2017年10月25日
遠藤賢司(以下エンケン)が70歳で死んでしまった・・・・・
エンケンファンとして好き勝手、超個人的な想いを書きます。
弔いのつもりだけど、自己満足だろうけど。
確か1992年だったか、西荻窪のライブハウス「アケタ」
という超狭い箱にリクオを観に行ったんだ。
21歳当時の私はロックやブルース、音楽にどっぷり時間を費やしていた。
このときのゲストがエンケンだった。
確かいきなり長編の「輪島」をやった!
グレッチギターの歪みと語り口調であの横綱輪島が、
プロレスに転向したときの唄を唄った。
1時間にも30分にも感じたその唄、その世界観を堂々と発信したエンケンに
イッキにハマった!(^0^)
なんだかスゲーのが居るんだな!と大発見した気持ちだった!
しかしそのとき一緒にリクオ目当てで同席していたNちゃんは
「私は苦手〜・・・・・・」と煙たそうな顔をした。
当時はインターネットも携帯もないから、確かライブ告知のフライヤーか
「ぴあ」でエンケンの次のライブを見つけるしかなかった。
エンケンのライブは比較的小さな箱で行われることが多かった。
しかし毎回コアなファンが来るので自然と、顔見知りになって話したり
彼らと飲みに行ったりもした。
当時はバイクの駐禁も皆無だったので、バイクで都内のエンケンのライブは
毎回行った(^−^)
ソロでアコースティックスタイルより、遠藤賢司バンドの方が好きだった。
1993年も1994年も1995年もほぼすべてのライブに足を運んだ。
エンケンが岡本太郎が好きなことも同調したし、
なによりも
自分のやりたいこと表現したいことを堂々と発信している姿勢が
カッコイイ!男はこれだぜ!と狂酔したのだ(^0^)
好きな曲もたくさんあったが、正直そんなに好きじゃない曲もある。
ライブに行くと曲順は違えど、結構同じ曲をやることが多く、
それは多くの演者がそうだが、少し食べ過ぎておなかいっぱい感にも
見舞われてた。
1996年の11月の南青山マンダラでエンケンを観たのが最期だったろうか・・・・
1997年4月からは仕事が変わり、生活スタイルも変わり・・・・・・・・・・・・・・・・
仕事に費やす時間も多くなり、ライブハウスに足を運ぶこともなくなっていった。
当時仕事は順調そのもので、多額の収入を得る代わりに
遊びに時間を空けなくなり、エンケンは変わらずやっているだろうくらいの熱量に
なっていった。
2003年からはインドへ行ったり、
タイへ行ったりと海外に目を向けて
関心はそっちに行き、エンケンの音源からも遠ざかっていた。
それでも時折、エンケンの好きな曲を回想したり思い出したりはしていた。
20代のときに影響を与えてくれたことは確かだからだ!
エンケンの「史上最長寿のロックンローラー」と言う曲がある!
「百から一引きゃ、白寿の九十九」という歌詞のように、
エンケンは有言実行!!
99歳になってもヨボヨボのジジイになっても「不滅の男」で
ロックを奏でてくれると思っていた。
70歳なんかで死んじゃうなんて思ってなかった・・・・・・・・・・・・・・・
おい!エンケン!死ぬの30年早いじゃねーか!!
決して一般受けする歌い手、演者じゃなかった。
それでも自分が発信したいことを続けていたエンケンは
やっぱりカッコイイんだ!
本当は大阪でライブの予定あったのに、治療に専念ってことで
中止にして、結局振替のライブは実現しなかった。
人でも猫でも動物はいつか死ぬ、当然なんだけど
エンケンの死も寝耳に水だった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いっときでも夢中にしてくれた。
そして今でも心に残ってるし、これからも残っていく。
エンケンありがとう!
決して器用じゃない人間でも力いっぱい生きていくお手本を
示してくれたと思う。
けなしてるのではなく、素直な俺の感想です。
エンケンも沢山の猫たちと過ごした。
冥府でかつての里子、猫たちと再会したかな。
ありがとう。エンケン。