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(つづき)
1.私はこれを読み、これは何だ?と思った。全くのカルト宗教ではないか?神のためには目的・手段を選ばず。どう考えても、これは太古、ユダヤ教の指導者が、信徒をユダヤ教に全的に従わせるために作った話と思われた。教団の命令には、どんな無理な要求にも従えと、言うことである。これがユダヤ教・キリスト教の聖典なのである。「アブラハムは模範的な信仰者としてユダヤ教徒、キリスト教徒、並びにイスラム教徒によって今日でも讃えられている」(ウイキペディア「イサクの燔祭」より)と言う。
次に出エジプト記、いわゆるモーゼの話が出る。ユダヤ人はエジプトに430年間すみ、奴隷の境遇から逃れるため、モーゼに先導されて紅海を渡った。そして、シナイ山において、モーゼは神より、「10戒」を授けられた。しかし、実は10戒以外にも多くの言葉をモーゼは授けられている。その中には「魔女は、これを生かしておいてはならない」と言った言葉もある
(「出エジプト記」22章18節)。
モーゼがシナイ山に登って神の言葉を受けていた時、ふもとではユダヤ人たちは、モーゼからそむき始めた。彼らは金(きん)を鋳(い)って牛を作り、これを神としておがみ始めた。モーゼは急いで山を降り、神の言葉を伝えた。
「イスラエルの神、主はこう言われる、『あなたがたは、おのおの腰に剣を帯び、おのおのその兄弟、その友、その隣人を殺せ』」。その日のうちに、3千人が殺された。そこでモーゼは言ったのだという。
「あなた方は、おのおのその子、その兄弟に逆らって、今日、主に身をささげた。それで主は、あなた方に祝福を与えられるであろう」
(「出エジプト記」32章1節-29節)。
こうして、ユダヤ人集団に対するモーゼの絶対独裁権は確立された。最早、モーゼの神以外の神をおがむ人間はいなかった。これが、「汝、殺すなかれ」という十戒を神から授かった直後のことである。どちらも神の命令である。そしてユダヤ教・キリスト教の歴史を見ると、「汝、殺せ」という神の命令の方が強いことが分かる。
1.更にどんどん読んでいくと、実に血生臭い。ユダヤ国家の建国のためには、元々住んでいた住民を皆殺しにする必要があった。なるほどと思った。当時の中東の厳しい情勢の中では、ユダヤ人が生き残るためには、宗教で固く団結する以外なかった。一神教とは最も独裁に都合のよい宗教である。モーゼはそのような状況の中では、やはり優れた民族指導者であった。
そしてユダヤ国家建国後、強大な敵との戦いの中で、民族の危機に陥ったことは何度もあった。そのたび、救国の英雄が現れた。それらの軍事的・政治的指導者は、「救世主=キリスト」と呼ばれた。キリストは1人ではなかった!これで福音書の謎が1つ解けた。イエスは、ローマ人の総督ピラトに引き渡された時、「あなたはユダヤ人の王であるか」との問いに、「そのとおりである」と答えている。イエスは、自分はユダヤの王=軍事・政治指導者=救世主と考えていた!
旧約に戻る。ユダヤの英雄たちは、戦争に勝利するため神への生贄を必要とした。中には自分の娘を生贄にした人物もいる。それでは、それらの生贄はどうなったのだろうか?勿論殺されるのだが、問題はその後である。旧約によると、生贄は後で人々が食べることになっていた。そこに例外規定が書かれていないのである。
旧約には、次から次へ、人間が人肉を食べる話が出てくる。ユダヤ人とは人肉を食べる文化を昔有していたのである。それらは大部分、ユダヤ教を裏切った異教徒が、自分の長男を異教の神にささげ、食べたと述べられている。では本物のユダヤ教徒はどうだったのだろうか?
旧約が異教徒を非難するときの決まり文句は、「彼らは自分の長男を、異教の神にささげ、そして食った」ということである。「異教の神にささげたからいけない」とも読める。ユダヤの神にささげるなら良いことは、アブラハムの話で明らかだ。すると、新約聖書の謎が1つ解ける。
イエスは最後の晩餐において、ブドー酒とパンを、自分の血・肉だと言って弟子に食わせた。彼は、自分の肉を弟子に食わせるという形式を必要としていた。何故か?彼のエルサレムに上京した目的は、自分を神への生贄としてささげることであった。そして旧約の掟によると、生贄は必ず食べなければならない。しかし、イエスは自分の死後、死体が厳しく監視されることが分かっていた。イエスが死から復活したという、流言が広まることをユダヤ既成教団は恐れていたからである。そこでイエスは、死後弟子が自分の肉を食べられないことを心配し、死の前日にあらかじめ自分の肉を弟子に食べさせたのである。イエスの食べさせたものは、本当にパンとブドー酒だったかは分からない。旧約聖書に忠実だったイエスは、本物の肉と血を弟子に食べさせたかもしれない
(つづく)。
参考文献:
「聖書」(1992/日本聖書協会)
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