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2019年1月20日
須崎恵比寿島から伊豆急下田駅に戻り、1番バス乗り場に行くとガイドさん運転手さんが待ち受けていて、急いでバスに乗り込みました。
前方の席は埋まっていて後部座席しか残っていません。
乗客の殆どが御夫婦の方で、私と40代の男性が一人ものでした。
最初に向かったのが伊豆クルーズ遊覧船乗り場で、ここで黒船サスケハナに乗り換えて下田港を遊覧します。

黒船サスケハナ
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船内はこんな感じ
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実際の蒸気船サスケハナはこの遊覧船の長さの3倍、排水量は20倍以上もある巨大なものでした。
蒸気船サスケハナは神奈川条約調印後はマカオに向かったため、代わりに蒸気船ポーハタンが旗艦として下田に入港しています。
つまりサスケハナは下田を訪れていないのです。
ですから、遊覧船の名前はポーハタンとすべきだったのかもしれません。

下田湾には昆沙子島(みさごじま)、弁天島、犬走島、少し大きい赤根島があります。
昆沙子島
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特にこの島についての物語はあまり残されていないようですが、犬走島は「イヌワシが棲む島」と言うのが名前の由来と伝えられていますから、昆沙子島は鷹の仲間の「ミサゴが居た」とする由来は如何でしょうかと言う人がいます。
しかし島をよく観察するとミサゴでなく、現在はウミウが住み着いているようなので、この説どうなのでしょうか。

弁天島
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柿崎弁天島とも呼ばれ、元は湾内に浮かぶ島でしたが、防波堤により地続きになり道路が通じています。
1854年日米和親条約締結のためペリー提督が2度目の来日で、下田に入港しました。
幕末志士吉田松陰と金子重之輔は黒船に密航して渡米しようと企て、下田にやって来ます。
弁天島の祠に隠れて夜を待ち、小舟でペリーのポーハタン号に接触することに成功しますが、ペリーは江戸幕府との外交交渉に差し障ると考え、松陰らには面会せず、ボートで返しています。
密航失敗が露見するのも時間の問題と考えた松陰は、柿崎村の名主のもとに出頭し、番所に連行され、江戸で投獄され、さらに国もとに蟄居を命じられ、長州へ護送されました。
その後安政4年(1857年)叔父の主宰した松下村塾の名を引き継いで、杉家の敷地に松下村塾を開塾し、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋などを弟子に持ったことは有名な話です。
弁天島には吉田松陰と金子重之輔が身を潜めたという社が現存し、石碑が建てられているそうです。

犬走島
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西の和歌の浦側から長さ350m程の防波堤で繋がれています。
前日の19日に防波堤を通ってこの島に渡りました。
島から東に30m程防波堤が伸びていて、先端部分に下田港西防波堤灯台が建っています。
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湾内にはこの他にも

下田港東防波堤灯台
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下田港仮設外東防波堤灯台
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下田港西防波堤仮設灯台
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下田灯台
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などが見えます。
名前が分かりませんが、灯台なのでしょうか、標識なのでしょうか。
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湾内には利島・新島・式根島・神津島を巡る神新汽船のフェリーアザレア号や海上保安庁の船舶が観れました。
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また赤根島近くに下田海中水族館の建物が見えました。
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所要30分の遊覧でした。


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