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書庫井堀利宏氏

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井堀利宏氏「「歳出の無駄」の研究」批判(59)081129 [ 「「歳出の無駄」の研究」批判 ]
<まとめ>
○以上で、この本の論破は全て終わった。
氏は述べた。
「「まず無駄をなくせ」は正しいか?
正論であっても、さしたる効果がなく、まして実現不可能であれば、それは現実逃避の「祝詞(のりと)」に過ぎない。無駄の削除のみを最優先することの愚かさを説き、増税なき財政再建は不可能なことを立証する」(本の帯より)と。

だが以上で明らかとなったことは、
1.「まず無駄をなくせ」は正しい。
2.これは正論であると共に、大きな効果があり、実現可能である。
3.氏の発言こそ、現実逃避の「祝詞(のりと)」以外の何物でもない。
4.無駄の削除のみを最優先しないことは愚かだ。
5.増税なき財政再建は可能である。
以上である。

○次に、この本の「8大欠陥」をまとめる。
1.そもそも、増税と・借金は同じことではないか!
2.国の財政政策により実際は貧乏人から金持ちへの所得移転が生じているのに、逆に描いている。
3.大企業への護衛船団方式によるバラマキの無駄にふれていない。
4.軍事費にほとんど触れず、しかも独立の章になっていない。
5.公共事業・軍事費の無駄を論じる前に、人件費・教育・医療の「無駄」を論じている。
6.無駄・借金・税金を更に大きく増やす主張である。
7.「形式的民主主義」(真の民主主義)を「補完」(破壊)するという。
8.老人区と若者区という選挙区を作り、ゲリマンダー(*)を可能にしようと主張する。

1.について念のためもう1度説明する。今年10億円借金し、来年10億円増税して返すことと、今年10億円増税することとどう違うのか?どちらも民間資金が涸渇して不況を起こすことは同じである。氏は国有財産の売却や借金を非難して大増税を主張するが、それらは全て同じものである。
2.については、
「「「歳出の無駄」の研究」批判(23)」
を参照していただきたい。
3.についても、
「「「歳出の無駄」の研究」批判(23)」
を参照していただきたい。
7.についても、
「「「歳出の無駄」の研究」批判(23)」・および
「「「歳出の無駄」の研究」批判(58)」
を参照していただきたい。
8.については、
「「「歳出の無駄」の研究」批判(48)」・
「「「歳出の無駄」の研究」批判(49)」・
「「「歳出の無駄」の研究」批判(50)」
を参照していただきたい。
4.については、
「「「歳出の無駄」の研究」批判(26)」
を参照していただきたい。
6.については、
「「「歳出の無駄」の研究」批判(44)」・
「「「歳出の無駄」の研究」批判(45)」・
「「「歳出の無駄」の研究」批判(46)」・
「「「歳出の無駄」の研究」批判(47)」
などを参照していただきたい。

以上を、日本の財政・経済立て直しの闘いの武器として活用されることを読者の皆様にお願いする。なお、日本経済全体の建て直し・方向性に付いては、当HPの姉妹編「安岡明夫TP」の過去記事:

「勝負の時は今だ! (日本経済への提言)」
「景気対策とは何か?」
「物価を下げるにはこういう方法もある!」
「米国経済衰亡の戸端口に当たりこれからどうする」
「世界経済不況に日本はどう対処すべきか」

などを参考にしていただきたい。

○最後に訴えたいことがある。
「犬の仇討ち」といわれる元厚生省幹部に対する凶悪な事件が発生した。事件後、財政から無駄を削除していく運動にも、複雑な変化が生じている。

1.言い掛かりは許さないぞという空気が一般社会に広く広がっている。
2.死人に口なしで、これまでの厚生労働省のいい加減さの責任が事件の犠牲者に転嫁されることで、他の者が延命していく可能性が生じている。
3.政治家・官僚に対する身辺警護のための長期にわたる莫大な予算が必要となり、財政に対し大きな重石になる可能性が強まっている。

