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190806加筆
検閲とは何か190805
1.愛知県で8月1日から開催中の芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の中の「表現の不自由展・その後」が「脅迫」などにより中止に追い込まれたと言う。
1.この問題をめぐり、いくつかのことを述べたい。
まず「脅迫」とはどういうことかの具体的な内容は、「ガソリン缶をもってお邪魔します」などの「テロ予告」や「脅迫」があったという。
1.さてここで興味深いことは、マスコミの報道が
”愛知県で8月1日から開催中の芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の中の「表現の不自由展・その後」が「テロ予告」や「脅迫」などにより中止に追い込まれた”
と述べるだけで、その具体的などういう脅迫なのかの内容が全く報道されなかったことである。
これは私が不勉強なためかもしれないが、私は現在ほとんどTVや新聞を読むことはなく、インターネットのみで情報を知っている。そして一般のニュースは東京新聞のニュース・サイト「主要ニュース一覧」で読むようにしている。
その理由は、読売新聞の一般ニュース・サイトでは、古い記事がどんどん消されていくのであるが、東京新聞のサイトでは1か月前程度まで残っているためである。
「主要ニュース一覧」と言った名前のサイトの場合、単に新たな記事が上の方から追加されていくだけならば、別に新しい記事が出ているだけで十分なのだが(古い記事が消されていっても構わないのだが)、まれに順番が入れ替えられたり、或いは古い記事が題名ごと改変されている可能性もある。
したがって最も最新の読んだ記事以下は読まなくていいのではなく、必ず毎日3日分を読む必要がある。
三日分が確実に読めるのは東京新聞のサイトしかない。
1.さてでは東京新聞のサイトではどのように報じられたか:
「愛知県で開催中の・・「あいちトリエンナーレ2019」の実行委員会は3日、元従軍慰安婦を象徴した「平和の少女像」などの展示を・・中止すると発表した。・・大村秀章・・知事が・・「テロや脅迫ともとれる抗議があり、安全な運営が危ぶまれる状況だ」と理由を述べた(後略)」
(「慰安婦少女像の展示中止 抗議受け愛知の芸術祭」
tokyo-np2019年8月4日 00時05分)。
これではどういう「テロや脅迫ともとれる抗議」があったのか全然分からない。
つまり東京新聞は、どういう「テロや脅迫ともとれる抗議」があったのか全然興味がなく、ただただ「我が国=日本=安倍の支配するくたばるべきである「死ね!日本」とは、テロや脅迫とも取れる抗議によって言論・表現の自由が弾圧される最悪の「国」であるのである。その全責任は安倍にある。アベは人間じゃない。たたっ切る。死ね!日本。殺したがる馬鹿共よ」と呼号することにしか興味がないのであると考えられるのである。
1.私が「テロや脅迫とも取れる抗議」の具体的内容を知ったのは、赤旗の昨日の記事
「「表現の不自由展」中止に/愛知・国際芸術祭 脅迫・圧力発言受け」
によってであった。これによって「ガソリン缶をもってお邪魔します」などの「テロ予告」や「脅迫」の存在を知ったのである。
1.しかしこの赤旗記事においても、この「テロ予告」や「脅迫」を糾弾するところに記事の重点があるのではなかった。つまり「テロ予告」や「脅迫」の内容の報道は実は単なる付けたりであり、ここに赤旗は全く関心を持ってはいない。
本当にこれらのことが「テロ予告」や「脅迫」であるならば大変なことである。そしてそのことを糾弾し、根絶させるため全力を上げるべきである。だが赤旗記事はそうしていないのである。
つまり残念なことに、東京新聞も赤旗も、テロを容認し、それに屈し、テロの味方をする勢力にすでに変わっているのである。
1.ではこの赤旗記事はどこに記事の重点を置いていたか?
「同企画展をめぐっては、河村たかし名古屋市長・・が・・少女像について「日本の国民の心を踏みにじるもの。即刻中止を申し入れる」と・・抗議文を大村知事に提出していました。
菅義偉官房長官も同日、今後の補助金の交付決定について「事実関係を確認・精査して適切に対応したい」と圧力といえる発言をしていました」。
「津田芸術監督は・・河村、菅両氏の発言については「・・政治家の発言が(安全上の問題を起こさせる)きっかけになったことは否定しない」とのべました」
(「「表現の不自由展」中止に/愛知・国際芸術祭 脅迫・圧力発言受け」
akahata2019年8月4日)。
つまり記事の重点は河村たかし名古屋市長や菅義偉官房長官を攻撃するところにあり、要するに「テロ予告」や「脅迫」を利用して日本政府に対する攻撃を行っているのである。
つまり赤旗にとってはテロとは、糾弾や根絶の対処ではなく、それを利用して政府攻撃が出来るというありがたい存在、利用すべき存在にすでに変わっているのである。東京新聞もまったく同じだ。
1.つまり、「ガソリン缶をもってお邪魔します」などの「テロ予告」や「脅迫」が果たして展覧会をやめる理由になるのかという根本的な疑問がある。
主催者が本当に言論・表現の自由を尊重する人たちなのであるならば、この程度のことで展示を中止することはあり得ないであろう。
警察などに要請するならば、「ガソリン缶をもってお邪魔します」などのことは十分に阻止できるはずである。
あるいは全職員を動員し、ヘルメットをかぶり、樫や鉄パイプの「民主化棒」で武装し、物々しい警戒態勢をとって断固展示を強行すべきである。
この際防弾チョッキ・防刃服・機動隊使用の盾も予算化すべきであろう。
1.つまり私が考えるところでは、今回の展示が中止になった真の理由は「テロ予告」や「脅迫」ではない。
朝日新聞の100%のデマに基づく日本軍に強制連行されたという慰安婦像の展示。しかも韓国が北朝鮮と結託し、毒ガスや核兵器を作ることで日本国民の皆殺しをたくらむ中において、しかもそのことが自衛隊機の監視でばれそうになったために、自衛隊機に対し殺人レーザー光線をロックオンするという暴挙の中において、毒ガスや核兵器製造の原因になりうる物資の輸出などを日本政府が管理を韓国に対し特別扱いをやめて普通の国と同じに扱う方針を出した中において、韓国政府が日本軍が慰安婦を強制連行するなどのことを行ったことを我が国が反省せずに居直っていることがすべての原因であると大統領が強硬に主張し、何が起きてもそのすべての責任は日本にあると「テロ予告」や「脅迫」(テロは現在すでに起きている)を述べている中において、明らかに韓国の立場に立ち、我が国全国民の皆殺しを行う側に立った宣伝・扇動を行うことは、誰が考えても憲法に保障された「言論・表現の自由」と言えないものである。
憲法第十二条が述べるように「国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」のである。
憲法第十三条が述べるように「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」のであって、今回の展示は明らかに公共の福祉に反するものである。
1.つまり今回のような展示はそもそも行ってはならなかった。日本国民の皆殺しを目的とした展示を行うことはそもそもがファシスト・テロリスト・サイコパスの所為である。
行ってはならないものは世論の大批判を浴びて結局中止に追い込まれるであろう。そうなることは我が国民主主義の勝利である。
1.しかし私が見るところでは、主催者の狙いとは、そうなる前に中止を行うことで、逆に自分たちが被害者なのだと同情を買うところにあったのではないかと思う。最初から中止を方針化した作戦だったと思われる。
つまり最初からこの展示の目的は、まともな感性の持ち主が誰か批判を行うであろう。
それを「圧力」と捻じ曲げることで逆に反日売国勢力へ同情が集まることを狙ったものだったのではないだろうか。
思いがけず「脅迫」があったことは貰い物とでも考えているのではないかとまで私は疑うのである。
本当に主催者が「ガソリン缶をもってお邪魔します」などが「テロ予告」や「脅迫」に当たると考えるならば、これは犯罪であることになり、断固警察などへ告訴を行うべきである。
刑事訴訟法の規定にある通り、公務員はその職務中において犯罪を発見した時は、当局に対し告発を行う義務がある。
そして「犯人」発見の後において裁判において当人のどういう考えであったかが明らかになるであろう。
私は状況から考えて、我が国国民の生命を救うための正当防衛権の発動であった可能性もゼロではないと考えている。
ただ今が本当にそのようなぎりぎりの正当防衛権発動の時なのかどうか。どうも理解出来にくいのではあるが、まだこれが本当に「テロ」もしくは「テロ予告」ないしは「脅迫」なのかどうかは私にはまだ100%結論を出すことができていない。
1.さて今回記事で論じたいことは次のことである。
先ほど紹介した赤旗記事とは別だが、もう1つの昨日の赤旗記事に次のように書かれているのである:
「芸術監督を務めるジャーナリストの津田大介さんは2日の記者会見で、実行委員会も行政も「表現の自由の現在的状況を問う」という展示の趣旨を認めているだけで個別の作品への賛意を示したものではないと強調。「行政が展覧会の内容について隅から隅まで口を出し、行政として認められない表現は展示できないということが仕組み化されるのであれば、憲法21条で禁止された「検閲」にあたる、という別の問題が生じる」と主張しました」。
「SNS上で、テロ予告ととれるようなものや職員個人を攻撃するような抗議が殺到していると硬い表情で語り、来場者や職員の安全が危ぶまれる状況が改善されなければ「展示の変更も含めた何らかの対処を検討中」と表明。「日本が自国の現在または過去の負の側面に言及する表現が安全に行えない社会となっていることを内外に示すことの意味を、よくお考えいただき、自制的に振る舞っていただくことを期待しております」と呼びかけました」。
「日本ペンクラブ声明
日本ペンクラブは3日、「あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」の展示は続けられるべきである」との声明を発表しました。
