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野党こそ改憲派である!190822
1.さて現在我が国の最大の問題は北朝鮮核問題である。これについては緊急に次の3つの記事を書いているため、ぜひご覧になっていただきたい:
「広島市長「平和宣言」・原水協「世界大会広島決議」は全くナンセンスだ!190808」
「北朝鮮核問題とイラン190810」
北朝鮮核問題とイラン「2」190814
1.さて本題に入る。今回書くことは、「安倍=改憲派、野党=護憲派」ということは全くの間違いであり、「安倍=護憲派、野党=改憲派」ということが正しいということである。
たとえば、安倍氏は憲法9条に自衛隊の存在を明記することを提唱されているのであるが、すでに自衛隊が違憲であるという主張は最高裁において否定されている。
つまり最高裁では、自衛隊が合憲か違憲かの判断は司法ではなく、国会が判断すべきものとしたのである。
そして自衛隊の存在を決めたのは国会であった。つまり自衛隊は既に合憲である。
合憲なものを書き入れても何も変わらない。つまり安倍氏は改憲を行うわけではないのである。
1.また2015年には平和安全法案の審議・可決が行われた。
その際、国会においてはこれまで、集団的自衛権の権利自体はあるが、その行使は違憲と解釈していた。
この点についても最高裁では、何を違憲とし合憲とするかは国会が決めるべきだと既に判決を行っている。
2015年の国会審議において、安倍政権では国会に対し、限定的な集団自衛権の行使は合憲であるように解釈を変えるように提案した。そして平安法の可決によって国会はそのように解釈を変えることを決定したのである。
この場合も、政府は憲法解釈を変更するように国会に提案は行ったが、政府自体が憲法解釈の変更の決定を行ったのではない。従って憲法解釈の変更が国会によって議決されるまでは、限定的な集団自衛権の「行使」は一切行っていない。
つまりあくまでも政府としては、最高裁による憲法解釈に従い、最高裁が国会に解釈をゆだねた部分については国会の憲法解釈に従い、一切独断をさしはさんでいない。
あくまでも最高裁・国会によって解釈された憲法に従っているのである。
つまり憲法をどこまでも守っている。護持しているのである。
1.一方で野党や朝日新聞はどうであろうか?
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し」
こう憲法に書かれている。
だが野党や朝日新聞は憲法を踏みにじり、破り、事実上の解釈改憲を行っている。つまりクーデターを行っているのである。
そのことを端的に示すものこそ、平安法審議において民主党議員が自民党委員長の首を暴力的にへし折った事件である。
これは完全なクーデターであり、国会が法律を決めるのではなく、一部勢力が朝日新聞と合体して独裁政治を行うことを目指したものである。
そしてこの独裁とテロに対し、左翼・リベラルのメデアは誰一人として批判も非難も行ったものがなく、同調したのである。
また野党が一方的に言いがかりをつけて、ある法案を廃案に追い込むと決める。
すると左翼・リベラルのすべての新聞・TVは何が何でも言いがかりをつける。揚げ足を取る。
そうしてめちゃくちゃな手段で廃案に追い込もうとし、それがかなわず遂に法案が成立すると、
「野党が無茶苦茶な反対をやった、ゆえにこれは強行採決だ」と書く。
昔は「与党が無茶苦茶な暴力的なやり方をやったから強行採決だ」という批判が行われた。
実際に国会内に暴力団などが導入されて野党議員に殴りかかったのである。
そうやって議決に追い込んでいくことは確かにだれが考えても「強行採決」であろう。
しかし今では、「野党議員が無茶苦茶をやって与党議員に暴力を加える。だから強行採決だ」と言われるのである。
これは全くクーデターを行っているのであり、民主主義そのものの否定である。完全な解釈改憲と言わざるを得ない。
「主権が国民に存することを宣言し」と憲法前文に書かれていることを全否定するものである。
1.また前文に「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と書かれていることを野党・朝日新聞は否定し、解釈改憲を行っている。
テロや不法な核開発が起きた時は、火事が起きた時は一斉にすぐに消し止めることが最もリスクが少ないのである。
しかし火事を止めるため駆け付ける人には「リスク」があるであろう。あるメデアは次のようなことさえ言っている:
「火事とテロは違う。テロの場合は止めようとすると相手に反撃されるリスクがある」と。
だからこそそのような悪質なものはすぐに止めないと大変なことになるのではないか。
結局、そのようにリスク、リスクというのは、自分のことだけ、自国のことだけ考えているからではないのか。これこそ解釈改憲ではないか。
1.そのようにしてテロと戦ってはならないなどと言っているため、テロに甘い国と思われて狙われることになるのである。
北朝鮮の核開発と戦ってはならない、全て話し合いで解決しましょうなどと言っているから我が国は未曽有の危機になっているのである。
左翼・リベラルこそが戦争の危機、核攻撃を呼び込み、核戦争の誘発を行っているのである。
そのような人々に政権を持つ資格は全くない。
まさに「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」という憲法前文の完全否定・解釈改憲である。
1.次に重大なことは、憲法の定める国民の義務を一切否定し、解釈改憲を行っていることである。
例えば、憲法は次のような条文を持っている:
「第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」。
「第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」。
「第二十一条2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」。
「第二十六条2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」。
「第二十七条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」。
「第三十条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ」。
これらが憲法が国民に課した義務であることは明らかである。
ところが朝日新聞などによると、そうではないと解釈改憲される。
つまり彼らによると、憲法とは国民を縛るものではなく、権力者だけを縛るものである。
したがって税金は払わなくていいと。
実際共産党系の団体があり、税務署が法律に基づいて企業に調査を行うことに激しく抗議し、あたかも抵抗することが素晴らしいことであるように称賛されて赤旗に書かれているのである。
また共産党は借金は返さなくていいとも書いている
(ギリシャ・アルゼンチンなど)。
1.実際問題、朝日新聞などでは、激しい言葉狩りが行われ、「セクハラ」「パワハラ」「靖国神社問題」「部落差別問題」などが取り上げられており、朝日新聞の見解に少しでも逆らうことが思想的・信条的に許されないことだ、朝日新聞の見解に従わないことは民主主義の否定であるとまで書かれている。
しかし上で引用した「第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」という国民に課された義務に照らしてどうであろうか?
