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日本一のHERO俳優 【宮内洋】 出演作品エピソードガイド&各種レポート

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◆第1章「ヒーローの目覚め」
 「宮内洋は子供の頃から『ヒーロー』でした」で始まる文頭は、初めての自伝と言う事での宮内洋の気負いを感じる。読者の反応を計算した訳ではないだろうが、宮内洋の運命はあたかも命名の時に決まっていたかのようなその書き出しは読み手の興味を引く。普通、このテのタレント本(と言うと本人は怒るらしいが(^^;)は写真をページの合間に挟み込む形をとるのが多いのだが1ページの上半分に一枚の写真、下半分を文章にすると言う変わった方式を取っている。ただ写真と文章の内容がズレているため「さっきこんな内容の写真あったな」とページをひっくり返すはめになるのがやや難点。
 
 ご両親の教育方針や兄弟関係などは「昭和の家族像」をほうふつさせ「宮内ヒーロー論」の基本概念がこのご家族の中で培われていたのだと思うと、やんちゃなガキ大将でも悪い事は絶対に許さない「洋少年」の姿が想像されて楽しい。だが「ケンカに明け暮れる」だけではなく、以前他のインタビューで語っていた旅役者に憧れたエピソードなどにももっと言及して欲しかった。そう言ったエピソードを重ねる事でより一層「俳優・宮内洋の原形」が浮き彫りにされたはずであるから。
 
 小中学校時代のエピソードはぽつぽつと書かれているのだが何故か高校時代の話題がなく、役者を志し丹波哲郎に師事、声質を変える努力をした、と言う程度しか触れられていない。だが役者になる事しか頭になかったのかと思うとそうではないらしい。多感な10代、様々な事にチャレンジしていたようだ。その一端を垣間見せるのが応援団長を務めた時の写真。恐らく体育祭か何かであろう。学ランに長ハチマキ、照り返し具合からサテン地で作ったかと思われるハッピ姿の宮内洋は「青春してる!」と言う感じでなかなかカッコイイ。その反面、同じ頃に撮ったらしい写真はカウボーイハットにサングラス、ウェスタンシャツと小林旭のマネをしたと言うだけあって宮内洋の未来を暗示させる格好。
 
 この高校生くらいからニューフェイス、「キイハンター」、「仮面ライダーV3」前半まで、写真で見る限り宮内洋のイメージはほとんど変わっていない。髪型のせいもあるのかも知れないが高校生の頃の「青春っぽさ」をそのまま引きずっている。その間には映画などでチンピラや汚れ役も演っているのに不思議である。女性なら10代後半から20代前半が一番変わる時期なのだが、男性は違うのだろうか。
 
 丹波哲郎との師弟関係には興味深いものがあるが、雑誌でのインタビューなどで語られている内容とあまり変わらないのが残念。学業の合間に付き人をしていた「下積み時代」のエピソードなど、もう少し突っ込んだ表現が欲しい処。
 
◆第2章「東映ニューフェイスヒーロー活動開始」
 偶然丹波邸で顔を合わせた東映のプロデューサーに話を持ち掛けられニューフェイスを受験する事になった経緯から、東映での研修期間中のエピソードや俳優のたまご達の心の葛藤などが詳しく描かれている。が、何がすごいって、ニューフェイスに合格し入社式後に社長の元へ挨拶に行く際、社長への挨拶を自分が代表で言うものだと信じていたと言うくだり。同期入社は宮内含め12名。普通は「君が代表でお礼を言いなさい」と言われない限りそんな事は考えないものだが後年の宮内洋に見られる過剰なまでの自信は、当時からすでにその片鱗を見せていたのかも知れない。
 
 余談だがこの章の中に「撮影所から大泉の駅に行く途中に居酒屋があった」と言う一文がある。東映東京撮影所から西武池袋線の大泉学園駅に続く道は 2本。目白通りと環八通りにつながる大通り、それから私が今毎日通勤に通っている裏道である。大通りはもちろん商店街であるのだが、大通りから撮影所までを斜めに突っ切る形の裏通りも住宅街の中に商店街の面影を残す道である。宮内たちニューフェイスの面々が足を向けた居酒屋がどこにあったのかは判らないが、当時に思いをはせながらの通勤は私の密かな楽しみとなっている。
 
