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三島青磁のぐい吞みです。
径8.6Cm〜元は多分祭器、サイズ的にはぐい吞みにピッタリですね。
青の高麗、白の李朝と言われますが、青から白に移る狭間に出来たのがこの
様な退化した青磁で、韓国では粉青沙器と言われています。
青磁の最盛期は13世紀頃でしょうか?
貧乏したけりゃ青磁をやれなんて言う言葉があるくらい青磁は難しいらしいです。
まずは土の選定〜白土では駄目である程度鉄分の入った黒土でなければなりません。
そして700℃ぐらいで一旦焼いて、次に透明釉薬に僅か鉄分が混じった釉薬をかけ
て還元炎で上手に焼けば翡翠色の焼き物が出来上がるみたいです。
透明ガラスを平面で見ればどって事ないですが、縦に見ますと青く見えますね。
そして下に黒い土を置いて置けばより澄んで見える、これが青磁の原理と言う事が
本に書かれていました。
高麗も末期になりますと、国内が荒れて焼き物どころではなくなります。
この為、手間暇をかけるのではなくさっさと焼いて、常に逃げる算段をしなければなりませんね。
この為手抜きが多くなり、青磁から米色青磁に変ってきて、それがより退化してこの様な焼き物が多くなりました。
これを三島青磁と呼ぶ場合が多いと思います。
例としてまず金さんの嫁さんが李さんとします。
オオ〜夫婦別姓か!さすがは先進国なんて言うには程遠い、随分と古いしきたりがあります。
嫁さんはあくまでも李一族の人であって金家の人ではないんです。
そして、生まれた子供は金家の人となりますが、嫁さんはあくまでも他家の人なん
です。
青磁の瓦を焼いている窯元の跡取りが亡くなりました。
子供はまだ小さい〜そこで嫁さんは義父に、青磁の瓦の作り方を教えてくれと
頼みますが、お前は他家の人〜伝えるのは我が家の跡取りでなければならないと
教えません!一子相伝ですね。
そして孫が成長する前に義父が亡くなって、青磁の瓦の秘法が消えて行った
そうです。
高麗は仏教、李朝は儒教〜儒教の精神は自分で作り上げていく物であります。
ですので儒教を取り入れた李朝では、出来上がった事を単に守るだけの仏教を徹底的に嫌いました。
仏教は弾圧を受けドンドン寂れていきます。
寺院は廃寺に仏像は首をちょん切られ僧は最下層の身分に落とされ土木工事に
使われます。
この様な事もあって線香臭い青磁は嫌われて近代まで復活する事はありません
でした。
左高麗、右三島です。
写真で見ても発色は全然違いますね。
ただ高台は李朝になると立派になります。
高麗の陶器の欠点は、高台が低く貧弱と思います。
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李朝陶磁器
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韓国に滞在していて李朝に狂いました。
もともと陶磁器が好きで、好きで、大好きで!!
猫に鰹節、休日、休日、骨董屋めぐり...でも
地元高の物も多く有りました。
もともと陶磁器が好きで、好きで、大好きで!!
猫に鰹節、休日、休日、骨董屋めぐり...でも
地元高の物も多く有りました。
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割れ・引っ付きなんでも有りの高麗青磁ぐい飲みです。
ぐい呑みと言っても、ぐい吞みとして使えるサイズと言う事で、最初からそのように出来た物ではありません!