例えば特殊部落に生まれた人間は人間性が劣っており、絶対に自分の娘には結婚させられないと考えている人がいた場合、それは思想及び良心の自由であり、決して侵してはならないのである。真の民主主義者はそう考えなくてはならぬ。
ここでも解釈改憲がまかり通っている。
1.また、上で述べた憲法は権力者だけを縛るのであり、国民を縛るものではないという主張は、次の憲法条文に照らしてどうであろうか?
「第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」。
つまりまさに権力者(選挙でえらばれた国民の代表者)だけを差別するまさに解釈改憲そのものである。
権力者だけが名誉棄損を受けても告訴を行ってはならないなどという主張も解釈改憲である。
1.「第九十八条2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」。
民主党政権は普天間基地を辺野古に移設することを米国との間で取り決めた。
これを誠実に遵守しなければならぬ。
これは国民に課された義務である。
ところが立民党では、枝野氏は大臣としてこの協定に署名をされたのである。ところが今になって辺野古移設に選挙で勝つことだけを目的として反対されている。これも解釈改憲であろう。
また沖縄県の行っている手段を択ばぬ反対運動、テロを含む反対運動も、誠実なものではなく、解釈改憲と言える。
安倍氏は平安法の提案に当たり、決して国会で可決されるまでは限定的集団自衛権の行使を行われなかった。
平安法が可決されるまでは、誠実に従来どおりの国会による集団自衛権の行使は違憲だという国会による解釈を墨守されたのである。
したがって沖縄県は、辺野古移設に反対されても良い。反対の意見を発表しても良い。
しかし国際法は誠実に守るべきである。辺野古への移設を政府が行うことには協力すべきだ。妨害は許されぬ。
国際法規を誠実に守ることは沖縄県にも課された義務なのである。
1.「第七十三条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
七 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること」。
さてここでも解釈改憲が行われている。
まず朝日新聞の社説を見てみよう:
「皇室の慶弔事を理由にした恩赦には、もはや何の合理性も説得力もない。・・
(しかし私たちは)恩赦の全てを否定しているわけではないということだ。罪を犯した人の更生を図る観点からは、相応の意味がないわけではない。
例えば、無期懲役刑が確定した人は、仮釈放になっても保護観察下に終生おかれ続ける。大きな制約だが、本人の反省状況などを踏まえ、恩赦によって終わらせることができる」
(「即位と恩赦 前時代の遺物と決別を」2019年5月13日)。
ここで書かれていることは、恩赦制度の本質を完全に捻じ曲げたものである。
つまり、社会の発達によってそれまでは自分の親を殺すことは他人を殺すこと以上に罪が重いと考えられていたのを、法律上は同じ罪であると改正される。
あるいは姦通が道徳上、或いは民事上の罪ではあるが、刑事法上での罪ではなくなる。
そのように社会の通念が変化した時、すでに確定した罪人の罪が相変わらず重いままなことは不公平であるなどを恩赦制度によって是正できる。
あるいは本当に強く反省している罪人が無期刑から完全に解放される。
こういうことにのみ恩赦制度の意味があり、それ以外にはこの制度を使うべきでないと朝日は主張しているのである。
1.しかし恩赦制度の真の意味はそこであろうか?憲法をよく読んで頂きたい。
「大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること」。
ここで第一番目に登場する大赦とは何であろうか?また2番目の特赦とは何か?
朝日の言っていることは、3番目以降の「減刑、刑の執行の免除及び復権」に関することでしかない。
1.「大赦」とは、ある特定の人につき、特定の犯罪について、初めから検察による起訴ができないようにすることである。この大赦が政府によって決定された段階で、既に警察による捜査が始まっていれば捜査は終了となり、仮に逮捕されていたら裁判なしに釈放される。
また「特赦」とは、裁判によって既に有罪にされた人を、有罪の効力を消滅させることである。つまりこれによって完全な無罪になる。
1.こういうことがなぜ必要なのであろうか?
