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タバコをやめたのはもう10年前になる。
今は僅かなタバコの臭いでも煩わしい。
それでもまだどこかに喫煙の身体的欲求を感じる習慣がある。
洗脳とはこのように極めて危険なものである。
喫煙は生きていく上で全く必要なものであっても、このようになる。
洗脳による中毒は喫煙習慣にとどまらない。
食事もその一つである。
食事は生きていくうえで不可欠なので、より複雑な洗脳である。
3食と決められた頻度や量。食事の種類によって影響する心理と感情の動き
習慣はこれにとどまらず、最悪麻薬中毒に陥ると人生を破壊する。
このように明確に中毒症状の危険性が明らかな物以外にも、例えば思想や言論、そして人間関係など中毒に陥りやすい対象には事欠かない。
人間関係などは、その存在自体に影響する大事であるが、人間の支配欲は限りがなく、これに思想や権力が絡むと、最悪ナチスのホロコーストのようなものを引き起こす。
最近では、その中毒の対象は情報など、更に抽象的なものに拡散する。
スマホ中毒やSNS中毒は、孤独なライフスタイルに結びついて、更に人々を孤独においやり、中毒的な情報によって実質的な関係を遮断することになることもある。
SNS中毒が結婚のカルチャーを破壊するかもしれない段階に及んいるのではないだろうか?
無意識に中毒に陥った鎖を断つためには、自己の客観的な観察が不可欠である。
一つの鎖から自由になった経験は、気付きに繋がる。
そして自分が何に支配されているかを学び、そこから開放が始まるのである。
自我のもたらす、一時的な快楽は中毒への典型的な導入だ。
自我から自由になり、人生を楽しむためには、禁煙やダイエットは大きな経験となる。
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自我の終焉
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クリシュナムルティー 著 自我の終焉の研究を通じて 人生の質を高め真の自由を目指します。
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皆さんは、絶対に、いかなる理想、概念、信念ももってはならないのです。なぜなら、これらはすべて人間を滅ぼしてきただけで、問題の解決にはならなかったからです。 クリシュナムルティー
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自我の終焉を初めてお読みになる方はびっくりするかもしれません。
人によっては人生を否定された気分になるかも知れません。
その否定度合いによって依存度がわかります。
立腹された方は 、まず自我の終焉を読んでみることをおすすめします。
そして最後まで読んでもまだ腹が立っておられましたら、誠に申し訳ありません。
それは私の力不足です。
是非一度 クリシュナムルティーの著書をお読みになることをおすすめします。
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あなたが何の足場も持たず、確たるものもなく、何事かをなしとげてもいない場合、その時にこそあなたは正しく見、正しく行なう自由を獲得できる。そしてその自由をもって世界を見る時、すべては一変して新しい様相を呈するのだ。 どんなに非道な個人 集団にも 独自の正義は存在する。 国家が正義を強制するのは 個人を封殺する行為であり それは正悪の問題ですら無い。 問題は強制にある。 この強制には必ず反発か同化が生じるが これは自我を強化してしまうので 闘争を深めるだけである。 立場を捨てて 利害を超越するところにしか真理は無い 利己的 他己的であるこ何物からも自由は得られない 苦痛や快楽も自我を強化する 自由も得ようとして得ることの出来るものでは無い 絶対的自由は自我の終焉によってしかもたらされない そして それは時間の概念を越えないければならない 時間の概念はその段階で自由を遠ざけるものである それは基準に時間を持ち込まない行為で それは不断の運動である そして 不断の運動には真摯な集中力が必要である それを瞑想と読んでも差し支えないのでは無いだろうか
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沈黙はあなたの周囲だけでなく、あなたの内部、川の中、そして静まり返った木々の中に充満している。しかしそれを家に持ち帰ったり、頭や手中にとどめたり、あるいは何か非常にすばらしい状態を実現したなどという考えにひたることはできない。そうできたとすればそれは沈黙ではない。 最近 常に疲労を感じるのは 思考が沈黙することなく常に争いを続けているからではないかと 争い方は 十人十色 正面攻撃あり 寝技あり これでは疲れても仕方ない 最近 HIPPIにあこがれるのです それはもう本当に争うのが面倒になってきたからかもしれません 静寂と沈黙の価値は どんどん上がっているのではないでしょうか? 逆に得がたい経験になりつつあります なぜ争いがやめられないのでしょうか? 争いから無縁の生き方は無いのでしょうか?
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孤独は、その恐怖や苦痛とともに、孤立であり、自我の避けがたい行為である。 あけましておめでとうございます。 すがすがしい新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。 さて 2011年はマヤ暦のハルマゲドンを来年に控え 第二の世紀末と言えなくはありません。 昨今 孤立主義は全体的な傾向であり それは個々の自我の集合体である総意であるのかもしれません。 自我に取り込まれて 破滅を迎えるか 自我を終焉して輝かしい未来を選択するかは まさに個々の心の問題です。 この大局的問題に無力感を感じるのはまさに孤立感であり 自己の変革がこの問題解決となるのでは無いでしょうか? 私は2011年のテーマに LOVE AND PEACEを上げています。 心の中にLOVE AND PEACEを!! それが人類に明るい未来をもたらします しかし 決して簡単なことではありません 一瞬の油断も許されない 真剣な運動として今年を駆け抜けて生きたいと思います。
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