声明は、「表現の不自由展・その後」で展示された「平和の少女像」などに対し、河村たかし名古屋市長が展示の「即時中止」を求め、菅義偉官房長官らが同展への補助金交付差し止めを示唆したことなどは「政治的圧力そのもの」であり、憲法21条が禁じる「検閲」にもつながると指摘。人間を人間たらしめてきた「芸術の意義に無理解な言動」だと批判しています」。
「憲法21条が示す表現の自由侵害
共産党愛知県委コメント
日本共産党愛知県委員会は3日・・コメントを発表しました。
河村市長の撤去要請について「芸術作品の展示の内容に、権力者の側が不当な制限や圧力を加え、自らの意に背くものには展示を許さないという態度は、憲法21条が示した表現の自由を侵害するもの」と指摘。
展示内容について、「来場者や職員の安全が危惧されるのであれば、企画の安全性を保持するために行政はさらなる努力をし、芸術表現の自由を守るべき」だと訴えました」
(「表現の自由への脅迫/テロ予告や職員個人に攻撃も/愛知 国際芸術祭 企画展中止」
akahata2019年8月4日)。
1.上の引用では、検閲とは別の問題についても関連するため引用を行っておいた。
1.さて以下で問題にすることは次のことである。
第1は、日本ペンクラブによると、どんな悪質な展示であっても、麻薬取引のための場所を提供するための、どこに行ったら覚せい剤などが買えるかを示し、拡販するための展示であっても、或いは暴力団組長が部下に誰々を殺してこいと命令するための展示であっても、或いは名誉棄損や業務妨害罪を目的とした展示、あるいは日本国民を皆殺しにすることを目的とした展示であっても、一切行政当局など(国会・裁判所を含む)は「事前検閲」を行ってはならない。それは憲法21条に反すると。
これは本当のことなのかという問題である。やはりそうならないように行政当局などの事前検閲は必要であり、それは憲法21条に反しないのではないか。
第2は、行政などによる事前検閲が憲法21条違反であると前提にした上での津田大介さんの発言である。
故に愛知県などは事前検閲を行っていないはずであり、したがって愛知県は、日本国民を皆殺しにすることの是非に一切関知していないはずであると。
しかしこの主張も、日本国民を皆殺しにする可能性を考えるならば行政は事前検閲を行うべきであり、そうであるならば全て崩れることになる。
したがって行政機関などによる事前検閲が正しいことなのかどうかだけを以下で考えればいいことになる。
1.よく考えていただきたいのであるが、どんな悪質な展示であっても、麻薬取引のための場所を提供するための、どこに行ったら覚せい剤などが買えるかを示し、拡販するための展示であっても、或いは暴力団組長が部下に誰々を殺してこいと命令するための展示であっても、或いは名誉棄損や業務妨害罪を目的とした展示、あるいは日本国民を皆殺しにすることを目的とした展示であっても、一切行政当局など(国会・裁判所を含む)は「事前検閲」を行ってはならない。それは憲法21条に反すると。
こういうことではまともな社会は存在できるのであろうか?
めちゃくちゃな犯罪天国になることは間違いない。
また警察の事前に犯罪を検知する能力も大きく阻害されるであろう。
こういうことで大喜びするものはギャングやテロ組織だけではないだろうか。
1.また外国に対してはどうなのであろうか?
外務省や自衛隊では、外国の世論の動きなどを探らなくていいのであろうか?
それで本当に国を守れるのか?
我が国を侵略しようとする動きを事前に探らなくていいのであろうか?
こういうことはまったく当然のことではないだろうか。
外国に対し事前検閲が正しいとするならば、国内においても犯罪から国民を守るため、当局が社会全体に対し事前検閲を行うべきはまったく当然のことではないだろうか。
そして危険な動きを事前に察知し、それを事前の阻止することは誰が考えても正しいことである。
1.では憲法21条は何を言っているのであろうか?
これは戦前や戦時中にあったように、事前に出版物を当局に提出させ、許可したものだけを出版できるというシステムを駄目だと言っているのである。
現在出版物を含むすべての言論・表現物は、当局への事前の許可もしくは届け出は必要ない。
しかしどこかの当局において事前検閲を行い、国民の自由と民主主義や生命・財産を守る上で危険性がないかどうかは察知していなければいけないのである。
そしてそこに犯罪事実があるならば、断固阻止していかなければならないのである。そうでなければ誰が考えても犯罪天国になることは分かり切ったことである。
1.またこれと関連して「事後検閲」の問題がある。つまり左翼は検閲という言葉をどんどん拡大解釈し、事後検閲という言葉さえ作ったのであるが、これが憲法21条の検閲に当たらないことは言うまでもない。
1.また今回の河村市長や菅官房長官の発言はまさに言論の自由であり、検閲に関連付けて攻撃することこそまさに言論の自由に対する弾圧であると述べておく。
1.さらに次のことも述べておく。
現在我が国の主要6大新聞(東京新聞を含む)は、「政治家はジャーナリストを名誉棄損で告訴してはならない。それは民主主義に反する」と主張している。
だがこれこそが言論の自由と民主主義に反する事前検閲そのものであり、憲法21条に反するのだ。
1.新聞が政治家を名誉棄損したり、偽計業務妨害を行ったとしよう。
その場合、逆に新聞が政治家を名誉棄損罪などで告訴することはあるのだから、憲法の定める平等原則は貫ぬかれなければならない。
また政治家が警察署や検察に対し告訴状を提出することは言論の自由に属することである。
その結果裁判となり、仮に出版物が事前に裁判所の判決によって出版中止になるならば、これは事前検閲であるが、これは裁判所が行ったことであり、政治家が行ったことではない。
また裁判所が事前検閲によって出版を事前に食い止めるならば、そのことを違憲かどうか検討したはずであり、従って憲法違反ではないことになる。
1.一方で、新聞が談合を行い、事前にいかなる政治家による新聞への告訴も許さないとするならば、自ら自分たちは腐敗したフェイク・ニュースであり、やりたい放題のウソを書き散らすだけだと宣言することになる。
誰からも処罰されないというフィードバックの不存在のもとで何が起きるかは、中世の日本や欧州を見ればわかる通りである。
1.また、政治は国民の世論によって動く。世論を動かす主要な力は新聞である(TVも資本出資によって新聞に支配されている)。
ペンは剣よりも強い。
したがって新聞こそが最高の権力であり、逆らうことは難しい。
1.マルクス主義の大きな功績は、エンゲルスの「家族・私有財産・国家の起源」という本で明らかにされたことであるが、国家権力とは何かの初めての本格的な解明を行ったことである。
そこにおいて権力とは、支配階級の道具であり、かつ国民全体の利益を代表する見せかけを持ち且つ単なる見せかけともいえないものとされている
(ある程度は全国民の利益も代表する)。
またこれを構成するものは、警察・軍隊・裁判所・刑務所などの暴力機関と共に、教会などの宗教組織やマスコミなどの宣伝機関であるとされている。
これをレーニンは「国家と革命」において「国家とは警察・軍隊・裁判所・刑務所などの暴力機関である」と単純化し捻じ曲げた。しかしこのレーニンの規定は、ロシア社会の現実にはおおむね合致した解釈だったと考えられている。
しかしイタリア共産党の創立者であったアントニオ・グラムシは、「現代の君主」(青木書店/1964)の中において、ロシア社会と違い、西欧などの近代社会においては、国家権力の主要構成要素は暴力機関ではなくイデオロギー機関であり、なかんづくマスコミであると主張している。
このグラムシの主張に関しては、日本共産党の不破哲三氏が「史的唯物論研究」(新日本出版/1994)の中で論じておられ、グラムシの理論が史的唯物論から相当に外れたものであると批判されているのであるが(だから逆に私などは高く評価できる)、一方でグラムシの「ヘゲモニーの理論」や「陣地戦」理論を高く評価されており、マスコミこそが国家権力だとのエンゲルス理論を強く支持するものとなっている。
しかし今日の共産党と朝日新聞などが強く癒着した状況においては、同じ考えを続けられているかどうかは分からない。
1.余談だが、この不破氏のご本は全く研究書として優れたものである。
特に「マルクスの社会発展史論とアジア的生産様式」の章において、これまでさんざんマルクス主義内部で論争されてきた謎のマルクスの言う「アジア的生産様式」が明快に解明されており、驚かされた。
氏が純粋な学者になられたとしても抜群の才能を発揮され優れた画期的業績を上げられたことは間違いないものと思われる。
1.本題から外れたが、私の言いたいことは、ペンは剣よりも強く、したがってすべての新聞が一致して主張していることに政治家が逆らうことは不可能に近いということである。
つまり政治家が新聞に逆らって新聞を告訴するならば、新聞全体を敵に回すことになる。
すると全新聞・全TVで叩かれるため、次の選挙で当選することがまず不可能になる。
つまり出来ないわけである。
すると、あらかじめ政治家が新聞に対する名誉棄損のための告訴状を書くという言論が封殺されるのである。
これこそが言論封殺ではないだろうか。
さらに言えば、政治家が新聞を名誉棄損で告訴し、裁判まで行ったとき、裁判所が名誉棄損であるという判決を下すならば、そこで裁判所による新聞に対する事後検閲が成立したことになる。
だがこれは裁判所が行うのだから憲法違反ではないことになる。
一方で、新聞が絶対に政治家による告訴を許さないぞとするならば、裁判所による権力発動にいたる前に、既に事前検閲が成立していることになる。
ペンは剣よりも強い。裁判所でさえ権力発動が出来るならば、新聞による権力発動の罪はさらに重いはずである。
これこそが憲法21条違反ではないだろうか。
1.相互チェックが働くべきである。それによって優れた政府、優れた新聞が出来るのである。
また検閲によって萎縮が進むこともない。そうであるならば、我が国の政治家はよほど委縮してダメな政府になっているはずである。
そもそも萎縮を心配するようでは政治家やジャーナリストになる資格はない。
(またそもそも現在の状況とは、朝日新聞・毎日新聞・東京新聞・赤旗・TV朝日・TBS・NHKなどによって極端にまで一方的な安倍攻撃のデマ・フェイク状態・安倍を攻撃するためならどんなウソも許されるのだという確信犯に凝り固まった状態にある。従ってまずそういうことの是正を図らなければならない。