酒器として徳利や盃が出来たのは江戸も終わり頃の様です。
一説では酒の度数が上がってきたので、小さな器で呑むようになったそうです。
李朝の器で酒器に転用できる物は多いですが、高麗と言いますと〜さて有ったかな?と考えてしまいます。
高麗の器で酒器になる物は少ないですね。
そう頭に刻み込ませながら、この傷物のぐい飲みを買った記憶があります。
見込みも、この様に降り物がついてます。
左横には引っ付きで、右縁には割れがあり、この写真は欠点が全部写った出来の良い写真となりました。
このぐい飲みが良いなと思ったのは、その発色です。
黒っぽい土に透明釉に微量鉄分を混ぜた釉薬を分厚く掛け還元で焼くのが青磁
の基本ですが、これが上手くいかない「貧乏したけりゃ青磁をやれ」なんて言うくら
いですから、本来の灰釉薬を使った青磁の発色にはかなりのバラツキがあります。
高麗時代に中国からやってきた〇〇さんが、高麗の青磁は翡色なんて書付て
本国におくった手紙が残っているのが有名な話です。
その後、秘色とも呼ばれるようになりました。
李朝の高台は力強く見事ですが、高麗は可哀そうなくらい貧弱です。
この辺りにも時代の特色が出て面白い物です。
いい青磁だなと思ったんですが↓
この盃は、二番目に良い青磁だと言われてもらった物で、以後青磁を見る時の
基準にしてます。
並べて比べてみますと、この通り〜翡翠にしては一寸落ちますね。
そうするとぐい吞みの色合いは3番目〜つまり並と言う事ですか?
これが一番実物に近い色です。
焼き物の写真は難しい!
次回は李朝の青磁と比べてみますね。 |
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砥部焼の窯元を訪ねた後、産業会館に行きました。
丁度大好きなぐい飲み展が開かれていました。
李朝が本家の三島盃〜この手、日本人の呑兵衛は大好きなんです。
盃の方は目視で径8Cm程、このサイズの物は本家では滅多に見る事は無いん
です。
何故ないか?
盃とは言いながら、皿からの転用品〜あまり小さいと使い道が無いからでしょうか?
先ほどの盃にたいして、こちらは刷毛目ぐい飲みになってます。
これも昔の日本人がつけた名前ですね。
多分茶方から来た呼び名〜異国の物に対して楽しい名前を付けているのが面白
いです。
粉引の徳利とぐい飲みなんです。
まずぐい飲みの方ですが、この様な形の李朝ぐい飲みはまずないです。
有っても、誰かの懐に入ったら出てきません!徳利は有りますね。
ですが破格の値段、貧乏サラリーマンにとっては限界値段に0が二つ付きます。
この作り方は、器体を作って半乾きの時に水で練った白い土を掛けます。
そして乾いたあと透明釉薬をかけて乾燥さすと言う焼き方をするんですが、この様な
物が焼かれていた頃は李朝初期の一時期でした。
白い焼き物が欲しいと言うあこがれから、この様な焼き物が焼かれたんです。
日本の志野も同じと言われています。
そして白磁が焼かれ出した途端、このような焼き物はなくなって過去の遺物になりました。
現地でpadaが買ったのが85年でした。
この学校には女子大としては珍しい考古学の学部まであって韓国中の窯跡を発掘していて、それをまとめたのが、この本です。
この女子大に朴前大統領を牢屋にほり込む元になった祈祷師〇〇の娘が不正入学しましたね。
大学受験日にはパトカーまでが出勤して送り迎えをするような国での大学不正入学〜この件でも怒り狂った民衆のローソク集会に一役かったのは間違いないと思います。
日本では、白化粧した器を、粉引・無地刷毛目・刷毛目・三島などに細かく分類しますが、韓国では「粉青沙器」と一括で呼び、日本みたいに細かく分類はしていません!
化粧土たっぷりの茶碗、やっぱり刷毛目は良いな!
残念ながら盃は載ってません!案外と少ないんですね。
次にパソコンで刷毛目盃と入力〜数点出てきます。
エエ〜そんな!
ブロガーがUPしている別の刷毛目盃でした。
生前形見分けで貰った盃だとか、2人が呼ばれて家に行ったら、粉引の徳利と刷毛目の盃が置いていて、この盃を貰ったとか!
