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日本一のHERO俳優 【宮内洋】 出演作品エピソードガイド&各種レポート

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 役者に年齢はない。役者はたとえいくつであれ与えられた年齢の役を演じなければならないのだから。そう考えた時、私が作成している「宮内洋's 全仕事不完全リスト」に年齢の記述は必要ないように思える。だが、私にとって年齢は「宮内洋」と言う一俳優を分析する上で必要不可欠なデータであった。何故なら、俳優としてのターニングポイント(転機)を掴むための目安となるからである。
 
 だがこの年表作成の中で長い事疑問に感じていた事があった。宮内洋の生まれ年である。先頃宮内洋の自伝「ヒーロー神髄」が出版され生年月日が明らかにされたが、それまでの間宮内の生まれ年は1945年(昭和20年)と1947年(昭和22年)の二説があったのだ。そんな中、私は生まれ年を1945年と結論付けホームページを展開して来た。結果としてOZが年齢詐称疑惑を暴いた形になってしまったが、これはあくまでも偶然でありOZのせいと思われるのは心外に他ならない。
 
 そこでこのコンテンツでは私が生まれ年を結論付けた経緯を縦糸に、宮内洋が何故2歳と言う僅かな年齢(宮内洋は同年代の同性と比べ充分若作りであるしこの年齢差は必要性を感じない)をサバ読むハメになったのかを考察してみたい。
 
◆経過:生年月日を結論付けた理由
 ・・・はっきり言って何もない(爆)。単に最初の頃に調べた数種類の資料に「昭和20年生まれ」「昭和43年日大卒」と記述してあったためそれを信用しただけである。これが「昭和22年生まれ」と書いてあったらそれを信用しただろう。実に単純な理由だ。
 
 だが、その後入手した資料のほとんどが「昭和22年生まれ」と記載されていた。ここで私は悩む事になる。「どっちが正しいのだろう・・・」プロダクション発行のプロフィールが22年生まれになっているなどとは夢にも思わず、単なる記載ミスだと信じて疑わなかったが確認手段がない。そんな時、一通のメールが届いた。
 
 「宮内洋について」と題名が付けられたそのメールは僅か5行の短いものだった。
 
  昭和20年生まれ
    淀橋第3小学校
    淀橋第2中学校
    国学院付属高校
    新宿区淀橋(現 西新宿)育ち
 
 挨拶も前置きも何もないそのメールに最初は戸惑った私だったが、何も書かれていないだけに妙な説得力があった。イタズラにしては具体的すぎる。私はこのメールの信憑性を確かめるために古い同人誌のコピーを引っ張り出しそこに記載されている実家の住所から調査を始めた。
 
 現在新宿には淀橋の地名は残っていないが、私は西新宿生まれなので若干の土地カンはある。まず実家のある場所から小中学校の通学区域を割り出してみた。すると該当する小中学校はあるものの学校名が違う。新宿区は現在、児童の減少に伴い中央区と共に公立学校の統廃合が進められている地区であるため、廃校になっている可能性もあると考えた私は図書館で全国の学校名簿を入手し、宮内の母校は'97年春に統合、校名変更されていた事実を突止めた。
 
 単なるファンなのか、宮内に近しい人間なのか・・・。男性名で送られて来たそのメールは事実を伝えてくれていたのだ。この一件で私は「宮内洋は1945年(昭和20年)生まれ」と確信する事となる。
 
◆証拠物件:生年月日、年齢が記載されている資料から抜粋
 1973年 (「V3」当時)某女性誌 「27歳」「9年前、宮内洋は国学院付属高校の3年生で(略)」
  1978年 (「暴れん坊将軍」当時)某紙 「30歳」「芸歴10年」「昭和22年6月14日生まれ」
  1980年 (「Gメン'75」当時)読売新聞 「33歳。日大商学部を出た(昭和)43年(略)」
  1985年 某同人誌 「とても38歳には見えないらぶりーさである(はあと)」
  1993年 エクシードラフト超全集 「47年6月14日生まれ」
  1996年 B-CLUB 「1947年6月14日生」
  1996年 日本映画人名事典男優篇 「1945年6月14日」「68年、日本大学商学部経営学科卒業」
  1998年 キャラ通 「生年月日 昭和22年6月14日」

 現在手持ちの資料からの抜粋だが、V3当時の資料が一部正確に記載しているだけでそのほとんどが1947年生まれとなっている。ところが生年月日以外の年(大学卒業年や芸歴)が実際の年数なのでつじつまが合わない。この辺りの曖昧さが「記載ミス」と判断していた理由のひとつでもある。近年の資料では唯一「日本映画人名事典」が「1945年」と記載しているが、この事典はプロダクションからの資料のみならず各執筆者が独自で調査した記事が多いため、正確な生年月日を記載出来たものと思われる。
 
◆推理その1:キーワードは「キイハンター」
 1970年(昭和45年)春からレギュラーとなった「キイハンター」。宮内洋は長い間「『キイハンター』でデビュー」と語っていたようだ。大概のプロフィールにもデビュー作として記載されている。「日大卒業後東映にニューフェイスとして入社、『キイハンター』がデビュー」と言われれば、成る程1970年(昭和45年)に23歳であっても違和感を感じる事はない。2年の差はここで生じたのではないかと推測(憶測?)される。
 
◆推理その2:宮内洋が「キイハンター」をデビュー作と位置付けた理由
 現在の宮内洋を支えるアクションのノウハウを「キイハンター」の現場で学んだという意味合いが最も大きいだろう。また顔見せ程度でウロウロしていた(失礼^^;;)「あゝ忠臣蔵」よりも当時高視聴率街道を突っ走っていた東映の看板番組にレギュラー出演し、千葉真一と共に番組を支えるアクション編を担当していたと言う自負と誇りが「デビュー作」と言わせているのではないだろうか。
 
◆推理その3:何故今まで訂正されなかったのか
 近年、宮内は「本当のデビュー作は『あゝ忠臣蔵』だった」とコメントする事が多くなったが、番組放映年度から年齢を逆算して割り出すようなコアなファン(爆)は少なかったと思われるし、またプロダクション提供のプロフィールが(あえて?)訂正されていなかったため、各種雑誌などへそのまま掲載されて来たのだろう。

◆推理その4:今後、この年齢差は是正されるのか
 恐らくなされないであろう。何故なら1947年(昭和22年)誕生説は当時のレコードジャケットやファンクラブ会報などにも記載されている「定説」であり、多くのファンはそれを信じていると思われるからである。また、今更訂正したところで何の意味も持たない。その程度の事で宮内洋の存在価値は揺らがないし、ヒーローは年をとらないのだから。
 

◆結論:カリスマ性を高める要素としての年齢
 なかなか素顔が見えないと言われる宮内洋。プライベートを見せないのもそう言われる理由だろう。だがそのミステリアスさが彼のカリスマ性を高めているひとつの要素でもある。年齢もまたしかり。謎が多ければ多い程、より一層「実在するヒーロー」としての宮内洋の価値観は増す。そう考えると二通りの誕生説があるのもまた宮内らしい。「知る人ぞ知る」宮内洋の生まれ年はそんな情報なのかも知れない。


['98/12/16 up date]

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