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一.当HPでは、先に記事
「民法3百日規定は正しい070415」
を掲載した。
そこで次の様に述べた。
1.「DNA鑑定で誰の子か決めればよいではないか---との議論が有る。
DNA鑑定から考えよう。DNA鑑定はそれほど精度の高いものではない」。
2.「数年前に人間の全ゲノム(遺伝情報)が解読されたが、先進数カ国が共同してやっと解読したものだ」。
3.「よく犯罪捜査でも使われるが、別に残されたDNAの全情報を解読しているのではないはずだ。一々そんなコストはかけられない。DNAの一部の特徴的なところだけ読んで、同一人物で有る確率が高いかどうか見ているに過ぎない」。
4.「また、確率が何%と言うことも言われるが、決して当てになるものではない。日進月歩で、解読技術は進歩する。一方、遺伝の仕組みがワトソンとクリック博士がDNAの2重らせん構造を発見した1953年に予想されたような単純なものでない事が日増しに明らかに成りつつある。前者は確率を高め、後者は確率を低める。この瞬間にDNA鑑定が何%の確率が有るか分かっている人は誰もいない」。
二.ところで最近、ある週刊誌と新聞で、「DNA鑑定の当る確率は99.9・・・%だ」という内容の記事が出た。またその新聞では、「人間のDNAは全身何処も同一で、しかも一生変わらない」という内容のことも書かれている。
この様な啓蒙的記事が出ることに対し、大いなる敬意を表明致したい。内容が100%正確でなくとも、先ず多くの人々に、基本的重要性を有する内容を伝える事は重要である。
只、それでは当HPがいい加減な事を報じていると誤解されると困る為、最低限の誤解の可能性を解いて置く必要がある。
先ず、人間のDNAが一生を通じて不変ということは、確かに可能性としてはその方が大きいのだが、例えばガンになれば、DNAは変質している。ガンにならなくとも、DNAの突然変異は常に起こりうることだ。
具体的には、呼吸によって突然変異は起こる。酸素O2を体内に取り入れる事により、その一部は活性酸素になる(非常に量は少ないが)。また、地球の内部では鉄がどろどろに溶けている。この熱源は、様々な放射性元素の崩壊によって熱が生じている為だ。この為、地面からは絶えずラドン(放射性の気体)が立ち上り、人間は吸い込んでいる。人間の中に入った放射能は3種類の放射線を出し、これが水H2Oを破壊し、やはり活性酸素を作る。この活性酸素がDNAの突然変異をもたらす。
また、DNAが人体内で何処でも共通ということも、多くの場合共通だが、やはり100%の保証はない。理由は、第一に、突然変異の為。第2に、2卵性双生児が母親の胎内で、何らかの理由により合体し、一人の人間として生まれることがある(一見、普通の人間と変わらない)。これを「キメラ」という。つまり、生まれたときから、場所により、ある細胞と別の細胞が、別々のDNAを持っている。
また、「DNA鑑定の当る確率は99.9・・・%だ」ということも、飽くまでも現在の遺伝子学の到達点を基に考えればそうだということだ。遺伝子学者で、科学の発展につれ、この数字が今後とも常に変動し続ける事を否定する方は一人もおられないだろう。
三.実は、こうした数字というのは、急激に変動することがあるのだ。その実例を述べよう。
初期の遺伝子工学の立ち上げのころの話である。当時、様々な遺伝子を混ぜてつなげ、細胞に戻したら、ひょっとしたら、人間にガンを引き起こす細菌が偶然できることもありえるのではないか、と心配され、色々と議論された(当時、「ガン・ウイルス」は既に自然界に発見されていた)。
この問題を考える為、問題を多くの問題に分けて考えたのだが、その1つに、「まったくランダムに遺伝子を混ぜてつなげると、生存可能な生物はどれくらいの可能性で生まれるか?それはどれくらいの確率で外部に逃げ出すか?」ということがあった。
この確率を計算したところ、ある条件の下では、「何百億年に1回の確率」ということが分り、それなら安心だということになった。
ところが、それから10年くらいたったとき、新たな発見があった。それは、バクテリアの突然変異する確率が、条件によっては飛躍的に高まることが発見されたのである。バクテリアが突然変異しても、それらはほとんど意味の無い変異であったり、かえって不利な変異だから、すぐに淘汰される。つまり、元の方の細菌の方が強く、競争に負ける。すぐ滅びる為、変異が起きたと数字に出てこない。
ところが、環境の激変があると、普段なら競争力の弱い筈の変異菌が、新たな環境に適したものであれば、只それだけの理由で、サバイバルし、他の菌が全て滅亡する。栄養分を独り占めした変異菌は大繁殖し、こうして人間に、変異が生じた事をあらわす。
遺伝子工学で使われる細菌は、実験に適応した菌であった。これが外部に逃げ出さないよう、実験室は何重ものバリアで囲って有った。だが、菌は予想以上に逃げ出した。その理由は、実験室内で研究者に吸い込まれた菌が、人体を通り抜けるという環境の激変によって変異し、トイレを通じて海に流れ込んだ為である。
そこで、「元の条件とまったく同じ条件」+「新たに発見されたことを考慮した条件」で再度計算すると、とんでもない生物の出現する確率は、何と百年に1度くらいということが分る。しかし、その時には遺伝子学が進歩していた為、「元の条件とまったく同じ条件」を基にして計算する事自体がおかしい事も分っていたが、それにしても、偶々何らかの発見がどちらがより早くなされるかによって、場合によっては今日の遺伝子工学はSTOPがかけられていた可能性もあるのである。
だが何れにせよ、今日の遺伝子工学、遺伝子組み換えにより新たな便利な生物や食品が作られる事に私は、それが慎重に進められるならば大いに賛成である。警察の捜査において、DNA鑑定が使われる事も大いに結構な事である。「DNA鑑定の当る確率は99.9・・・%だ」ということも、数字の成否は兎も角、何れにせよ大変に高い数値である事は確かだ。
四.問題は、親子鑑定を100%、DNA鑑定で行ってよいのかということである。ここが私の言いたかったことである。
人によっては、何らかの問題が生じたら、即DNA鑑定に掛ければいいじゃないか、そうすればすぐに正確なことが分るじゃないか・・・こう思っておられるのである。3百日規定に反対される論者はそう思っておられる人が多いと思う。
だが、多くの学者は「DNA鑑定の当る確率は99.9・・・%だ」といっておられるのである。100%と言っておられないのだ。
つまり、本当に親子であっても、DNA鑑定で、疑問符が付く事もある。親子でなくともDNA鑑定で99%親子だと言う事もある。DNA鑑定が100%正しいと思うと、3百日規定はまったく不要になる。大変な混乱が生じるのだ。
ここに、非常に良く似た2つの家族があったとしよう。だが両者の子供は突然変異の為、親に似るのでなく、よく似た別の親に似てしまったとしよう。生物学的には、子供を取り替えたほうが合理的である。だが、親子とは何なのか?生物学で決まるのか?DNAで決まるのか?ということだ。
3百日規定を止め、全てをDNAで決める事にすれば(今のところ誰もそうは言っていないが、今の考え方で進めば何れそうなるだろう)、多くの家族で縁切りが起こるだろう。本当に親子でも証拠はないから多くの縁切りが起こる。また、まったく無関係な人が親子と言う事になる。DNA鑑定を親子判断の参考にする事は必要な場合もあるだろうが、DNAが万能と言う事でいいのか?親子とは何なのか?もっと総合的な見地で結論が下されるべきではないのか?
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