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好きではない。
というと、きっと多くの人の反感を買うのだろうけれど、
好きではないものを、好きとは言えない。
はっきり言うと、苦手だ。
「私たちはこんな病気と闘っています」
「可哀相」「辛い」「大変」「幸せ」
と思ってしまう自分が、嫌いだ。
人の人生の一部分だけを見て、
...この場合、障害や病気
その人のすべてを評価してしまうような気持ちが、嫌なのである。
嫌なのに、
裂けた皮膚や、歪んだ関節を見ると、思ってしまう。
「可哀相」「辛い」「大変」「幸せ」
障害を持つ人も、健常者も、
同じように生きているのだから、
同じように楽しくて、苦しくて、無垢で、汚れているはずだ。
個人差はあるにせよ。
私の友人が、一昨年亡くなった。
日本でも数少ない病気で、麻疹か水疱瘡の菌が脳を侵してしまう病気。
発病は、麻疹か水疱瘡になった何年も後である。
彼の場合、小学校5年生だった。
はじめに、物忘れが激しくなった。
宿題を忘れることなどなかったのに、忘れるようになった。
解けるはずの問題が、どうしても解けなくなった。
ちゃんと椅子に座っているはずが、何度も落ちてしまう。
「僕、おかしくなっていく。」
と思っていたらしい。
しばらく入院していたが、退院したというので、一緒に昼ご飯を食べた。
退院した...と聞いて、私は病気は治ったと思っていた。
けれど、それは違っていた。
だって、彼の病気は治らないものだったのだから。
ただ、病名がわかり、病状が安定しただけだ。
病気の進行が、ある程度揺るやかになっただけ。
言葉もでない。
ただ恐ろしい。
奇声を発する、暴れる、言葉を話すことも、表情さえも彼ではない、
はじめて見る生き物。
子供の私は、そう思った。
だって、つい一年前まで芋掘りを手伝ってくれていたのに。
優しくて、物静かで、普通のお兄ちゃんだったのに。
逃げ出すように、ピアノ教室に行った。
何の曲を練習したのだろう。
何も覚えていない。
後から知ったのだけれど、私の母親は、彼の母親に怒られた。
「どうして、ちゃんと現状を話してくれなかったの?」
私の母は恐かったらしい。
自分が、彼を障害者だと差別しているのではないか...と。
脳の病気だから、知的障害を伴う。身体障害も。
簡単に、失礼な言い方をすれば、障害者になった。
そして最後には、寝たきりに。
生きて、20歳まで。
それ以上の症例がない。
と医者は言ったのに、彼は27歳で亡くなった。
「残りの年月は、おまけ。」
彼の母親が言っていた。
近所に住んでいて、普段は自宅療養をしていたので、
彼の家をよく訪れた。
私の母に関して言えば、彼の母親の変わりに付き添っていることもあった。
その間に、彼の母親は美容室に行ったり、用事を済ませたり。
何度も救急車を走らせ、
何度も死が、彼を掠めた。
なのに、彼の家に、家族に不幸な影はなかった。
不自由がなかったとは思わない。
辛さも、大変さもなかった、なんて思わない。
けれど、そこには闘っている姿ではなく、
共に生きる姿があったのだと思う。
「可哀相」「辛い」「大変」「幸せ」
そんな言葉、彼らの前では浮かんで来なかった。
そこにあるのは、
私の家族と変わりない家族の愛で、彼の人生だった。
「私たちはこんな病気と闘っています」
その題の裏側に、
障害者を、病気を、一つのものとして括ろうとしている姿が見える。
そこに「一個人」として人生が、
私には見えてこない。
昔、私の友人の彼も、同じような番組に出たことがある。
「可哀相」「辛い」「大変」「幸せ」
ばかりが目についた。
彼がサザエさんとドラえもんの音楽が掛かると笑い、
彼の知らない新しいアニメの曲には笑わないことも、
いつも左手で握っているウルトラマンのぬいぐるみの目を(目なのか?)
私が取ってしまい、彼が発作を起したことも、
おばさんたちばかりだと寝ている癖に、
私が来た途端に目を覚ますことも、
(私が人妻になった途端、寝るようになった)
省略されていた。
病気が、彼の人生の主役になっていた。
彼と彼の家族の人生のある部分だけ取り立たし、
...病気や、辛さや、幸せについて
ある部分を削り取り、
それがあたかもすべてであるように、TVの中で流れていた。
一部分だけを見て、その人を感じたくない。
すべてを見た上で、知った上で、色んなことを思いたい。
それが健常者であれ、障害者であれ。
男であれ、女であれ。
大人であれ、子供であれ。
私はそんなに平等な人間ではないし、
慈悲深くも、親切でもない。
だから、私にできることは
彼らの全てを見て、知って、
その上で何かを思い、発言することだと思っている。
苦手だ。
人生を切り売りして、私を惑わせる。
私は賢くないから、鵜呑みにしてしまい、ついつい
「可哀相」「辛い」「大変」「幸せ」
ばかり、思ってしまう。
涙すら浮かび、見ていられない。
もう亡くなってしまった、私の友人が
「違うよ。それは、僕の人生ではない。」
と言っているような気がして、
私は自分の涙が、誰のものでもなく、自己満足に過ぎないことを知らされる。
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訪問ありがとうございます。あたしも昨日の番組みましたよ。確かに涙なしでは見ることができなかったけど、彼らは幸せそうだった。父や母の愛を全身で受け、真正面から自分を見てもらえる。健常児の家庭で失われつつあることだと思います。彼らには失礼かもしれないけど、1部分でも、いろんなことを教えてくれていると私は思っちゃいました★
2006/2/18(土) 午前 11:55 [ cum*555 ]
cumiさん、訪問ありがとうござます。小さなことでも、本当のことが見えれば、それが一部分でも、確かに素晴らしいことですよね。多分、私が苦手なのは「....だから」という視点だと思います。障害者だから不幸、幸せ、健常者だから不幸、幸せ、という括りが苦手です。
2006/2/18(土) 午後 0:03
ぶたぶたさん。私の上司(セクハラ男)は「心臓が悪い」「片耳が聞こえない」と自分の障害を切り売りし部下に仕事を押しつけ嫌がらせをする人間でした。私は確信犯的に「病気になったのは誰かさんのせいだ!」と叫びました。その上司は自分の病気を両親のせいにして彼らに言ったそうで、私はそれに腹を立てたからです。でもその両親にも腹が立ちます。「お前の病気はお前の宿命なんだよ」となぜ言ってやらなかったのか。その役割をなぜ彼の親でもない私に押しつけたのかと。少々激しくなってしまいすみません(_ _)
2006/2/18(土) 午後 0:45
ぶたぶたさん★そうですね!・・だから不幸。とかそういうことは本人にしかわからない。現に彼らはとても笑顔にあふれてたし。番組的にそういう・・だから、的な意図があって、どうぞ泣いてください!!みたいなのは嫌ですね。そうじゃなくて、彼らのいいところを見習っていきたいです★
2006/2/19(日) 午前 11:23 [ cum*555 ]
正直やと思うよぶたぶたちゃん。金の前の奥さんが市の福祉施設にパートンにいってそこのお祭りに子供といったけど、知的障害とかいろんな障害持った人見て怖がる娘に、大丈夫みんな言い人なんだよっていいながら、自分の子供達がそーでなくて良かったって安心してる金がいて・・・なんかすごく矛盾感じたことあったな・・・
2006/2/20(月) 午前 10:02 [ - ]
すごく奥が深い!!すっごく考えさせられました
2006/8/1(火) 午後 3:13 [ カコ ]