しかしその是正が進み、逆の側面が強くなって本当にジャーナリストの萎縮が進むとするならば、今度はそこの是正を行うべきである。
そしてその是正が行き過ぎて又やりたい放題のデタラメなフェイク状態になるならば、そこの是正をする。
つまり萎縮が存在するのに萎縮しなさすぎを心配するのも良くないし、現在のようなデタラメなわがまま放題状態の時萎縮を問題にするのもナンセンスなのである。
正しい対処とは常にその時代の現実を見ることから出てくるべきものである--190806加筆)。
=追記=
大村秀章愛知県知事は展示の事前検閲を行うべきであった。なぜなら、この展示は誰によってなされたのか?他人事ではなく、愛知県当局によってなされたのである。自分で行ったことを事前検閲はすべきであり、それが憲法に反することはない。
何故なら、そこまで憲法違反の検閲というならば、そもそも文章の練り直しとか、事前によりよい文章に改善することも全部憲法違反になり、一切文章は書けないという明確な憲法違反になるであろう。
また新聞社で、事前に記事が間違ってないか検閲することも全部憲法違反になるであろう。
したがって知事は自分で行うことであるから、展示に犯罪などが含まれていないかどうかを事前検閲すべきである。
左翼は憲法上の「検閲」の言葉を拡大解釈し、事前検閲から事後検閲へ、さらに自己検閲まで拡大させた。
そんなことをやっていると精神分裂病になってしまうぞ!
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マスコミ問題(TP)
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詳細
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NHKはスクランブル放送にすべきかどうか190801
1.NHKでは、スクランブル放送を行わない理由を次のように説明する:
「Q>なぜ、スクランブルを導入しないのか
A>〇NHKは、広く視聴者に負担していただく受信料を財源とする公共放送として、特定の利益や視聴率に左右されず、社会生活の基本となる確かな情報や、豊かな文化を育む多様な番組を、いつでも、どこでも、誰にでも分けへだてなく提供する役割を担っています。
〇緊急災害時には大幅に番組編成を変更し、正確な情報を迅速に提供するほか、教育番組や福祉番組、古典芸能番組など、視聴率だけでは計ることの出来ない番組も数多く放送しています。
〇スクランブルをかけ、受信料を支払わない方に放送番組を視聴できないようにするという方法は一見合理的に見えますが、NHKが担っている役割と矛盾するため、公共放送としては問題があると考えます。
〇また、スクランブルを導入した場合、どうしても「よく見られる」番組に偏り、内容が画一化していく懸念があり、結果として、視聴者にとって、番組視聴の選択肢が狭まって、放送法がうたう「健全な民主主義の発達」の上でも問題があると考えます」
(NHK「よくある質問集」
1.上の回答を読んで気付くことは、NHKにはそもそも公共放送を断固行うのだという気概もやる気もないということである。
たとえば、「スクランブルを導入した場合、どうしても「よく見られる」番組に偏り、内容が画一化していく懸念があり、結果として、視聴者にとって、番組視聴の選択肢が狭まって、放送法がうたう「健全な民主主義の発達」の上でも問題があると考えます」と述べている。
これは何を言っているかというと、スクランブル放送を行うと、見る気がある人だけがお金を払って見ることになる。
すると、視聴者に迎合する気持ちが生まれ、視聴率を増やそうとして、つまりもっとお金を稼ごうとして、内容を画一化させたり、フェイク・ニュースを流したり、極めてくだらない一時的な面白さを狙った番組になるというのである。
要するに自分たちはその程度のお粗末な人間であり、そもそも公共放送を担えるような人間のレベルではありませんと言っているのである。
1.がゆえに現在NHKではウソの放送が行われているのである。誰が考えても左翼的な偏った放送法違反の放送がなされている。
しかも、莫大なお金が自動的に入るという保証があれば、「公共放送」というまともなことが出来ると言っているのである。
では人間性を磨くことは不要なことなのか?
お金ではなく、人間性を磨くことこそが真実の報道を保障するのではないだろうか。
つまりNHKは既に唯物論的な左翼思想に完全に支配されているのである。
1.つまり現在のNHKとは、唯物論に冒され、左翼思想に支配され、莫大な収入によって国民と無縁な特権意識に支配され、財力と権力をほしいままにしている。
そしてお金さえあればまともになるという主張とは反対に、腐敗が進み、金銭欲・権力欲の次に名誉欲が欲しくなったのである。
では名誉はどうしたら手に入るか?真実を報道することによってではなかった。
大衆に迎合し、特に学者とか一部識者、ジャーナリストに迎合する。つまり「曲学阿世」になる。
要するに「左翼・リベラル」になることによってさらに腐敗を進めたのである。それが最新流行の新モードだったからである。
お金があればまともになるというNHKの主張は全くの間違いであり、莫大な収入を保障したらこういう腐敗にまでたどり着いたのである。
お金があれば真実の報道をやって、大衆に、一部特権層に迎合しないはずだとの主張は完全に崩れた。
1.つまり公共放送とは真実の報道の追及のはずである。
また今こそ真実の報道が求められている時代はない。というのは、左翼の朝日・赤旗・毎日・東京はウソが100%。日経=TV東京はウソが50%。読売はウソが40%。産経=フジでさえウソが30%というフェイクぶりなのである。
そういう中においてNHKが真に真実の報道を行うならば、当HPが行ってきたような報道を行うならば、これは圧倒的な多くの人々の求めるところとなり、スクランブル放送を行っても勝利できるであろう。
したがって公共放送に求められるものとはまず欲望(金銭欲・名誉欲など)に負けない人間性の陶冶と真実の追求である。これさえあるならば、どうしてスクランブル放送でやっていけないことがあるであろうか。
真に優れた放送こそが勝利する。
今多くの左翼放送は、事実はどうでもよく、最初から結論ありき。反安倍。アベは人間じゃない、たたっ切る。日本死ねと。その結論に都合のいいようにゆがめて放送を行っている。NHKも同じである。
しかし正しい姿とは、まず偏らない事実を国民の前に示し、真実を知らしめることで、偏らない多面的な情報を示すことで、国民に考えさせるべきである。
事実に基づいて国民に考えさせる。結論を押し付けるのではなく。
こうして国民の中から要求が生まれ、政治が動いていくべきではないだろうか。
今日の多くの放送はフェイクであるだけでなく、最初から国民に結論を押し付け、上から世論を操作するというまさに独裁者の手法である。これこそがファシスト・テロリスト・サイコパスの手法なのだ。
そこから自由になり、真実の放送を行うことは確実に勝利するであろう。
1.<〇緊急災害時には大幅に番組編成を変更し、正確な情報を迅速に提供するほか、教育番組や福祉番組、古典芸能番組など、視聴率だけでは計ることの出来ない番組も数多く放送しています。>
しかし民間放送でも「緊急災害時には大幅に番組編成を変更し、正確な情報を迅速に提供」している。
「教育番組や福祉番組、古典芸能番組など」は放送大学の放送でも行っている。
以上のことは、受信料というNHKのシステムでなければ絶対に公共放送が出来ないのだという主張が誤っていることを証明する。
つまり「強制的受信料→公共放送可能」という考えは結局誤った唯物思想にすぎないのである。
1.それだけでなく、強制的に受信料を取り、見ていない人からも金をとるというシステム自体が「公共放送」の理念に反するものである。
見てない人からも金をとるということは、強盗と同じである。泥棒であり、ヤクザ、暴力団と同じだ。
それがどうして公共放送の理念に合致するであろうか。
1.<放送法がうたう「健全な民主主義の発達」の上でも問題があると考えます。>
これも全く逆だ。
国民が、NHKが公共放送としての任務を果たしているかどうかを判断するのである。
NHKがウソばかり放送し、一部特権層である左翼=既得権益者の利益を代表する腐敗した存在だと考えるならば、国民はお金を払わなくなるというやり方こそが国民の意見を反映させることが出来る。
NHKの考えは、政治家が選挙という洗礼を受けなくていい。裁判官が国民審査を受けなくていい。企業は国営にされて競争を行う必要はなくていいという極端思想なのではないか。
「NHKは、広く視聴者に負担していただく受信料を財源とする公共放送として、特定の利益や視聴率に左右されず、社会生活の基本となる確かな情報や、豊かな文化を育む多様な番組を、いつでも、どこでも、誰にでも分けへだてなく提供する役割を担っています」。
「スクランブルを導入した場合、どうしても「よく見られる」番組に偏り、内容が画一化していく懸念があり、結果として、視聴者にとって、番組視聴の選択肢が狭まって、放送法がうたう「健全な民主主義の発達」の上でも問題があると考えます」。
これらの主張からはそういうことが読み取れるのである。
つまりNHKの主張とは次のような左翼=独裁思想と考えられるのである:
「政治とは、特定の利益や支持率に左右されず、社会生活の基本となる確かな情報や、豊かな文化を育む多様な資源を、いつでも、どこでも、誰にでも分けへだてなく提供する役割を担っています。
したがって選挙は行ってはなりません」。
「自由競争を導入した場合、商品はどうしても「よく見られる」商品に偏り、内容が画一化していく懸念があり、結果として、消費者にとって、商品供給の選択肢が狭まって、憲法がうたう「健全な民主主義の発達」の上でも問題があると考えます。したがって配給制度を維持すべきです」。
1.私は現在の腐敗したNHKが、スクランブル放送にしただけで立ち直れるとは到底考えられない。
したがって人員の総入れ替えも必要であろう。
その上でスクランブルを導入し、真実の報道をあくまでも追及するのだという気概を持った人たちによるNHKに改革してほしいと思う。
断固NHKを国民から守ろう!
