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昔懐かしい二宮金次郎の皿です。 かってはどの小学校にも二宮金次郎の銅像があり、尋常小学校の 修身の教科書には昭和20年まで模範的な少年として取り上げられました。 教科書の内容は「孝行・勤勉・学問・自営」をした結果、立派な人になりました。 で終わっています。 どのような立派な事をしたのか?この辺りが重要ですが、全然書かれていません。 小学校の時は、6年間、毎日、二宮金次郎の横を通って通学していますので、 これほど、見た銅像はないんですが、なにも分らず小学校を卒業です。 ただ、上級生が金次郎の足を土で汚し、昨日の夜中に学校の中を歩いていた と言うデマを流して面白がっていた記憶は有ります。 終戦後、連合軍がはいってきて、日帝時代の遺物を徹底的に調べました。 二宮金次郎も、修身の教科書に有りましたので、結構調べたようですが 報告書は日本で最初に民主主義を実行した素晴らしい人で終わっています。 天皇の写真は小学校から取り除かれましたが、二宮金次郎は無事でした。 さてこの薪を背負った姿ですが、ここに二宮金次郎をとく鍵が隠されて いるとされています。 今ですと、光熱費は家計の7%程度ですが、金次郎の時代は15%ぐらい で、結構な割合でした。 そこに金次郎は目をつけ、薪を拾って、小田原の城下に売りにいきました。 村の共有地で拾っていたらしく、少年の頃は村人も大目に見ていたそうですが 何時までもそうはいきません! で次に二束三文で、山を買い、木を切って、肩に背負って、城下に行って 売ったそうです。 つまり、生産・物流・販売の3役をこなして、それぞれで利益を上げ 結局は3倍の利益をあげ、二十歳で潰れた家を再建します。 金次郎は今で言えば、合理主義の経営コンサルトでした。 金次郎の才能に目を付けられ、主家〜小田原藩〜幕府〜とわたり歩くことになります。 この皿は明治〜大正の頃の皿で 裏は、この通り、無愛想な皿です。 金次郎の銅像は小学校だけではなく、あちこちで見かけます。 次に町で見かけた金次郎をUPします。 この石畳の坂道は! そうです、信長が築いた安土城の坂道です。 看板の左側が秀吉の屋敷跡、右側が前田利家の屋敷跡です。 そして、少し登った右側の高い石垣の上に總見寺と言うお寺が有ります。 このお寺は安土城と同じ頃にできたお寺ですが、今は本堂建て直しまで と言うことで仮住まいをしています。 石段を上がりますと、格子戸の向こうに、何か見慣れたものが見えます。 ホホー、何故安土城内に、二宮金次郎? この城内には、他に、織田家3名の墓が有るのみですが? こちらは、大垣の「何でも売ります屋」さんにありました金次郎。 14万8千円の値札がついていました。 富山の高岡駅前に有りました金次郎です。 こちらは、小学1年生程度の大きさで まだできて新しそうです。 後ろのビルは不動産会社の建物みたいで、社主の精神かもしれませんね! 松山の子規記念館にある、明治〜大正〜の木炭屋のポスターです。 有名な割には、地味な二宮金次郎ですが、この様に見て行きますと 現在でも全国区なんですね。 明治天皇が、金次郎の伝記を見て感激したそうです。 これが修身の教科書に載ることに成ります。 そして、銅像を最初に買ったのが明治天皇、この銅像は今も明治神宮に有るらしいです。
このような事がらが金次郎の銅像を小学校に建てる事につながったのでしょうね。 |

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子供の頃はまだ薪が重要な燃料でしたね。それがエネルギー革命、生活革命の結果、薪は不要となり、それとともに薪を背負う二宮金次郎の姿は日本人の心の現風景からも消えていったのでしょう。
日本再生のためには、倹約勤勉、苦学孝行、敬天愛人の修身道徳をさりげなく復興する必要がありますね。
教育上にだけでなく「俺の山河」の復興のためには、薪拾い・薪背負いだって有効ですね。
ありがとうございます。
2011/1/22(土) 午前 8:40 [ そふぃあ のブログ ]
これはいい!!
最高!!!
ポチツ!
今の時代には特に意味があると思います!!!
2011/1/22(土) 午前 11:21 [ 夢想miraishouta ]
クラゲさん
初めまして、コメントありがとうございます。
2011/1/22(土) 午後 0:10 [ pada ]
[ そふぃあ のブログ ]さん
金次郎が生きた時代は、文化こそ盛んに発展しましたが
経済は低成長時代が続いたそうです。
潰れかけになった所が多く、金次郎はそれを立て直しなが
ら進んで行った見たいです。
財政の再建屋さんですね!
