味」こそ本当の意味で、「本当の意味」とはお為ごかしも含まれているようだ。

後注:
これと同じことが、「金剛頂経」(初会)にも述べられている。
「(入門儀式において)それから、阿闍梨は弟子にいえ。「今日よりのち、余は汝の金剛手である。余が汝に『これをせよ』と語ったことを、汝は実行しなければならぬ。そして、汝は余を侮ってはならぬ。汝は進退を誤って、死後に地獄に落ちることなかれ」」(参考文献3;p.130)。090412追記。

参考文献:
1.「【ゲルク派版】チベット死者の書」(ヤンチェン・ガロ撰述/1994/学習研究社)
2.「ダライ・ラマの密教入門」(ダライ・ラマ14世/1995/光文社)
3.「密教経典」(岩本裕・訳/1975/読売新聞社)

=ダライ・ラマ14世時代のチベット=
1.「安岡明夫HP資料篇」の「空海のタントラ「仏教」とチベット」シリーズの為の資料を掲載する。
1.今回は、チベットの主として経済状況とその変化に関するものを掲載する(「安岡明夫TP」過去記事のリサイクル)。

○「(続5)チベット問題080421」より:
「(前略)080416、TBSテレビの「ピンポン」という番組で「生激論 亡命チベット人VS.中国人 本音を語る」というものがあった。
そこに宋青宜という女性(日中環境協会理事長)が出演し、次のように語った。

「ダライ・ラマ14世がチベットを支配していた1959年以前はチベット人の平均寿命は37歳。現在は68歳だ(注11)。同じく教育を受けた人は2%だったのが今は99%(注12)。以前はチベット人の多くは農奴だった(注13)」と(後略)」。

○「過去記事「(続5)チベット問題」への注080425」より:
「(前略)
(注11)「ダライ・ラマ14世がチベットを支配していた1959年以前はチベット人の平均寿命は37歳。現在は68歳だ」:

中国駐日大使館HPによると、「チベット自治区主席が北京で記者会見、最近の状況説明」(2008/04/09)した。それによると、「チベットの平均寿命は解放当初の35・5歳から現在は67歳に延びた」という。
ちなみに日本の統治により、朝鮮は平均寿命が24歳から45歳に延びた。日本の朝鮮侵略は誠に申し訳ないことだがこのことは感謝して貰わなくてはならぬ。

(注12)「1959年以前はチベット人で(一般)教育を受けた人は2%だったのが今は99%」:

「俗界の数少ない学校に入学できるのは、富裕な人々や貴族の子弟に限定されていた」(「ブリタニカ国際大百科事典12」p.774)。
「近年の変化:
・・多くのチベット人の科学者や技術者が育ってきている。各地に小・中学校が設立された。一般人の子女も入学の機会を持てるようになった。
以前はラサには、ラマ医者をはぶいて、医者はほとんどいなかったが、今日では近代的な設備をもつ4つの人民病院と多くの衛生所がある」(「ブリタニカ国際大百科事典12」p.777)。

(注13)「1959年以前はチベット人の多くは農奴だった」:

「チベット仏教の・・特長は、「ラマ教」という俗称が示すように、教えを伝えるラマ(師僧)に絶対的信仰を寄せることである。
・・有力な氏族は権力、財力に恵まれた活仏の位をねらってそれを子弟に独占させ、教団の利権にむらがった。一方、庶民は教団の内外でいかなる機会にも恩典にもあずからず、わずかの資力を投出して、ひたすらラマの加護を頼み、むなしく来世を期待させられ、教団を安泰ならしめる「善行」に追い立てられた」(「ブリタニカ国際大百科事典12」p.792)。
「チベットは世界で最後の神政国家であった。観音の化身・・ダライ・ラマは、政府の首長でもあり、世俗的権力を行使した。・・ラマBla-maとは「高尊の師」を意味し、元来、サンスクリットのグルguru(師)の訳語であった。・・
・・僧院は・・上流階級出身の僧は、その財力によって昇進に一層有利な機会をつかむことができた。・・僧院は政府と個人の両方から寄付を受け、政府からは現物、現金、税金が取れる荘園を・・受けた。・・
チベットの一般民は、農耕民と牧畜民にわけられる。農耕民は主に南チベットと南東チベットの河谷に住み、政府、僧院、ラマ、貴族の小作人として働く農民もいた。・・土地をもつ農民はきわめて少なく・・」(「ブリタニカ国際大百科事典12」p.774)(後略)」。

