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当HPは今年終了します。→https://blogs.yahoo.co.jp/oyosyoka803/48230188.html

書庫安岡TP資料編

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<< 作成日時 : 2007/11/01 01:11 >>

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 1.最近原油価格が大きく上がり、1バレル100ドルを越す勢いである。そこでこれまでの動きと原因を追ってみる。データは様々なインターネットのHPを参考とした(ウイキペディアを含む)。

 1.1973−74年(第1次石油ショック):
 一挙に5倍化して、1バレル2ドルから10ドルへ。
 アラブ諸国がイスラエルの侵略とそれを後押しする西側諸国へ制裁を加える為。

 1.1979−80年(第2次石油ショック):
 3倍化して、10ドルが30ドルへ。

 1.1985年(逆石油ショック):
 30ドルが10ドルへ。
 西側先進国の石油依存が薄れ、又石油値上がりによる不況も影響。

 1.1990年(湾岸戦争):
 10ドルが15ドルへ。

 1.2000−01年(米国のIT好景気+アフガン戦争):
 15ドルが25ドルへ。

 1.2004年(イラク戦争の影響):
 1バレル40ドルで過去最高。これはイラク戦争の影響と、中国などBRICsの経済大発展の影響。

 1.2005年:
 遂に、57ドルへ。但し今までの数字はWTI(米国の価格指標)であり、この時日本の原油輸入価格は43ドル。

 その後の経過はご存知の通りで、1バレル100ドルを超える勢いにある。なお、今までの数字は細かい動きは省略し、大体の大きな傾向を示した。

 1.なお、資源エネルギー庁のHPによると、第1次石油ショックの頃(1974年)の石油備蓄は67日分。現在は171日分有る(2005年2月末現在)。GDPに占める原油輸入価格の割合は1974年に4.1%だった。2003年には1.0%に下がった。発電量に占める石油火力の割合は1974年に63.4%。2003年に9.5%となっている。
 今後日本と米国ではスタグフレーション(不況下のインフレ)が進みそうである。だが資源エネルギー庁の言うとおり、パニクってはいけないようだ。

<< 作成日時 : 2007/08/20 02:58 >>

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 「安岡明夫TP」の記事
 「米国は何故原爆を落としたのか?(続)070811」
への資料です。

 =「ラスト・ミッション 日米決戦終結のシナリオ」より=
 1.「(米)第315爆撃航空隊は(1945年)8月14日から15日にかけて、東北の石油基地である秋田の爆撃を目指して東京周辺を飛行していた。この一隊は日本の防衛網に補足されたため、東京地方に空襲警報が発令された。つまり東京は灯火管制で闇だった。その暗闇のために、14日の夜から15日の未明にかけて行われるはずであった陸軍の将校たちによるクーデターが失敗した」(p.9)。
 空襲警報>宮中内が暗闇>青年将校たちの行動が円滑に進まず、懐中電灯の電池も切れ、ろうそくで天皇の玉音のレコード盤を探したが遂に発見できず、クーデターは失敗した(p.10&p.402)。

 8/10夜、反乱軍が東京で手榴弾を投げ、戒厳令を望んだ。これを阿南陸軍大臣は罰しなかった為、反乱将校たちは阿南を味方と信じた(p.39)。
 実はこれは阿南の策略だったと当HPでは考えている。つまり、天皇は既に5月には敗戦を決意され、そのため鈴木首相を据えた。だが鈴木首相は一言も終戦の言葉を言うことが出来なかった。言った途端に軍のクーデターが起きるからだ。そこで阿南陸相は先ず反乱将校たちの仲間を装い、反乱計画の全貌と仲間達の範囲を確定しようとした。反乱軍は最後には阿南がともに反乱に立ち上がると信じ、続々と情報は阿南のもとに集まった。阿南は今は軍に取り重大な時だから一致結束して行動するよう呼び掛けた。
 阿南の策略のもうひとつの目的は、反乱将校が横に連絡を取るのでなく・阿南たちを説得する事こそ重要だと思わせ、ふんふんと聞く振りをする事で時間稼ぎと・真に重大な横への広がりを妨害する事だった。

 阿南は8/14、梅津参謀総長にクーデター計画を持ちかけて見ると約束(p.275)。これも当HPの考えでは、時間稼ぎと・このような上層部に工作する事こそ反乱将校が横の連絡を取り合うより重要と錯覚させるトリック。梅津参謀総長さえ合意すれば阿南陸相も反乱に立ち上がる。そうすれば確実に軍は動く。そう期待する限り、青年将校たちはそこへのみ期待と注意を集中して只待つばかりとなる。
 
 梅津参謀総長の承認が得られなかったからクーデターは失敗だと阿南陸相、青年将校たちに告げる(p.276)。そこにのみ期待をかけていた反乱将校たちは絶望に突き落とされ、泣き出す。
 「われわれは重大な状況に直面しておるのだから・・・陸軍の全将兵は団結を強め、一糸乱れず行動せよ」と告げ、御前会議へ向かう。青年将校たちはなお阿南陸相が御前会議で戦争貫徹の強硬意見を述べる事を期待する。

