ルーディーズ

音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。意味なんてことは考えちゃいけない。

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新劇場版Qが待ち遠しい

職場にいる若い女の子が新世紀エヴァンゲリオンにはまっているけど、意味がよくわからないので教えて欲しいと頼まれた。
 
快く承諾したものの、はて、自分もエヴァンゲリオンという物語をどれだけ理解しているか疑問が湧いてきた。
基本的に深い意味など考えなくても、それなりにエヴァは楽しめるし、庵野監督の限りなく個人的な世界観も満喫できる。
 
とはいうものの、職場の若い女性にどう説明するかは考えておく必要もあるので、備忘録的にあれこれ書き連ねておけば、それはそれで思考の整理になるだろうと思い、思いつくままに書き殴っておく。
 
TV版だけだと確かに、物語の展開や意味するところが理解しづらいというのはある。
 
しかし、最近は劇場版(「シト新生」〜「DEATH/Air/まごころを、君に」)や、コミック版などがあり、補完する形で見ていくと割とわかりやすい。
 
特にマンガは気になったところは読み返せるので、「そういうことか!」と理解するのにけっこう役立つ。
 
いっとき、旧約聖書を理解してないとエヴァは読み解けないといった話もちらほら聞かれたが、正確に言うと旧約聖書に登場する言葉が多く使われているというだけであって、旧約聖書そのものを理解しなければならないという話ではない。
 
エヴァを鑑賞する上でキーワードとなるのがミサトが主人公シンジについて言う「ヤマアラシのジレンマ」。
 
ヤマアラシは体に棘が生えているため、寒い冬にヤマアラシ同士が体を近づけて暖めあいたいのに棘のせいで、近づこうとすればするほどお互いを傷つけ合ってしまうという話。
 
転じて、人間関係において、お互いをもっと良く知って心を通じ合わせたいのに、逆にお互いに傷つけ合ってしまう。
 
ヤマアラシの棘が、物語で言うところのATフィールドということになる。
 
母親がいない主人公シンジは、他人だけでなく父親も拒絶するが、逆に他者から拒絶されることでも傷つく。
 
ヒトはなぜ心のバリヤ(ATフィールド)を張りながら、傷つくのが分かっていながら、自分以外のヒトを求めるのか?
 
実はエヴァという物語はこの点を、使徒を通じて描いている。
 
めんどくさいから説明は省くが、作中に登場するヘンテコな使徒達は、アダムの記憶を引き継ぐ使徒であり、S2機関(永久機関)を持っているが単体でしか存在できない生命体である。
 
ネルフ本部の地下に隠されているリリスは逆に、アダムとは対極の存在であり、ヒト(人類)はリリスより生まれた生命体であり使徒でもある。
 
だから、ヒトはS2機関(永久機関)は持っていないため寿命があるが、子供を生み育てることで集合体として存在し続けてきた。
 
地球上における全ての生命体の源となったのがリリスで、アダムもその可能性があったのだが、何故かセカンドインパクトまで目覚めることはなかった。
 
だが、アダムとリリスは同時に存在することは許されない。
 
アダムとリリスが遺伝子レベルで交わった瞬間、セカンドインパクトとは比較にならないぐらいの衝撃がおこり世界は破滅してしまうから。
 
セカンドインパクトにより、アダム系使徒が覚醒し、彼らは次から次へとネルフを襲撃する。
 
これも、実際にはネルフを襲っているのではなく、ネルフ本部の地下にいるリリスを求めてやってくるだけなのだ。
 
しかし、アダムとリリスが交わることは破滅を意味するので、ゼーレはヒトが作った使徒「エヴァンゲリオン」を使ってアダム系使徒に対抗する。
 
エヴァと使徒との戦いの意味はこんなところ。
 
だけど、後半部分に入ってゼーレや碇ゲンドウの自分勝手なそれぞれの思惑によりエヴァ含むシンジやアスカ達は振り回される事になるのだけれど。
 
なぜ、アダム系使徒はリリスを求めて近づこうとするのか。
 
それは、ヒトも使徒である事を考えればすぐに理解できる。
 
アダムは単体でしか存在できない故、地球上にいるのは常に自分一人だけである。
 
そこには「絶対的孤独」がある。
 
寂しさから逃れるためリリスを求めるのである。
 
逆にヒトは、集合体として存在しているにもかかわらず、孤独を感じる。
 
そこには「相対的孤独」がある。
 
エヴァにおける使徒の役割は、それぞれの存在の孤独を間接的に表現しており、孤独や寂しさから逃れたいけど、ヤマアラシのジレンマ同様、お互い傷つけ合うという結果しか残されていないのだ。
 
では、エヴァという物語は、結局、ヒトは孤独から逃れられないという事が言いたいのだろうか?
 
ラストシーンで、サードインパクトにより、ヒトは液体化(LCL:エヴァ操縦席を満たす液体で恐らくは母胎にある羊水のようなもの)され、他者が存在しない一個の生命体になってしまう。
 
そこにはヤマアラシの棘(ATフィールド)はなく、お互い傷つけ合うことがない世界であり、他者を拒絶することも逆に拒絶されることもない。
 
そう、まさしく主人公シンジにとっては居心地の良い世界のはずであったが、シンジはこれを拒否し、最後は集合体(ヒト)のうちの一人としてアスカとともにヒトに戻るのである。
 
何故そうしたのか?
 
他者と同一化し一個の単体生命となったとしても、そこではアダムが味わう「絶対的孤独」が待っているだけだから。
 
それに、同一化してしまったら、他者を拒絶することすら出来なくなり、それは結局は自分という存在が無くなると思ったのだろう。
 
他者を拒絶したり拒まれたりすることで、そこには「相対的孤独」はあるにせよ、自分自身を確認することができるという、パラドックスの中でヒトは生きているというのがエヴァンゲリオンの肝ではないだろうか。
 
長くなったが、エヴァを語り尽くそうと思ったら、これだけじゃホントは全然足りてない。
 
正直、いまだわからんところもあるけど、大筋はこんなところだと思ってる。
 
でも、こんな話を職場の若い女の子にして、果たして理解してもらえるかどうかは自信がない。
 

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説明しようとすればするほど矛盾が頭をもたげ、感覚で捉えるにはモヤモヤがのこる・・・


ま、そんなテーマがあっても良いかなとも思ったり・・・

(o^-^o)

2012/8/18(土) 午後 9:01 のこっ太

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