参考文献:
「ブリタニカ国際大百科事典12」(1993/F・B・ギブニー編/TBSブリタニカ)

=2008年北京五輪関連2=
1.「安岡明夫HP資料篇」の「空海のタントラ「仏教」とチベット」シリーズの為の資料を掲載する。
1.前回に続き、昨年の北京五輪に関するものを掲載する(「安岡明夫TP」過去記事のリサイクル)。

○「(続4)チベット問題080411」より:
「(前略)これまで米国がベトナムやイラクを侵略してもこの様な無礼な対応をされたことはない。ロシアがチェチェンを侵略してもそうだ。英国やフランス、ドイツがアフガンを侵略してもこの様なことはなかった。中国だけにこの様な無礼で非礼なことが行われているのだ。これで納得できるはずがない。

1.さらに、「北京で開催中の各国オリンピック委員会連合(ANOC)は7日、「五輪の政治利用を拒否する」と声明を発表。
国際オリンピック委員会(IOC)のロゲ会長が「政治を競技の場に持ち込んではいけない」とくりかえしている・・」(東京080409)。

「・・IOC・・のロゲ会長は5日、シンガポールで・・聖火リレーなどへの抗議について「我々は抗議行動を決してうれしくは思わない」・・「非暴力的であるかぎり、抗議行動を尊重する」とのべた」(毎日080406)。

「IOC会長が妨害行為を批判:
・・IOC・・のロゲ会長は7日・・「いかなる理由でも聖火リレーに暴力はふさわしくない」と批判・・」(毎日080407夕刊)。

「「各国各国オリンピック委員会連合のバスケス・ラーニャ会長は5日・・「五輪と政治は無関係。ボイコットを推進する政治家は大きな過ちを犯すことになる」と述べ・・た」(日経080406)。

1.ここで、五輪の目的に平和・人権があるわけだが(「オリンピック憲章」)、五輪と平和・人権とがいかなる関係に有るか、もっと精密に考えよう。一部マスコミの考えでは、五輪の目的に平和・人権があれば、直ちに大々的に聖火リレーを妨害しても良いと。五輪の政治利用は当然だと。果たしてそうなら、五輪の政治利用に反対するIOC指導部こそ間違っていることになろう。

実は憲章の付録で「IOC倫理規定」というものがある。そこに、

「オリンピック関係者は、オリンピック競技大会の普遍性および政治的中立の原則にしたがい、国家機関と調和の取れた関係を維持しなければならない」

とされている(但しそのあとで、

「ただし・・人道、友愛および個人の尊重の精神は、オリンピック競技大会開催国の政府に対し、オリンピック憲章および本規程に定める原則を誠意を持って尊重することを求める」

とされている)。

つまり、考え方の違う国が幾ら互いの考え方をぶつけ合ってもそれだけで人権や平和が来ることはない。だから五輪が有るのだ。五輪を通じ互いの友情を高めることで、道は遠いかもしれないが確実に平和・人権に近づけていくのである。今回の聖火妨害のテロ=政治利用により、中国の民主化は10年遅れてしまったかもしれない。中国は欧米・日本に侵略されたことが有る。再びそうされることを非常に恐れている。この警戒心を強めてしまったのだ。一体中国が民主化されることが不味いからこういう妨害をやっているのかどうか分からないのである(後略)」。