◆第3章「京都へ」
 初のレギュラー番組「あゝ忠臣蔵」に出演が決まり京都で過ごした一年が綴られている。だがこの一年間の寮生活は宮内にとって最も辛い日々だったようだ。「東京での仕事の時、帰る新幹線の嬉しかったこと」と書いている処を見ると余程大変だったらしい。それは寮で暮らしたエピソードが全く語られていない処からも推測出来る。東京の所属でありながら京都制作の番組にニューフェイスでレギュラー出演する宮内洋。関係者の風当たりが全くなかったとは言い切れないだろう。
 
 その当時、殺陣の基本を京都の「剣友会」から学んだと言う。剣道の心得はあったにせよ現代劇希望のはずだったのが急に殺陣の稽古、それも筋力トレーニングから入ったのだからさぞかし面食らっただろう。それでも負けず嫌いな宮内洋、教官を「ぶん殴ってやる」と思いながらも必死でついて行く。この京都で過ごした一年間が、宮内洋に「俳優」としての自覚をさせたのではないだろうか。
 
◆第4章「本格アクションスターへ『キイハンター』」
 「キイハンター」に関しては当時の資料が現在では入手困難な状況と、出演者が当時の様子を語るのは近年では極めて珍しいためこの章は資料的価値が高い。現在入手可能な資料(放映リストなど)では宮内洋は第92話「今年もよろしく世界殺人協会」('70/1/3 放映)よりレギュラー扱いとなっているが、これが実は謎のひとつであった。と言うのも壇俊介の上司である小田切(中丸忠雄)が登場するのはカラー化直前の第104話「足のある幽霊部隊」('70/3/28 放映)からであり、キイハンターの上部組織が国際警察と言う設定を考えるとひと足先に壇を登場させた理由が見えなかったからだ。
 
 宮内洋の記述から推測すると、どうやら「宮内洋を投入するために国際警察と言う組織を作りレギュラー陣に絡ませて、キイハンターの正規メンバーではないもののセミレギュラーとして視聴者に認知させる」との段取りだったようである。すでに2年近く制作されている番組のマンネリ化を防ぐ意味合いと新人を売り出すための会社としての戦略だったのだろう。
 
 そのテストケースとして制作されたのが第92話。この作品で宮内洋は持ち前のバイタリティとニューフェイスとしてのフレッシュさのアピールに成功、見事レギュラーの座を射止める。そして千葉真一とコンビを組む事で演技、そして何よりアクションの影響を受けて行く。
 
 以前私は「壇俊介観察日記」の中で「蹴り上げた時に(宮内の)ひざが曲っている」と書いた事がある(第202話「サイコロGメン御用旅」より)。宮内はこの件にも触れ「空手の蹴りそのままだから伸びない」と言っている。もちろんその後のキックが斜めに蹴り上げる形に変わっているのは周知の事実だ。
 
 その「サイコロGメン御用旅」にも触れて、宮内に脚本が回って来た経緯を記述している。やはりこの作品は千葉真一用として書かれたものだったようだ。千葉のアクシデントにより宮内用に書き換えたのだと言う(推測だが、書き換えたのは出演者の名前とクライマックスの殺陣のシーンに丹波哲郎を持って来ただけではないだろうか。千葉主演だったら丹波が登場しなくても充分イケる展開であったし)。それと言うのも宮内の動き(アクション)が千葉のそれと似ているためだったのではないかと思われる。
 
 もちろん器械体操をベースとしている千葉真一のアクションと武道がベースの宮内洋とではアクションの「型」が違う。だが演技の要所要所、台詞回しや間の取り方などアクション以外でも宮内は千葉に似ている部分が多い。それだけ多大な影響を受けていたと言う事だろう。
 
 こうして宮内洋は着実にスターへの階段を登り始めた。客観的に見れば「恵まれていた」とも言える。東映の所属(つまり社員(^^;)であり、丹波哲郎の引きでの「キイハンター」レギュラー出演、宮内洋のヒーロー人生を決定付けた千葉真一との出逢い。全ては「運が良かった」のだ。運が良いのも才能だと言う。宮内洋の「ヒーロー街道まっしぐら」は運を味方に付けてここからスタートした。 (第5章〜第8章)
['99/1/30 up date]

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