つまり特定の人に、或いは集団に、「殺しのライセンス」を与えるためなのである。
つまり政府の決定によって特定の集団に殺しのライセンスを与え、大赦などを与えることによって、通常であれば犯罪であることのやり放題が出来るようにするためである。
1.つまり簡単に言えば、社会の非常な混乱が発生した時、この非常事態を乗り切るための手段を憲法は政府に与えているのである。
ここに恩赦制度の本質がある。
1.こういうものを必要と考えるのかどうか。必要でないと毎日新聞社説のように主張するならば(毎日社説2019年5月4日では、事実上一切の恩赦の否定が朝日と違い行なわれている)、明文改憲の主張となろう。
一方で朝日のように恩赦制度自体の存在は認めつつ、しかしその発動目的を歪曲するならばそれは解釈改憲であり、政府から非常事態における社会維持のための有効にして最大の手段を奪うものであろう。
「広島市長「平和宣言」・原水協「世界大会広島決議」は全くナンセンスだ!190808」
「北朝鮮核問題とイラン190810」
北朝鮮核問題とイラン「2」190814
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今回参院選結果についての感想190722
1.この記事においては、今回参院選結果についてのごく一部に関する感想のみを書く。
1.私はこの選挙によってかなりの情勢の変化が生まれたと考える。
それは第1に、改憲勢力が2/3を失ったことである。
第2に、これまで2/3を持っているにもかかわらず改憲の発議をすることが出来なかったこと。
第3は、米国大統領選挙が近づき、米国の日本に対する貿易での圧力が強まるとみられることである。
1.そういう中において、私は今後、改憲勢力が改憲を急ぐことは我が国にとってマイナスだと判断する。
確かに2/3を失ったとはいえ、数人をリクルートすれば2/3を回復できるのであり、自民党幹部が野党議員とひざを突き合わせて説得すれば十分に寝返らせることは可能である。
また、特に国民民主党の場合、本心では改憲に賛成の人も多く、このままでは立民党に入れてもらうことも出来ず、また野党共闘を行ってもじり貧になることも明らかである。
したがって自民党入りを望む人も増えるであろう。
そもそも立民党自体が枝野代表にしても改憲論者であり、単に与党と対決姿勢を取った方が選挙で有利になるという計算から激しい対決ポーズをとっているに過ぎないものである。
1.以上のように、やろうと思えば参院で2/3を回復させることは十分に可能であり、或いは簡単なことだとさえいえるであろう。
また近いうちに解散総選挙を行い、ここでも与党の力を見せつけるならば、護憲勢力に未来はないことは誰の目にも明らかになり、続々と寝返ってくることも考えられる
(共産・社民の敗北、立民党に若者の支持なし)。
1.しかし私はこのような現在の状況下での改憲をいそぐやり方に反対である。
理由の第1は、そもそも改憲によって、自衛隊を加憲したところで、自衛隊はすでに存在するのであるから、また既に合憲であると最高裁で認められているのであるから、その意味では何も変わらないのである。
ただし、様々な意味で変化は出る。
自衛隊がまま子扱いでなくなり、憲法上に位置付けられることで自衛隊員の名誉が回復される。
また今後の改憲に慣れてもらい予行演習になる。
また既に最高裁判決で、自衛権の行使は許されており、また「戦力」とは自衛のため必要かつ十分な実力であって、それを超えないものではないものと定義されている。
したがって世界において中国・北朝鮮などの軍拡が進むならば、それに対抗できる軍事力を持つことは憲法9条が禁じる「戦力」ではないことになり、自動的に我が国の軍拡を進めてよいことになり、何れは核兵器を持つことも米国と全面的な集団自衛権を結ぶことも現憲法で許されていることになる。
このようにいくらでも軍拡を行って良いことを現憲法は認めているのであるが、論理上はそうであっても、イメージ上は9条がいかにも平和主義的なものに見えることが加憲によって、正確な意味に理解されやすいものになる。
このように自衛隊加憲は様々な影響は出る。
したがって私は憲法改正自体は支持はする。
しかし現在の状況において不可欠とまで言えるものではない。すでに自衛隊はあるし、大半の国民はその存在を支持し感謝している。
また日本国民は、本当に全面的な憲法改正が必要であればそれを支持するし、今後現憲法の範囲内で核兵器を持ったり、米国と全面的な集団自衛権を結ぶことも、必要なことであれば完全に支持するのである。
日本国民は賢い。
1.一方で、今改憲を急ぐことでのデメリットの方が大きいと私は考える。
それは何故か?
たとえば現在米国政府は、貿易問題で日本の農産物を自由化せよと圧力をかけるであろう。
そうすればいいではないか。
農産物も自動車も完全自由化すればいいのだ。
日米は2国だけで完全自由貿易圏を構築すべきである。このことと既にあるTPPは何ら矛盾しない。
そうすることこそ我が国が今後大きく繁栄できるまさに最強の成長戦略なのである。
1.ではなぜそう出来ないのか?安倍さんが憲法改正をやろうとしているからである。このために大都市部だけでなく農村部でも大きな支持が必要なのである。
そういうやり方をやっていると、日本経済を立て直すことは出来なくなるであろう。すると次第に支持が減り、憲法改正自体も出来なくなるかもしれない。
しかし正しい政治家とは次のように考えるものではないだろうか?
まず、いま国民を救うため、北朝鮮問題と貿易問題を最優先で取り組む。
貿易では我が国の農業は切り捨て、米国と完全な2国だけの自由貿易圏を作るため全力を上げる。
これに成功するならば、我が国の未来は盤石なものとなる。
そうなれば、そこに至るまでにはあるいは自民党は大きく選挙で勝てるかもしれないし或いは減るかもしれないが、何れにしてもあっという間に今までよりも大きな勢力を獲得することが出来るだろう。