○「(続5)チベット問題080421」より:
「1.現在、東京の6大紙の内5紙までは五輪聖火に対するテロに反対する社説を書かれている(080408-080419)。ところが、内1紙は、残念ながら聖火に対するテロを支援する主張をしている。ここで、昨年から今年にかけての印度洋給油新法に関する取り組みを思い出してみよう。

1.当HPグループは、テロに反対する為、まさに地球上からテロをなくす崇高な目的の大義の為印度洋給油新法に反対したのである。この法律が恨みの連鎖を作り出し、まさに逆効果によるテロの地獄を創出することに反対したのだ。

そして、毎日新聞や東京新聞がこの印度洋給油新法に様々な異議を唱えられたことも、まさにテロに反対し、テロを地上から根絶する崇高な人類の理想の為行われたことを私は知っている。

一方、この印度洋給油新法に賛成された読売・日経・産経の各紙も、まさにテロを地上から根絶する崇高な人類の理想の為行われたのである。

1.ところが印度洋給油新法に賛成した知名人の中に、地上からテロをなくす目的の大義の為賛成されたのでは実はなかったことが判明したことは実に残念だ。その人は次のようにいう。

1*「スポーツは政治である」。
2*「北京オリンピックを「平和の祭典」とみる我が国での主流の世論は、それ自体として、文化的小児病の一種とみなさなければならない」。
3*「首都ラサでの暴動や世界各地での聖火リレーへの妨害によって、チベッタンが中国の政治宣伝にたいして逆宣伝を仕掛けたのは自然の成り行きである。それを「不法の力」(暴力)と難ずるのは、民族浄化が国際法の大前提への破壊行為であることを見逃している」。

つまりテロは「自然の成り行き」で、「それを「不法の力」(暴力)と難ずるのは」おかしいと。要するにテロは当然だと。だが1*も2*も完全に間違っているのだから、3*も完全に間違いだろう。

1.つまり、この人はその人の生徒が編集した講義録から印度洋給油新法に賛成した人であることが分かっているが、テロに反対でこの法律に賛成したのではなかった。つまり、ある新聞がテロに大いに賛成であり、テロを益々盛んにしたいが故にこの法律に異議を唱えた訳だが、それを全く裏返したような立場だったのだ。確かにこういう法律が通ることで恨みの連鎖を引き起こしテロは益々盛んになるわけだが、多くの人々がテロに反対するが故にこの法律に反対し・或いは賛成したとき、テロに賛成するが故に・テロを益々盛んにする為この法律に或いは賛成し・或いは反対する人が居ただろうとは返す返すも残念と言う外ない。こういう立場は全く大義がないといわねばならない。

1.そこで、「スポーツは政治である」というようなことは論外としても、「スポーツの祭典は現実には政治と切り離せない。聖火リレーは1936年のベルリン五輪から始まった。ナチスの宣伝だった面は否めない」というような考え方は正しいのだろうか?

私はヒトラーの心の中まで覗いて見たことはないが、ヒトラーという人は政治宣伝には非常に力を入れ、また「現代宣伝理論の祖」といえる様な人でもあったから、おそらく1936年のベルリン五輪の聖火リレーはドイツの国威発揚といった面は間違いなくあったろう。しかし、この一事を持って全ての五輪聖火が政治宣伝とはいえないし、「政治と切り離せない」と断定出来るものでもない。論理の飛躍がある。現実の世界は多様なのだから、政治と関係ない聖火もあろうし・又有り得るのである。またそういうものを目指して進むべきことも自明であろう。

そもそも古代ギリシャにおけるオリンピックもそのようなものであった。4年に1回は全ての争いをやめてスポーツで友情を確かめ合う為に有ったのである。過去に有ったことは現在もありうるし・未来にもあり得ることである。そして現在の北京五輪も、純粋に中国人はスポーツのお祭りとして世界の人々と仲良くしたいと思ってやっているだけだ。これは手段ではなく・それ自体が目的であり、中国人はこういうことが自分たちで出来るようになったことを非常に喜んでいる訳だ。

1.次に、中国がチベットに対し所謂「民族浄化」=ジェノサイドを行っているというのは事実だろうか?私は、色々な人権問題があることは事実と思うが、ここまで言うことはどうか?こういうことは結局、ダライ・ラマ派が流している宣伝ではないのか?

