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2019年7月3日
船橋市に用があったので、帰りにシャポー船橋南館4階のピッツェリア カンパニーレに寄ってきました。
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この店は昨年6月28日にイタリアの真のナポリピッツァ協会から世界で735番目にナポリの伝統製法を守り、薪窯で正真正銘のナポリピッツァを焼き上げているピッツェリアとして認定されました。
認定書は本社に保管されていて、店内には展示されてないので今回は撮影できませんでした。
通し番号735が付与されているプルチネッラの看板です。
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ピッツァヨーリの田中康之さんは日本ナポリピッツァ職人協会の会員です。
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またこの店は新宿にある真のナポリピッツァ協会認定のピッツェリア・カポリ(通し番号412)と姉妹店です。
ピッツェリア・カポリについては以前YAHOOブログpa2*****で紹介済みです。

店内の様子
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薪窯
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立派な芸術品のような窯です。
 
昼間はランチメニューのみです。
マルゲリータとビアンカに鱧のアーリオオーリオ、オリーブ、揚げ茄子をトッピングしたもののハーフ&ハーフにしました。
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ハモをトッピングしたピッツァは初めてです。
生地はまずまずの味でした。
家内は秋田産生ハムとリコッタチーズのパヌッツオにしました。
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モチモチ食感のピッツァ生地で挟んだナポリ風サンドイッチと言うかバーガーのような食べ物です。
少し分けてもらいましたが、ハンバーガーのようにマヨネーズがしっかり効いていました。
リコッタチーズは塩分控えめであっさりとして美味しいです。
カッテージチーズと同じようなものです。
サラダドリンクセットは別料金です。
サラダ
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値段は低めに設定されていました。
いつかまた認定証を撮影に行かないといけません。
2019年6月2日
上野の東京文化会館小ホールでクァルテット・エクセルシオ第36回東京定期演奏会があったので聴いてきました。
クァルテット・エクセルシオについては
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プログラムは
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第1曲目はベートーヴェンの弦楽四重奏曲第1番です。
ベートーヴェンは9曲の交響曲で自己の芸術を聴衆に披露し、32曲のピアノソナタで自己の内なる心情を表現したのに対し、16曲の弦楽四重奏曲で自己や人生の微妙な問題を提示しました。
弦楽四重奏曲は謂わば私小説のようなものです。
第1番となっていますが作曲の順番では第2番の方が先です。
出版は先輩のハイドンに倣って作品18として、6曲セットとして行われています。
ですから第1番は作品18−1となります。
第1番と言えども推敲に推敲を重ねて作曲した作品らしく、青年作曲者ベートーヴェンの気概と頼もしさのようなものが窺え、曲の完成度が高く、聴いていて澱みなく流れていく感じです。
第1楽章冒頭のテーマは繰り返し登場するので馴染め親しむことができ、第二楽章ではロメオとジュリエットの墓場での場面を想定して作曲しているため、この時期のベートーヴェンしては珍しく暗く深刻な感じになっていますが、第3楽章では再び明るさを取り戻し、第4楽章でモーツアルトのロココ風の感じで処理されていきます。
第1番は好きな曲で、作品18の中では1番親しまれている曲ではないでしょうか。
聴いていて本当に心地よい気分にしてくれます。

続いてショスタコーヴィチの第8番です。
ショスタコーヴィチも弦楽四重奏曲を15曲作曲しています。
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を私小説だと言いましたが、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲もベートーヴェンに劣らずもっと赤裸々な私小説と言えるのではないかと思います。
社会主義レアリズムのもとで、交響曲やオペラが批判され、作曲の自由が制約されていた時の、避難場所が弦楽四重奏曲であったのではないか。
その最も苦しい時に作曲されたのが第8番だと思うのですが。
ショスタコーヴィチは意に反して共産党への入党を迫られ、自殺まで考えて作曲した辞世の作品と言う説が一般的になってきています。
弦楽四重奏曲はシェルターですから、表向きの顔は「ファシズムと戦争の犠牲者」に献呈するようにと表現されていますが。
5つの楽章を連続的に演奏していく、15〜16分ほどの作品ですが、随所に聞いたことがあるパッセージが流れてきます。
そうです第1楽章は第1交響曲の引用、第2楽章はピアノ三重奏曲第2番の「死の舞踏」、第3楽章ではチェロ協奏曲第1番、第四楽章ではスターリンに批判された歌劇「ムツェースクのマクベス夫人」のラルゴが引用されています。
その他にも第8交響曲、第10交響曲も引用されているとかです。
精神的に追い詰められた状態で、急いで自分の作曲した作品群を総括し、わずか3日で第8番の作曲が終わりました。
5つの楽章を通して聴くとショスタコーヴィチの深刻な状態が良く伝わってきます。
演奏者も第2楽章では迫真の演奏で、凄いエネルギーを消耗してしまうのではないかと想像できます。
第3楽章では第1ヴァイオリンの西野ゆかさんの演奏に引き込まれてしまいました。
第4楽章のゆっくりとリズムを刻むを個所などドラマチックで印象的でした。
やっぱり第8番が15曲の中で抜群に輝いているのではと思いました。
 
