NO MORE HEROES


The Stranglers - No More Heroes (TopPop) (1977)

この曲を前記事のA-NUDEのライブでやりましたが、イントロをキメた後エンディングの回数を間違えました。。


気ままにさんがスターウォーズについて書いてたのでちょっと昨今のヒーロー映画について書きます。
最初のSWは「こんな事が映像でできるんや!」という驚きに満ちていました。あの「マトリックス」以降そういうサプライズはCG慢性化で希薄です。

最近ではマーベルの「アベンジャーズ」シリーズが大騒ぎになってますね。まあメディアが煽ってるのもありますが「ボヘミアン」と同じく殆ど批判を目にしません。

私はこれまでに1作目と「キャプテンアメリカ/ウインターソルジャー」をネットで観ました。
話はよく出来てると思いましたがクライマックスのCGはお約束であまりコーフンせず。
映画も音楽も時代の文化で別にええねんけど自分なりになんでお祭りに乗れんのか考えてみます。


パンクは「もうヒーローなんかいらない。自分で変えろ」って歌ってたのに、それ以前のコミックの超能力合戦に大騒ぎしてる今の世代ってなんじゃそりゃ、って違和感がある

CGでの大破壊が慢性化し飽和状態で想像力がかき立てられる余地なし

情報が溢れかえっている現代、世界の紛争や矛盾がお気軽にバックグランドにされている

そもそも超人が集合して友情的なモノに真剣に共感できない。ドラゴンボールやAKBも同じく

などでしょうか。イビツかも知れませんがホンネです。シネコンの半分以上がこんな映画じゃなあ。
「エクスペンダブルズ」みたいに全員筋肉バカでCGなし。だと乗れるんですけど。

あ、「ゴジラ キング・オブ・モンスター」観ましたよ。
ゴジラにギドラやラドンがCGで大暴れ!そこにモスラ〜や!ザ・ピーナツも出るかと思いました。
お話はメチャクチャですがやっぱ原体験に勝るモノなし。


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Y君に誘われた「A-NUDE」はVo/Kb.が♀、G/B/Ds.が♂の男女5人組で私以外は奈良出身。
JITTERIN'JINNともお友達な(元カノ?)ゴシックとポップが融合した、当時のインディーズで言えばG-Schmittに似てなくもないバンドでVo.のヨーコもそんな感じでした。

2年ぐらい活動したけどなぜか当時の写真1枚もないよ。ビデオはあるけどデッキないし。
このバンドではいろんな経験しましたな。曲はヨーコが殆ど書いてたが不詳私の曲が初めて採用されて録音もしました。

♪新しい風が 私を誘うわ I Say LOVE♡...(以下略)


当時はアメ村が拠点でスタジオの名物オーナーSさんの仕切りでアメ村初のオムニバスCDに参加したり、ブーミンやバーボンハウスなどいろんな箱に出ました。時は平成元年。バンドブームでしたし。

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なんちゅうても一番の思い出はメンバー全員で奈良少年院に入った事ですな。
これはヨーコの友人の教務官から文化祭での慰問ライブを依頼された訳ですが塀の中でライブなんてJBとかBBみたいですやん。当日はSさんの機材車で楽器とPAを講堂に搬入。
奈良少年院は昨年老朽化で閉鎖されニュースにもなってましたが、当時でも十分レトロな佇まいで今となっては貴重な体験だったと思います。

なもんで曲もオリジナルだけちゅう訳にはいかず、当時大流行りだったレベッカ、プリプリ、パーソンズ、はてはコンプレックスまでノリノリで演奏しましたわいな。

「平成元年大文化祭」の大看板の元。お客様は血気盛んなティーンの野郎ども。
はっきり言ってステージの♂なんて誰も見てまへん。熱すぎる眼差しがVo.とKb.の♀に集中する訳でございます。このビデオも手元にありますがY君のBARワイルドハニーでも見れまっせ。

教務官がいるので席を立つ事は出来ないものの終盤のこの曲では図太い声援もとんで盛り上がった。バンドのイメージ的にもパーソンズは一番近かったかも。やっぱ名曲。























A-NUDEはその後ブーミンでの解散ライブも個人的には印象深い。「あの素晴らしい愛をもう一度」をアレンジしたりゴシック、歌謡曲、パンクといろんなジャンルを消化できたよな気がします。
1990年。バンド解散後、勤め先のレコード屋で事件がありわたしゃ会社も辞める事になりました。

バンドマンサーガ第一章。エピソード5にてとりあえず完。

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このままじゃいかん。

と遅まきながら奮起したレコード屋勤務24歳。
父がガンで逝き彼女に去られ社内じゃハミ出し者。よーやく人生の何たるかを認識せざるを得ず、親のスネかじりから家賃3万5千円のクーラーなし西日のアパート暮らしへ。