ではダライ・ラマ14世とはどういう人物なのか?米紙ニューヨーク・タイムズ1998年10月2日号は、CIAから莫大な金を貰ってテロをやっていた人物であることを報じた[・・・]。

「ダライ・ラマ派、CIAからカネを貰ったと発言:

ダライ・ラマ亡命政府は本日、1960年代にCIAから1年当たり170万米ドルにのぼる資金援助を受けていたことを認めた。・・その抵抗運動の為 割当てられたカネは、志願者の訓練と中国に対するゲリラ作戦に支払われたと、チベット亡命政府は声明で言った。・・10年の長きにわたるチベット独立運動を支援した秘密工作は、CIAの共産政府、特にソ連・中国を弱体化させる全世界的努力の一環であった」(後略)」。

=2008年北京五輪関連=
1.「安岡明夫HP資料篇」の「空海のタントラ「仏教」とチベット」シリーズの為の資料を掲載する。
1.今回は昨年の北京五輪に関するものを掲載する(「安岡明夫TP」過去記事のリサイクル)。

○過去記事「(続2)チベット問題080409」より:
「1.産経新聞が【主張】「北京聖火リレー 五輪精神に基づく解決を」(2008.4.8)を掲載した。
産経新聞は私が覚えているだけでも、1970年頃、「東大全共闘」 なるテロリストを徹底暴露・追及され、その後は多くの新聞が「日本は中国への侵略を進出と教科書を書き換えた」と大誤報したのに対し、率先して新聞第1面を使い、誠実な訂正と反省を述べられた。最も誠実なモラルの高い新聞の1つとして知られるまさに日本の良心・木鐸の1つである。
今回主張も、世界の自由と民主化を願っての、真摯な正論を述べられたものだが、当HPの考えではいくつかの納得できぬ点が含まれていると思われるため、率直な意見を申させていただく。

1*第1に、「開催国」という言い方で、中国を「チベットで人権抑圧を訴える声が噴出し、多数の死傷者が出ている現実を・・開催国を含む国際社会に解決を訴えることは、政治を超えた、五輪精神にかなう行動ではないか」とされていることだ。

だが前々回記事「チベット問題080405」で述べたとおり、中国は「オリンピック開催国」ではない。五輪は国が主催するのではなく・都市に開催権が有る。つまり、北京市は開催市だが・中国は開催国ではない。だからチベット問題と北京五輪は何の関係もないのだ。

確かに誤解が多く、中国を開催国と呼ぶ人も多い。或いは「開催市が存在する国」の意味で「開催国」と言っている人も居るであろう。だが何れにせよ、国が開催しているのではなく、中国は北京市に協力しているだけだから、チベット問題を五輪に結びつけることは無理だ。

2*第2に、「北京五輪開催が決まった2001年のIOC総会・・で・・北京市長は「五輪開催までにあらゆる分野で国際標準化を図る」と述べた。・・この約束をほごにしてほしくはない」ということだ。つまりチベット問題が噴出することはこの約束に反しているのではないかと。

だが同様に、北京市は約束を守っているのだろうが、チベット問題は北京市にはどうしようもないことだと思う。

3*第3に、チベット問題を五輪に結びつけ、チベットの一部の人の政治的野望を実現する為に五輪を政治利用することは、現在行われているような暴力的な、テロを手段とするものは論外だが、言論に基づくならば許容すべきなのだろうか?