当面重要なことは1.で、行政に対する不純な要求・言い掛かりが排除されることでまともな・真にこれまで愛国的立場で運動してきた人たちの差別化が実現し優位性が確保される大きな可能性・チャンスが広がっていると共に、一歩間違えれば、ますます道徳的・常識と良識に基づく運動から逸脱する時、あっという間に多くの国民の支持を失うという点に注目する用心深さも求められている。

人命は何物にも代え難いものであり、いかなる理由があろうとこのような犯罪は絶対に許されるものではない。読者の皆様はどうか、こうした社会の荒廃を食い止めるべく、社会世論の向上・発展にご協力をお願いしたい。無駄の削除の運動と世論へのご協力と共に訴える。

(*)ゲリマンダー:
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)。
「ゲリマンダー(Gerrymander)とは、選挙において特定の政党や候補者に有利なように、選挙区を区割りすることをいい、本来的には、その選挙区割りが地理的レイアウトとして異様な場合をさしていう。
この用語の起源は1812年、アメリカ合衆国マサチューセッツ州の当時の知事エルブリッジ・ゲリーが、自分の所属する政党に有利なように選挙区を区割りした結果、幾つかの選挙区の形が奇妙なものとなり、その内のひとつがサラマンダーの形をしていた事にちなんだゲリーとサラマンダーを合わせた造語である」。

○井堀提言「ふるさと納税」
1.これは既に2008年から実施されている。
「二〇〇八年より、住民税の一部を、自分の居住している地方自治体以外の自治体にも納付できるようになった」(p.217)。

1.では何を提言されているのか?それは、「ふるさと納税」と私には強い関係があると思えないが、「納税者が地方公共サービスにより関心を持つようになる」(p.218)点で、以下の氏の提言は「ふるさと納税」と関係があり、だから「ふるさと納税」の項目に一括して入れられた主な理由と考えられる。

そこで氏の提言だが、地方に行く「交付税」を、直接「当該地方自治体に交付するのではなくて」、一旦「その地方の住民に」交付する。そして同じ金額を地方自治体は「住民から住民税の形で」集める。「国から地方自治体への補助金がいったん住民の懐を経由して行われる形に改革すれば、住民は自分達の行財政サービスのために国からどの程度の金額が交付されているかをより実感できる」。「これは、地方自治体の無駄遣いをモニタリングする有力な誘因となる」と(p.218)。

皆さんはどうお考えになるだろうか?こんなまどろっこしいことをやれば更に無駄なコストがかかる。こうでもしなければ無駄の排除が出来ないほど、国民は馬鹿なのだろうか?また、無駄の削除をするためにはこういう議論にわざわざ巻き込まれて無駄な時間を費やさねばならないのだろうか?

無駄の排除・モニタリングは別の形の情報公開で完全に可能である。

○井堀提言「納税者の投票」
ここで氏の提言されていることは、民主主義を「ぶっ壊して」、一部金持ちの独裁体制を立てることに他ならない。この本の内容中でも最も馬鹿げたことの1つである。これに付いては既に以下で論じた。

「「「歳出の無駄」の研究」批判(23)」

こういう歴史を200年ほど昔に引き戻すようなことが可能なはずもなく、日本では自衛隊によるクーデターも可能ではないだろう。今後の日本が栄えていく為には、世界中から優れた人材と金を集めなくてはならない。自由と民主主義こそが最も重要で、独裁体制は一番嫌われることだ。だから仮に何らかの独裁体制が試みられたとしても、日本の成熟した経済をうまく運営していくことは出来ないから、経済運営に失敗しすぐに倒れる。倒れた後は2度と立ち直ることが出来ないような国民の怒りが待っているだろう。独裁とは、農業経済から工業立国・輸出立国する過程で必要になることもあるが、それ以上の歴史的意味がある訳ではない。歴史の一時期においては、国民の粒をそろえる必要はあるが、先進国としてトップを維持するためには国民の自由な独創性を抑えず生かしていくことが基本となる。

なぜ、「形式的な民主主義」(真の民主主義)を”大資産家による独裁体制”で「補完」(p.219)することが無駄の削除になるのか?また、そういう実現不可能なことをやらない限りは無駄をなくせないという主張が実は何を意味しているか?