弦楽四重奏曲の歴史の中でベートーヴェンの16曲が第1のピークでバルトークの6曲が第2のピークだと思っていました。
バルトークの弦楽四重奏曲は彼の人生とか個人の問題とは全く関係ない処、音楽の奏法と言うか技法と言うか、そういった理性的客観的な作品群です。
若い頃は盲目的にバルトークが好きでした。
でも6曲聴くと正直キツイです。
感性で聴くと言うより理性で聴かなければならないからです。
それに対してショスタコーヴィチは標題音楽的手法の私小説を感覚的に聞けばよいので割と気楽に聞けます。
現在の私はバルトークと同じ位ショスタコーヴィチも好きになりました。
ベートーヴェンに続く20世紀の弦楽四重奏曲のピークはバルトークの5番とショスタコーヴィチの8番だと思えるようになってきました。
今日は8番が聴けて良かったです。
 
休憩後はブラームスの第3番です。
ブラームスの弦楽四重奏曲は苦手です。
嫌いなわけではないのですが、聴いていて好きになれないと言うか魅力が感じられないのです。
弦楽6重奏曲やピアノ5重奏曲などは凄く好きなのに、どうしたわけでしょうか。
ただ演奏する人たちにとっては、大曲でやりがいのある曲なのかもしれませんが。

私にとって今日のコンサートは前半の2曲が聴きどころだったと思います。
定期演奏会だったのでアンコールはありませんでした。

クァルテット・エクセルシオ
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2019年5月23日
地下鉄銀座駅9番出口より徒歩5分の銀座シャネルビル10階のベージュ アラン・デュカス東京で会食があったので行って来ました。
シャネルビル
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ベージュ アラン・デュカスの入口
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少し早く着いたのでラウンジで待ってました。
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ベージュ アラン・デュカス東京はシェフ、アラン・デュカスとチャネルのコラボレーションによるコンテンポラリーなフランス料理提供し、ミシュランガイド東京で二つ星を獲得しています。
 
テーブル
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前菜I
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ゲランドの塩とソース
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真鯛、海草、ムラサキニンジン、レタス、アカカブを乾燥させたものとライスチップのフリットです。
ゲランドの塩、ソースで頂きます。
ソースは生の真鯛、海草、ムラサキニンジン、レタス、アカカブをミキサーで攪拌しソースにしたものです。
スープと共に頂くと味が引き立ちます。
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バターとパン
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前菜II
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アスパラガスとグリンピースのムースにメレンゲで、ガレットが敷かれています。
ソバの実が添えられています。
上品で味わい深い一品です。

貝のグリエとブレットのフォンダン
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抹茶ソース
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貝はヒオウギガイで普段草の上に載せられています。
赤い芽はビーツです。
ヒオウギガイは初めてでしたが、割と美味しかったです。

北海道産桜マスの炭火焼き
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赤ワインと鱒のソース
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ソルガムにラッディッシュ、玉ねぎ、アスパラガス、ウイキョウを載せています。
ソルガムのプチプチ感が心地よいです。
桜マスは特別な印象はありませんでしたが、ソースによって味は引き立てられます。
 
フランス産仔牛
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肉汁のソース
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ジャガイモ、ナス、トマトなどの薄切りを重ねてグラチネしたプロバンス風野菜料理も添えてあります。

これからデセールです。
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ミニャルディーズ
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シュークリーム、マカロン、ショコラです。