だが、法律の限度内に有ることと、道徳を真に守ることは別次元の話ではないだろうか?
結局五輪の政治利用とは、チベットを弾圧している中国には五輪開催を認めるなということだ。実際、北京五輪を認めたのは誤りだったとも論議されている。2度とさせるなとも言われている。中国国内で行われるから、自分の国の大統領や首相は参加しないとか、天皇にも参加させるなとかも言われている。ボイコットせよとも言われている。

何故だろうか?こういう論理ならば、そもそも問題が有る国からの選手を五輪に参加させるなということになるのではないか?ボイコットせよとは、結局中国でやらず、緊急に開催場所を変えて、別の国で行えということではないのか?それで中国選手は参加するのか?

一体、五輪をボイコットせよということと・今後再び中国選手を五輪に参加させるなということと、何処がどう違うのか明らかにしていただきたい。ボイコットを本当に望むなら、今後再び中国選手が参加しないことを大喜びすべきではないのか?

だが、そもそも五輪というシステムに中国が参加することが喜ばしいことならば、どこの国で行おうと中国選手が参加することは喜ばしいことではないのか?そして、五輪というシステムに中国が参加することが喜ばしいことならば、中国で五輪が行われることも喜ばしいはずではないのか?

ここでそもそも何故五輪というものが行われるようになったか考える。2回の世界大戦を経てきたが、世界平和への願い、その為の貢献として始まったのではないのか?だから敵味方が一堂に参加すべきではないのか?

そして今回の中国への態度は何だろうか?失礼千万というほかない。世界は中国で五輪が行われることに同意したのだ。こんな失礼な態度を取るならそもそも初めから中国で五輪をやると決めなければ良かった。中国に対しても失礼だし、北京市に対しても失礼だ。北京市はチベットをどうすることも出来ないのだ。

一旦やると決めた以上、北京市に対しこういう失礼なやり方は取るべきでない。モラルに反するではないか!

五輪を政治利用しようと思えば、中国側こそ幾らでも出来るはずだ。だが彼らはそうしようとしなかった。五輪の政治利用が出来るということになれば、今後、様々な悪い国が、徹底してそういうこともやるだろう。今回の妨害事件はその口実とされるだろう。チベット問題を訴えたければ五輪と関係ないところで幾らでも出来るはずである。原点にもどらなければならない」。

○過去記事「テロを支援する朝日新聞080409」より:
「1.今日の朝日新聞には驚かされた。先ず第1面の「天声人語」にこうある。

「北京五輪の聖火リレーが散々な目に遭っている。・・反体制派は体を張って吹き消そうとする。・・炎の奪い合いは北京へとなだれ込む。・・それで民主化が少しでも進むなら、祝祭に水を差す騒ぎも無駄ではない」。

つまり、テロを非難するどころか称えているのだ。

1.更に社説ではこうだ。

「聖火リレー―中国が試されている:

(前略)
北京五輪の開催を盛り上げる聖火リレーに対する妨害が、激しさを増している。中国のチベット政策に抗議し、世界に訴えようというのである。
(中略)
中国は「ダライ・ラマ派の策動」と切って捨てるのではなく、現実に向かい合うべきだ。
中国はスポーツの祭典は政治と切り離すべきだといいたいだろうが、現実にはそうはいかない。(後略)」。

やはりテロの対する非難は一言もなく、世界がこのテロに対しどうするかが試されているというのに、こともあろうに「中国が試されている」と思っているのだ。

1.他の新聞では、次のように論じている。

「長野県警には細心の注意を払った警備を求めたい」(毎日社説080409)。

「亡命チベット人グループや人権団体活動家らが聖火を奪い取ろうとし、ランナーの行く手を実力で阻むなど手荒な行動に出ている。抗議するにも、こんな強引なやり方では共感を得られまい。聖火リレーは・・26日には長野市でも行われる。混乱を招かないよう、万全の対策を講じる必要がある」(読売社説080409)。

「暴力は許されない」(東京社説080409)。

「暴力を伴う五輪妨害行為は容認できない」(産経社説080408)。

勿論、これらの新聞は、世界の自由と民主化を願い、中国に対しても厳しい要求を突きつけているが、それにしても暴力はいけないのだときちんと筋を通している。朝日だけが、テロを全面的に支持しているのである。