 御前会議で鈴木首相、阿南陸相と梅津参謀総長が終戦に反対の為降伏できない。そこで、と天皇の聖断を求める(p.280)。終戦の聖断下る。

 阿南陸相、青年将校の元へ帰る。御前会議の結果を報告する。青年将校、何故終戦へ大臣が考えを変えたか質問する。
 「陛下はこの私の気持ちがよく分かるとおおせられた。任務がどんなに困難なものであってもたゆまずやり通してくれと、涙を浮かべてそうおおせられた。もうこれ以上、自分は陛下のご決断に反対することは出来なかった」(p.297)。
 この言葉により、半数の者は胸を打たれた。しかし「逆らうがごとくにらみ返す者も」(p.297)。阿南「不服がある者は、わが屍を越えて行なうがいい!」(p.297)。

 8/14夜、阿南陸相は切腹する(介錯を拒み、翌15日朝絶命)。これも当HPの考えでは、危険な青年将校たちをクーデターでなく、集団自決に誘惑する為だったと考えている。

 こうして阿南陸相のお陰で反乱軍は相当力を減じた。だが、実は未だ狂信的な相当の部分が残存しており、8/14-15にかけ遂にクーデターに立ち上がる。
 
 2.反乱将校、近衛師団の森師団長を切り殺し、印鑑を探し出して師団命令書を偽造する。朝になれば命令を受けて動員された近衛師団は自分たちの師団長が殺された事を知るから朝までに天皇の玉音レコード盤を探し出せるかが勝負だった。皇居・NHKは完全に占領・包囲された。真っ暗闇の中で息詰まる捜索が開始される。NHK内では反乱を呼びかける放送をやろうとする反乱軍。それを徹底的にごまかし・妨害する職員達。だがこれを全部書いてしまってはこの本を読む楽しみを読者の方々から奪う事になるからここで終わる。

 *参考文献
 「ラスト・ミッション 日米決戦終結のシナリオ」
 (2006/麗澤大学出版部/J.B.スミス&M.マッコネル)

<< 作成日時 : 2007/06/05 04:02 >>

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 0.今回の記事は、
「安岡明夫TP」
の記事
「記事「民法3百日規定は正しい070415」への注070523」
に関する資料であります。
 ご参考になれば幸いです。

 1.「ワトソン博士のゲノムを読む」(原題:
  Reading the Book of Jim)
 =Newsweek(英字版)070604号記事(訂正:070528号ではありませんでした)
  (Sharon Begley著)
 要点:DNAの2重らせん構造の発見者の一人J・ワトソン博士が、「454 Life Sciences」というバイオ・テクノロジーの会社に、「彼のDNAを解読し公開する最初の人になる」(誰のものか分る形で初めて公開する)事をやらせた。ワトソン博士は5/30に自身それを見、翌5/31に米国国立衛生研究所(NIH)のデータベースに郵送され、公開される。
 この「ジム計画」は67日間の期間と100万ドル(1億2千万円)がかかった。
 「すぐに10万円で出来るようになる」と、この会社の会長は言っている。これは、従来のDNA鑑定より安い。DNA鑑定は、3万円から数十万円かかる。
 ワトソン博士は、どんどん多くの人が自分のDNAを全部解読する事を勧めている。理由は二つある。1.人が何に向き、何に向かないかが分れば、人生の方向がはっきりするし、自分が得意の分野でも、人が向いてないからと怒るのではなく、助けてあげようという気になる。2.生まれた時からすぐに、どういう病気にかかりやすいか、例えば、肥満で早死にし易いとかが分る。気をつけるようになる。

 2.「ヒトゲノム計画 (human genome project)」
 (社団法人 農林水産先端技術産業振興センターのHP
   「バイテク用語集」より)
 「・・・米国を中心に、先進国がヒトゲノムを全て解読して、人の遺伝情報を明らかにし、医学などの分野で役立てようとする国際計画。・・・
 2003年4月15日、日米欧他6カ国は30億個の塩基配列のうち解読不能の1%を除き、99.99%の精度で解読したと宣言した。遺伝子数は約3万2千個と判明した。
 しかし、このヒトゲノム解読完了後の2004年10月、より正確な構造及び遺伝子組成などのヒトゲノムの特徴解明を行なった結果、遺伝子数は約2万2千万個であり、その中にはマウスやラットにはない遺伝子(免疫、臭覚、生殖関連)が含まれることや、ヒトにおいて機能を失った遺伝子も発見された」。

