|
2019年1月19日
下田駅には14:45に戻ってきました。
夕方まで少し時間があるので、レンタサイクルで市内を廻ろうと考えて、駅の観光案内所でレンタサイクルの店を紹介してもらうと、丁度下田駅前にもあることが分かりました。
店を訪ねると電動サイクルは置いていませんでしたが、近場だったら殆ど平たんな道なので普通の自転車で十分大丈夫と言うことでした。
店は17時までなので2時間レンタルしました。
先ず伊豆急下田駅周辺です。
ペリー来航の黒船が
開国の足湯
下田温泉の湯が流れ出ている「伊豆の太陽」で温泉を飲むことができます。
下田ロープウエイの方向にお城が見えました。
もう少し近くで観るために稲生沢川の岸まで行ってみました。
お城はこんな感じです。
翌日乗ったタクシーの運転手さんの話では、東京の森下産業という会社が観光用に建てた建造物で入場料を取って建物の中を見学させていたそうです。
下田城とは全く関係はありません。
少し前から老朽化が激しく閉館され、最近ではかなり傷んで危険なので訪れる人もいないとか。
稲生沢川の右岸を下流に新下田橋まで進み、右折してさらにマイマイ通りを2,3分走ると宝福寺がありました。
この寺は安政元年(1854年)3月にペリーとの間に結ばれた日米和親条約の交渉の際に日本側全権の打ち合わせ場所として使われ、下田開港後は下田仮奉行所となっていました。
下田奉行所の在った本堂
また文久3年(1863年)に下田に入港した大鵬丸に乗船していた土佐藩山内容堂がこの寺を宿舎にとり、たまたま順動丸で入港してきた勝海舟が訪れて、坂本龍馬の脱藩の罪の許しを請い認められた場所でもあります。
その為でしょうか坂本龍馬像が本堂の前方に建てられていました。
この寺には日米通商条約締結のために下田にやって来たハリスに仕えたお吉の墓があります。
本堂の横にお吉記念館があり、そこの中庭にあります。
お吉記念館
中庭
お吉の墓
女優の水谷八重子さんは唐人お吉の物語を舞台で何度も演じていたことから、従来のお吉の墓の隣に、新たに許嫁の鶴松の墓とお吉の墓を並べて建之しました。
実物大に造られた想像上のお像吉像です。
お吉の19歳の写真です。
(なお、お吉については別稿で取り上げたいと思っています。)
お吉の使っていたカンザシや櫛など
鶴松の使っていた品
ハリスが使用していた
ランプ
ギヤマン
磁器
また坂本龍馬関連の資料も展示されていました。
その中に山口容堂、勝海舟の謁見の際に使用した杯もありました。
宝福寺には20日にも寄っているので20日に撮影した映像が混じっています。
宝福寺を後にして、マイマイ通りを進んでいくと突き当りが法願山了仙寺です。
了仙寺はペリー艦隊が下田に入港して来た時の、ペリー提督一行の応接所として使われ、この寺で和親条約付録下田条約が調印されました。
山門
本堂
高い場所に在る仏塔
ペリーロードは下田に入港したペリー提督一行が了仙寺に向かって行進した道です。
平滑川沿いに700mほど続き、幕末から大正期にかけて建てられた石造りの洋館や古民家が多く、レトロな雰囲気です。
途中に1829年製の30ポンドカロネードが設置されていました。
ペリーロードの出発点は下田港で、下田公園下の鼻黒にペルー艦隊上陸の碑があります。
横には日米友好の灯があります。
この灯は平成15年7月日米交流の発端となるペリー来航150周年の節目を祝う第20回ニューポート黒船祭りの折、「NEW!!わかふじ国体」炬火リレーに使用するために採火されたものです。
炬火リレーとして利用後は、平成16年3月31日、下田港150周年の際にこのモニュメントに点火され、日米友好のシンボルとして灯り続けているそうです。
この辺りは下田港が良く見渡せます。
下田公園横を海岸に沿って進んでいくと海上保安部があり、岸には海上保安庁の船舶が停泊していました。
防波堤の先に犬島があります。
防波堤を辿って犬島に渡りました。
向こう側には白い下田港東防波堤灯台がありました。
そろそろ16:30なのでレンタサイクルを返しに行かないと。
|
全体表示
[ リスト ]