そうなれば自然に改憲も成功するのである。
1.つまり今、自民党は、内部の面従腹背勢力とか、石破氏支持の勢力、つまり農村部を基盤とした勢力を思い切って切り捨て、これらの既得権益勢力と断固戦う党に変わらなければならないのである。
こういう小泉氏的手法が成功するかどうかは私は政治の素人のため分からないが、短期的勝ち負けは別として、これこそが我が国に必要とされる方向性であり、したがってあっという間にこの道によって新たな自民党は圧倒的な勢力を獲得されることは間違いない。
1.そもそも安倍氏は2012年に政権に復帰される前、異次元の金融緩和を訴えられた。
このとき麻生氏の異次元の財政政策路線=日本強靭化と手を組まれた。
こうして実は政策的に相性の悪い組み合わせとなったのである。
私は麻生氏は人間的に立派な方だとは思うが、このようなバラマキ路線からは手を切ってもらいたいと考える。
短期的勝利ではなく、正しい政策を行えば必ず国民は支持してくれるようになるのだと信じ、バラマキ派を切ることに努めるべきである。
しかし元々安倍氏にはバラマキ的な志向は含まれていたのではないかと考える。つまり安倍氏はあまりにも国民に対する思いやりがあり、すぐに結果を出せる手段がバラマキだと考えるのであろう。つまり国民の要望に何でもかんでも応えるならば結局バラマキになってしまい、あとには国の莫大な借金が残されるのである。
1.今我が国に必要な経済政策とは、農業を切り捨て、地方の選挙区を思い切って合区にして減らしていき、米国との完全自由貿易圏を築くことである。
そして異次元の金融緩和をジャンジャン強化することである。
また財政バラマキ政策をやめ、規制緩和し、小さな政府を目指すことである。
これらのことは当初は摩擦を生じるが、政策の実行によって国民生活を豊かにできたという実績を作ることによって逆に国民の支持を獲得できる。
そして最終的な改憲を成功させられる。
しかし最初から改憲を目指すならば、既得権益勢力と大きく妥協していかなければならず、石破派や農村基盤勢力、バラマキ勢力、農村部と断固戦っていくことは出来ない。
したがって我が国経済はじり貧となり、改憲自体も出来なくなるかもしれないのである。
1.また北朝鮮問題も喫緊の課題である。
つまりこの問題はあくまでも北朝鮮を経済・軍事・政治的にすべての面で徹底的に締め上げることによって、核兵器の完全な検証可能な即時の破棄を実現できるものである。
この締め付けを緩めることが北に自分たちの脅迫が効果あったと思わしめ、逆に核兵器攻撃を誘発することになる。
彼らに自信を持たせてはならない。そうなるならば、核で脅迫することは効果があるのだと信じさせるであろう。
すると彼らは、どんどん核兵器開発を強化するべきだと思うであろう。
その時彼らは、それのみが安全な道であり、西側は臆病者の集まりだ。絶対に先制攻撃されることはない。また核戦争が起きても自分たちの方が勝てると思い込む。
強いて思いこまない限りはこのような核開発をさらに続けていくことは出来ないからである。
つまりこちらが甘い態度をとればとるほど彼らが暴発することを誘発することになるのである。
逆にこちらが徹底的に強い態度をとることにより、彼らは勝ち目がないと思い、全面的に降伏するのである。
勿論、締め付けの途上において彼らが順調に降伏する大きな可能性と共に、わずかの勝算に基づいて反逆する可能性も多少はある。しかし締め付けをジャンジャン強めていくということは、軍事的にもいかようにも対抗する包囲網を築いていくということであるから、相手が出てきたらその時こそ一気に北朝鮮を壊滅させればいいだけだ。
米国の軍事力は強大であり、作戦さえ誤らなければまずわが方に被害が出ることはない。
これこそが最も安全な策である。
1.しかし問題はトランプ氏が常に動揺していることである。
このことに我が国は付き合う必要がある。つまり我が国は孤立してはならない。
北・韓国・中国は日米を分裂させようとしている。したがって我が国は必ず米国と歩調を合わす必要があるのである。
今米国は北と話し合い路線をとっている。したがって我が国もそうするべきである。
しかし肝心なことは、なぜ常に米国と歩調を共にするのか?それは連合のための連合ではないということである。
常にチャンスを見て、トランプ氏に正しい情報を入れ、元の締め付け路線に引き戻すため、安倍氏は共同歩調路線を取らなければならないのである。
しかもこのささやき戦術は、決して急いではならない。トランプ氏に安倍氏は右派だと思わせてはならない。いつもトランプ氏の味方であり、中道派だと思わさねばならない。そうしてこそささやき戦術は効果を生む。
安倍さんは右派だとトランプ氏が考えるならば、トランプ氏は安倍氏のアドバイスを受け付けなくなり、もっと北朝鮮・中国寄りに路線を変更させるだろう。
1.また対ロ交渉・イラン問題も喫緊の課題である。
1.従って憲法改正問題は今の情勢においてはかなり優先順位が低いのだと考えてほしいのである。
憲法改正を優先する限り、味方を増やそうと妥協に妥協を重ねることになる。その結果、我が国経済は駄目になるだろう。
更に恐ろしいことは、憲法改正をやりたいがあまり、政権側がいい加減な甘い口約束を国会で連発することである。
例えば安倍さんはTV討論会で、今後10年間くらいは消費税を上げる必要はないと私は考えると発言された。この発言は正しい。そもそも10月に予定される増税自体が必要なく、やってはならないものである。
しかし問題は、私が言いたいことは、人間とはいざとなると、目的を達成させたいがために、かなり口任せの約束事を行いやすいということである。
例えば野党の賛成を取り付けたいがあまりに、「この前平和安全法で決めた限定的な集団自衛権で十分であり、我が国は決して米国と全面的な集団自衛権は行わない。そういうことは決してあってはならないことであり、現憲法に反するばかりか、自衛隊が加憲された新たな憲法においても違憲である」と。
このような発言を行ったらどうなるであろうか?