「「「歳出の無駄」の研究」批判(48)」で述べたとおり、結局この本がもたらすものは、益々の無駄と借金と増税である。

○井堀提言「政策官庁とNPO」
ここで氏の述べているのは、前項の提言と同じ趣旨である。ただ、前項では「たとえば、納税額の三分の一について」(p.219)所得税を払っていない人の意見を排除できる仕組みをつくるとしたのに対し、ここでは「たとえば」(p.220)全額において 所得税を払っていない人の意見を排除できる仕組みをつくるという。

そのやり方は次のとおりだ。
「いまNPO(非営利団体)への寄付控除に税制上の優遇措置を与えて、たとえば一〇〇%税額控除を認めるとしよう」(p.219-220)。

これにより、所得税を払う人は、好き勝手なNPOを設立し、税金を払う代わりに自分の作った団体にどんどん金を隠すことが可能になる。すると役所は金が足りなくなるから、税金を集める為には福祉を切り捨て、軍事費とか、金持ちにバラ撒きをやるとかの政策のみを行うようになる。また、所得税を下げ、消費税を上げる。そのような政策を行う限りにおいて金持ちは税金を払うというわけだ。

現在の民主主義体制下においてさえ、政治が片寄っている為、これに近いことが起きている。まして、氏の言われるような「NPO寄付に一〇〇%の税額控除」となるとこれは恐ろしいことがおきるだろう。

ところで日本の有権者数は約8千万人だが、所得税を払っている人は納税申告者777万人+源泉徴収される人が711万人である(合計1488万人。全有権者の約19%;「国税庁レポート2008」p.48;
http://www.nta.go.jp/kohyo/katsudou/report/2008.pdf
/数字は2006−07年のもの/ご注意:確定申告者だけで2千万人以上いるなどと言われるのは、還付申告者を2重計算したもの)。

つまり、日本の税制は現在でも相当に所得税・法人税から消費税などにシフトしている訳だ。また、政府の失政(日本の低金利による米国でのバブルの発生・崩壊による世界不況など)により、所得税を払うことさえ出来ない人が激増しているのである。

○井堀提言「無駄とコスト意識」
増税を行なうことで初めて無駄の削除などが真剣になるという。
「・・無駄な歳出を削減すべきである。増税を身近に感じて初めて、歳出には負担が伴うことが真剣に理解できる。消費税などの増税とセットで歳出の見直しを行なうべきだろう」(p.221)。

事実はどうだろうか?無駄の削除に常に国民は真剣だった。その為に遂に、政府は”単なる増税”から”歳入・歳出一体改革”。さらに”無駄を省いてから増税する”と言わざるを得なくなったのである。更に”増税なしの無駄の削除”へ追い込む戦いは今からである。

以上で、この本の内容の検討は全て終わった。次回はまとめを行なって終わりとする。

井堀利宏氏「「歳出の無駄」の研究」批判(57)081127 [ 「「歳出の無駄」の研究」批判 ]
○井堀提言「民営化」(p.216-217):
ここには重大なことが書かれている。

p.185では「民営化で財政収支は改善しない」と書かれていたのである。ところが、
p.217では「無駄な歳出の多くは、民営化することで解決できる」とされる。

無駄がなくなれば財政収支は改善されるのではないだろうか?具体的には、効率的な運営になれば、そこから沢山税収が上がる。また、出資金を出すことにすれば沢山配当金が入る。これまで赤字で持ち出しだったものが、金の卵に変る。

例えば、東京都の「新銀行東京」を見てみよう。これを民営化し、今後一切東京都は金を出さないことにすれば、当然あっという間に潰れるだろう(この場合民営化とは、何処かに売ることではなく、単に金を出すことをやめ自分たちで勝手にやっていけということだ)。これにより東京都の財政は大きく改善されるのではないだろうか?
「公共の福祉という大義名分で、損失の穴埋めに税金が底なしで投入されている公的プロジェクトの場合は、民営化することで、それ以上の税金投入に歯止めをかけることもできる」(p.216)と氏も言われるとおりである。

にもかかわらず「民営化で財政収支は改善しない」。この矛盾をどう考えるか?