国民を搾って搾って搾りつくすのだ!
NHKを国民から守る党万才!
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テロをめぐる問題「2」190529
1.神奈川県川崎市で51才の男によってスクールバスを待っていた小学生を含む19人が殺傷されるという痛ましい事件=テロが起きた。
今回記事ではこの事件の原因と対策を中心に書く。
1.まず今回事件は無差別殺人テロであり、これまでに起きた秋葉原無差別殺人テロや大阪での池田小学校事件などと性質を一にするものである。
では事件の原因は何か?
=事件の原因=
1.まず最近の現象であるが、共働きの家庭が増え、その結果、育児のためにTVを子守代わりに使わざるを得なくなったということがある。
またそうではない家庭においても、どうしてもTVが面白いから親はTVを見る。すると子供も見てしまうのである。
このようにして赤ん坊時代から子供に対しTVは決定的な影響を与えてしまうのである。
1.そしてTVの内容であるが、視聴率競争もあり、またあえてTV人は「実験」と称して何か大胆なことを行い、そのようなことを行うことがあたかも素晴らしいことであり、自分の人生の意味を見出すことであるかに勘違いを行ってきたのである。
その結果、TVの内容がどんどん加速度的にくだらなくなっていった。
また騒々しいことや、空虚なお祭り騒ぎのような「面白いこと」を行うことが極めて賢いことであるかのような錯覚を作ってきた。
そうしたことがもろに子供たちに決定的な影響を与えてきたのである。
1.そうした子供たちが小学校に入学する。そして授業を受けてもまるっきり「面白く」ないわけである。このため子供たちの一部は教師とは尊敬できる人間ではなく、TVに比べて劣っていると考える。
さらには、自分がTVによってどうでもいいくだらないことをたくさん頭に詰め込まれたため、そうしたことを知らず、学校的な発想しかできない教師を、自分のようなTV的発想ができる人間に比べ、劣った人間であると勘違いしてしまう。
つまり全く無駄なくだらない「知識」をたくさん持っているがゆえに、自分が教師よりも優れているのだと勘違いする。
そこから出てくることは、教師の言うことを聞こうとしなくなるだろうし、仮に表面的におとなしくしていても「面従腹背」にすぎない。
ここから生じることは、おちこぼれや様々な失敗であろう。
1.さて、子供たちがある失敗を行った時、どういう反応を起こすか?
まともな人間であれば、反省し、やり方を直そうとするであろう。失敗しないように工夫し、そのために教師や親の声に耳を傾けようとするであろう。
しかし自分の方が親や教師よりも賢いと考えている子供の場合の反応は違ってくる。
つまり、自分のやり方が悪かったから失敗したのだと考えないのである。つまり失敗をだれか他人のせいに転嫁するのである。そうすれば自分が悪かったと反省する必要はないし、気が楽になれる。
つまり一種の麻薬のようなものが発生するわけである。
こうなるとそれ以後の人生において、彼はあるいは彼女は、失敗すればすべて人のせいにしていけばいい。極めて安易な道である。
しかも悪いのは全部他人なのだから、自分はどんどん人よりも優れていることになる。これは全く気分のいいことである。
1.しかしこのようなやり方は、現実離れを起こしているがゆえに、どこかで行き詰まる。この時、根本的な反省を行う人も出る。
普通はこのようにして人間とは、どこかで立ち直っていくものなのである。
1.ところがヘーゲルの生きた18世紀ごろから、近代社会においては全く様相が変化してきたのである。
つまりそれ以前の時代と違い、近代社会においては大量の自分の失敗を
「富者に対し社会や政府等に対する内的反抗心によって」
合理化する「賤民」が発生したのである
(ヘーゲル「法の哲学」第3部倫理第2章市民社会第244節)。
こういうことが発生した理由は、近代ジャーナリズムの発生と深いつながりがある。
近代ジャーナリズムとは、封建社会を変革し資本主義社会を生み出すため、革命家が新聞を使って政府を攻撃したところに起源がある。
この成功を見て多くの資本家は、新聞業が産業として成立することを発見した。
そして革命家の発行する新聞は、革命成功以前に、或いは革命後に、多くは弾圧によって潰された。
ところが生き残り、ますます隆盛を極めた商業新聞とは、外見上は革命家の新聞同様激しく政府を攻撃するのであるが、必ずツボを外しており、政府にとって安全なものである。且つ実は政府の広報誌のような存在であった。
そして表面上は激しく「富者・社会や政府等」を攻撃することによって大衆の留飲を下げさせ、ガス抜きを行うというものであった。
こういうものが初期資本主義社会における商業新聞だったのである。
1.明らかに「公正・中立」ではないことが分かるであろう。
つまりこうした新聞は絶対に「弱者」に対する攻撃は行わないのである。
それでは売れなくなるのである。
したがってこうしたジャーナリズムがまかり通れば、悪いのは全て何らかの強者ということになる。
つまり、労働者と経営陣が対立すれば悪いのは経営陣とされる。
男と女が対立すれば悪いのは男である。政府は必ず悪く、野党は良いことにされる。
親と子供が対立すれば悪いのは親である。
企業と消費者が対立すれば悪いのは必ず企業にされる。
最初から結論が出来ているのである。そこには真実追及の姿勢はない。
こうして新聞とはウソばっかりと言うことになるから、新聞の信頼性は低下し、いくら新聞が政府を攻撃しても政府が倒れるということは絶対になくなる。新聞が政府を攻撃すればするほど、新聞は信用を失っていくだけと言うことになる。
1.このように近代社会はこれまでの社会と異質なものがある。
そして新聞によって弱者の一部は、「自分の失敗は自分が悪かったからではなく、富者・社会や政府等が悪いからなのだ」というイデオロギーを知ってしまったのである。
私はこのようなイデオロギーも100%間違っているとは思わないが、そもそもが新聞の扇動するこのようなイデオロギーとは、新聞を売るための儲け主義の手段であり、初めから弱者=善・強者=悪と結論づけられている虚偽イデオロギーなのだ。
民主主義社会においては、国民に事実を多角的に報道することによって国民を賢くさせ、公正・中立な立場から考える材料を提供していくのであるならば、新聞の信用度も増大し、しかも社会や政治をより良く改革する速度も速くなるであろう。
しかし初めから政府を攻撃しなければならないのだとの思い込みにより、めちゃくちゃに攻撃するだけでは絶対に社会を良くしていくことは出来ない。デマによって社会をより良く変えることは出来ない。真実の報道、当HPが行っているような報道こそが社会をより良いものに変えることが出来る。
しかし公正・中立な報道とは弱者にも厳しく、当HPは弱者をおだてることによって気分をよくするものでは絶対にない。
1.さて、近代社会とは、以上のような弱者を不当におだてる商業ジャーナリズムの発生によって大きなゆがみを持ったものになったのである。
最も早く商業ジャーナリズムが発生した国は英国である。続いて欧州であった。
がゆえに英国は怠け者の国になり、現在国がつぶれかけているのである。
私が
「欧州を相手にする必要はもう無い!160321」
「学歴重視論への疑問161028」
などで書いたとおり、欧州は全体として滅亡に向かっている。それは商業ジャーナリズムに甘やかされ、怠けものが多くなったためである。
1.さて以上のような近代社会特有のゆがみ現象の1つが、自分の失敗や落ちこぼれを自分のやり方の改善によって解決しようと考えるのではなく、「富者・社会や政府等」のせいにすることで自分は何も悪くないのだと気分をスカッとさせることであたかも問題が解決したかに錯覚する習性を持った「賤民」が大量に登場したということである。
このような賤民は、当然加速度的に人生を長くやればやるほど下流に落ちていくだろう。
したがって彼らの怒りのやり場はもはや大量無差別殺人テロ以外なくなるわけである。
=対策=
1.以上のようなことを防ぐための装置の1つこそが放送法第四条であったはずである。
もう1度これを読んでみよう:
「第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」。