ル・ショコラ・アラン・デュカスのカメリア
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断面
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当店のスペシャリテです。
竹炭で黒くしています。
かなり甘いです。

ショコラのジェラート
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最後は甘すぎました。

紅茶
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甘かった口の中が漱がれるようです。

10階なので窓から外が見渡せます。
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ショップカード
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2019年6月18日
高林寺から引き返し、二本松ICで東北自動車道に入り吾妻PAでトイレ休憩です。
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スタンプ
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パーキングエリアの一角に「笈も太刀も 五月にかざれ 紙幟」の芭蕉の記念碑がありました。
この句は1689年5月1日に福島県飯坂町平野にある医王寺に寄った時、丁度5月の節句を祝うために寺宝である弁慶の笈と義経の太刀が飾られていて、それを見て詠んだものです。
飯坂町は吾妻PAから近く、芭蕉が奥の細道の旅に出発してからちょうど300年になるのを記念してこの碑が建てられたようです。
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さらに東北自動車道を北上し白石ICでおりて、国道457号線を辿り、遠刈田温泉を通り蔵王エコーラインに入ります。
蔵王エコーライン入り口の鳥居
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山道を進み、山頂近くなると所々に残雪がありました。
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この辺りはアオモリトドマツが松くい虫の被害でかなり枯れていました。
被害は斜面全体に広がっていました。
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蔵王のアオモリトドマツは冬季に樹氷ができることで有名ですが、こんなに被害が広がっていくと、有名な樹氷も将来見られなくなるのではと心配されているようです。
松くい虫の被害は、以前中国地方や関西地区でアカマツ林で起こっていました。
山陽本線で岡山県や広島県を通るとき赤松が枯れてひどい状態でした。
アカマツ林では松茸が採れますが、至る所で松茸が採れなくなったらしいです。
松くい虫の被害が東北まで広がって来ていることに驚きました。

途中俄雨があったりして天候が気になり、お釜は見えるかどうか心配でしたが、最近はお釜のライブ映像がネットで観られるらしく、添乗員さんが逐一チェックしていて山頂は曇りですが霧が無いため見れると言うことでした。
蔵王レストハウス前の駐車場で下車しました。
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ここからお釜までゆっくり歩いて10分ほどです。
人と比べたお釜です。
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アップすると
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少し高い場所からでは
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周りに残雪があります。
この辺りには高山植物のハイマツ
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イワカガミ
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アカモノ
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ハクサンチドリ
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などを見ることができました。

刈田岳山頂には刈田嶺神社の奥宮があります。
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山頂まで5〜6分ほどの登りです。
登り詰めると
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拝殿と授与所
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神社からお釜を覗くと
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奥之宮の扁額
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狛犬もいました。
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神社なのに地蔵尊がおられました。
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記念に御朱印を頂きました。
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御朱印の日付を見ると皆月拾捌日となっています。
6月はみなづきで、普通は水無月と書きますが、ここでは皆月となっています。
日本語は平仮名から始まりましたが、途中から漢字が採用されました。
平仮名を漢字でどのようの表すか、人によっていろいろ表現法はあったと想像されます。
表音文字の平仮名を象形文字の漢字で表そうとすると色々候補があがります。
どれでも良いわけです。
時とともに表記法が統一されていって、水無月が主流になっていた。
中には皆月を使い続ける人達もいて良いわけです。
そういうことだと思います。
拾捌日ですが、捌はさばくとゆう意味が普通ですが、八の代用字でもあります。
ですから18日を表しています。
年号も干支の己亥(つちのとい・きがい)と表記しています。
2019年の干支は己亥です。
干支は甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十干と子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二支で、十干の最初の「甲」と十二支の最初の「子」を組み合わせて「甲子(きのえ)」から始まり、「乙丑」、「丙寅」、「丁卯」と続き、「癸亥」で一巡します。
一巡は10と12の最小公倍数60で終わります。
干支が一回りして同じ干支が巡って来ると「還暦」です。
60歳の還暦はここからきています。
60年周期の干支紀年法は中国などで始まり、日本では欽明天皇15年(554年)に採用されたと言う説があります。
672年の「壬申の乱」、1868年の「戊辰戦争」、1911年中国の「辛亥革命」などの歴史上の大事件に干支が使われています。
阪神甲子園球場の名称も竣工された1924年の干支が「甲子(きのね)」だったかです。
残念ながら寅年ではなかったようです。

