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世界遺産の構成資産、大宮・村山口の起点でもある”村山浅間神社”の紹介です。
この村山浅間神社は紹介したい事がたくさんあるので
2回にわけて紹介します。
 
大宮・村山口登山道の時にも説明したのですが、
北口が富士講(長谷川角行、食行身禄)に深く関わりがある一方
南口(大宮・村山口)は修験道(末代上人)に深く関わりがあります。
 
富士山中で修行をする修験道の拠点として
末代上人により当初は神仏習合施設の”興法寺”として呼ばれていました。
修験道の中心的寺院であった、京都、聖護院と密接な関係があり
西からの登拝、巡礼をする修験道とともに発展していきました。
 
明治になり神仏分離令に基づき
仏の大日堂、神の村山浅間神社に分離しました。
 
北口の浅間神社等は神仏分離令、後の廃仏毀釈により
仏教関連の施設を取り壊したのに対して
ここは、隣同士の敷地で、別々の施設という事で通し
取り壊しを免れたという話もあります。
 
では、その様子をご覧ください。
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まずは、下が村山浅間神社の社殿(元、興法寺三堂のひとつ)です。
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浅間神社と大日堂の間に”末代上人”を祀る社堂があります
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そして、興法寺の大日堂です。
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全くの隣同士です。(右奥)
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古堂といった感じで、地元の方がハイクの途中にお堂の中で
一休みしていました。
お堂の奥には、素晴らしい仏像がなんの警備も無い状態で
5体もいらっしゃいました。
古いガラスのせいで、ちょっと見難いですが、すばらしい仏像ですよ。
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そして、”碑伝木(ひでぎ)”がお堂の入口に飾られています。
大きすぎて写真には納まらないので、わかり難いのですが
碑伝木は修験者が峰入りする際に、信仰する神仏や自分の名前を書いて
境内に建てたもので、飾られているものは
聖護院門跡雄仁親王が建てたもので風化を防ぐために
根元から切り取り堂内にかざってあります
高770cm×幅60cm×厚22cmの大きさです。
イメージ 4
山梨側の浅間神社とは、雰囲気も全く違う古堂といった感じですが
感じるものが多くありました。
 
また、開山の時に行われる”護魔壇”等、紹介したい事が
まだまだあるので、次回もひきつづきご報告します。
 
 
 
 
 
同じ富士山信仰でも登り口によって、違いがあるんだなあと
思った、まだまだ、ひよっこの富士山ガイドです。
山中湖でペンションをやってますので
お暇な時に覗いてください。
 
 
 
 

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