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2018年10月25日
新国立美術館の東山魁夷展には唐招提寺御影堂の障壁画が再現展示されていました。
それを観てふと色々想い出しました。
天平時代仏教伝来から200年経っていたにもかかわらず、日本には正式な僧がいませんでした。
そんな日本の仏教を危惧した聖武天皇は唐から僧を招くことを考えました。
そして栄叡と普照の二人の僧を唐へ派遣しました。
二人は高僧鑑真に会いました。
鑑真は4万人の弟子を持つ唐の宝と呼ばれるほどの名僧で、弟子に日本行きを勧めましたが、誰も手を挙げませんでした。
「仏教に国境も人種の壁もない。誰も行かぬなら我がゆかん。」と56歳の高齢を押して渡航を決心します。
密告や船の難破などで密航は5度も失敗し、多くの人命と自らは視力を失います。
ようやく6度目にして日本の地に辿り着いた時は、渡航を決心してから12年もの歳月が過ぎていました。
鑑真和上が創建したのが唐招提寺です。
唐招提寺南大門
金堂
会津八一が
おおてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもえ
と詠ったのは有名です。
金堂には盧舎那仏を中心に十一面千手千眼観世音菩薩像と薬師如来像が安置されています。
ここの千手観音は凄く特徴があります。
それは実際に千本の手を持った観音像だからです。(正確には953本ですが。)
同じように千本の手を持った観音像の作例は、京田辺市の寿宝寺と藤井寺市の葛井寺の千手観音像にも見られます。
寿宝寺 十一面千手千眼観世音菩薩立像(重文)
葛井寺 十一面千手千眼観世音菩薩坐像(国宝)
金堂の後に講堂があります。
講堂の後の右奥に鑑真和上の御廟があります。
御廟入口
中に入ると苔むした静寂な雰囲気が漂います。
鑑真和上御廟
鑑真和上の死を弔う宝篋印塔
鑑真和上は御影堂に祀られています。
御廟の左横に位置します。
御影堂は開山忌の6月5日と6日に公開されるだけなので、私が行った時は中を見ることができませんでした。
御影堂は宸殿の間と上段の間、その後ろに松の間を中心に梅の間と桜の間が配置されています。
松の間の中央部分に厨子があり、その中に国宝の鑑真和上坐像が安置されています。
6月5日、6日に開山忌舎利会が催されて、厨子の特別開扉が行われます。
唐招提寺前長老の森本長老は厨子の開扉のたびに、鑑真和上の顔が何か寂しそうに感じたそうです。
鑑真和上を何か安らいだ気持ちにさせてあげたいと思うようになったといいます。
そんな時東山魁夷が文化勲章を受賞しました。
その時ふと思い立ちました。
東山魁夷に御影堂の障壁画を書いてもらうことを。
唐招提寺から打診を受けた東山魁夷は悩みました。
重要文化財の建物の障壁画を自分のもののようなものが描いてよいのだろうかと。
永い間返事ができませんでした。
東山魁夷の背中を押してくれたのは鑑真和上だったといいます。
御影堂で鑑真和上と対面していた時、全力を挙げて着実に進めて行けば必ず成就するであろうという気持ちが自然に湧いて来るのをおぼえたといいます。
「私自身、絵を描くのが特にうまい方ではありません。私にとって絵を描くことが祈りであるとすれば、上手に祈るとか、下手に祈ることは問題ではありません。心が籠るか籠らないかが問題だと思うのです。」とも言っています。
熟慮の末、昭和46年に唐招提寺の依頼を正式に受諾しました。
障壁画を描くと言うことは鑑真和上への祈り、鑑真和上への捧げものと考えて受諾したのではないかと思います。
鑑真和上が日本に来た時失明していたため、見たかったであろう日本の風景を一度も見ていないことを思い、折々に変化する日本の自然の原風景で鑑真和上を慰めてあげたい、東山魁夷はそう思ったはずです。
東山魁夷は鑑真和上が日本に来るとき難儀した荒々しい日本海を取材するため、冬の青森県竜飛岬を振り出しに山口県青海島までをスケッチして廻り、山口県からは青葉の内陸部を逆に北上し、8か月かけて3000㎞のスケッチ取材を敢行しました。
そのスケッチを基に上段の間の「山雲」と宸殿の間の「濤声」を昭和50年に完成し、奉納しました。
宸殿の間襖絵の「濤声」等
「山雲」の部分
「濤声」の部分
統一された群青の日本の原風景、これこそが東山魁夷が鑑真和上に見せたかった日本です。
しかも盲目の鑑真和上に対する優しい心遣いもあります。
これらの障壁画から随所に音が聞こえてきます。
瀧の轟音、梢を渡る風の音、岩に砕ける波の音、渚のさざ波の音、松に吹き付ける強風の音、見えなくとも音で景色を感じてほしいという思いでしょうか。
障壁画には唯一、生物のホホトギスが描かれています。
丁度開山忌の6月5日頃鳴き始めます。
開山忌に厨子が開かれたとき、日本人なら誰でも知っているホトトギスの声を聴いてほしい。
そんな気持ちで描いたのかもしれません。
厨子の置かれている松の間を中心に、鑑真和上が心安らぐように母国中国の風景で荘厳しています。
松の間には出身地の揚州を描いた「揚州薫風」が
両隣りにある梅の間と桜の間には、第5回渡航に失敗した和上が1年間滞在した桂林を描いた「桂林月宵」
中国の景勝地黄山を描いた「黄山曉雲」
が配されていました。
東山魁夷の鑑真和上への精一杯の想いが良く伝わってきました。
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