現憲法では必要であれば全面的な集団自衛権も違憲ではないのである。周囲国が軍拡を強めるならば、そういうことをやらざるを得ないし、またやっても決して違憲な「戦力」に当たらない。
しかし安倍さんが上記のようなことを国会で発言してしまうと、最高裁は憲法解釈において政府の国会での発言を非常に重視しており、政府発言に基づいて法の解釈を行っている。したがって改憲によって我が国の安全が確保されるどころか逆になってしまう恐れがある。
改憲のための改憲は危険である。我が国の安全のための改憲でなければ大変なことになってしまうのである。
ここを野党は手ぐすね引いて待ち構えている。口約束をたくさん引き出そうとするであろう。改憲が売国野党による実質的勝利にならないことを望みたい。
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改憲派に転じた朝日・毎日(恩赦)190508
1.昨日TV朝日「報ステ」を私は見た。
すると、奇妙な「報道」がなされていた。
1.それは「報道」と言うよりは、もっぱら彼らの主張の展開であった。恩赦をやってはならないのだというのである。しかもそれは今恩赦を行う時期ではないと言っているのではなく、恩赦制度自体への否定であった。
1.まず以上の事実の確認を行っておく。
この「報道」においては、一方的に恩赦及び恩赦制度に反対する識者を登場させ、発言させていた。
公平であるべきとの定めがある放送法違反である。
したがって、一切恩赦・恩赦制度に賛同する識者を登場させず、一方的「報道」を行った以上、これが彼らの確信犯的主張であることは明らかである。
1.また、彼らの主張は、将来のいずれかの時点において恩赦制度をやめよということではなく、今すぐ無条件でやめよというものである。
そのことは、戦後のこれまでの実行された恩赦を、選挙法違反で有罪とされた政治家を恩赦する政治利用と批判したこと。安倍政府が行うのではないかと彼らが一方的に予想したことを中止させようと言う意見であったこと。
さらに将来のいずれかの時点において恩赦制度をやめよとは一言も言わず、条件を付けることなく、上で述べたとおり一方的に確信犯的に主張したことで100%明らかなことである。
法を犯すというリスクを犯しながらの「報道」である。極めて「強い」主張と考えなければならず、何らの条件も付されていない以上、無条件的・全面的・即時の要求と考えるほかない。またそう考えられても仕方がないであろう。
即ち、これは単なる報ステの意見なのではなく、全朝日グループが責任を負った主張とみなされても仕方がないのである。
また事実、今後この「報道」をTV朝日本社が謝罪を明確に表明せず、朝日新聞社がこの「報道」を何ら批判することなく容認していくことにより、これが朝日の姿勢であることは天下に明らかになっていくであろう。
1.さてところでこの報ステの「報道」で一言も言われることなく隠蔽されたことがある。それは恩赦とは、現行のわが国の憲法、すなわち日本国憲法に定めのある制度であることである。「報道」において彼らは一言も憲法と言う言葉を発していない。
「第七十三条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
(略)
二、外交関係を処理すること。
(略)
七、大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること」。
「第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
(略)
六、大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること」。
つまり現憲法は内閣に、恩赦権を与えているのである。これを廃止せよと、すなわち憲法を改正せよ、しかも安倍政権のもとで現憲法を改正せよという主張を朝日は行ったのである。
1.報ステは恩赦制度の廃止を「三権分立に反するから」と言う。
しかし欧米のほとんど(あるいは全部か)の国で恩赦制度は存在している。これを全部朝日は三権分立違反と言うのであろうか?
たとえば米国には大統領・州知事に恩赦権がある
(大統領には連邦法違反有罪者に対し、州知事には州法違反有罪者に対し)。オバマ大統領は在任中に1千人以上の犯罪者を恩赦した。その多くは麻薬中毒犯であった。
英国では国王に恩赦権がある。
フランスでは大統領にも、また議会にも恩赦権がある。
ドイツにも、基本法第60条第2項に「連邦大統領は、個々の場合に、連邦に代わって恩赦権を行使する」という規定がある。
アムネスティ国際ニュース(2013年12月18日)によると、ロシアにも恩赦制度がある。それは次のように伝えている:
「ロシア議会が恩赦法案を可決した。同法によって、プッシー・ライオットのメンバーやボロトナヤ広場事件で拘禁されている人びとが釈放される可能性がある。グリーンピースの外国人活動家「北極の30人(Arctic 30)」も、出国を許される可能性がある」。
1.ここでは恩赦制度の是非については論じないことにする(末尾の付録で論じる)。それより重大なことは、朝日としては単に安倍政権に言いがかりを行ったつもりなのであろうが、彼らが明確に安倍政権のもとでの改憲を主張したということである。
このことの政治的意味は大きい。これは実は安倍政権を励ます材料になるのである。
1.また朝日が従来から沖縄での辺野古に関する県民投票の結果を重んじないことは民主主義に反すると主張していたことも、今となっては安倍総理のもとでの改憲を主張したことになり、これまた安倍政権を励ますものである。
なぜなら、政府が普天間基地を辺野古に移転させようとしていることは、米国との国と国の約束に基づいて行っていることであり、しかも外交権は上にあげた憲法第七十三条に書かれている通り、内閣の権限に属するからである。
一地方機関に外交権は存在しない。それは一国全体の内閣と国会のみに属するのである。どこの国もそうしているのであり、そうでなければ国全体がバラバラになる。つまり国が無くなってしまうことは自明のことではないだろうか。
更に一地方機関のわがままを許すならば、一個人のわがままも許されることになるであろう。
しかし結束が無ければ国の意味は全くない。団結があって初めて一個人も一地方機関も安全と生存が保障されるのではないか。
国を失ったユダヤ人の歴史や現在のパレスチナ人の置かれた悲惨さの歴史を思うべきである。
いずれにせよ、以上のような朝日の沖縄論は、まさに安倍政権のもとでの改憲の叫びであったことを確認しなければならぬ。
また彼らに憲法を論じる資格はない。沖縄県民投票を支持し、これを認めなければ民主主義ではないと主張するという憲法違反を犯した以上は。
=付録(恩赦制度の必要性)=
私は以下の4つの理由により、恩赦制度は必要と考える。
