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公園や河原を散歩していたりすると、
それにしても気になるのが「フンの放置」です。
なぜフンが放置されているかと言えば、犬を散歩している人が、
犬にフンをさせたあと、拾いもせずそのまま放置しているからです。
ほとんどの飼い主さんは、自分の犬を散歩させているときは、
ちゃんとフンを拾って処分しているのだと思いますが、
そのうちのいくらかの割合の人が、きちんと拾うべきものを拾わず、
いい加減な事をしていると、公園や河原がフンで汚れて行く事になります。
本来は、行政が条例でもつくって、
放置した人を処罰するべきだと思うのですが、
行政は「飼い主のモラルの問題です」と言うばかりで、
本腰を入れてなんとかしようと言う気配はないようです。
きちんとしている犬飼いの人にとっても、
自分がきちんとしていれば関係がないというような話ではなく、
まわりまわって、全ての犬飼いの人たちに関係して来る話です。
犬を飼っていない人の中には、
「犬を飼っている人間は、公園や河原を汚して仕方のない人間だ」
と思っている人もいるようです。
実際、一部のモラルに欠けた人たちのせいで、
犬を飼っている人たち全体の印象が悪くなっているのは事実だと思います。
フン放置がある場合、誰が悪いと言えば、
もちろん、自分の犬にフンをさせた後、
その処理をしっかりしない飼い主が悪いのは当たり前なのですが、
きちんとモラルを持って犬を飼っている人にとっても、
犬飼いの人たち全体が悪い目で見られるというのはうれしくない事態です。
そして、社会的にも、犬飼いの人たちは公園を汚し、迷惑をかける存在だ、
と見られてしまう事によって、公共の場への立ち入り制限など、
活動を制限されるような事態も起きて来ています。
実際、最近では、公園でも犬を連れての立ち入りはお断り、
というところも増えて来ているようです。
善良でモラルを備えている飼い主であれば、
公園などに立ち入っても問題ないはずなのですが、
なぜ犬の散歩が全面禁止となってしまうかと言えば、
公園を管理する側にとって、犬の飼い主というのは、
すなわち「公園を汚す存在」であると見なされてしまっているからです。
また、公共の場に入った時にフンが放置されているのを目にすると、
それ自体が不快ですし、フンが放置されているのが、
自分たちと同じ犬飼いの人のしわざ、と考えると、
なんとも悲しく、恥ずかしい気分になります。
犬をきちんと飼っている人であっても、
フンを放置している人たちがいる事によって、
回り回って、不利益を受けています。
同じ犬飼いの人間として、公園や河原がフンで汚れているというのは、
けして他人事ではありません。
犬飼いの人たちのイメージを良くするため、
自分には関係のない事だと考えるのではなく、
犬を飼っている人の全ての人が、自分にも関係のあることなんだと心にとどめ、
自分にできる事を少しずつして行くという事が、
少しずつ地域をよくして行く事につながるのだと思います。
そのために、誰にでもできて、確実に地域のためになる事が、
「もう一枚のナイロン袋運動」というものです。
運動と言っても、みんなでまとまって活動すると言うものではなく、
犬を飼っている人が、日々の散歩の中で少しずつ活動をする、
という草の根の運動です。
活動の内容というのは、犬の散歩に連れて行く時に、
いつもよりも少しナイロン袋を多めに持ち、
散歩中にフンを見つけた場合、それを取り、家に持ち帰る、
という行動をみんなで取る、というものです。
ちょっとしたことではあるのですが、そのことを多くの人でするならば、
フンは減り、公園や河原はきれいになりますし、
犬を飼っている人のイメージも良くなります。
犬を散歩させる人は、自分の犬がフンをした時のためのナイロン袋を持ち、
散歩しているのだと思いますが、
それを散歩中にフンを見つけた場合の分もおまけに持って行く、ということです。
犬の散歩をしている人が、見つけたフンを拾って持ち帰る、ということは、
犬を散歩させている人が、「公共の場を汚す存在」から、
「公共の場をきれいにしていく存在」になるということです。
犬の体に、運動実施中のタスキなり、スカーフなりを付けておけば、
そういう活動をまわりの人にも認識させる事につながると思います。
この運動は、個人のそれぞれの行動なのですが、
重要なのは、多くの人が少しずつできる範囲で取って行く事によって、
フンが減って行き、公園や河原がきれいになっていく、ということです。
したがって、見つけたら全部取らなければならない、
という義務で考えるのではなく、
あくまで自分に負担のない範囲で取っていけばよいとおもいます。
一部の人に負担が集中し、その他の人が知らん顔をしているようでは、
地域はきれいになりませんし、まじめな人ほど疲れてしまいます。
フンが放置されていて汚いと思っていても、
何もしなければ、フンはそのままで、公園や河原も汚いままです。
フンの放置は、目につくものですので、
誰もがなんとかしなければ、と思っていると思います。
一人の力では無理だとしても、一人一人が気づいて行動すれば、
少しずつでも、確実に、地域はきれいになって行きます。
ひとりの社会人としては、フンの後始末も出来ないなら、
公共の場所を散歩などさせるなと言いたいところです。
マナーの悪い人がいるのはどうしようもないことだとしても
(ちっとも仕方なくないのですが)、
モラルに欠けた人が一定数いる以上、その他の良識ある人たちで、
少しでも現状をよくして行くしかないと思います。
それには、心ある人たちひとりひとりが、無理のない範囲で、
散歩のついでにフンを拾って行く、ということが、環境を良くし、
全体のマナーを向上させるために役立つことであると思います。
自分はフンを放置しない、と言う人でも、
落ちているのを見かけて、そのフンを放置するのであれば、
それは同じ犬飼いとして、フンの放置に加担していることになります。
散歩する一人一人が、ナイロン袋を多めにもって、
目についた時に拾うようにすれば、
河原も今よりもう少しきれいになるのではないかと思います。
見かけたらついでに拾う、ということを、多くの人ですれば、
それを目にした"放置している人"も、
やがて自らのマナーの悪さに気づいてくれる時が来ると思います。
そこら中にフンが落ちていれば、自分も放置しても良いだろう、
と思うかもしれませんが、みんなの努力できれいな場所になっているなら、
その場を汚すことに、罪悪感を感じるようになっていくと思います。
犬のフンの放置は、たしかに飼い主のモラルの問題です。
でも、それと同時に、フンが放置されている環境というのは、
地域全体のモラルを、鏡のように反映しているのだとも思います。
フンが放置されている環境というのは、地域で育つ子どもたちに対して、
モラルの欠けた、いい加減な大人の姿をありありと見せてしまっています。
モラル教育の上でも、悪い影響を与えることは間違いないと思います。
責任ある大人の姿を子どもたちに見せて行けるよう、
大人の一人一人が、まずしっかりとした行動をして行かなければいけないと思います。
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pochiさんの考えに非常に心打たれたので、転載しました。
きちんとできる大人になりたいものです。
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