2011/1/22(土) 午後 0:15 [ pada ]
[ 夢想miraishouta ]さん
今の時代は金次郎の出番です。
JALの立て直しは金次郎に任すべきです。
蘇ってほしいです。
2011/1/22(土) 午後 0:26 [ pada ]
色々と勉強になりました。ありがとうございました。
お皿にも金次郎さんの絵があったなんて、びっくりです。
私が通った小学校にも銅像がありました。
今はどうなってるかな。。
2011/1/22(土) 午後 1:01 [ さくら ]
学校には、やはり金次郎が有りましたか。
残っていて欲しいですね。
この写真とは別の金次郎が
「何でも売ります屋」さんで横になって売られているのを
見て可哀そうになりました。
次に行ったら無かったので、一安心、今頃大事に
されているでしょうね。
2011/1/22(土) 午後 1:12 [ pada ]
padapadaさん
二宮金次郎は我が故郷、栃木県で大活躍してくれました
栃木の英雄です
2011/1/22(土) 午後 7:00 [ 夢想miraishouta ]
おじゃまします。
私が通った小学校にも有りましたが、
娘達が通った小学校には無く、律動的な子供達の
群像がありました。
2011/1/22(土) 午後 9:39 [ 陶花 ]
もちろん、我っちの小学校にもあったし、先生からの訓話もあったね。でも我っちは、「偉い人なんだなあ」って思うことはなかった。
現在ただ今の感覚的に言えば「イヤミ」的な受け止め方をしたてように思えますね。
2011/1/22(土) 午後 11:00 [ 海比古 ]
[ 夢想miraishouta ]さん
そうなんですか、本当に日本の英雄です。
金次郎の経営方針は現代でもかなり通じますね。
2011/1/23(日) 午前 6:00 [ pada ]
[ 陶花 ]さん
なんとなく目に浮かびます。
金次郎の銅像は、小学校よりは高校に合うかも知れません!
銅像も20才頃の金次郎に変えるのがいいですね。
小学生で、金次郎を理解するのは難しいと思います。
2011/1/23(日) 午前 6:04 [ pada ]
[ 海比古 ]さん
おはようございます。
苦労に苦労を重ねて、親の言うことを良く聞いて
上位の人にとっては理想的な人物とも言えます。
明治天皇が感激したのは、彼の財政建て直し方法でした。
日本を立て直す、これが天皇のメインテーマと思います。
2011/1/23(日) 午前 6:09 [ pada ]
そうなんですよ。
県下には、二宮神社なるものもあります。
晩年は、栃木県で、暮らしたようですね。
2011/1/23(日) 午後 1:18
一寸拝見するのが遅かった・・・。
何とも懐かしい人の登場でした。
私達が尋常小学校(古〜!)に上がった時には、皆もの歌が歌えました。
柴刈り繩なひ 草鞋(わらぢ)をつくり、
親の手だすけ 弟(おとと)を世話し、
兄弟仲よく孝行つくす、
手本は二宮金次郎〜。
ちなみに・・・終戦時に1年生でした。
2011/1/24(月) 午後 1:43 [ ミーコ ]
こんにちは
1958年1月生まれです. はじめまして 茨城(いばらki)県那珂市在住です.
興味深い記事がたくさんありますね
読ませていただきます.
2011/1/24(月) 午後 5:39 [ 中川 ]
みやまつりさん
そうですか。栃木には二宮神社が有るんですか!
初めて知りましたが、有っても良いですよね。
それなりに日本の為に貢献しました。
明治天皇を動かしましたので、日本を動かしたようなものです。
2011/1/24(月) 午後 7:40 [ pada ]
ミーコさん
この歌は尋常小学校の唱歌ですね。
明治らしい歌です。
金次郎の家は、それなりの家だったらしいですが
天災で破壊されます。
親や弟の面倒を見ながら、若干20歳で立て直します。
素晴らしい根性です。
明治天皇も西洋に遅れた日本を金次郎の精神で
立て直したかったのでしょうね。
2011/1/25(火) 午前 5:19 [ pada ]
中川さん
骨董関係から始まったブログですが
何でもありのブログになってきました。
今後とも宜しくお願い致します。
2011/1/25(火) 午前 5:22 [ pada ]
miraishota さんもpadapadatalentさんも二宮尊徳はお好きでしょうか?こんなooな質問するのも、世間の相場どおり、二十代までは、彼をなんとも思ってなかったのですーーロクに知らないのに。そして三十過ぎてはじめて少し読んで、驚きました。彼にはなんの罪もなかったと知りました。「誠の道は、書かれずーー」
でしたか、かれの言葉は体験に裏打ちされた真実の語ですね。
2011/10/25(火) 午後 5:42 [ Kiyoshiroo ]