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日本一のHERO俳優 【宮内洋】 出演作品エピソードガイド&各種レポート

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 2003年春。「秘密戦隊ゴレンジャー」のDVDが発売開始された。近年の特撮ヒーローブームには目を見張るものがあるが、お子様そっちのけでイケメンヒーローに夢中になっているお母様方の何割かは小さい頃に観ていたはずの戦隊シリーズの元祖、であるにも関わらずレンタルビデオは全話揃っていない上に廃盤、数年前に発売されたLD-BOXもすでに廃盤で全話観るためには衛星放送やケーブルテレビなど非地上波受信環境が必要という実に優しくない状態だったので、ファンにとってこのDVD化は待ちに待った朗報だった。
 
 リマスター処理をされ色柄くっきり(笑)な映像で観る新命明はカッコ良さもひときわ。宮内洋いわく「死ぬかと思った」程危険なロープウェイアクションの第15話が収録されている第三巻目のパッケージに新命明さま(このスチールにだけは「さま」をつけたくなる程麗しい(*^^*))の流し目が使われちゃった日にゃあ、そりゃあ買わない訳には行かないでしょ(笑)。という事でDVDを観始めたのだが。
 
 新命明ことアオレンジャー誕生の経緯はこれまで様々な媒体を通じて演ずる宮内洋の口から語られている。比較的有名な話なので詳細は端折るが、最初に「ゴレンジャー」の出演オファーが来た時、宮内はレギュラーのドラマを複数抱えていたためその上にまた主役(当初はアカレンジャーの予定だった)をやるのは無理だとお断りしたら、石ノ森章太郎先生に「宮本武蔵と佐々木小次郎の関係でサブリーダーをやって欲しい」と言われアオレンジャーになったという事らしい。成る程、確かにそれだけレギュラーを抱えていれば、戦闘やら爆発やらの撮影に郊外遠征するのはかなり無理があるだろう。新命明がバリブルーンのパイロットという設定も、宮内のスケジュール調整がつかず他のキャストとの撮影に合流出来ないため、スタジオセットでの単独撮影を増やすための苦肉の策だったそうだし、確かに番組初期の頃、新命明の登場シーンが極端に少ないエピソードが続く処を見ても、当時のハードさが窺い知れる。
 
 だが。ここで素朴な疑問が湧く。時系列で見れば一目瞭然だが「ゴレンジャー」の放送開始当時、宮内のレギュラーは「刑事くん」一本だった。まぁ、実質的に半年以上は掛け持ちしていたのだから大変だったろうとは思うが、この「掛け持ち」について宮内自身は
 
 「『必殺シリーズ』なんかがあって、スケジュール的に合わなくて」 (「音楽と人」'95/6)
 
「助け人走る」を引き合いに出す場合が非常に多い。だが「助け人走る」は「ゴレンジャー」放送開始の前年'74年6月に放送終了している。つまり宮内の
 
 「当時(中略)僕は週に三本ものレギュラーを抱えていたんです」 (「Megu」'97/3)
 
とのコメントには矛盾が生じるのだ。また、宮内は新命明が茶髪ロン毛の理由についても「当時時代劇のレギュラーを抱えていてカツラを付けず自毛を伸ばしてやっていたから」と語っている。成る程、これだけ聞くと非常に説得力があるようだが、いくら資料を当たっても「助け人走る」の龍と新命明との時期的な接点は出て来ない。それなのに何故、宮内洋はそう答えているのだろうか。何かを錯覚して記憶しているのか、または何らかの理由であえてそう答えているとも考えられる。
 
 アカになるはずだった宮内洋をアオに変えてしまった理由が「助け人走る」であるとするなら、何故それが「既成事実」になってしまったのか。そしてもしも違う要因があるならばそれは一体何なのか。宮内洋が新命明になった理由。それを解明するには、宮内がいつ頃「ゴレンジャー」出演のオファーを受けたのか、その時期を絞り込んで行く作業が必要かも知れない。
 
◆「ゴレンジャー」製作の秘密と当時の時代背景
 「ゴレンジャー」の企画が立ち上がった最大の理由に「腸ねん転現象の解消」が挙げられる。これも特撮ファンの間では有名なエピソードだが、すでにドル箱番組に成長していた「仮面ライダーシリーズ」(この頃は「仮面ライダーアマゾン」)を制作していたのは関西の毎日放送だったが、この当時何故か関東はNET(現テレビ朝日)で放映されていたため、系列局ネットのねじれが発生していた。これを是正するため関東圏では「仮面ライダーシリーズ」がTBSへと移行したのだが、残ったNETの放送枠に収まった企画が、東映特撮の生みの親・平山亨氏がかねてより温めていた「集団ヒーローもの」つまりは「ゴレンジャー」だったのである。
 
 企画自体は長い時間をかけてじっくり練られたと言われる「ゴレンジャー」だが、そのキャスティングなど具体的な部分はいつ頃から動き出したのだろう。近年の東映特撮ヒーロー作品では1月後半に立ち上がる新番組の場合、オーディションその他の選考を経て大体10月頃にキャストの最終決定、制作発表、11月からクランクインのスケジュールで動き出す。「ゴレンジャー」当時もスケジュール的には現在とあまり変わず、記録では'75年4月5日初回オンエアに対してクランクインが同年2月26日となっている。
 
 宮内洋のために立ち上げられた企画と言われながら宮内がリーダーを演じる事が出来ないため代わりにリーダーが出来る若手という事で誠直也に白羽の矢が立ったという事実からも、宮内への出演依頼はかなり早い段階から来ていたと思われるが、オファーが仮に半年前、前年の秋頃だとすると、この時期の宮内のレギュラーは二本。スタート間もない「刑事くん」と終盤近い「ヨイショ」。だが「刑事くん」は別としても「ヨイショ」の方はクライマックスが見えていた時期であるし「主役を断る理由」としては説得力に欠ける。
 