御朱印の日付から横道に逸れてしまいました。
 
添乗員さんの話では、レストハウスで販売している玉コンニャクがお勧めと言うことで、安いので買って食べてみました。
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味がコンニャクの中まで浸みていて割合美味しかったです。

この後チーズ工房に寄った後、遠刈田温泉にあるホテルに宿泊しました。
ホテルで刈田嶺神社のことを調べていたら面白いことが分かりました。
刈田嶺神社は遠刈田温泉に在る神社と、今日御朱印を頂いた刈田岳山頂の刈田嶺神社が対になっていて、山頂の方を「奥宮」、遠刈田温泉にある方を「里宮」と言います。
御神体は夏季は山頂の「奥宮」に、冬季は麓の「里宮」に季節遷座されます。
「里宮」から「奥宮」への遷座は、大体蔵王エコーラインの開通する4月下旬ころです。
また「奥宮」から「里宮」への遷座は秋の彼岸が終わった後、10月第1日曜日に「御神体下山式」が執り行われます。
蔵王連峰の「蔵王」は刈田嶺神社が蔵王権現を祀っていたことに由来しています。
蔵王権現と言えば吉野山の巨大な青い三体の立像が有名ですが、刈田嶺神社は吉野と関係があるのでしょうか。
奥宮を見たら里宮も見たくなり、スマホで調べると宿泊しているホテルから約2キロほどの場所の里宮があることが分かりました。
翌日早起きして朝食前に行ってみることにしました。

2019年6月19日
朝から体力を消耗したくなかったのでフロントでタクシーを頼むと、タクシーは7時から営業で早朝は利用できないと言われました。
里宮まで往復で4㎞以上です。
観たい一心で出発しました。
ゆっくり歩いて里宮まで40分くらいかかりました。
一の鳥居
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蔵王権現の扁額がかかっています。

二の鳥居には三角形の扁額でしょうか。
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三角形の扁額はブログを書くために映像を見ていたら初めて気づきました。
珍しいです。
当日気付いていたら、詳しく撮影しておいたのですが。少し残念です。

鐘楼がありました。
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神仏習合の名残でしょうか。
そう言えばこの門は山門のような造りに見えませんか。
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もともと権現自体が神仏習合から誕生したものですから。

狛犬
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さらに拝殿の前には2対の狛犬のようなものが見えます。
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小さい方の1対は
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どう見ても狛犬には見えません。
後で神社に問い合わせたところ、これはカエルだと言うことが分かりました。
蔵王権現信仰は山岳信仰です。
先ず里宮にお参りしてから、険しい山道を辿って奥宮に参ります。
道中危険な場所があったり険しい難所などを無事の通過して帰って来るのがなかなか大変でした。
そこで無事に帰って来られるようにとの願いから  帰る➝カエルとなり、奥の宮から無事に帰れるようにと狛犬のように一対のカエルの像を建立したと言うことです。
もう一度拝殿や狛犬などを
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参拝後御朱印を頂きたかったのですが、5時40分頃なので神社の人が起きておられるかどうかわからなかったので、呼び鈴は押さずにホテルに戻りました。
御朱印のサンプルがあったのでそれを撮影して来ました。
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結局1時間20分の散策となってしまいました。
これが影響して後で行く立石寺では奥之院まで登る余力がなくなっていました。
雨の中と言う悪条件も重なったからかもしれませんが。
2019年6月18日
今日から1泊2日で山形蔵王のお釜や立石寺、谷沢バラ園の見学や、天童でのサクランボ狩りなどして来ます。
集合は東京駅でしたが、上野駅や大宮駅から途中乗車もできるので、私は上野駅に行きました。
乗車するやまびこ205号仙台行きは、スーパーこまちとハヤブサの連結車両でした。
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席は6号車8A席で、7:50発車です。
8A,8B席は御夫婦だったので同じツアーの参加者だと思い話しかけてみましたが、話の内容が微妙にずれて居ます。
変だと気が付いて相手の参加バッジを見たら、違う会社のツアーの人達でした。
私が途中乗車だったので、席が他社のツアーの人達の側のなったらしいです。
それでも結構三人で話が弾んで、すぐに下車する新白河駅に着いてしまいました。
新白河駅
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ここでバスに乗り換えて、白川中央ICから東北自動車道に入り、二本松ICで高速道を降りました。
高林寺は二本松市の太田地区にあります。
途中安達ケ橋を渡ると、左手に安達ケ原ふるさと村が見えます。
シンボルの五重塔が車窓から見えました。
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2011年6月19日に安達ケ原ふるさと村に来たことがあり、その時撮った五重塔です
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歌舞伎、謡曲、浄瑠璃で昔から演じられている、安達ケ原の鬼婆の物語は有名でよく知られています。
紀州熊野の僧・東光坊阿闍梨祐慶が破魔の真弓に金剛の矢をつがえ、鬼婆を射て埋葬したところが黒塚です。
安達ケ原黒塚
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平兼盛が詠んでいます。
みちのくの 安達ケ原の黒塚に 鬼こもれりと 聞くはまことか