したがってこの規定は厳格に実行されるべきである。
また新聞・雑誌等でデマによって人々の名誉が傷つけられた場合名誉棄損罪違反として取り締まられる。
ところが新聞が政府をデマ攻撃した場合は、法に基づいて総理や諸大臣が新聞を名誉棄損罪で訴えることに関し、我が国の6大新聞のいずれにおいても、それは民主主義に反することで許されないのだという勝手なことが主張されているのである。
これでは新聞はデマで政府を攻撃することは全くの勝手気ままでいいということになろう。
また憲法の定める言論の自由とは、全ての国民に社会の福祉のため保障されているものであり、新聞社だけを特別扱いするものではない。それこそ憲法違反の平等原則に反することである。
ここにも新聞社の儲け主義に基づく腐敗が存在する。
したがって政府はこの際おりを見て、新聞による名誉棄損を現状のまま許すことは立憲主義に反するから今度は法の定めるとおりに実行することを宣言し、これに反対する新聞社があるならば、それでいいかどうかを国民に聞くため断固国会解散・総選挙を行うべきであろう。
またTVの内容があまりにもくだらなさすぎ、贅沢三昧に旨いものを食うことと、食い過ぎで不健康になったらジムに通えと言った番組などがあまりにも多すぎるのである。
そこで識者を集めて番組改善のため規制力を持って改革を行うべきである。
欧米では日本のようにセックス番組・暴力番組が野放しにされてはいない。すべて規制され、罰金が課され、違反すれば免許が取り上げられている。
そしてすべての番組を教育に資し、道徳水準を高めるものに変えるべきである。TVが面白くあらねばならない理由は全くない。実際スエーデンなどはそうしているではないか。
また我が国の健康番組とは、いかにうまいものを食い、酒を飲みタバコを吸い、砂糖の取り過ぎをやっても健康になれるかを宣伝する内容になっている。
しかしそういうことでは絶対に国民の健康を改善し、医療費削減に寄与するものとはならない。
重要なことは、一切の酒やタバコのCMを禁じ、砂糖の取り過ぎを真正面から危険であると訴える番組を作ることである。
現にスエーデンなどはそうしているのである。
1.無差別殺人テロをなくすためさらに重要なことはたくさんある。
〇警官の数を増やす。またボランテアの準警察官を作る。
例えば退官した警察官にボランテアで安い賃金を払い、見回り隊などになってもらう。
また退職した老人や専業主婦、或いは退社後の会社員など、ボランテアで安い賃金で準警察官になってもらう。
現在警察署では、事件の数があまりにも多いため、些細な事件では全く取り締まることは出来なくなっている。
しかし大きな事件を起こす人とは、些細な近隣とのトラブルをこれまでに起こしているものである。
準警察官を増やすことにより、こうした微罪も取り締まることが出来、地域に潜んでいる危険人物の把握が可能になる。
〇刑罰を重くする。1人殺したら確実に死刑にする。また死刑になったらすぐに実行する。
また、放火罪、強盗罪、詐欺罪、強姦罪、汚職罪などは例外なく死刑にする。
一方で軽罪はむしろ刑を軽くしたり執行猶予を付けて、刑務所を空にするように努める。
つまり微罪は初めから刑務所に入れず、重罪は全部死刑にすることによって刑務所を空にしていく。
犯罪者に只飯を食わせてはならないからである。
〇いったん犯罪を行った人。そのうちの再犯危険性があり、しかも重大犯罪を行う可能性があるもの。そういう人々に例外なくGPSを取り付け監視し、且つ、当局の一方的判断によって随時拘束可能となるように法令を整備すること。
またこれらの人々の監視や拘束に要した費用は本人に負担させること。
1.ほかにもいろいろ対策は必要であろうが、今はこれらのことは絶対に必要と考える。
さて、以上のように言うと、必ず反対する人が登場する。それは何故なのであろうか?
たとえば、秋葉原無差別殺傷事件の際も、こういう事件が起きるのは、安倍が悪いのであり、非正規の労働者が増えたことが原因である。だから非正規の労働者を正規に変えるとか、賃金の引上げこそが重要なのだという「識者」が登場した。
まさに上でも書いたが、「富者・社会や政府等」が悪いのだと煽っているのである。
しかし本当にそうなのだろうか?非正規労働者は虐げられているのだろうか?
アフリカでは子供たちは何キロも離れた場所から毎日水くみを行うことが仕事だという。
中国では公害で汚れた空気を吸わされてそれこそ非人間的にこき使われている。炭坑ではジャンジャン事故が起きて殺されている。
EUでは何千万人もの特に若者の失業者が絶えない。
そういう中で現代の日本の非正規労働者は江戸時代に比べればはるかに楽な仕事をして将軍様より贅沢な食生活を味わい、明治・大正はおろか、高度成長期の団塊世代に比べてさえはるかに高収入で楽な仕事を行っているのである。
非正規の労働者を正規に変えるとか、賃金の引上げとかも出来ることならすでに全部やっているのである。経営者も限界まで頑張っている。
また最近スリランカで同時多発テロがISISによって行われたが、これらは高学歴で上流階級の若者によって行われた。したがって賃上げによってテロが減るというものでもない。
1.またそもそも、非正規労働者が事件を起こしたから非正規を正規に変えたり、賃金を引き上げる。
タクシーを自由化したら事故が多発したから不自由化を行ってタクシー・ドライバーに特権を与えていく。
つまり犯罪者に対し、犯罪故に報酬を与えていく。
こういうやり方に根本的な疑問があるのは、そういうことをやれば逆に事件が増えるのではないかと言う点である。
「どうだ、これでもまだ俺に報酬を与えないのか、だったらもっともっと事件を起こしてやろうじゃないか」。こういうものに屈してはテロは増えるだけだ。
1.と言うことは、逆に次のような発想も必要ではないかと思われるのである。
つまり、ある階層が事件を起こした際には、その階層に報酬を与えるのではなく逆を行うのである。
つまり今回の事件を起こした犯人が仮に非正規労働者だったとしたら、逆に非正規労働者の賃金を下げるのである。
すると非正規労働者の怒りが事件を起こした犯人の方に向かうであろう。
現状では非正規労働者の一部は、事件を起こした人に拍手を送っている人もいるかもしれないのである。これでは事件はなくならない。
しかしこういう事件が起きるたびに賃金が下がるならば、彼らは事件を起こす犯人を迷惑に思うようになるであろう。
すると事件が起きないように気を付けるようになるであろうし、仮に仲間に事件を起こしそうな人がいたとするならば、説得するとか警察に密告するとかを行うのではないだろうか?
したがって私は、こういう事件が起きるのは、安倍が悪いのであり、非正規の労働者が増えたことが原因である。だから非正規の労働者を正規に変えるとか、賃金の引上げこそが重要なのだという「識者」に反対であり、少なくとも現状維持を、むしろ逆を行うように提言する。
仮にこの事件によって非正規労働者の賃金が上がるならば、それこそ犯人は英雄扱いになるであろう。
1.さて最後に重要なことを書く。
上でも書いたが、私が以上のような提案を行うと、必ず反対する人が出る。その根本的な理由が何かということである。
実は1970年ごろ、朝日新聞社は「朝日ジャーナル」と言う週刊雑誌によって大量殺人テロを扇動したのである。
つまり「世界同時永久暴力革命」=第3次世界核熱戦争テロを煽ったのである。
つまりそのようなテロリストの主張に紙面を貸し、無批判に垂れ流したのである。
この扇動によって誕生したものが「全共闘」「三派全学連」などである。
そして「全共闘」「三派全学連」などの学生はテロリストとして大学の暴力的な破壊や警官を虐殺するとか、盗み・放火・無賃飲食・デモと称して妊婦を押し倒して流産させる、大学内で自分たちの意見に批判的な学生にテロを加えるなどを繰り返した。
朝日新聞社はその後もこのような行為に対し一切の自己批判を行っていない。
つまり朝日は相変わらず殺人テロ集団であり、その後も絶え間なくテロリストを紙面に登場させて持ち上げたり、頻繁にISISを含むテロリストを紙面に登場させて主張を無批判に垂れ流させている。
1.そして朝日の扇動でテロリストになった全共闘の学生は、卒業後どうなったのだろうか?