◆「ゴレンジャー」への出演オファーの時期
 この疑問を解くキーワードは「腸ねん転現象の解消」にあるかも知れない。つまり系列ネットの歪みを解消して資本通りにする、というのは企業にとって一大事業である。どう考えても半年前やそこいらで決定した事柄ではないだろう。とすれば「仮面ライダー」のような高視聴率を叩き出してくれる番組を手放すNET側にとっては何としてでもそれ以上のタマを手に入れたい必死の思いがあったはずで、かなり早い時期から次作への打診があったと思われる。一方、制作を委ねられる東映にとっても、まだまだ視聴率が取れるとは言え人気に翳りの見えて来た「仮面ライダー」以上のヒーローを生み出さなければならないプレッシャーは大きかっただろう。絶対に失敗を許されない新番組。そこへかつて「30分天皇」と呼ばれ「視聴率男」の名を欲しいままにして特撮ヒーロー番組の看板俳優に育ちつつあった宮内洋をキャスティングするというのは東映にとって至極当然の成り行きだったのかも知れない。また、これは憶測(勘ぐりとも言うが(^^;)に過ぎないが他社作品(「助け人走る」は松竹の制作)に出演していた宮内を自社に引き戻す意味合いが含まれていたとも考えられる。
 
 だとすれば、宮内へのオファーは半年以上前、下手をすれば一年前頃であったかも知れない。もし一年前の'74年4月頃だとすると「助け人走る」は撮影の真っ只中。当時の番組は最終的に何話まで製作するのかが明確ではなかったようなので、仮に4月に新番組のオファーが来た場合、宮内サイドで「助け人走る」の撮影が何月まで入るのかを把握出来ていなかったとしても不思議ではない。また、この頃には6月スタートの「ヨイショ」の出演も決まっていたと思える(注・筆者自身スタジオドラマの製作がどの程度の時間を要するものか、また宮内洋が演じた役柄の番組内でのウェイトなどが情報量の不足でつかめないため、あくまでも一般的な目安としてであるが)。またこれに対しても何クール続くのかを宮内サイドが把握していたかどうかはなはだ疑問である。もちろんそれらは怠慢などではなく、当時の番組製作がそのような混沌とした中で続けられていたためであるのだが。
 
◆新命明が生まれたキッカケは本当に「助け人走る」だったのか
 仮に一年前に「ゴレンジャー」の企画が立ち上がり出演のオファーがあったとすると、当時宮内は「助け人走る」をレギュラーで、「ヨイショ」をレギュラー出演予定としてスケジュール上抱えていた事になる。つまり「出演オファーがあった時のレギュラー作品二本」と「『ゴレンジャー』の撮影に入った時のレギュラー作品一本(「刑事くん」)」が記憶の中で混同しているのではないかと思えるのだ。実際、宮内は自著「ヒーロー神髄」の中で「ヨイショ」を「一年間のドラマ」と記しているが、実際には半年間の放送だった事を見ても、人間の記憶というのは実に曖昧なのだと思う。・・・え、ヒーローじゃないかって?やっぱりソレとコレとは違うでしょ。ほら、風見志郎だって脳改造は受けてないわけだし(笑)。
 
 もしもこの当時、製作がきちんとしたスケジュール管理下において進行し、レギュラーが「刑事くん」一本だったなら「ゴレンジャー」も同じ東映東京の作品なのだし無理をすればアカとしての出演も出来なくはなかったのではないかと思える。当然、やるからには中途半端な事はしたくないというポリシーも宮内本人にはあっただろうし、石ノ森氏とのやり取りも事実だろう。また、新命明は宮内洋でなければ確立し得なかったキャラクターだと思うし、その魅力と彼がその後の戦隊シリーズにおいて果たした役割の大きさは充分理解しているつもりだが、一方で「アカの宮内洋」も観たかったという思いがなきにしもあらず・・・(ファンの哀しい性(自爆))。
 
 その一方で視点を変えて考えるとあえてそう答えているのではないかとも思えて来る。何故なら宮内洋にはこれまでにも「分かりやすいように」答えて来た事例がいくつもあるからだ。例えば、長年デビュー作品を「キイハンター」だと答えて来たのは「『あゝ忠臣蔵』ではタイトルを言っても知らない人が多いから」だし、出身地を東京と答えているのは「(誕生地の銚子には)小学校一年いっぱいまでいなかったから」だと言う。別に格好つけているのではなく、細々と説明するよりも認識度が高い表現で簡単に済ませるという手法なのだろう。
 
 その観点で行くと「助け人走る」の怪力の龍は、その前後に宮内が演じた他の役に比較してもキャラクターが際立っていて分かりやすいし、「必殺シリーズ」と言えば20年に渡って制作された人気番組。引き合いに出すには丁度いいのかも知れない。
 
 最も、ここで展開して来た様々な仮定はあくまでも筆者の推測と憶測と妄想(^^;の産物であり、真実は本人のみぞ知るという処であるのだが(笑)。
 

 [参考文献] 「テレビマガジン特別編集 秘密戦隊ゴレンジャー大全集」(講談社)
          「ヒーロー神髄」(風塵社)
         「FLASH」(光文社)
          「Megu」(青磁ビブロス)
                「音楽と人」(シンコー・ミュージック)
           その他 各種書籍、雑誌など


['03/4/28 up date]

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