第1に、冤罪による誤審がありうる点である。これは再審制度によってもある程度救済されるが、再審はその性格上、上級審への上訴よりも厳格さが要求され、したがって再審制度によってもなお救済されないケースが考えられる。
第2に、社会の常識が変化・発展することにより、犯罪が犯罪でなくなったり、或いはより軽い犯罪と考えられるようになるケースがある。たとえば昔は自分の親や天皇、勤めている会社の社長を殺す殺人事件は、他人を殺すよりも罪が重いと考えられた。このことは確かに道義上そう言えるが、法律論としては刑は同じにしなければならないと社会一般が考えるように進化した結果、制度が変化したのであるが、すでに親殺しで有罪判決を受けていた人にはこの変化は及ばなかった。そこで恩赦制度の活用によって、すでに刑を受けつつあった人の刑期が軽くされた実例がある。
第3に、「強い改悛の情を示したとみなされる長期の受刑者に対する救済策」として、恩赦が利用されることがある。こうした恩赦がありうることは、仮釈放制度があること以上に、或いはお互いに補い合って受刑者にとって「励み」を与えるものであるという。
以上の3つの点については、末尾リンクに上げたWIKI記事を参考にした。
第4に、極端な状況下において政治的に恩赦が必要とされることがある。
たとえば、国を守るため、今ある特定の何百人かの人間を殺害しなければ、国が侵略されてしまう。どうしても外国の手先を始末しなければ侵略が成功するというような場合が考えられる。また法的手続きを踏んでいたのでは時間的に間に合わないこともある。
このような国家が非合法な行為を必要とする場合、初めから殺しのライセンスを特定の人間に与える(「大赦」)、あるいは有罪判決を政府が取り消す(「特赦」)場合がある。
このように現行憲法は、国家非常事態に際しての対策を元々組み込んでいると考えられるのである。
また往々にして人格に優れている人は才能がなく、有能な人は人格がなっていないという場合が多い。
しかし国を運営するには両方の人材が必要であり、このバランスをとる必要上から、選挙法違反の人間を復権させる必要が生じる場合もある。
このことを有能でもなく、人格もなっていないメデアが盛んに攻撃するのであるが、しかし清く正しい人だけが国を動かした結果、貧しい国になって全員が不幸になることもあるのである。また清く正しい人は往々に独善に陥り、その結果、ロペスピエールやクロムウェル、ホメイニ師やレーニン、毛沢東などの独裁政治になることもある。
だからどちらがいいかはやはり選挙で国民が判断すべきであろう。
参考インターネット記事:
1.WIKI「恩赦」
2.国立国会図書館「恩赦制度の概要」(2018.12. 6)
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石破氏の憲法論180814
1.さて石破茂氏の「政策至上主義」(新潮新書/2018)と言う本を読んだ。
この本は石破氏の自民党総裁選挙出馬のための政策と立場をまとめた宣言と考えてよいであろう。
1.そこで石破氏の憲法論、経済政策、外交政策の順にこの本の吟味を行っていく。
またあらかじめお断りしておくが、時間不足に追い詰められて、図書館から借りたこの本の返却期日が迫っている。一旦返し、また予約を入れなければならない。
というわけで、石破氏の政策に関するこの本の吟味は連続的集中的に記事を書いていくわけにいかない。今後かなり長期の中断を行わねばならないかもしれない。
また一旦再開しても再び長い中断がありうる。
1.石破氏がこの本で書かれたところによると、
「なぜ私は国会議員である必要があるのか。
それは・・憲法改正が必要だと思っているからです」
と言う(P.38)。
そして「一時期、自民党を離党したことも、この憲法改正に関する考え方と直結しています」と言う(P.39)。
「細川連立政権の発足によって野党となった自民党の総裁は河野洋平先生でした。そして、河野総裁をはじめとする当時の執行部は、それまでの党是であった憲法改正を棚上げにしてしまいました。一方で、小沢一郎先生などの作った新生党は、集団的自衛権の行使容認を政策として掲げていました。
これで、当時の私は、新生党こそが自民党が失ってしまった改憲の精神を継ぐ新しい保守政党だと信じ込んでしまいました」(P.39)。
以上のように、自民党を離党してまでも改憲の道を貫こうとしたとされる。
1.そして安倍総理の行おうとしている9条に第3項として自衛隊を加憲する案と石破氏の主張する9条第2項削除案(戦力不保持の削除)について、
「まあ理屈では石破さんの言う通りかもしれない。でも、今は安倍さんのプランの方が世間に通りやすいってことなんだよ。理屈を言っても現実が動かないんじゃ仕方ないでしょう。もっと現実と向き合いなよ」
と言う人もいるという。
「しかし‥それは本当にリアリストなのだろうか、本当に現実と向き合っていると言えるのだろうか」
「高い理想を言ったところで世間は理解しない、と言うのは本当なのでしょうか。本当に誠心誠意・・丁寧に説明しても、国民を説得できないのでしょうか。私にはとてもそうは思えないのです」
と言う(p.57)。
そして「私たちが向き合うべき現実」「安全保障の分野において、向き合うべき現実とは何か」
、それは「北朝鮮は十五年前と比べて格段に高い軍事技術を有するようになり、すでにいつでもどこからでも何発でもミサイルを発射できるようになりました。‥これが現実です。・・
中国の軍拡も‥留まるところを知りません。これもまた向き合うべき現実です」と言う
(p.58)。
以上のように改憲こそが国会議員の使命であり、改憲は緊急な課題である、且つ早急に改憲を行うことは可能であると。
以上がこの本で述べられている主張である。まさに石破氏はこのような主張を表看板として何度も当選を重ねられたのである。
1.ところが以上を裏切るような事態が生じているのである。
「自民党の石破茂元幹事長(61)は十日、国会内で記者会見し、九月の自民党総裁選への立候補を正式表明した。改憲を巡っては、九条改憲を優先せず、参院選挙区の合区解消や緊急事態条項新設などを急ぐべきだとの考えを明らかにした。連続三選を目指す安倍晋三首相は憲法に自衛隊を明記する九条改憲を重視しており、立場の違いが鮮明になった」
(「「9条改憲優先せず」 石破氏、総裁選出馬を表明」
東京新聞2018年8月11日朝刊)。
つまり、安倍総理の自衛隊加憲案は現実をいささかも変えるものではないから急ぐ必要はないというだけなら、意味は分かるが、石破氏の場合は、一切9条改正は緊急性がないというのである。
石破氏がこれまでに言ってきたことと全く違う。
いわば、自民党離党の原因となった河野洋平総裁時代と同じことを石破氏は言っているのである。
一体石破氏は何のため国会議員を続け、本当は何のために総裁を目指すのであろうか?