彼らが自己批判したなどの話は聞いたことがない。それどころか、「現在の若者は元気がない、自分達は学生時代には全共闘としてよく警官隊と激突したものだ」などの自慢話を酒の席で繰り返す人が多いという。
おそらく、積極的に全共闘になった人以外でも、消極的に心情的に全共闘を支持し、何らかの運動に参加した学生は当時の学生の半数を超えていたと私は考えている。
こういう人々はその後どうなったのであろうか?
1.彼らはその後もほとんど処罰されることはなく、大企業・大新聞・官僚や政治家になっていき、その根幹になっていったのである。
そしてその多くは現在現役の最後かまたは既に現役を引退したと思われる。
つまり、高度経済成長期の日本はこれらの「全共闘世代」の親の世代が形成した。
その後を「全共闘世代」が受け継ぎ、今日までの日本社会の形成に決定的な影響をもたらしたのである。
このことが今日の日本社会の左翼的な「良識派」を形成しており、がゆえに私が厳罰主義などを主張するとすべて反対されて潰されていく原因なのである。
1.しかしこのような「良識派」とは実は何ら良識派などではないし、実は彼らは賤民なのである。
特にその根幹である積極的に全共闘に参加してゲバ棒をふるった人々は完全なテロリストであり、殺人者なのである。
こうした犯罪者が現在も朝日新聞社などを支配しているのである。
そして彼らがあくまでもテロの根絶に反対するならば、今こそ日本社会は立ち上がってこれらのかつての朝日新聞社のテロ扇動を糾弾しなければならないし、全共闘への積極的参加者をあぶり出し、過去の経歴を徹底的に調査し、日本社会からのパージを行うべきであると考える。
彼らの行ったことは内乱罪であり殺人罪である。そしてこれには時効は存在しない。
今こそ朝日をはじめとする左翼・リベラル勢力のかつての経歴を徹底的に調査し、厳格に殺人罪・内乱罪を適用すべきである。
=付録=
〇三権分立とはバランスと統一が必要であり、あくまでも相対立する在り方が正しいのではない。またこのバランスと統一は概念からもたらされるのであって、功利性からもたらされるのではない。
「総じて否定的なものを出発点にし、そして悪を意志することとこれに対する不信とを第一のものとし、こうした前提から今度は巧妙なやり方でもろもろの堤防をひねり出し、一体性を、只互いにあい対しているだけのもろもろの堤防の一効果として把握するのは、思想から言えば否定的悟性の特徴であり、心術から言えば賤民の見方の特徴である」
(ヘーゲル「法の哲学」第3部倫理第3章国家S272)。
〇「何としばしば人々は、自然における神の知恵について語ることか。けれども物理的自然界の方が精神の世界よりもっと高いものであると信じてはならない。と言うのは精神が自然にまさっているだけ、それだけ国家は物理的生命にまさっているからである。だから我々は国家を地上における神の如く崇拝しなければならない。そして自然を概念において把握することが困難であるとすれば、国家を理解することは、なおのこと無限にきつい仕事であるということを見抜かなくてはならない」(同)。
〇「ところで公共の福祉に対し議会の方がとりわけ善い意志を持っているという先の第二の観念に関して言えば、それは既に前に[S二七二注解]述べておいたように、政府に悪意もしくはかなり善くない意志があると前提してかかる賤民の見方、総じて否定的なものの立場に属する」
(ヘーゲル「法の哲学」第3部倫理第3章国家S301)。
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テロをめぐる問題190522
1.当HPではすでにテロ問題については相当に論じ、その根本解決法も提示している。
ただしこれまであまりにも大量にこの問題については書いてきたため、更にテロとは関係ないテーマの時も付随的に書き込んできたため、私自身どこに何を書いたか思い出すことはほとんど不可能である。
一応、末尾に今思い出せる限りではリンクを付けておく。
1.さて今回記事は、テロ問題を本格的に論じようというのではなく(それはすでに終わっている)、それに付随・関連することを書く。
具体的には、今読んでいるヘーゲルの「法の哲学」の内容をいくつか紹介したいと考えている。
1.さて本日私は日経ビジネスHPで
保坂修司氏「テロリストは貧困層でなければならないのか?」190522
と言う記事を読んだ。
簡単にまとめると:
〇スリランカで今年4月21日同時多発的に発生したテロ事件は「イスラム国」(IS)の引き起こしたものだった。
〇「今回の事件でもう一つ興味深かったのは、実行犯たちの多くが裕福で高学歴であったというスリランカ側の発表に対し日本のメディアが強く反応したことであった」。
〇「筆者のところに、なぜ裕福で高学歴な若者がテロリストになるのかという問い合わせが数多くあった。この種の質問にはいいかげん辟易(へきえき)していたので・・2016年7月にバングラデシュで発生したテロ事件(日本人が7人犠牲になった)でも、実行犯たちが裕福な高学歴の若者だったことを持ち出し、なぜテロリストが貧困層出身だと考えるのか、逆に問いただすなどしてしまった」。
〇「そもそも、ISの源流の一つであるアルカイダの創設者は中東有数の大富豪の御曹司であり、現在の指導者は名家出身の医者である。また、ISの指導者も博士号を有している」。「日本の・・オウム真理教の場合でも、また・・日本赤軍などでも見られる、かなり普遍的な特徴といえよう」。
〇「テロと貧困を無批判に結びつけるのは、テロの本質を見誤る可能性がある。たしかに、貧困対策はテロを封じ込める重要な施策であろう。だが、残念ながら、それだけでは不十分なのである」。
1.つまり差別や貧困がテロを起こすのであり、差別や貧困をなくせばテロはなくなるという考え方は事実として間違っているのである。
貧困とテロは関係はある。しかしテロの真の原因はそこにはないのである。
1.ではテロの真の原因は何なのであろうか?実はこの問題を徹底的に深く追及した人物こそがK・マルクスであった。
つまりマルクスの生きた19世紀の欧州とは、マルクス主義や社会主義運動は実は少数派であり、一番盛んだったのは無政府主義運動(アナーキズム)だったのである。
特にフランスでは今日の意味での近代的な無政府主義の祖と言われるプルードンが一世を風靡し、それをロシア出身のバクーニンが引き継いだ。
しかもバクーニンの演説力・大衆扇動力は強力であり、事実上、マルクスの創立した第1次インターナショナル(当時は各国労働組合の連合体)はバクーニンに乗っ取られてしまったのである。
このことがマルクスが第1次インターナショナルの本部を米国に移動させた理由であった。
マルクスは「これからは米国の労働組合運動の盛り上がりが期待できるから」と説明したのだが、実はアナーキズムに乗っ取られることを防ぎ、第1次インターナショナルを名誉のうちに終焉させることが目的だった。アナーキストに乗っ取られる不名誉を避けるためである。
そして計画通り第1次インターナショナルは米国移動のわずか4年後、1876年7月解散したのである。アナーキストに乗っ取られないうちにと。
19世紀末に欧州でマルクス主義が大きな力を持つに至った理由は、1971年に発生したパリ・コミューン事件(ブランキ派共産主義者とプルードン派アナーキストが共同で起こした革命)をマルクスが誰よりも精力的に擁護する宣伝・啓もう活動を行ったため、あたかもパリ・コミューン事件はマルクス派共産主義者が起こした事件だったように誤解され、このためマルクス派は大弾圧をうけた。
このためマルクスは有名になったため、欧州各国で社会主義運動の多数派を握るに至ったのである。
1.ではマルクスが考えたテロが起きる真の原因は何なのであろうか?
