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土用の丑の日、padaはウナギ抜きの土用干しの日でした。
婆さんは、よく土用干しと言ってましたが、虫干しと言う事もありましたね。
昔は梅雨が明けると、どの家も家じゅうの窓という窓は全部空け!
畳を外に出し、箪笥からは服を出して乾燥させたものですが、いつの間にかそのような習慣がなくなりました。
今は干しても精々布団くらいなんですが、残念ながら我が家にはpadaの集めた古布があるので、どうしても干さなければならないんです。
古布干しは色褪せ防止の為、できれば風当たりの良い陰が良いですが、これがあるようで案外と少ないんです。
昨日は虫干しには最適の日、まずは布団も押し入れから出し前面に干します。
これは、嫁には文句を言わさない予防の為と、日の当たる所には布団を干して
日光を防ぎます。
家の中も、この様に布を広げれる場所は全て利用して引っかけます。
布を重ねて置いてますと、下側になる布からは湿気が伝わってきて、コリャアカン!
ヤレヤレ〜思いついて良かったとなります。
元首狩り族の酋長も〜随分と日焼けしました。
この繰り返しで2〜3日かかりますが、自分で蒔いた種、面倒ですが仕方が
ありません。
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インドネシアの古布
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古布は写真を見るだけではわかりません!
では現物を見ればわかるのか?
答え:現物を見ても中々わかりません!
やはり触ってみるのが一番です。
写真のざるの下側の布が最初に手に入れたスンバの布〜これで失敗して後からの
布集めにつながりました。
どこが失敗かと言いますと、この布は紡績糸で出来てるみたいです。
もし、この布が手紬糸の布だったら、そこで満足して終わっていたはずです。
不良品をつかんだら、次に納得のできる物が欲しくなるのは当然ですね。
上側は手紬の布、この二枚の布の違い〜触った人が、どのように考えるか、大いに興味がありましておさわりコーナを作りました。
最近のスンバではラジャー(酋長)でさえも紡績糸のイカットを持っているとか!
つまり1980年頃から、ほとんど手紬糸での布はなくなったと言う事です。
もしあれば、無茶高くて手に入らないみたいで、ネットでは日本人にとってでも高い何て書かれています。
ですがラジャーにとっては大事な死衣装は紡績糸ではなく手紬糸を使った布で
なければならないと言う事で自分の為に必死でかき集めているらしいです。
酋長であれば、100枚から〜200枚ほどの布を持ってあの世に旅立たねば馬鹿にされるんですから、なんとなく分からない事でもありません。
でも残された関係者にとっては、大変勿体ない話ではないでしょうか?
死人に口なし、ここで色々と問題が発生しているみたいです。
さてユーチューブから拾ったスンバ島の村の画像です。
マプアの家(とんがっている部分には神が住んでる)の巨石群の前で遊ぶ子供達〜何気なく見ていて気が付きました。
この石は墓石なんですが、墓は墓でも一般人ではなくラジャー(酋長)クラスと思います。
2年〜3年かけて作るラジャーの墓ですが、その割には貧祖なんですね。
巨石の回りには、彫刻された石像が数多くあったはずなんですが見当たりません!
何故なくなったか、ネットでの情報ではエスニックブームの時に盗掘にあって無くなったとありました。
当然ながらラジャーの死衣装共々無くなっているんです。
誰が盗掘したのか?勝手な推測ですが、ご子孫の皆様が束になってやった事ではないかと思うのですが、ひょっとしたら次代のラジャーが中心人物だった?
可能性、十二分にありえます。
*荒らしても自分のご先祖様の墓だから、他人は口出しできません。
ではラジャーとはどの様な人物か?
昔インドネシアで手に入れた本を取り出します。
値段は当時の値段でRp18万!
デパートで買った本ですが、本のコーナで開けて見ていましたら、可愛い女店員がニコニコしながら近寄って来てチョコレートを買ってくれと言います。
子供ではなくて大人ですよ?
まさかと思わず聞き返しましたら、もう一度同じことを言います。
本気なんだ!
