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2019年1月14日
童謡「とうりゃんせ」の歌詞

とうりゃんせ とうりゃんせ
ここはどこの細道じゃ
天神様の細道じゃ
ちっと通して下しゃんせ
この子の七つのお祝いに
お札を納に参ります。
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ

これは七五三の7歳の子を天神様に連れて行って、無事に7歳まで生きて来れたことを神様に報告し、お礼の気持ちを伝えるお参りです。

この唄の天神様は川越市の三芳野神社のことです。
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三芳野神社は主祭神の素盞鳴尊と奇稲田姫が大宮の氷川神社から、配祀の菅原道真が京都の北野天満宮から勧請されたものではないかと言われています。
太田道灌が川越城を築城し、三芳野神社を川越の鎮守とした頃から由緒が明確になっています。
菅原道真公が祀られていることから天神様として親しまれていました

家康が江戸に入府すると川越城には重臣酒井重忠を置き、その後も堀田、松平、柳沢と言った有力大名が城主でした。
そして1963年の城拡張整備で約99000坪の規模を持つ巨大な城郭になり、この時三芳野神社は城内に取り込まれ、川越城の鎮守となりました。
これ以降は一般庶民は三芳野神社に参拝できなくなりました。

歌詞の中の「行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも 通りゃんせ 通りゃんせ」とはどういう意味なのでしょうか。

三芳野神社に参拝出来なくなったのですが、鎮守への信仰心から庶民は「お城の天神様」と言って遠くから遥拝していました。
その信仰心の篤い庶民の姿を見た藩主は、年に一度の大祭と七五三のお祝いの時のみに参拝を許可しました。
天神様までの順路
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南大手門ーー>田郭門ーー>天神門ーー>三芳野神社へと続く道が天神様の細道となっています。

一般庶民を入城させるのですから、警備は厳重になり「御用のない者通しゃせぬ」と言うようにチェックが厳しかったのでしょう。
入城の際は外見の怪しいものをチェックするだけですが、退城の際は密偵などによる城内機密書類などの持ち出しはないか所持品の検査などもがあり、入城より退城の方がずっと厳しかったようです。
これが「行きはよいよい 帰りはこわい」と言う歌詞の根拠です。

子供を連れて七つのお祝いで訪れ、門を潜る度に行き先を説明し、帰りは帰りで持ち物をチェックされ、ドキドキしながら天神参りしたのではないでしょうか。
それが川越の子女の間で唄われるようになり、やがて江戸に伝わり、そして全国へ広がっていったのでしょう。

川越城本丸御殿
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三芳野神社は本丸御殿からすぐ近くの駐車場の脇に「とうりゃんせ」発祥の地三芳野神社の看板があります。
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「ずいずいずっころばし」の歌詞

ずいずいずっころばし ごまみそずい
茶壷に追われて どっぴんしゃん
抜けたら どんどこしょ
俵のねずみが 米食ってちゅう、 ちゅうちゅうちゅう
おっとさんがよんでも、おっかさんがよんでも
行きっこなしよ
井戸のまわりで、お茶碗欠いたのだぁれ

ウィキペディアによると意味は
胡麻味噌を摩っていると、お茶壺道中が来るというので、家の中に入り戸をピシャリと閉めてやり過ごす。
お茶壺道中とは新茶を将軍に献上する行列のことで、切り捨て御免の時代柄、庶民は粗相のないように細心の注意を払っており、子供たちは両親に呼ばれても決して外に出てはいけないと教えられた。
お茶壺道中が通り過ぎるとやっと一息つげたのである。
ところで家の中で息を潜めていると、米を齧っているネズミの鳴き声や、井戸の近くで茶碗が割れたような音まで聞こえてくる。

これはお茶壺道中を風刺した唄です。

三代将軍家光はお茶好きで、京都の宇治茶を江戸に運ばせたそうです。
これがお茶壺道中の始まりです。
行列にも格式があり、お茶壺道中は公家、宮家の御一行に準じたといいます。
大名でも籠お降りて頭を下げなければならなかったようです。
8代将軍吉宗の質素倹約令で、お茶壺は年間3個までと決められ、お茶壺道中は小規模になりましたが、それでも幕末まで続きました。
 
お茶壺道中は箱根山を下り、小田原城に立ち寄ります。
箱根口門から入り、小峰橋を渡り、右手のお茶壺曲輪に向かいます。
お茶壺曲輪にはお茶壺蔵が設けられていて、そこにお茶壺を収納して、一行は小田原宿に宿泊し、再び江戸に向かって出発したそうです。
 
小田原城はそんな役割をするお茶壺蔵を曲輪に建てていたのです。
小峰橋はお茶壺道中の往来に使用されたのでお茶壺橋と呼ぶようになりました。
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現在お茶壺曲輪には古くなったお茶壺道中の説明碑があります。
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小田原城の映像も
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閉じる コメント(2)

三芳野神社に立ち寄った時は旅の最終で足が痛くて辛かった。
ホントに限界でした。

お茶壺道中は庶民にとっても沿線の大名にとっても大迷惑だったのでは?

将軍の権威を見せつけるデモンストレーションでもあったと思います。

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

2019/1/15(火) 午前 0:31 [ 馬秀のすけ ]

顔アイコン

> 馬秀のすけさん
おはようございます。

三芳野神社は大変でしたね。

実は川越城は馬秀のすけさんと私の間を取り持った城なのです。
馬秀すけさんが確か川越城のブログを2回にわたって掲載したのを読んだのが初めての出会いでした。
私は川越城の有名なポイントしか訪れて居ないのに、馬秀のすけさんはかなり詳しく色々な場所に行っているので、凄い人だなと思いました。下調べの勉強もコツコツとしていて、内容も面白いと思いました。
そんな訳ですぐにお気に入り登録させてもらいました。
そんなことをふと思い出してしまいました。

お茶壺道中の出発の宇治茶の店も馬秀さんのブログで初めて知りました。

馬秀すけさんのブログ面白くて役に立ちます。

2019/1/16(水) 午前 7:41 [ pa2***** ]


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