1.朝日に対しては、次の教訓を学んでいただきたいと思う。この様なテロがはびこると、次第にエスカレートするのだ。それは、この様な過激派は、聖火を奪い取る為なら少々人を傷つけても良いと思っている。場合によっては人が死ぬことがあっても仕方がないことだと思う。こういうテロにより、少数派(警察関係者や・中国のやっていることが正しいと考える人々)は次第に黙らされていく。暴力により社会の世論が過激派にやや傾く。すると次に起こることは更に過激なことにならざるを得ない。良識派は黙らされ、今までとは少しだけより過激な人が出現し、これが繰り返される。

つまり、ファシズムとはその芽生えたところですかさず叩かない限り、必然的にどんどん成長するものだ。1960年当時の安保全学連運動が、1970年頃の全共闘運動となり、遂には浅間山荘事件へと発展したことを朝日はお忘れではないだろう。そして誰がこれを煽ったかも(後略)」。

(つづく)

=2008年チベット暴動関連=
1.「安岡明夫HP資料篇」の「空海のタントラ「仏教」とチベット」シリーズの為の資料を掲載する。
1.今回は昨年のチベット暴動に関するものを掲載する(一部、「安岡明夫TP」過去記事のリサイクル)。

○過去記事「チベット問題080405」より:
「1.さて、今回のチベット動乱について考える。情報が少ないため確実なことはいえないが、初めこの事件は「平和的なデモに中国軍が発砲して起きた事件だ」といわれていた。ところが中国のTVにチベット僧が無抵抗な中国警察当局に棍棒や石つぶてで襲い掛かる映像が流れた。すると今度は、「オリンピックを控え、中国側は早い内にチベットを暴発させて平定しようと考え、挑発をかけたためチベット僧が怒ってこうなったのだ」といわれた。だが、今中国政府は追い詰められている。別に挑発で自分の首を絞める必要はなかったようだ。

すると今度は、普段の中国の締め付けがひど過ぎて、僧侶でさえ立ち上がらざるを得なくなったのだといわれている。だがそうだろうか?動乱が起きる前、多くの観光客を含め日本人もチベットに立ち入ることが出来た。NHKのチベット報道もあった。民衆が命懸けで蜂起せざるを得ないような状態があったとはかんがえられない。

つまり、今回の事件は、主として僧侶が引き起こしている。中国警察当局に棍棒や石つぶてで襲い掛かることで始まった事件と考えざるを得ないのだ。又最近の報道によると、ダライ・ラマが中国からの独立に反対する為、若手の亡命者を中心に蜂起を決定し、それをチベット内に持ち込んだと印度内やチベット内のチベット人が日本の新聞に言い始めている。

「チベット 二つの不満:
・・今なお原因や犠牲者数など真相は分からないことが多いが、背景には、長年の中国政府の統治に不満を持つチベット人を、インドの亡命政府ですら抑えきれなくなっている現実があるようだ。
・・
昨年6月末から7月に上海などで開かれた6回目の協議で中国側が「チベット問題など存在しない」と態度を硬化、議論が入り口で止まってしまった。
この結果が騒乱につながったと指摘するのはダライ・ラマ・チベット宗教基金会(台湾)のソナンドチェ秘書長。中国への不満と、ダライ・ラマの対話路線への疑念が広がったという」(朝日080328)。

朝日記事はそのあと、47カ国からのチベット人代表が武装蜂起を計画したという情報の紹介を行っている。

つまり今回事件は、普通の国での様に先ず民衆が立ち上がり、最後の段階で僧侶さえも立ち上がらざるを得なくなったということと全然違う。僧侶が中心になって引き起こしたことだ。それが可能なのは、「チベット仏教」とは実はタントラ・バジラヤーナだからだ。「チベット仏教」においてはダライ・ラマ(いわゆる「グル」)の命令は絶対である。だから、上の記事の”若手が勝手にダライ・ラマの言うことを聞かないで引き起こした”と、側近が言い訳していることもまだ嘘があるのではないか?

