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「やっと」と書いたが、実質4ヶ月ぐらいの病院生活だったので、脳溢血の患者として長いのか短いのか見当もつかないが。 まあ、程度にもよるのだろうけど、右半身麻痺の状況は変わってない。 これ以上入院しても、するのは1日2,3時間程度のリハビリぐらいという事もあるから、通院でも在宅でも一緒であろうとの判断だと思う。 母自身は病院にいるのが退屈らしいので、退院出来る事には喜んでいるようだ。 親父も毎日3回、自転車で病院まで通う必要が無くなるので、その点は楽になると言っている。 さてさて、でもこれからが色んな意味で大変だろうなとは思う。 家の設備的な事、金銭面、普段の生活をする中で現れてくる不便さ、そういった事にどう対応していくかが課題ではある。 これを機に日本の介護事情を鋭く分析!…なんてしょうもない事も考えたりしながらやっていくのもいいかもね。。 そうそう、ちなみにウチの実家は飲食店を経営していて、これまで夫婦で営んできたのだが、母の入院を機に廃業した。 小さいながらも30年以上にわたって続けてきた店を閉めたわけだが、そこに涙、涙の感動秘話があるかというと……、意外とびっくりするぐらいあっさりしたモノであった。 廃業の案内文章は僕がパソコンで作ったが、文章を考えている僕の方が思わず目頭が熱くなってしまう始末で、当の親父は淡々と文章を校正し入り口に貼りだしていた。 まあ、ホントの胸の内はどうなのかは分からないけど。 親父なりの感慨や気持ちはあるが、表に出さないだけなんだろうね。 だいたいそういうのが(感情を表す事が)苦手なタイプでもあるし。 しかし、問題は廃業することによって全く収入が無くなってしまった事。 もちろん、年金などの公的収入はあるけど、今までのような訳にはいかなくなった。 僕の稼ぎもたいして良くはないから、これから経済設計を立て直さないといけない。 僕はだいたいそういうのを今までしてこなかったし、お金にはホントに無頓着で、お金があればある分だけ使う、無ければそれなりにやり過ごすというノープラン人生でずっとやってきた。 別にノープランであることにこだわりや、信念があるわけではない。 何度か、計画的にお金を貯めよう、人生設計をしようと目論んではみたが、未だにこのザマである。 しかし、今回は良い機会である。 計画的にお金を管理しようと思い立っているところである。 しかし、僕の悪い癖はそこから話しがどんどん飛躍して、お金の管理→運用→一財産築いてやろう、なんてところまで思いを膨らませてしまうのである。 やはり、楽しいこと、大きな事を考えないとやってられないわけで。。 ということで、株でも始めてみようかな…(^^ゞ
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11月4日(仮)
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昨年の11月4日に脳出血で倒れた母は現在、日赤でリハビリ中である。 手術を担当した先生の予想を裏切り、思ったより体は動くようになった。 が、動くと言っても右半身の麻痺が解消されたわけではない。 右手はほとんど動かす事が出来ないし、右足も一人で歩けるほどのレベルには達していない。 そう、思ってたよりは動かせるようになったという表現がぴったりだろう。 それほど、リハビリを始めた頃はどうなるのかという感じだった。 意識はしっかりしており、喋る時たまにモゴモゴしてしまうが、会話に支障があるほどではない。 その点は非常に良かった。 が、本人的には、思うように動かない右半身に苛立ちを覚えてしまい、精神的な落ち込みや葛藤と向き合わなければならないのも事実だろう。 リハビリを始めた頃は、母も完全に回復するつもりでいたようだし、僕らも母の前ではそんなことは当然という素振りの態度をとっていた。 が、最近の母は、特に右手が全く動かない事に若干のあきらめ感を滲み出すようになってきた。 「まだリハビリを開始して2ヶ月ぐらいなんだから、そうそうすぐに治ったらリハビリの先生が失業しち ゃうでしょ。」と冗談混じりに言って聞かすものの、イマイチ説得力にはかける。 こういう時、たいして励みになる言葉を言えないというか、毎回同じ台詞しか思い浮かばない自分が情けなくなり、後で自己嫌悪にもなる。 人間の浅さというか、底の無さが出てしまうのがつらいところだ。 ウチの母は基本的にじっとしている事が苦手で、バタバタと何かしているのが好きな方である。 悪く言えば落ち着きがないのだが、そんなんだからリハビリの時間が楽しみなようで、リハビリが無い日は退屈でたまらないようだ。 テレビ見たり、本読んだりしたら?と勧めてみるが、どうもそういう気にはなれないらしい。 多分、軽い後遺症というか、脳のそうした部分が少しやられてしまったのかもしれない。 しかし、母は改めてスゴイなと感じる。 明るいというかめげないというか…自分が母の立場だったらどうしてるだろうって考えてしまう。 トイレも満足に出来ない、一人で出かけることさえままならない、ギターだって弾けない。 そんな事考えてたら、もうこの世の終わりが来たぐらいの取り乱しようじゃなかろうか。 それを「まあ、なってしまったもんはしょうがないわね」と言ってのける人間に、僕はいつかなれるだろうか?