私も若い頃、マルクスの様々な論文を読み、マルクスは次のように言っていると解釈したのである。
つまり、欧州各国政府は労働者による革命を恐れ、これを抑えるため、まだ革命の時期が熟していないにもかかわらず少数のうちに暴発させて潰していく戦術をとった。
そのための支配体制の武器として使われたものこそアナーキズムなどのテロである。
つまりテロリストとは、政府から金を貰って騒ぎを起こしている連中なのであると。
マルクスはバクーニン自体がロシア政府のスパイに違いないと疑っている。
1.私はマルクスの書いていることを以上のように解釈してきた。ところがヘーゲルの「法の哲学」を読み、見方が変わったのである。
実は、マルクスは自らヘーゲルの弟子を自認するだけあって、実に圧倒的な影響をヘーゲルから受けている。たとえばこの「法の哲学」には資本論の基本的なヒントとなる概念もすべて含まれている。
労働価値と使用価値の区別や交換できるものは使用価値ではなく労働価値だという概念もすべて備わっている。
そしてこのヘーゲルの「法の哲学」自体がテロとの戦いのため書かれたものである。
そもそもこの「法の哲学」という書物はヘーゲルの最後に書かれた本であるが、これを書いた動機こそが、その直前において発生した学生運動におけるテロによる殺人事件であった。
これは右翼的な「愛国的」学生運動だったのであるが、その殺人事件を当時のドイツのインテリや教授陣の多くが支持したのである。
ヘーゲルはテロを支持する教授陣と激しく論争し、「国家の犬」「卑しい心情の持ち主」とレッテルを張られても最後まで主張を貫いた。
この本についてはすでに過去記事:
「2019年新年のご挨拶190108」
でも紹介している。
以下で重複する部分については緑色の字で示そうと考える。
1.実はマルクスのテロに関する見方とは、ヘーゲルのテロに関する見方を継承・発展させたものだったのである。したがってマルクスの真意を知るためには、まずヘーゲルが書いているものを読み解くことが必要である。
そしてこのことを行うとき、実はマルクスのテロ原因論は、上で私が書いたような平板的なものではなく、勿論それも間違いではなく正しいのであるが、さらにそれを包み込んだきわめて立体的なテロに対する理解だったことが分かったのである。
1.マルクスが絶えず行っていたことは、労働者階級本体からは切り離れた「ルンペン・プロレタリアート」が、極左にも極右にも絶えず買収・利用されて労働者階級に対するテロや暴動・虐殺を行っていたことへの指摘である。
このことがアナーキズムの根底の1つとしてあった
(アナーキズムの階級的基盤を主にマルクスは小ブルジョア、つまり農民とか都市における小親方職人・零細企業家などに見るのであるが)。
マルクスが指摘する有名なルンペン・プロレタリアートの1つが「ナポリの乞食」である。
そして同じく「ナポリの乞食」をヘーゲルがどう論じていたかを聞いてみよう:
「社会の成員に必要な生計様式として自ずから調整される一定の生計様式の水準以下に大衆が低下すると、--そして同時に自分自身の活動と労働とによって生活を維持する権利、正義及び誇りの感情を喪失するに至るとき、--賤民が生み出され、さらにこれは同時に、少数者の手に不均衡に過大な富を集中せしめることを一層容易ならしめる」。
「貧困それ自身は何人をも賤民にはしない。賤民は貧困と結びついた心的態度によって、富者に対し社会や政府等に対する内的反抗心によって、初めて規定される。さらにこれと結びついていることは、偶然性に頼っている人間は軽佻で労働を忌むようになることである。例えばナポリの乞食のように。このようにして賤民には、自分の生計を自分の労働によって求める自尊心がなく、しかも自分の生計を求めることを自分の権利として要求するという悪が生じる。自然に対しては何人も権利を主張することは出来ないが、社会が一たび成立すると、欠乏は直ちに、いずれかの階級が被る不法の形式をとる。いかにして貧困が除去されるべきかと言う重要問題は、特に今日の社会を動かし、且つ悩ましつつある問題である」
(ヘーゲル「法の哲学」第3部倫理第2章市民社会第244節)。
1.つまり私がマルクスの文章から若い頃読み取った上記の解釈は全く単純なものであり、実はマルクスにはヘーゲルと同じような社会心理的及び経済的な分析が含まれており、その上での政治的原因を探ったものだったのである。
1.ここで重要なことは、「貧困それ自身は何人をも賤民にはしない」とヘーゲルが述べていることである。
では何が人間を賤民にするのか?
〇富者・社会や政府等に対する内的反抗心
〇「偶然性に頼っている人間は軽佻で労働を忌むようになる」
〇「自分自身の活動と労働とによって生活を維持する権利、正義及び誇りの感情を喪失するに至るとき、--賤民が生み出され」る。
「賤民には、自分の生計を自分の労働によって求める自尊心がなく、しかも自分の生計を求めることを自分の権利として要求する」。
つまり自尊心を失い労働を忌むようになる。そのような心理状態を合理化するものこそが「富者・社会や政府等に対する内的反抗心」だというのである。
1.つまり一言で言えば、今日におけるテロリストを作り出しているものは左翼・リベラルのマスコミによる宣伝なのである。
彼らが悪いのは「富者・社会や政府等」だと叫ぶ。「アベが悪いからテロリストや犯罪が発生するのだ」という。
これを聞いた人々の中の一部が、「あ、俺がテロリストや犯罪者になっても、悪いのは安倍なのだ」「俺が悪いからではない」と安心する。
こうして自尊心を失い、犯罪を行ってはいけないとのバリアがなくなるのである。
このような間違ったメデアの宣伝さえなければ、「貧困それ自身は何人をも賤民にはしない」のである。
1.またヘーゲルの本の中でどこかで政府に対する反抗心によって誇りを失うと、上層階級であっても賤民になるという言葉が出てくる。ただしそれがどこだったか探したが見つけることは出来なかった。
しかしこのことは事実である。
したがって朝日新聞グループや講談社・小学館などが絶え間なくデマを飛ばして反日活動を行い、我が国を滅ぼすための策動を行っていること。全く非寛容に自分の意見に従わない人々に対する思想弾圧・言論弾圧を展開し、ファッショ社会を目指していること。
しかも自らテロとファシズムを目指しながら、被害者面をして「多様性(を自分で破壊しながら)を壊して敵を作ろうとしている人がいる(自分のこと)」などとごまかす卑怯さを持っていること。
以上のことから彼らはまさにファシスト・テロリスト・サイコパスであり、且つ賤民なのである。
私が一番心配するのは、誇らしい97年の歴史を持つはずの日本共産党が、まさに賤民に落ちているということである。
赤旗では絶え間なくデマが飛ばされ、小池書記局長・志位委員長が先頭に立ってデマを飛ばす。
絶え間なく思想・言論弾圧を行う。
まったく恥ずかしくもなくウソを言う。これはもはや誇りやプライド・自尊心があるどころではない。極めて卑しいことである。
宮本顕治氏が指導者だった時代の赤旗に次のように書かれていたことを思い出す。
赤旗は事実を有りのままに書かなければならない。
大げさなことを書いて歪曲してはならない。
そのようなことを書けば信じる党員が出るであろう。
すると情勢を読み間違い、敗北することになる。
正しい方針でなければ勝つことは出来ない。
正しい方針は正しい情勢分析から生じる。
絶対に赤旗にウソを書いてはならないのだ。
これが唯物論の考え方であると。
1.以下は過去記事と重複する部分を緑色の字で示す:
「ヘーゲルは「法の哲学」において次のようにテロを批判している。
そもそもこの「法の哲学」という書物はヘーゲルの最後に書かれた本であるが、これを書いた動機こそが、その直前において発生した学生運動におけるテロによる殺人事件であった。
これは右翼的な「愛国的」学生運動だったのであるが、その殺人事件を当時のドイツのインテリや教授陣の多くが支持したのである。
ヘーゲルはテロを支持する教授陣と激しく論争し、「国家の犬」「卑しい心情の持ち主」とレッテルを張られても最後まで主張を貫いた。
1.このヘーゲルの本があまりにも難しすぎ、さっぱり分からないのであるが、おおよそ次のように言っているようである
(ヘーゲル「法の哲学」第2部道徳第132節・第140節)。
完全な社会とか国家というものは存在しないため、何らかの欠陥が存在する。それはあくまでも法に基づいて解決されなくてはならない。
これに対しテロリストは、「貧しい人達に親切を施すための盗み」また「憎しみと復讐のための殺人。すなわち、自分は正しいという、総じて正しさの自己感情と、相手は悪いという感情とを満足させるための殺人。相手は自分に対し、ないしは他のひとたちに対し、世間ないしは総じて人民に対して不正であるという感情を満足させるために、己のうちに悪そのものを持っているこの悪い人間を抹殺し、これでもって悪の根絶という目的に少なくとも1つの寄与がなされるとするような殺人」を行う。
こういうことは大いに称賛されるべきことなのであろうか?こういうことが「美しい行為」と呼ばれ、「美しい人間」と呼ばれる。
「けれども瞬間的な幻惑、激情的な亢奮、酩酊、一般にわれわれが強度の感官的衝動と呼ぶもの(緊急避難権‥の基礎となるようなものは別であるが)を理由として、このような事情をあたかもそれによって犯罪者の責めが除去されるものであるかに見ることは、これまた犯罪者を人間としての法と誇りとに従って取り扱わないことを意味する」。
何故なら人間の本質は理性にあるのだから。理性は全ての人が持てる。また持てない「小児、痴者、狂者においては、責任能力を軽減し、あるいは解消する結果をきたす」。
