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2014年2月2日
前回、座喜味城跡を紹介しましたが、沖縄の城繋がりと言うことで、2014年2月に訪れた勝連城跡、中城城跡、今帰仁城跡について少しづつ紹介したいと思い、今日は勝連城跡についてです。
琉球は北山、中山、南山の3国に分かれて3人の王同志が覇権を争っていましたが、最終的には中山の尚巴志によって統一されました。
統一される以前の中山には、座喜味城、知花城、喜屋武城、勝連城、越来城、、中城城、浦添城、首里城がありました。
その関係勝連城跡は、首里城跡、座喜味城跡、中城城跡などとともに、世界遺産に登録されています。
一番高い部分が一の曲輪です。
出入り口は南風原御門と西原御門の二つです。
私たちは西原御門側から入城していきます。
勝連城跡石碑
ここで恋が成就すれば永遠の契りとなるが、失恋すると男女いずれかが命を落とすと言われています。
ウタミミガー
井戸の水が少ないと豊作、
井戸の水が多いと凶作となります。
四の曲輪から三の曲輪の石積みが臨めます。
三の曲輪城門から三の曲輪に入ります。
三の曲輪
三の曲輪は儀式などを執り行う広場として、使用されていたようです。
トウヌムトゥ
すり鉢状の遺構
三の曲輪の石積み
三の曲輪の上が二の曲輪で、首里城の正殿のような建物があったと言われています。
城の中枢部分です。
建物の礎石跡でしょうか。
ウミチムン(火の神)
ウシヌジガマ
一の曲輪の石積みを望む
一の曲輪
かつては二の曲輪のウシヌジガマと繋がっていたと言う説があります。
一の曲輪の石積み
四の曲輪から中国陶器類が大量に出土することから、勝連は海外貿易の中心地として栄えていたと考えられます。
繁栄をもたらしたのは人々から信頼の厚かった、阿麻和利という10代目の城主でした。
阿麻和利の勢力に脅威を感じた琉球王・尚泰久は重心の護佐丸を中城城主に任命し、阿麻和利をけん制する一方で、尚泰久の娘・百度踏場を阿麻和利に嫁がせます。
ところが天下統一を目指した阿麻和利は1458年に中城城の護佐丸を倒し、王府打倒へと動き出します。
それを知った妻の百度踏場と付き人の大城賢雄は国王に危機を密通し、阿麻和利を裏切った大城賢雄は王府軍を率いて、勝連城を滅ぼしてしまいます。
百度踏場は夫を殺した大城賢雄と再婚します。
しかしその賢雄も王府の陰謀で殺されてしまいます。
百度踏場は二度も夫を殺された悲劇の女王と言われていますが、自分自身も阿麻和利を裏切っているのですから、私は同情できません。
女性は父親と夫の究極の選択を迫られたとき、血の繋がった父親を選ぶものなのでしょうか。
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