つまり、現在の歳出に「無駄」は全然ないと考えているということだ。こう考えることで上の矛盾は解決する。「無駄な歳出の多くは、民営化することで解決できる」。しかし、そもそも無駄は存在しない。だから「民営化で財政収支は改善しない」。これが氏の本音である。だからあれこれ言葉を費やしてはいるが、何処かで本音が出るわけだ。

つまり、この付録部分は「第7章 無駄を削減する方法」−第2節「無駄をなくす具体的な提案」と銘うってはいるが、無駄をなくすことは考えておらず、全てトリックである訳だ。だから「「まず無駄をなくせ」は正しいか?」(本の帯)なのである。これまで述べてきたとおり、氏の考えていることは無駄をなくすどころか無駄を更に増やすことである。

○井堀提言「多年度にわたる縛り」(続)
「多年度にわたる予算編成の枠をあらかじめ設定する財政ルールも有益である。・・このような財政ルールは、一九九〇年代後半の橋本内閣の財政構造改革でも導入された。・・量的なキャップを設定することで、既得権」などを「多少なりとも削減する目的があった。
たとえば、社会保障に関して、五年、一〇年という中長期的な期間、歳出を押さえることがあらかじめ決まっているとすれば、(それと全く無関係の)公共事業によって利益を受ける人も、公共事業を抑制することにある程度は納得できる。「ほかの人も譲ったのだから、自分もある程度譲る」ことに、それなりに納得する。・・
この財政構造改革法は、成立直後の一九九七年秋に生じた金融不安やマクロ経済の低迷を背景に、実際には実行されることなく執行停止となった。失敗例の代表として多くの国民に記憶されている。しかし・・副作用も確かにあるが、本当に無駄な歳出を抜本的に削減するのであれば、このようなアプローチをもう一度実行する覚悟が求められる」(p.215-216)。

ここには沢山問題点があるが、最後の文に注目しよう。この文だけでも沢山問題があるが、初めに、
”本当に無駄な歳出を抜本的に削減するのであれば、「多年度にわたる縛り」が必要・不可欠だ”
と述べている点である。

これが真実であれば、「多年度にわたる縛り」は最重要な項目の1つであるはずだ。だが既に「「歳出の無駄」の研究」批判(52)で述べたとおり、

「予算制度改革」---「効く」(効果か?)
「多年度にわたる縛り」---「有益」

なのである。何故こうした表現になるのだろうか?

また、橋本内閣は土木費の無駄を削除するためまず福祉を削ったとも読み取れるが、実はそうでない。日本はかつて欧米から円高攻撃を掛けられ、その結果「輸出立国」が困難となり、「資本輸出立国」+「商品輸出立国」に切り替えた。つまり、円高によって国内賃金が(商品輸出国の通貨に対し)非常に高くなりすぎた結果、外国で生産を行なうようになった。つまり国内生産を減らしたのだ。

つまり、国内の道路・ダム・港湾などが余ってきたのである。それらはそれまで主として、国内工場向けの水需要をまかなうとか、輸出のための港であったからだ。

一方、高齢化などで社会保障の必要は増大した。

つまり、公共事業を切り、福祉などに回すことは当たり前のことであった。ところが橋本内閣は、まず必要な福祉をバッサバッサと切り、不景気で税収が減ったため困難となっていた公共事業(道路・ダム・港湾など)の財源を確保し、相変わらず莫大な公共事業の継続を図ったのである(多少減らして格好をつける)。このことが国民の強い不安をあおり、上向きかけていた景気が一気に崩壊してしまったのである。

無駄を削るためにはまず必要なものを削る必要があると言ってしまっては、「無駄をなくす具体的な提言」と言えるだろうか?

「副作用も確かにあるが、本当に無駄な歳出を抜本的に削減するのであれば、このようなアプローチをもう一度実行する覚悟が求められる」
つまり、国民は当時の橋本内閣の引き起こした不況を覚えているから、あれは勘弁してくれという気持ちが強いのである。だからこの文章は、”無駄をなくせと言っているが、無駄をなくすとはこういうことなんだぞ”と脅しているようにも読めるのである。これは「無駄をなくす具体的な提言」なのだろうか?それとも巧妙・卑劣な無駄の死守を狙った攻撃なのだろうか?