昔のことを思い出しました。
 
ここから15分位で太田地区の高林寺に着きました。
高林寺は護法山と号する曹洞宗の寺です。
この寺に寄ったのはあじさい寺として有名だからです。
7月17日の石原裕次郎のあじさい忌にも高林寺のアジサイが飾られたこともありました。
しかし6月18日では千葉県でもアジサイが色づき始めたばかりで、北にある東北の福島県では時期的に早すぎます。
本堂の裏手のスギ林の中にアジサイが植えられていますが
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殆ど咲いていません。
まだこんな感じです。
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日当たりの良い場所では
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これがこの寺で有名なダンスパーティーと言うアジサイかもしれません?

寺の前の道路脇はかなり日当たりが良いのか、もっとましなアジサイもありました。
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見頃なのはツルアジサイとカシワバアジサイだけでした。

ツルアジサイ
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カシワバアジサイ
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高林寺ではこんなものが出迎えてくれます。
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石段を上って行くと
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本堂です。
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本尊は釈迦如来です。
薬師堂もありました。
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日光・月光菩薩の脇侍と薬師さんの三尊像と12神将が安置されています。
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高林寺の御朱印
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高林寺に来る道々で、2012年10月27日にも、もっと奥にある針道地区の小手森城址や木幡山の隠津島神社まで行ったことも思い出しました。

小手森城址
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隠津島神社拝・幣殿
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ここは神社なのに三重塔があります。
交通の便が悪いのですが、三重塔を撮影したくて何とかたどり着けました。
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ついでに2016年11月28日に訪れた、岩代地区の小浜城跡の紹介もします。
二本松市に来たのに二本松城を差し置いて、小浜城跡を紹介するのは如何かと思われるかもしれませんが、二本松城は有名で紹介することも多くなり、ここではマイナーな小浜城跡を簡単に紹介します。
小浜城と言えば若狭(福井県)の小浜城が有名ですが、実は若狭の小浜とここの小浜は関係があるのです。
ここの領主の大内氏はかつては若狭の小浜に居住していましたが、晴継の代(応永年間)に東安達を統治していた石橋氏の家臣になり当地に移住して来ました。
その子宗政が築城した折、地形が小浜に良く似ていたので小浜城と名付けたそうです。
大内氏は弱小の領主であったため、伊達と芦名に交互に身を寄せて、自分の安全を図っていましたが、天正13年伊達政宗に背いて芦名氏に属したことから、政宗から攻撃を受けて敗走してしまいます。
伊達政宗は畠山氏が居住する二本松城の包囲戦を実行するため、ここに1年ほど在陣しています。
二本松市の支所がある辺りが、大手口です。
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本丸虎口
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石垣も残っています。
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本郭
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本郭に在る城跡碑
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また政宗桜と言うものもありました。
政宗が在陣していた時の桜と関係があるのでしょうか。
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本郭に段差がありますが、これも曲輪なのでしょうか。
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空堀
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本郭と二の郭の間の堀切
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道路として使われています。
下の方の畑もかつては郭だったのでしょうか。
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高林寺のアジサイが早かったので、昔訪れた神社や城跡を紹介しました。
ついでに二本松駅舎も。
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次は山形蔵王のお釜を紹介します。

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