先の朝日記事も書く。
「ニューデリーでは連日、若い亡命チベット人のデモが続く。ジャンパさん(26)は「多くの若者はチベットの完全な独立を求めている」。だが「もし、姿勢を変えろと命じられたら、変えなければならない」とダライ・ラマの権威を認める。
ニューデリーのチベット人街に住むノルブさん(64)も「内外に600万人いるチベット人は今もダライ・ラマの助言と指示が頼りだ」と話す」。

つまり、今回事件はダライ・ラマの命令で起きた?だからチベット僧は命懸けで警官隊に棍棒と石つぶてで殴り込みをかけた?

先の朝日記事はこう続ける。
「・・中国政府は騒乱自体を「ダライ(・ラマ14世)一派が組織的、計画的に策動した」と断定する。16日に英BBCの取材を受けたダライ・ラマが「チベット人がいつ何をしようとも・・中止を求めることはない」と発言したのが証拠というのだが、かなり無理がある」。

だが私には中国側の言っている方がよほど筋が通っていると考えられるのだ」。

これに幾つか付記する。
○チベット密教においてダライ・ラマのいうことは絶対である証拠に、次のような事実もある。ダライ・ラマ14世はかつてCIAから金をもらい、中国内に部下を潜入させてはテロ・破壊活動、ゲリラ戦をおこなっていた。然し、もうとても中国の力にかなわないと思い始めたのである。むしろ、中国側と友好な関係を結ぶことで、再び元の地位に就けないか・もっと有利な条件で復帰出来ないかを模索するようになった。

そのような時彼は、中国内に潜入していた部下達に、ゲリラ戦をやめ降伏することを命じた。しかし、彼らはダライ・ラマ14世に、「頑張ればチベットの独立が勝ち取れるぞ」と教えられ、全てを犠牲にして頑張ってきた人たちだった。だから彼らは、ゲリラ戦をやめることを命じる命令に従い、降伏することがどうしても出来なかった。しかし、ゲリラ戦をやめなければダライ・ラマの命令に反することになる。そこで彼らは集団自決の道を選んだのだ。

「・・ネパール軍と中共の共同作戦で抵抗勢力狩りが開始された。・・
一方、インド政府はダライ・ラマに圧力をかけ、抵抗勢力に降伏を促すよう求めてきた。もしムスタンで争いが始まったら、ダライ・ラマはインド、ネパール両政府から責められるのは必至であった。ネパールにも数千人の難民がいるのだ。ダライ・ラマはやむなくメッセージをテープに吹き込み、方々の抵抗運動部隊に配布した。・・
・・テンジン・ギュルメは次のように語っている。
「法王の声を聞いた私たちは皆泣いた。法王の気持ちには逆らえないという思いと、すべてをなげうって戦ってきた末に降伏する気には到底なれないという思いとがあった。・・
法王の意に背くよりはと何人もが自殺した。五人の指揮官の一人、パチンは余りの怒りと余りの力でのどをかき切ったため、首が落ちてしまったほどだ。私の秘書ツェワン・ギャポは、近くの古い石の建物から何もいわず河に飛び込み死んだ。多くがそうして死を選び・・」(参考文献1;p.267-268)。

○「チベット仏教の形態的な特色は、「ラマ教」という俗称が示すように、教えを伝えるラマ(師僧)に絶対的信仰を寄せることである」(参考文献2;p.792)

とあるように、チベット密教において「ラマ」の命令は絶対である。そもそもチベット語「ラマ」とは印度語「グル」の訳語であり、オウム真理教においてグルの命令が絶対であったことと同じなのである。

参考文献:
1.「中国はいかにチベットを侵略したか」(マイケル・ダナム/2006/講談社インターナショナル)
2.「ブリタニカ国際大百科事典12」(F・B・ギブニー編/1993/TBSブリタニカ)

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