理性は全ての人が持てる。したがって理性を持つように努力することは人間の義務である。
理性は普遍的であり、切り離されたものでも個別的なものでもない。
「主観としての彼は、この瞬間というような個別的なものでもなく、或いは復讐にかっとなったというようなこの切り離された感情というようなものでもない。もし彼がこのようなものであるとしたら憤怒の発作のままになるその危険と不安との故をもって、打ち殺されざるを得ない動物のようなものであろう」。
1.つまりヘーゲルの言っていることは、たとえばテロがあるから米国としては空爆をやらざるを得ない。一方で空爆で家族を殺されたアラブの人々は米国にテロを起こさざるを得ないと。
こういう説に根本的な批判を行っているのである。
つまり家族を空爆で殺される。あるいは家族を水俣病で殺される。
故西部邁氏は次のように言われている。
もしも自分の妹が水俣病で殺されたならば、自分はチッソにロケット砲をぶっ放すと。
こういう考え方から、我が国の多くのリベラルや左翼のインテリの方々は、1970年当時全共闘や三派全学連を支持されたのである。
1.しかしそれは反理性主義であり、人間の本来の姿とは、そういう場合でもあくまでも法に基づいて行動すべきだというのである。そういうことは可能なのである。人間の本性は理性なのだから。そして理性を物質化したものがその時々の社会の到達水準である法なのだから。
つまり全共闘などはテロに訴えるのではなく、あくまでも民主主義の原則にのっとり、選挙によって社会を変えていくことが理性なのである。
1.つまりあくまでもテロに反対し、テロをやろうとする人が理性を取り戻すことでテロをやめる。それがテロ根絶の道なのである。
そしてそれが可能であることをヘーゲルは力説している。
社会を変え、貧乏な人たちを金持ちにし、差別を根絶する。そういうことに百年河清を待つ。
そういうことでは絶対にテロはなくならない。
真にテロをなくす道はテロをやろうとする人が理性を取り戻してそれをやめることである。
この根本的なところをヘーゲルは教えているのである」
(以上、過去記事より採録)。 |

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丸山穂高氏発言と言論の自由190517
1.丸山穂高衆院議員(日本維新の会を除名)が5/11、
「戦争でこの島(北方4島)を取り返すのは賛成ですか、反対ですか」。
「戦争しないとどうしようもなくないですか」
と元島民に質問した。
1.この質問が、朝日新聞・東京新聞・赤旗では憲法違反と発言とされ、国会からの追放を要求されている。
また毎日新聞社説では、1956年に締結された日ソ共同宣言(平和的手段による紛争解決が明記)に違反するとしてやはり国会からの追放が要求されている。
1.日本国憲法では、第99条において「国会議員・・その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と定められている。
また98条において「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」と定められている。
したがって国会議員が憲法に違反したり、あるいは国と国の約束に反するならば
(たとえば現在立憲民主党や共産党などが辺野古への基地移転に不誠実に反対しているように)、
その程度が大きすぎて単なる謝罪などでは帳消しにできない場合、当然ながら国会から除名されるべきことは疑いを入れない。
しかし問題は、元島民に上記のような質問をすることが果たして憲法の平和主義に反し、或いは日ソ共同宣言の平和主義に反することなのかどうかである。
1.さらにTV朝日「報ステ」におけるコメンテーターであらせられる後藤謙次氏によると、このような発言を行うことにより、せっかくの安倍総理の北方4島を取り戻そうとの交渉も台無しになってぶち壊しになるという。
したがって氏によると、憲法違反の上にさらにこのような効果も持つため、このような発言は絶対に許されないのであり、国会から追放されるべきであり、国会は辞任要求決議を行うべきであるという。
しかも氏によると分かりにくいが、辞任要求決議を行っても自動的に失職になるわけではなく、本人にやめる気が無ければやめないという。従って強制的なものではないのだと言う。
しかし氏の発言が矛盾したものであることは誰が考えても分かるであろう。
本当に氏の言われるように憲法違反であるとするならば、日本国憲法99条に国会議員の憲法順守義務が書かれている通り、国会から追放されるべきなのであり、仮に丸山議員が辞めないとするならば、朝日は何としてもどんな手段に訴えてもやめさすつもりなことは明らかである。
1.さて本当に丸山発言が憲法違反・日ソ共同宣言違反ならば国会から追放すべきは当然である。
しかし丸山発言が憲法違反・日ソ共同宣言違反でないならば、これは恐るべき言論弾圧事件ではないだろうか。
言論の自由と民主主義こそ我が国の命である。中国・北朝鮮は虎視眈々と我が国における宗教の自由や言論の自由の封殺を狙っているのである。
たとえば「安倍総理は絶対にISISと戦ってはならない」「戦うと発言しても戦えと発言してもならない」と。
このような策動は、あらかじめ我が国から自由と民主主義を封殺しておき、もはや我が国から守るべきものを、人々が命を懸けて守る価値のあるものをあらかじめ消滅させることにより、中国・北朝鮮による軍事侵略を簡単なものに準備しておこうという全くの売国的な策動なのである。
はっきり言うならば、言論の自由は北方4島全体の価値よりもはるかに高い。自由と民主主義は何物にも代えがたいものである。
我が国の左翼・リベラル勢力は、自ら人々の言論を激しく弾圧しつつ、また絶え間なく「敵」を作り出し反知性主義的・ポピュリズム的に激しく攻撃する。
絶え間なく人々の「多様性」を弾圧し全くの非寛容を貫いている。
そうでありならば絶え間なく「多様性」を要求し「寛容」を説いている。
しかし正しくは、法をこそ厳格に守り、法に反することはあくまでも厳しく反対し、しかし法に反しないならばあくまでも寛容でなければならない。この基準を明らかにしなければならない。
法に反しない逸脱行為は弾圧によってではなく、より穏やかな手段によって矯正を目指していく必要があるのである。
左翼・リベラル勢力は多様性の名目のもとに犯罪者・テロリストを自己陣営に容認しつつ、自己の意に沿わない人々に対しては一切の自由を許さず激しく弾圧を行っている。
彼らはファシスト・テロリスト・サイコパスである。
因みに今ここで丸山氏を国会から追放するならば、ロシアは我が国の足元を見、ますます4島は遠ざかるだろう。
我が国は断固として言論と民主主義を守り、ロシアからも真に尊敬される国であり続けることこそ、彼らをますます親日にならせる道なのである。
1.さて問題は丸山発言が憲法の平和主義に違反したか、日ソ共同宣言の平和主義に違反したかである。
氏が仮に「戦争でこの島(北方4島)を取り返すのは賛成です」。
「戦争しないとどうしようもないです」
と発言したならば、これは憲法などの平和主義原則に反したかどうかを検討する必要がある。
しかし氏はそうは発言しておられないのである。氏の発言は単なる質問である。
したがって氏の発言は憲法違反でも日ソ共同宣言違反でもないことは明らかである。
1.さらに、仮に氏が「戦争によって北方4島を取り戻すべきである」と発言したとしても、ただちにそのことが憲法の平和主義原則に反するとは言えないことも注意が必要である。
たとえば、仮に中国軍が大量に軍を送り込んで尖閣を占領すれば、これを自衛隊や米軍との共同によって奪還すべきことは明らかであり、まったく憲法に違反しないのである。
何故なら1959年の最高裁砂川判決により、我が国には自衛権行使による戦争行為が許されているからである。
また現在竹島を韓国が不当占拠しているが、これをいきなり戦争によって奪還することは無理がある。
しかし現在韓国は、自衛隊機にレーザー光線によってロックオンを行ったことで明らかなとおり、我が国を滅ぼすため北朝鮮と共同して核開発を行っていることは明らかである。
したがってこのような侵略行為の果てに、北朝鮮と米国が戦争となり、これに我が国自衛隊が協力することにより、完全に北朝鮮が壊滅し、さらには韓国自体が壊滅して国自体が無くなってしまうことも考えられる。
そのような場合において、我が国が万難を排して竹島の回収に赴くことは全く当然のことである。
このようなケースも広い意味では竹島の戦争による奪還と言えるであろう。
したがって不当に奪われたわが国の領土に対し、戦争で奪い返すということは決してすべてが憲法に違反するわけではない。それはケースバイケースと考えるべきである。
ただしロシアが現在北方4島を支配しているのは、きちんとした国際法にのっとって支配しているのであり、これを戦争で奪うということは当然侵略行為であり憲法違反である
しかし我が国では長期にわたり情報が歪曲され、多くの誤った情報が流されてきた。このため我が国の正当な領土を外国が不当に侵略していると勘違いしている国民も多くおり、それはやむを得ないことである。
そのような国会議員が、誤った情報に基づいた発言を行ったとしても、外国に対する侵略行為を行う意図ではなく我が国の領土の防衛を行う意図であるならば、ただちに憲法違反とは言えないと考えるべきである。
人間は勘違いはするものである。これを弾圧しては思想信条の自由を弾圧することになる。
我々は言論・思想の自由に寛容でありたいものである。
特に自分が最も憎む敵に対しこの考えを持つべきである。
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