その後、二人で育てて育ち方の情報交換をしてるみたいですね。
まるで子供を育てているみたいです(笑)
ついでに〜この大きさは滅多にないと自慢しているんです。
ここでも10Cmという数字が出てきます。
このタイプの盃のマニアの目標値が10Cmなんです。
こうなりますとpadaも手持ちと比べたくなります。
パソコンの右下の引き出しに何時も置いてる刷毛目の盃を、いそいそと取り出します。 3点置いているんですが、今回も取り出したのはいつものやつ↓
以前もUPしたんですが、又再UPです。
径は目標の10Cm以内、他の2個は10.5Cm程でオーバです。
何故小さい小皿が無いのかと言いますと、個人的な推測ですが↓
多分一人用、下の左端がご飯〜右側がメインの料理ですね。
小皿には単品料理を盛り付けて、数が多いほどいいみたいです。
皿は、この様に使われますのであまり小さすぎるとケチ臭い感じがしますし大きすぎると膳にのらずで結果的には11Cm前後が多くなるのではないかと思います。
韓国に居る時、日本人を卑下するテレビ喜劇をみました。
一人の漫才師さんが顔を左右に分けてるんです。
右半分の帽子をかぶってキリキリっとしたのが李朝人で左半分は墨を塗ったような顔の丁まげを生やしたのが日本人なんです。
この顔の右を見せたり左を見せたりで李朝人になったり日本人に成ったりします。
場面は朝鮮使節団が日本に行った時の想定で、話は日本&朝鮮、の違いを比較しながら進んでいきます。
勿論李朝が優れていて日本が劣っている設定なんです。
さて使節団の食事の時間になりました。
まず日本人の顔にして接待係に変身し、膳の上に日本料理を載せてどうぞと出します。
これがご飯に味噌汁漬物と言った質素な料理です。
次に李朝人の顔になり料理を見ながら首を横に振り、パンパンと手を叩きますとお付きの者が贅沢そうな韓国料理を運びこむんです。
お膳は同じなんですが、小皿に盛った料理が何と10数品〜狭くて乗らない物だから重ねて置いてるんです。
これを美味しそうに食べるのを日本人が涎を出しながら見てるんですね。
最初は腹立ちながら見てたんですが、あまりにもバカバカしくpadaは大笑い〜そうしますと韓国人が此方をチラチラ見るんですね。
日本語が出来る人が、これ本当かと真面目顔で聞いて来るんですね。
ここまで極端ではないが、質素倹約を尊ぶ当時の日本人にはあり得る事だと言いますと、結構皆さん納得してくれたように思います。
この時に、刷毛目盃の使い方が分かりました。
小さい小皿が少ないと言う事から一寸脱線してしまいましたが、次に気になる刷毛目がもう一点出てきました。
その刷毛目茶碗がこれです。
内側にロクロ目みたいな輪線が入っているような感じで、その上に刷毛目で模様を描いてます。 これ一寸独特な刷毛目なんですね。
全羅南道の刷毛目は、全体に刷毛目をいれて外側も上部に刷毛目を入れるんですが、このタイプは一寸上の小皿写真とは違いますので、どこの生まれかと思っていました。
その特徴を持った茶碗が目の前に現れたんです。
オオ〜有りがたいと思いました。
何故かと言いますと窯跡の表示がある事なんです。
この窯の記載を見て成程そうだったのかと納得できました。
熊川は慶尚南道すなわち、南東部の地域を言い釜山はこの地域にあります。
三国時代には全羅南道は百濟、慶尚南道は新羅〜昔から仲が悪いのが未だに
続いています。
新日鉄の徴用工の問題で最近度々出て来るポスコは最初に慶尚南道の浦項に出来ました。
次に第二工場をどこにするかで随分と揉めた様ですが、地域差を無くすと言うことで結果的に仲の悪い全羅南道に工場を作りました。
点在した小島を埋め立て、まずは社宅からつくり、銀行・郵便局・ショッピングセンターを作り次に慶尚南道の浦項から、初期の立ち上げ要員が全羅南道移住したんです。
殆どの人が慶尚南道出身者なので〜ここのスーパーで揉め事が起こりました。
そのトラブルの始まりがチョコレートなんです。
日本では有名でないですが、韓国にはヘッテと言う菓子メーカがあります。
球団を持つぐらいですから大きい菓子メーカですが、此のヘッテの出身が全羅
南道〜地元なんです。
そう言う事で、この工場内のスーパにあるチョコレートがヘッテのみでロッテが無いんです。
置け置かないと言う事から始まり、だんだんエスカレート〜ついにスーパの商品は
買わないと言う不買運動が起こり店と客の間で大いにもめたようです。
これがpadaの手持ちの刷毛目平茶碗、完品ですね。
そして熊川の茶碗と同じタイプです。
手に入れたのは全羅南道になりますが、どうも刷毛目の生まれは慶尚南道みたいです。
先ほどの刷毛目盃と同じ店から買いました。
値段はわずか、刷毛目盃の1/2なんです。
店主は大の慶尚南道嫌い〜坊主難けりゃ袈裟まで難いとは、この事でした(笑)
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プログ友の投稿にこの様な水滴がUPされました。
李朝分院の水滴です。
勿論参考として名品の図録を載せた物ですが良いなと暫く目がとまり見つめたままでした。
李朝水滴は沢山有りますが、その中でも優品かつ珍品なんですね。
どこが珍品かと言いますと、例えば右〜天部に魚の画があります。
ここに動物模様がはいると言う事は、それだけでも珍品ですが、そこに、もう一つ
金と言う文字が入るんですね。
これ金さん専用の水滴で注文品か?何て思ったりするんですが!