「ロックやる。レノン、パンタ、ルースターズ。当方ベース」

とのメンバー募集をロッキンオンに掲載。(ちなみにプレーヤーは「俺以外メンバー募集」的な連中が殆どなのでパス)
来た来た。結構こだわってそうなハガキが。何組かと実際セッションしたがなんか気合い200% c/w 頭でっかちなバンドが多かったな(自分は棚に上げてます)。

そんな中でこれぞと思うハガキが2枚あった。その内の1枚。

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すでに活動中ってとこがミソ。んで実際デモテープを聞いてびっくり。
すごい作曲センス。パンクとGSをミックスしたようなギター。他とは完全に一線を画していた。

すでにBELL'S CLUB はバーボン、エッグプラント、ヤンタ等でコンスタントに活動しておりライブのスケジュールも決まっていて私は当面お助けとしてこの「BELL'S CLUB」に加入する事になった。

オリジナル中心。カバーはルースターズに初期ストーンズ。完全ブリティッシュ仕様。
とにかくリーダーでVo.の大浦氏の才能と存在感には魅了された。歌詞のセンスもキレまくっている。ここに来てようやく自分がやりたかった音に出会えたって感じだった。音的にはルースターズはもちろん、コレクターズや初期スピッツのようなポップセンスもあった。

このバンドのおかげでルースターズ井上富雄のベースの神髄を修練する事が出来た(かな?)。
とは言うもののそれまでマトモなバンド活動はせずステージでのカタルシスも未経験だった私はかなり足をひっぱてたと思う。ファッションセンスもなく。


寝屋川 VINTAGE BARを皮切りに大阪のいろんなライブハウスに出演した。どれぐらい在籍してたんやろう。1年半ぐらいか。
「HELLO KEI」という誰が聞いても一発ノックアウト、典型的シンガロンで共演したバンドが惚れ込んでカバーするぐらいのキラーチューンがありライブでは大抵この曲がピークになった。

いろいろあったがその曲で'88関西フレッシュサウンズコンテスト」の決勝戦に出場。
大阪厚生年金会館中ホール。司会ハイヒール。ゲストCCB。ホールは満員。

10組ぐらい出てたと思うがハッキリ言ってリーダーは優勝する自信十分だったと思う。
バンドがひしめき合う楽屋はBOOWY全盛期、その手のバンドにはパフォーマンスも曲も負けてない。
一組だけ最初から事務所がついてるようなバンドがあり楽屋も別扱いだったが。


ハイヒールりんご
「エントリーNo.7。最新型グループサウンズ。地味な中にも芸達者」って紹介でBELL'S CLUBの演奏がはじまった。それまでのバンド見てたがこりゃ行けるわと思った。

その時のオンエアテープは今も手元にある。
勝手にアップするのは気が引けるので今度本人に許可もらいます。(って30年会ってないけど)
ちなみに天才ギタリストのY君は三国ヶ丘FUZZの隣BAR「ワイルドハニー」を絶賛営業中 
モッズファンは絶対にサティスファイな店ですわ。http://fuzzbarwildhoney.info/top.html


んでコンテストのエントリーNo.10は例の事務所付のバンド。
そのパフォーマンスたるや見た瞬間「こりゃ負けた」であった。
ボーイッシュでキュートなヴォーカル。ロカビリーに根ざしたサウンドにキャッチーなメロ、ドラム女子のストローク。振付けも決まってる。
あからさまな出来レース。こんなの先に出てたら他のトーシローバンドは形無しや。

結果この「スナフキン」ってバンドが当然ながら優勝。
2位 ファッションパンクスのバンド(ファック!)
3位 BELL'S CLUB

リーダーの落胆は大きかった。私は生涯唯一の女子(CCBファン)からの黄色い歓声を浴びそれなりのメリットがあったのだが・・・

その後なんやかんやでバンドはメンバー解雇したのち解散。
私はY君に誘われ女性ヴォーカルのニューウエイブ「A-NUDE」に加入。


その少し前。レコード屋でコロンビアを担当してた私はイカ天で大人気(大阪では放映してませんでした)とかいう売り出し中のバンドのサンプルビデオを頂いた。
その日はなんかウツで帰宅して気乗りしないままビデオをデッキに挿入した。一気に目が覚めた。

あの「スナフキン」があの時と同じ曲を演奏していたのだ。JITTERIN'JINN という名前で。


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♪エ〜ブリデイエ〜ブリナイあ〜いたくて〜。つべにねえよ。つづく。

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