言葉が通じた楽しさもあって思わず大笑いですが、給料を聞いたらRp15万とか
当時のレートは1万円=20万Rpでした。
チョコレートで手なずけて・・・とはpadaは思いませんでしたよ(汗)
内容は普通ですが、それにしても高い本です。
この本を開けますと↓
100年前のラジャー達の集合写真です。
当時のオランダはスンバ島を間接支配をしていました。
つまりラジャーを任命し権力を与え、そのラジャーにスンバ人を支配させるわけです。
ラジャーは現代の会社で言えば現場責任者というレベルで守備範囲を決められて
10人程はいたようです。
これはどこにでも通じる、当時の列強各国の植民地支配の方法でした。 *ラジャーの跡取りは正妻の長男がとります。
では正妻に男子がいなければ?そのラジャー家は断絶だそうです。
この写真に登場している人達は、当然ながら、今ではあの世に行ってる
はずなので、先のラジャーの墓が、この写真の人であっても不思議ではない
です。
padaが特に気になるのが、身にまとっているスンバの布です。
ラジャーが亡くなった時は、ほぼ間違いなく、棺桶にかけられて2年ほどマプアの
家にあったはずと思いますが、その後埋葬される前には数枚抜かれたのでは
ないかと?そして埋葬された後もドンドン抜かれて行ったのではないかと思います。
そのようにしてリサイクルされていったのでは?
この件は以前UPしましたが、これひょっとしたら盗品ではないかと思うようになって
きました。
ロンボク島の現代風の布を作っているコミュニテイの資料室に非売品として展示していた布ですが、これらはスンバ島から船に乗って質入れに来た古布なんです。
地元にも本土(ジャワ島)などから布の買い付けにきますので、最初からその人達に売った方が高く売れるのは日本と同じなんですが、なぜ質入れなんでしょうか?
スンバ人がいる地元では簡単に売れない理由が有ったんですね。
この辺りに日本人が理解しがたいインドネシア人のプライドを見ることができます。
ご先祖様の墓の物を売るのは後ろめたい、それでワザワザ船にのってロンボク島
まで質入れに行くんです。
*インドネシアの質屋のシステムを言いますと、もし質から出しても利子はつき
ません、一旦質に入ると質出しはまずないと言う事になります。
その布が何故padaの手元にあるのか?
インドネシアが暴落・暴動で荒れた時にロンボク島に観光客がこなくなりラマダン(断食→イスラム正月)を過ごせなくなりました。
この時ジャワ島で自称骨董屋をしていると言うサニーに買ってくれないかとの連絡
が入りpadaが購入したのです。
この辺りのいきさつは以前投稿記事を参照ください。
1912年撮影の手紬糸を作っている所です。
スンバの手紬の布を作る為には
➀綿花の収集
➁糸つくり
➂染(染色)
④織り
となります。
この作業でいちばん工数がかかる作業は➀〜②だそうです。
紡績綿だと➀〜②が無いので、その分安くなりますよね。
ネットの中での話では、天然物の綿花で布を作ろうとして綿を集めたら一枚分の糸作りに二年かかったと言う話がありました。
*前回投稿の一般人のお婆さんの棺桶で約80枚の布をかけてるんです。
④の織は普通サイズの布で一人、年間10枚ほどが限度みたいです。
そうしますと8年分が無駄?になると言うか?利益を生まないんですね。
一緒に埋葬するのは、そうでしょうが?
その後取り出して利益に還元してるのではないかとも思います。
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この壁を利用し古布を展示します。
陶芸サークルの仲間と一緒に展示会を始めるんですが、padaは陶芸ではなく空いた壁を利用してスンバの布を展示します。
陶芸だけだと、この壁の空間があいてしまって一寸寂しいので先輩がしつこく声を
かけて来るのもわかります。
一列に展示してみると中々圧巻、この布を手にして、既に20年以上たってますが
まず我が家では4枚並べて、この様な見方はできません!
これが無料ですから感謝です。
この壁に4枚〜対面に3枚を展示する予定でしたがイカット(絣)は、この面だけでギブアップしました。
このテーブルの上に脚立を立てて布をかけるのは随分と疲れます。
理由は布が重たいのと、両サイドのフックの動きが複雑なからなんです。
釘でも打っていてそれに引っかけるんであれば簡単ですが・・・
さて此方の面にはイカットは諦めて、もしやと思って適当に持ってきた軽い羅紗の
方をかけます。 先に壁を埋めなきゃ後ができません!
辛い所です。
何とて爺さんに婆さんばかり・・・この上に立てた脚立に上がれと言うのは残酷
救急車を呼ぶ姿が頭に浮かびます。
最初に更紗を展示、右端はコップを展示するので半分のサイズのサロンにしました。
この面の展示はあっという間に終わりました。
やはり軽いと随分とらくですね。
布の展示後、机に陶磁器・盆栽を並べて完成!
この部分は4人の展示になります。 昨年は更紗↑の展示でした。
最初は反応なかったんですが地元のケーブルテレビで紹介されて、結構見に来
られたみたいです。
その時、説明を求められて困ったとか?今回は、此処にいて欲しいなんて言います。
その為に説明書を書いてるんですがね?
残念ながら、読む人もいますが、ごく少数みたいです。
ここの女店主は欲が無い!
営業時間は9:30〜3:30で日曜は休み〜隔週で月曜も休みなんです。
ですので客層は限られてきますね。
興味持たれる人がいるかどうか?さてどうでしょうか?