ジーと見つめているうちに、ハタと思い当たるものがありました。
そう言えばと押し入れの奥から引っ張り出します。
(以前にUPしたものですが、今回は趣を変えて再UPです)
ヤフオクで本物として李朝水滴が出品されました。
出品者の評価はダイヤモンド〜良いですね。
思いの外、値が上がらず一寸疑問を持ちながらも水滴はマイナーだからなと
自分に言い聞かせpadaが落札!
ドキドキしながら箱を開けます。
見た瞬間〜呉須の発色が全然ダメ〜コリャアカン!
箱もよさそうに見えますが、写真写りの良い様に小細工したものでした。
クソ!
珍品の水滴はそのまま押し入れに直行、幻の水滴になりました(涙)
この時、思ったのは写真は小細工が出来ると言う事なんです。
被写体をレンズを通してカメラ内部の記憶装置に取り込み、此処で見栄え良く加工して出力するんですね。
最高の出来はモニター画面、ここが各メーカの腕の見せ所とか。
なんとて、カメラの購入者は、此処を見て買うんですから!
さて、偽物を買ったんですが、その評価はどうするか?
済んだ事は元に戻りませんし、報復もあります。
騙された自分が悪いと思って、良いねにしました(涙)
ダイヤモンド評価の正体は案外、これの積み重ねだったかもしれませんね。
良く出来てます。
魚は荒磯文ですから皿なんかでは中国や日本では、よくありますが李朝では
有ったかな?
まして水滴なんて、やたらにあるはずがないように思えます。
しかも横に金の文字が入りながら全体のバランスは悪くはありません〜さて、この
発想はどこから来てるんだろうか?
長くそのように思っていたんですが、最初の写真を見て謎が解けました。
名品の写し物だったんですね。
陶土も違えば、呉須も違う〜本物に横に並ばれたらどうしょうもありませんね。
一目瞭然とはこの事、ギブアップです。
李朝官用の厳選された土と、その辺りの土とはこんなに違います。
呉須の作り方は、それぞれ直伝があるのではないかと思います。
呉須はアマチャでも、結構念入りにつくります。
市販の呉須を水では無くて、お茶で薄めます。
カテキンが作用して深い色が出るとか!これをすり鉢で摺りに摺ります。
100回でも200回でも摺ります。
こうしますと良く伸びる絵具が出来上がるんですね。
例えば迷品の波の線〜筆が伸びてないです。
粒子の荒い呉須は一気に地肌にしみ込んでしまって横に伸びないんです。
手抜き呉須の使用結果、波模様はグチャグチャになっていますね。
迷品に懲りて今ではヤフオクは見るだけにしていますが...