参考文献:
「政策至上主義」(石破茂/新潮新書/2018) |
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安倍総理の9条加憲案を支持する180814
1.さて安倍総理が講演で、憲法9条はそのままにし、ただ第3項として「わが国は自衛隊を持てる」と言う条項を加憲する案を次期国会に提出する決意を表明された。
私はこの考えを支持するものである。
1.さてこの記事を書くに当たり、まず読者の方々にお詫びを申し上げなければならない。それは、私は以下のようにこれまで憲法を解釈し、また政府もそのように解釈していると思い込み、そのことによって憲法改正議論を混乱させてきたということである:
すなわち「憲法9条第2項で禁じられた「戦力」とは、我が国を防衛する最小限度の自衛力のことである」と。
1.すなわち、憲法9条第1項において、我が国は侵略戦争を放棄している。だが多くの国の政府は自衛戦争と称しつつ侵略戦争を行うものである。したがって9条第1項を貫く担保として「戦力」も持つことを放棄する必要がある。
したがって我が国自衛隊は、我が国を防衛するための必要最小限度のものであってはならず、それ未満の軍事力だけを持てる者でなければならないと
(不足分は安保で補うと)。
私は以上のように解釈し、且つ従来政府もそのように解釈しているとばかり、うかつにも思い込んでいた。
1.ところが私は最近、石破茂氏の「政策至上主義」(新潮新書/2018)と言う本を読んだ。
するとそこには、”憲法で禁じられた戦力=我が国を防衛する最小限度の自衛力”ではなく、”戦力=我が国を防衛するための最小限度の自衛力を超えるもの”と書かれていたのである。
且つ従来政府はそう答弁してきたと。
つまり憲法によると、自衛のための最小限度の自衛力を持つことはいいのだと。
1.これは一体どういうことなのか?石破氏の言われていることは事実なのか?
そこでさっそく私は、インターネットで「国会会議録」という恐らく国会が運営しているサイトを検索し、1960年1月1日から今日に至るまでの国会議事録から「必要最小限度の実力」と言う単語がどう使われていたかを検索した。
その結果、「必要最小限度の実力」と言う単語はこの58年間に340回使われたということであった。
またこの単語が1960年1/1以降初めて使われたのは1960年2月8日の衆議院予算委員会であり、発言者は岸信介総理大臣である。以下にその時の様子を引用する:
「○岸国務大臣 これは従来の国会においてもしばしば論議が行なわれた問題でございまして、具体的な標準を示すということは実際上は私はできないと思います。しかし、憲法の解釈として、九条の一項において自衛権が認められてるということはだれも疑いを持たないのであります。また二項において戦力を否定して、持たないという明文があることも事実であります。その問題において、この自衛権というのは、ただ観念上の自衛権があって、何ら実力の裏づけのない観念上の自衛権であるかといえば、そういうことはだれも考えないと私は思います。そこで、自衛権を裏づけるに必要な最小限度の実力は、いわゆる二項にいう戦力には入らない、こういうふうに解釈するのが適当であるというふうに思っております。
○横路委員[横路節雄氏:社会党代議士] 総理大臣、今総理大臣の御答弁を国民全般が聞いたときに理解できますか。戦力は憲法では禁止されている、しかし固有の自衛権はある、だから戦力に至らざる最小限度の自衛力を持つ必要がある、言葉では表現できない、これは一体どういうことなんですか。総理大臣、これで国民は納得できますか。もう一度、戦力に至らざる最小限度の自衛力というのは一体何なのか、その点についてお尋ねします。
○岸国務大臣 先ほど申し上げました通り、従来の憲法論議におきましても明らかになっておりますように、この戦力と自衛権の裏づけとして必要最小限度の実力というものとの限界をどういうふうに考えているかという問題については、これを数字的にあるいは具体的に明らかにすることは、何人といえども困難であると私は思います。ただ問題は、そのときの国情から見まして、われわれが自衛権を裏づけるにこの程度は必要やむを得ないものであると考える程度を越すか越さないかということで判断していくほかはないと思います」。
1.以上の通り、我が国を防衛するため必要な最小限度の自衛力は憲法によると持っていいのであると。それはいわゆる戦力ではないのだと。
これが従来からの政府の解釈であった。
これこそが平安法案審議の際、野党が従来の政府解釈を守れと叫んでいたものである。
我々は立憲主義・法的安定性を守るためにもこの解釈を堅持しなければならない。
要するに私の解釈が正しいものだったかどうかは別にして、私が従来の政府解釈と考えていたものは全くの誤解だったのである。全く申し訳ないことである。
1.するとどういうことになるのであろうか?
憲法9条第1項により、我が国は侵略戦争は出来ない。
しかしこれまでの世界の歴史を見ても、多くの国が自衛戦争と言いながら侵略戦争を行っている。これを排除しなければならない。
その担保こそが9条第2項で「戦力」を保持することを放棄したことである。
すなわち、我が国を防衛するための必要最小限度を超える実力をもってはならないと。
つまり防衛戦争を行うための必要にして十分な実力は持って良いが、それ以上を持つと侵略戦争を行う可能性もあるため、そこは禁じたと。
確かに筋は通っているし、日本語の解釈としてもつじつまが合っている。
1.要するに憲法によると、我が国を防衛するための必要にして十分な力のうちで最小限度のものを持っていいわけである。
我が国を防衛するための必要にして十分なものを持っていい。
ならば全く万々歳ではないか。我々はそもそもそれ以上のものは必要ないのである。
1.しかし我が国を防衛するための必要にして十分なものはどこまで必要かは誰がどうやって判断できるのか?