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古布展示の副品として戦前にバタビア(ジャカルタ)に渡った物達を選び出しました。
選定には個人的には多少のこだわりがありました。
こだわり、その①
見ての通り〜全て水滴なんです。
推測では、木の盆のくりぬいた所に香辛料を入れ、調合する時に水を一滴入れるのに使うのではないかと思っているのですが?この辺り、調べても分かりません(涙)
そして生まれたお国がそれぞれ違います。
左からベトナム(安南)、カンボジア(クメール)、タイ、手前が中國になります。
インドネシアでは自国で陶磁器を作ってなく、全て海外調達品となるところが面白いですね。
日本から戦前にインドネシアに渡った物。
江戸→明治→大正→昭和と選びました。
日本製のマジョリカタイルなんですが・・・
日本→インド→インドネシア→日本と旅をしたものです。
前の持ち主によればインドネシアには多くのインド人が住んでます。
その人達は回教徒ではありません、ヒンドゥー教徒で、家具に埋め込んだりして
使用したものと言う話でした。
一寸苦労したのが左右に並べた説明書!
簡素にまとめねばなりません!
これが、結構難しい!中途半端には書けず色々調べます。
例えばスンバ島の布、古布は極端に少ないんです。
50年ほど前の物でも中々ない、この理由の一つに土地の先祖精霊信仰の為、無くなるんですが、これを裏付ける資料が欲しいと考えました。
そして見つけたのが↓
写真も文も全てです。
最初のとんがり屋根のとんがった部分には、神様(ご先祖様)が住んでます。
人が亡くなると下の写真の様に家の中に安置され、長い期間〜家族と共に
過ごします。
*ここが日本人の常識とは大きく違いますね。
ついでに上の棺桶は上級クラスの人で横に寝てますが、下側は座らせています
ので 多分並のクラスの人でしょうか?
並でも棺桶(一番下)には80枚のイカット布がかけられるんですね。
そして最終的には、イカット布と一緒に埋葬されるんです。
本にはイカット一枚織るのに半年から〜10カ月なんて書かれていますが、これ
をオーバーな表現と考えてもボデーテンションの原始的な織り方なので3か月程度はかかります。
そうしますと、一人の織子が織れる布は年間たった4枚なんです。
ラジャー(酋長)クラスになりますと、100枚から〜200枚かけるとか!
つまり酋長に仕える織子は一生〜酋長の天国行きの為の衣装をつくらなければならないと言う本の表現も理解できます。
この地では嫁をもらう時、男性側からは水牛とか馬とかを送り、嫁からは自分が織った布を持ってくると言う事なんでが、この意味合いが何となく分かってきました。
このスンバの布には死後の旅への精霊が入り込んでいるんですね。
死後を目指して布を作り、祭事にはそれを身に着け、普段は壁にかけて楽しみ
死後は一緒に葬られる、一寸恐ろしくなってきました。
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インドネシアに住んでいた時、汗びっしょりで家に帰りシャワーを浴びて缶ビール
をがぶ飲み!
インドネシア製のビールはとにかく水っぽい!
一本が二本に・・・
その時、嘘つきサニーから電話がありました。
今から売主と一緒に布を持って行く!
この手の話、3回〜4回に一度くらいは当たることがあるのでおろそかには出来ないんです。
そして出されたのが、この布!
今まで見た布と全然違う!
なんとてインドネシアは布の生きてる博物館と言うくらい珍しい布がある。
布の生まれはバンダアチェとか、あの恋人と手をつないでいるだけで鞭打ちの刑に
あう所です。
インドネシア政府もなんとか止めらそうとするんですが暴動が怖くて手を出せないみたいです。
どう見てもイスラム色の強い布ですが、目は一点に集中。
コリャ凄い!
普通、房は共布なんだが、これはズシリと重い銀の房が付いてる。
コリャ良いねと、お買い上げとなりました。
後日素面になって見てみると手触りが一寸違う〜どうもナイロン製みたい(汗)
一寸悔しいが、初期のナイロンは高価だったのだと納得させたのが20数年前の話です。
そのまま日本に持ち帰り押し入れの奥に隠していました。 久しぶりに取り出します。
しかし凄い織り方をしてますね。
この布は赤・シルバー・白の3種類の色のナイロン糸を使って編み、浮き織にして
いるようで、手織りの様に見えます。
昔はナイロンは「蜘蛛の糸より細く〜絹より綺麗で〜針金より強い」なんて言われていたとか。
当時は未開発国にとっては貴重な糸でしたが、今では誰も見向きもしない素材〜
でも考え方を変えると珍品となるのではないかと思う事にしました。
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