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手術は一応成功して、流動食も終了して、その間に個室から大部屋へ移り、その後リハビリ病棟へさらに移された。 ちなみに流動食用のチューブをいよいよ外してもいいとなったとき、母は看護士さんが抜く前に自分で動く方の左手で抜き取ってしまったらしい。 状況としては、喋れるようにはなったが、たまにトンチンカンな単語を喋ったり、名前が出てこなかったりというのがあるようだ。 右半身は相変わらずマヒしたままなので、自分で起き上がったり歩いたりすることはもちろん出来ない。 だから喋れるといっても、口も動きにくいようなので、発音が悪く何を言っているのか分からない時もある。 リハビリ病棟に移されて、担当の先生と打ち合わせを行ったが、回復はかなり厳しいという話であった。 つまりは、母の症状としてはけっこう重傷だったらしく、リハビリを行っても右半身が動くようにはならないだろうというのが現在の見方らしい。 出血してなかなか血が止まらなかった事、出血量がそれなりに多かったことが後遺症に繋がっており、下手をすれば今の状態からさほど変化がないという事になる。 父はその話しを聞いてけっこうショックを受けており、肩を落としていた。 多少でも動けるようになるのではと期待していたのだろう。 ともかくリハビリを行うのは母であるから、こっちが気落ちしていてもしょうがないので、その時その時に考えるようにしようと思う。
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今日は、朝から寒い雨。 そういえばあまりに病室が殺風景だったのを思いだし、花を買っていく事にした。 やっとそういう余裕が出てきたという事かもしれない。 花瓶が無いことを思い出し、花瓶がいらないオアシスのアレンジメントタイプを選んだ。 時期はずれのカーネーションが花をつけていたが、まあいいだろう。 そういえば、鉢植えの土があるタイプは病院のお見舞いには持っていってはいけないそうだ。 根が生えているのが、根が張って退院できない、病気が治らないに繋がって縁起が良くないという事なのだそうだ。 なるほど、色々と人は考えるモノだなと感心する。 病室へ行き、花を飾ると少し雰囲気が変わったかなと自己満足に浸る。 オヤジの話だと、今朝も母は鼻から入っている流動食用のチューブを抜いてしまったらしく、看護士さんがそれを見つけて苦笑していたらしい。 どおりで、今日も左手がベッドの脇に固定されているはずだ。 そういえば、今日は母が脳溢血で倒れてちょうど一週間経つ。 ものすごく長い時間が経過した気がしたのだが、まだ一週間しか経っていない事に驚く。 でも、その一週間でここまで鼻からチューブを抜くぐらいの事をしてみせるようになったのだから、ひとまずは安堵した。 もちろん、まだ右半身はマヒしたままだ。 言葉も発するが、何を言っているかはよくわからない。 必死に口を動かして、しゃべっているが何を要求しているのか、何を伝えようとしているのかは理解できない。 たまに、記憶が様々に交錯するのか、わけがわからないといった状態も見られる。 全てはこれからのリハビリ次第なのだろう。 ただ、今は意識が割とはっきりしてきているので、寂しさを自覚しているようだ。 こちらも寂しさを紛らわしてあげたいと思うが、会話が成立しないのが却ってつらさを母が感じるのじゃないかと思ってしまい、どうしていいか分からなくなる。 母がもごもごと言葉を発しても、こちらはただ曖昧に返事をしたり、もしかしたら見当違いな応答をしてたりすると思うとつらくなる。
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手術の翌日には、頭から管が外されていた。 一応、目標とした血の量は抜けたという事だが、全部ではない。 前にも書いた通り、半分出れば御の字、3割出れば成功であるという話だったので、まだ血は残っている。 後は薬で血を溶かすしかない。 頭から管を抜いた事もあり、そろそろ流動食を行おうという事で、その準備がされた。 まだ食べ物を呑み込む力が無いので、鼻からチューブを入れ胃まで通して流動食を送るのだが、想像しただけで、自分も嫌になる。 母も同じ気持ちだったようで、チューブを通したのはよいが、動く左手でチューブを抜こうとするらしく、仕方ないので看護士さんに左手をベッドの手すりに縛り付けられてしまったようだ。 そうすると、今度は手を縛り付けられるのが嫌になって、チューブを抜いちゃダメだよと言い聞かせると、ウンと頷いたので解放してあげたらしい。 そんなオヤジの話を聞いて、思わず笑ってしまったが、気持ちもわからんではない。 右半身が今のところ動かないので、左手ぐらいしか動かせないのだから、ストレスもたまるのだろう。 子供のように駄々をこねるのもしょうがない。 その次の日も仕事帰りに病室に寄ったら、相変わらずチューブをつけていた。 ちょうど夕食の時間になったらしく、看護士さんが来て流動食の準備を始めた。 看護士さんが僕に「すいません、また左手を固定させてもらいますね。注入している時に、チューブを抜くと危険ですので」と言った。 「まだ母はチューブを抜こうとしますか?」と聞くと「やっぱり嫌がっておられるようで」との事。 仕方ないので左手を固定してもらい、母に「少し辛抱しな。」と言ったら頷いていたので、少し安心した。 面会時間も過ぎていたので、また来ると言って病室を出てエレベーターまで歩いた。 何故か涙が出そうになった。 手術が成功した安心感なのか、意志を上手く伝えられない母を見ての無力感なのか。 病室で一人寝ている母の空虚感をそのまま引きずってきてしまったのかもしれない。 1階のロビーに降り、ホットコーヒーを飲む。 ネスカフェの紙コップで飲むタイプだが、100円もするのは高すぎだろうと誰かが聞いているわけでもないのにボソッと呟く。 それでもコーヒーを胃に流し込んだら、少し落ち着いた。 そういえば、今日はバンド練習でスタジオにこれから入るんだ。 そう思うと、少し気分が軽くなった。 こんな時になってまでと他人は言うかもしれないが、こんな時だからこそ音楽をやっていて良かったと思うし、スタジオに入れるのが嬉しいと感じたりもするのだ。 人は所詮一人だ。 それが分かっていれば生きていく事が出来る。
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