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30数年前に韓国で手に入れた三島徳利。
上がりも悪くスタイルもそれほど良くない、なのに何で買ったかなんです。
良く行ってた店は、夏枯れだったので良い古陶の仕入れはなく、売れ残りしかあ
りませんでした。
夏場は、草が生い茂りマムシが出るので発掘が出きないのが理由です。
普通だったら買わないんですが、手ぶらで帰るのも気が重いので買って
しまいました。
徳利の高さは16Cmチョイあります。
この寸法から行きますと、お預け徳利に良いのではないかと無理やり思いました。
徳利を大きさから分類しますと①燗徳利②お預け徳利③貧乏徳利&通い徳利
となるのではないかと思います。
①燗徳利:一合もしくは二合程度の徳利で同時に数本燗が出来るように、大体が
縦長で、幕末以降に登場したものです。
②お預け徳利:茶席で使う徳利で少し大型〜2号以上入ることが必要、これは
酒宴中、亭主が席を外した時、一杯やりながら楽しんで下さいと言う意味あいで
客は徳利を回しながらワイワイガヤガヤと賑やかにやるんです。
*あくまでもpadaの私見ですが、茶の湯の大流行は信長・秀吉の時代から
と仮定します。
主人&客は 招待したり、されたりでしたが、真の目的は、戦略会議だったのでなかろうかと
思います。
利休が切腹したのは、国内を統一した秀吉か朝鮮半島に目を向けるころでした。
もうミーテングは 必要なくなったから×にしたのか?
何だか匂います。
③貧乏徳利&通い徳利(どちらも室町時代ごろからあったみたいです)
この二つ、だいたいが同じものだと言う意見が多いですが、あえて分けて
みますと。
①貧乏徳利、貧乏な人間が酒屋に買いに行く為の容器で、一升以下の物を
さします。
②通い徳利、容器は酒屋の貸した物で、客は、中身を補充に通ったみたいです。
横道にそれましたが話を、この三島徳利に戻します。
酒の席に出た徳利〜それなりに褒めなければなりません、褒める為には見どころが
必要です。
そう言う事から、きっちりした白磁の徳利などは、中々話題が広がりづらいです。
この徳利白くて曇り一つなく綺麗だね〜そうだね。
で、次の客は???、言うことない困ったと成るんです。
その点、この三島徳利には話題にすることが何かあるような気がします。
酒宴の場面では、オオコリャ〜朝鮮の三島の徳利だにゃ!
まあ一献どうぞ!お次の方に二献目!
アレレ〜トクトクと音がした!三献目の音はもっと大きくなりますね。
徳利を一寸回すと、不細工なアバタが二つ、コリャなんだろか?
拡大したらこんな感じ!
これは400年前の陶工の指跡なんです。
これ出来損ないの欠点なんです。
所が昔の茶人は、この様な欠点を見どころとして取り上げたんです。
これが日本文化の面白さです。
例えば石が噛んでいたら、石爆(ハゼ)と言い、口縁で土が足らなくなった部分が
出来たらべべラと呼んだり、高台がロクロの回転が悪くて、真円が出ていない場合
は三日月高台なんて言って見どころとし話題にしてるんですから恐れ入ります。
酷い話が、完成品をワザと割って〜これで見所が出来たなんて大先生の利休さん
が言っているんです。
これワザとやれば、作為がありすぎておもしろくないです。
昔の李朝人が無意識でやった仕事に良さがあるなんて言ったのは民芸運動の
柳宗悦先生でしたね。
茶の湯のわざとらしさを嫌いながらも、この様な所には賛同する苦しさも見え隠れはします。
さて二本の指だけでは、この徳利は持てないので反対に回します。
引っくり返して反対側をみたら!
3本目の指跡が見つかりました。
これで、この徳利を持って釉薬かけ出来ます。
口の穴が小さいのでぐい飲みに次ぐには要領が若干いります。
これは欠点ですが、こうすれば上手に次げるとすれば長所になるんですね?
NHKの美の壺に出て来るんですが、首がくびれて、出口が小指一本入るぐらいが
丁度いい見たいです。
何故か?
トクトク〜徳利といい音が響くんですね。
口が大きすぎると音が出ないので面白くない、小さすぎると酒の出が悪いとなり
ます。
高台の底は目まぐるしい砂の跡。
畳付きの部分にもびっしりとついていたのですが部分的には、摺って落としているのではないかと思います。
さてこの徳利の用途は?
現代もそうですが、李朝には清酒を飲む習慣は有りませんでした。
飲むとしたら、マッコリでドンブリ鉢で飲んでいました。
では何用か?
ズバリ油壷だったのではないかと思います。
ですから李朝の徳利と言えば、あくまで見立て品と言えます。
丁度良い物を探してきて徳利としたのでしょうね。
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