たとえば隣国が1発でも核兵器を持てば、しかもその国の最高指導者が実の兄をも暗殺するような国の場合、つまりその隣国は実際に我が国に原爆を落とすことは十分にありうるわけである。
普通核兵器とは使えない兵器であると言われている。
我が国がその隣国と対抗するため例え百発の核を持っても、それは使えない兵器であることに変わりはない。つまり自衛のための報復手段としての担保である。
しかし我が国が核兵器を使えないのに対し、隣国は核兵器を使うのである。
そうなると、隣国が1発の核を持てば、それに対抗して我が国はいくつの核を持てば抑止力として必要かつ十分になるのか?何発の核を持ては最小限度に達するのか?
おそらく、10万発の核を持っても必要最小限度に達さないに違いない。
つまり冷戦の時代においても、米ソは互いに必要な最小限度の防衛を行おうとしたため、どんどん核兵器が増えたのであろう。
今後戦争技術が発展することにより、必要最小限度の基準はどんどん跳ね上がるに違いないことも事実である。
要するに現行憲法は無限の戦争手段を持つことをすでに保証したも同じなのである。
1.岸総理の国会答弁を見ても、我が国に自衛権はある。したがって自衛のための必要十分な最小限の自衛力は持てるはずである。
従って必要かつ十分な自衛力はいくら持ってもそれは最小限のものでありゆえに憲法の言う「戦力」には当たらないはずである。
且つ必要最小限度を決めることは極めて難しいことであると。
こういうことが岸元総理の国会答弁であり、野党が死守しようとした従来の憲法解釈であった。
1.だったら万々歳ではないか!
私は従来、安倍総理の自衛隊保持を憲法に加憲するという方針に反対もしくは大きな疑問を持っていた。
その理由は、第1に、万一国民投票の結果、改憲案が否決されたならば、必要最小限未満の防衛力しか持てないまま憲法が固定されてしまうとの危機感があったためである。
第2に、何1つ実質的な防衛力強化のための効果が期待できないと考えたためである。
しかしこの判断は私の大きな間違いであった。このことをまず私は読者・国民の方々にお詫びし、訂正させて頂く。
安倍総理の加憲案は実は相当な我が国防衛強化に意味を持つものである。
1.安倍総理の加憲案は、万一国民投票によって否決されたとしても、我が国が必要かつ十分にして最小限度の防衛力を持てることに何らの変化ももたらさないものである。
また我々はそもそも必要だから自衛力を持つのであり、必要以上のものを持つ必要は全くないのである。
また、自民党がすでに決定されている野党時代の憲法改正案は、実は現行憲法と全く本質は同じである。ただ表現が違うだけだ。
たとえば安全保障について考えても、野党時代の憲法改正案は、「戦力不保持」の第2項を削除しようとしている。
しかしその目的は、防衛のための必要最小限度以上のものを持ちたいがためではない。
防衛のための必要最小限のものを持ちたいがため、その障害に第2項がなりやすいがためである。
つまり「戦力」=自衛隊とか、これまでの私のように「戦力」=必要最小限の自衛力と誤解している国民がまだまだ多いため、そういうことが自衛力強化の障害になっているためである。
要するに自民党の野党時代の案は、必要最小限の実力=自衛隊を明確に位置付けたいがためにすぎない。
なおここで補足しておけば、必要最小限度と言うのは憲法の要請であり、それをどのようなものととらえるかは政策の問題ではないだろうか。
たとえば「専守防衛」と言うようなことは、憲法解釈から出てくるというよりは、どう憲法を現実に適用するかの政策問題と考えるべきである。
1.また非常事態条項であるが、非常事態条項とは、その本質は、非常事態において、国民の基本的人権の一部を一時的に停止する点にある。
たとえば大規模なテロが発生した場合、例えば10万人が一気に殺害されるような事態が発生したならば、従来の手続きにおける警察の対処に任すことは到底不可能である。
つまり裁判所の判断を待つのではなく、迅速に犯人を、あるいは犯人と思しき人間を迅速に捕捉し、あるいは殺害しなければ、もっと重大な人権問題が発生することになる。しかもそのことを自衛隊が行わなければならない場合もある。
つまり非常事態条項の本質とは、平常時には自衛隊あるいは警察が、裁判所の許可を得ないで国民を逮捕・監禁あるいは殺害することは犯罪行為に当たるのであるが、こういうことにあらかじめ免罪符を与えておく、つまり殺しのライセンスを与えるということである。
あるいは通常であれば犯罪に当たる行為にあとから免罪符を与えることである。
このようにあらかじめ殺しのライセンスを与えることを「大赦」といい、あとから免罪符を与えることを「特赦」という。
そして現行憲法においても、すでに大赦・特赦の規定が存在するのである:
「第73条:内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
・・
七 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること」。
つまり現行憲法においてもすでに非常事態条項は実は存在している。しかしこの条項をそのように読んでいる人は決して多くはない。つまり多くの人が読み落としているがために活性化しておらず、冬眠状態中なのである。
自民党改憲案は、すでに現行憲法に存在するものを、より明確化し、活性化しようとするものにすぎない。
1.以上から考え、重要なことは本質は同じでも表現を明確化し、国民の間において市民権を与え活性化させることだと分かるのである。
したがって安倍総理の自衛隊を加憲するという考えは有効である。
またこの加憲案は野党時代の自民党の改憲案と矛盾するものではなく、それに向けた一歩である。
つまり憲法改正とは、すでにわれわれは必要な憲法を手にしているのだが、そのことをさらに明確化させ活性化させるための、漸進的な道であることになる。
一歩一歩表現を変え、自民党改憲案に近づけていけばいいのである。
それによって何1つ本質に違いは出ないのであるが、しかしすでにわれわれが手にしているものが明確化し、活性化していくのである。
また第1歩を踏み出し、改憲の経験を1回でも行うことが、次のさらなる表現の改正に踏み込むことを可能とするのである。
また万一これが国民投票で否決されたとしても、我々は何1つ失わないのである。
私は大いに安倍総理の改憲案=加憲案に賛成である。
是非次回国会で可決し、国民投票を実現していただきたい。
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