真に無駄をなくす積りなら、「覚悟が求められる」といった受動形の文ではなく、主体的・主導的にまず著者自身がそうした覚悟をすべきだろう。何故このような他人事の言い方なのだろうか?又何故「本当に無駄な歳出を抜本的に削減するのであれば」と仮定形の言い方なのだろうか?

氏は「無駄をなくす具体的な提言」を提言されている形を用いているではないか。そうであればそのような仮定形は出てこないはずではないのか!

井堀利宏氏「「歳出の無駄」の研究」批判(55)081125 [ 「「歳出の無駄」の研究」批判 ]
○井堀提言「予算制度改革」+「多年度にわたる縛り」
前者の1つの例が後者と考えられるため、ここではまとめて論ずる。

1.提言の骨子は次のとおりである。
すべて、予算総額を小さく押さえることを目的としている。
1*「当初予算で一度決められた歳出額を、後で容易に変更できない仕組み」を作る。
具体的には「補正予算」を原則としてやめる(p.214)。
2*同時に、「単年度予算の原則も無駄を生む」とする。
無駄を途中で分かっても使い切る為とする(p.214)。
そこで、途中で無駄を気付き節約した人にボーナスを出すなどのインセンティブをつける。
氏のお考えは、「単年度予算」は続けるが、その「原則」(途中で無駄を分かっても続けるという)は止めるという意味に読み取れる。
3*あらかじめ予算削減目標の「多年度にわたる縛り」をかける(p.215)。

1.何故これらが無駄の削減につながるのか全く理解できない。1*は逆に、途中で無駄と分かったものを国会決議で中止できないということだろう。2*は、”途中で無駄を分かっても続けるという”架空の「単年度予算の原則」が存在すると強弁することで無駄の合理化を図ると共に、国会決議などにより途中で無駄を削除することを妨害しているのだ。逆に、無駄かどうか官僚が勝手に判断することに成れば、途中で予算の無駄をどんどん増やすことも許されることになり、予算に穴が開いても「単年度予算主義の原則との戦いに勝っただけだ」などと合理化されてしまう。
3*も、防衛予算のように、逆に多年度による”拡張”の縛りを掛けることで単年度ごとの削減が非常に困難になることがありうるのだ。

つまり、これらは「制度いじり」であり、「制度いじり」によって無駄の削除をなすことは普通ありえない。自民党は何か問題があると、「制度が悪かった為だ」と問題をそらし、責任者を免罪すると共に物凄い時間を掛けて国民の関心が冷えるまで制度の検討をいじくり回す。結果問題は益々悪くなることを繰り返している。

まず無駄を真になくすのだと言う心構えがなくては幾ら制度・組織をいじくり回しても更に結果は悪くなるだけなのだ。つまり、回りくどいことをやっても、無駄を増やす方法を更に進化させて無駄を回りくどく増やす手法の開発が進むだけなのだ。

つまり、「単年度予算」だから無駄が増えるのでなく、「補正予算」をやるから無駄が出るのでもなく、「多年度にわたる縛り」がないから無駄が出るのでもない。無駄を出そうとするから無駄が出るのであり、それらは全て口実に過ぎないのだ。

また、”途中で無駄を気付き節約した人にボーナスを出す”のでなく、後で調べてより少ない予算で出来ることがわかったら罰金を取るべきである。

3*についても、あらかじめ各項目ごとの予算削減目標の「多年度にわたる縛り」は、
「ほかの人も譲ったのだから自分もある程度譲る」(p.215)との気持ちを引き出しやすくするという。
が、こういう考え方は全然駄目だ。これまでこういう考え方だったから駄目だったのだ。これでは、真に無駄なものを削減するにはまず必要なものを削る必要があることになる。妥協ではなく、徹底した議論を通じ、何が真に無駄かを焙り出す必要がある。こういう考え方では全くの無駄も根絶には至らないだろう。又この考え方は他人任せの考え方であり、「ほかの人も○○したのだから自分もある程度○○する」という頼りない考え方である。自分からどんどん節約していかねば到底無駄をなくすことは出来ないだろう。

同じく、「量的なキャップ」(p.215)=”天井制限”があることでやむなく節約というのも甘い(この項・続く)。

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