 3.「ヒトゲノム計画:
 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 ヒトゲノム計画は、ヒトのゲノムの全塩基配列を解析するプロジェクト。1953年のDNAの二重らせん構造の発見から50周年となる2003年に完了した。
 プロジェクトは、各国のゲノムセンターや大学などによる国際ヒトゲノム配列コンソーシアムによって組織され・・る。・・・
 このプロジェクトは1990年に米国のエネルギー省と厚生省によって30億ドルの予算が組まれて発足し、15年間での完了が計画されていた。・・・2003年4月14日には完成版が公開された。そこにはヒトの全遺伝子の99%の配列が99.99%の正確さで含まれるとされている。・・・
 各ドラフト配列は最低でも4回から5回はチェックされ、シークエンシングの完成度と精度が向上していく。ドラフト配列では約47%が高品質配列であったが、完成版では7-8重のチェックがなされ、エラー率は10,000残基中で1残基程度まで抑えられているという。・・・
 ・・・プロジェクトの予備調査では約22,000遺伝子が存在するとされているが、この数は多くの研究者の予測よりも遥かに少ないこともあり、現在でもこの調査は進行中である・・・」。

 4.さて、本題に入る。結局、人間のDNAは100%は解読されていない。解読されたと思ったら早速、予想よりはるかに遺伝子が少ない謎にぶつかっている。ワトソン博士のDNAも100%解読された訳ではないだろう。
 そして、例え百%解読されても、遺伝子は突然変異する。決して100%ということはありえないのだ。それでも親子をDNA鑑定で決めるのか?

 (訂正)既に本文中で訂正したとおり、ワトソン博士の記事はNW誌の070528号でなく、070604号(P.40-41)でした。お詫びし訂正します。
 日本語版では070620号に記事が載っています(但し、記事が出た時期がずれた為等により、幾らか書き換えられており、完全に原文通りではありません)。

<< 作成日時 : 2007/04/24 22:22 >>
 「安岡明夫TP」
で記事「長崎暴力団の謎」
を掲載しました。この記事に関する資料を当「安岡明夫TP資料編」に以下に掲載します。

 ・「国史大辞典 第九巻」(1988/吉川弘文館/国史大辞典編集委員会(坂本太郎他)編)より:
 「高島炭坑:
 日本最初の様式技術による炭鉱。・・・岩崎は・・・高島炭鉱事件において露呈されたような過酷な労働を鉱夫に強いた結果、同炭鉱は連年巨額の利益を上げた。(後略)」(p.28)
 「高島炭坑事件:
 明治前半期最大の労働問題事件。・・・実際就労したことのあった松岡好一などが、主として(明治)十八年から二十一年までに実見した納屋制度のもとで奴隷労働的な状態にある坑夫の過酷な実状を社会に訴え、これを契機にして言論界が大々的にその惨状を報道したものである。吉本・松岡らの告発内容は、誘拐同様の坑夫募集、坑夫のふくれあがる負債、納屋頭の中間搾取、筆舌に尽くせぬリンチ、帳簿の不正、信書の妨害などというもので、きわめて劣悪な労働状態の暴露であった。・・・『日本人』によってはじめて問題が中央に提起され(其れまでは地方での報道にとどまった)、有力紙誌のほとんどが取り上げ、現地報告記事などが競って掲載されて大きな社会問題に発展し、ついに政府が現地視察を行い三菱に改善勧告を出し、これを報道陣に報知するに至る・・・
 この事件は、三菱が納屋制度を巧みに利用して利潤確保の基礎として高島炭坑を経営し、財閥資本の拡大を強引に推し進めた結果発生したもので、日本資本主義がその形成途上において最も早く大々的に社会的関心を集めた著名な事件となった」(p.28)。

 ・「日本残酷物語5-近代の暗黒』(宮本常一他/1995/平凡社)より:
 「棒頭とは・・・それらのほとんどが前科者でなければ無宿無頼の徒で粗暴過激のものが多く、ひとたび棒頭に抜擢されるとつねに暴力をふるい残虐な殺傷をほしいままにした。その残虐ぶりを明治三十年の『北海タイムス』新聞はこう報道している。 
   夕張炭山における労務者がいかに酷遇されつつあるやは、しばしば報じたるごとくにして・・・

 納屋頭の下には坑内の仕事を指図する小頭、出勤を督励する人繰り、会計を担当する勘場などの「役人」がいる。かれらは一団となって納屋子を監督し監視する。これらの役人は前科がないよりも、むしろある方がよい。そして親分肌ほど人気がある。だが納屋子が多くなると、納屋頭や人繰りは坑内にさがらず、もっぱら檻場という見張り所につめていてリンチをふるう。それのはげしいところを圧制山(あっせいやま)という」(282-286)。

 ・上野英信「地の底の笑い話」(1967/岩波新書)より:
 「離れ島のケツワリの話:
 生きてふたたび陸の土をふむことはむつかしいとまでいわれた時代、もののみごとに脱出した者たちのかちえた称賛は、ほとんど英雄なみであった。脱出者自身またこれを最大の誇りとし、生涯の語り草としたのである。深夜ひそかに海を泳いで「監獄島」を脱けだしたとき肌身につけていた、ただ一つの衣類と武器-褌と匕首を、長く家宝として桐の箱に納めている者もある」(p.154)。

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