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耀(かがや)く浪(なみ)の美しさ
空は静かに慈(いつく)しむ、
耀く浪の美しさ。
人なき海の夏の昼。
心の喘(あえ)ぎしずめとや
浪はやさしく打寄(うちよ)する、
古き悲しみ洗えとや
浪は金色、打寄する。
そは和やかに穏やかに
昔に聴きし声なるか、
あまりに近く響くなる
この物云わぬ風景は、
見守りつつは死にゆきし
父の眼とおもわるる
忘れいたりしその眼
今しは見出で、なつかしき。
耀く浪の美しさ
空は静かに慈しむ、
耀く浪の美しさ。 人なき海の夏の昼。 「夏の海」 中原中也
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詩
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いつものことだが
電車は満員だった。
そしていつものことだが
若者と娘が腰をおろし としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に 横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし 又立って
席を そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に 押し出された。
可哀想に。
娘はうつむいて そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をギュッと噛んで
身体をこわばらせて―。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて 娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように 感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで つらい気持ちで
美しい夕焼けも見ないで。
『夕焼け』 (吉野 弘)
吉野弘さんの詩と出会ったのは、高校の現代文の教科書でした。
『I was born』と題されたそのタイトルに違和感を覚え、その内容には衝撃を受けました。
命のはかなさ、命の重さ、それを感じさせられる詩であり、高校時代に出会っていなければ、きっとここまで
深く心に残ることはなかったと思います。
今回の詩『夕焼け』は、吉野さんの人を見つめる優しいまなざしが感じられる詩だと思います。
電車に揺られ、何度も娘の席の前にお年寄りが押されてきますが、三度目にして彼女は席を譲るのを諦める・・・
あるひとりの娘の葛藤を、まるで自分のことのように心痛めるやさしさ。
それを分かり易い言葉で表現される吉野さんの柔らかい詩が私はとても好きです。
今月15日に吉野弘さんが亡くなられたとのこと、今日の新聞で知りました。87歳だったそうです。
吉野さんは、1926年1月16日、山形県に生まれ、20歳代の頃に過労のため肺結核に患います。
闘病中に詩作をはじめ、その時に死を近くに感じた経験から、吉野さんの詩には生きることの意義や
人生観が込められているように感じられます。
やさしい言葉でつづられる詩には吉野さんの人柄が表れているようです。
非常に残念ですが、たくさんの素晴らしい詩を残されたことをとても有難く思います。
そしてこれからも吉野さんの詩を読み返しては感動し、励まされることと思います。
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生命は
自分自身だけでは完結できないように つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは 不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分 他者の総和
しかし 互いに 欠如を満たすなどとは
知りもせず 知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように 世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで 虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私も あるとき
誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない
『生命は』 (吉野 弘)
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この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに 耐えかねて
琴はしずかに 鳴りだすだろう
『素朴な琴』 (八木 重吉)
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私は一人の小さな女の子を思ひ出す、
それはリュクサンブール公園の五月の或る日のことだつた。 私は一人で坐つてた。私はパイプを吹かしてた。 すると女の子はじつと私を見つめてた。 大きなマロニエの木陰には桃色の花がふつてゐた、 女の子は音なしく遊びながらじつと私を見つめてた。 女の子は私が言葉をかけてくれればいいがと思つてゐたのだ。 彼女は私が幸福でないと感じたのだ、 でも幼い彼女は私に言葉をかけることは出来なかつたのだ。 榛(はしばみ)の実のやうに円い目をした女の子よ、やさしい心よ、 お前ばかりが私の苦悩を察してくれたのだ、 彼方(むかう)をお向き、どうして今のあんたに理解が出来ませう? 彼方へ行つてお遊びなさい、姉さんが待つてゐます。 ああ誰も治すことも慰めることも出来ないのだ。 小さな女の子よ、何時かあんたにそれが分る日が来るでせう。 その日、遠いやうで近いその日、あんたも今日の私のやうに、 リュクサンブール公園へ、あんたの悲みを考へに来るでせう。 「リュクサンブール公園で」 ギー・シャルル・クロス
―堀口大学訳詩集 『月下の一群』より―
■『月下の一群』は堀口大学の訳詩集、象徴派から20世紀初頭の現代派に至る66人の詩人の作品340編
を収める。
とくにアポリネール、コクトー、ジャコブ、サルモンなど、当時のもっとも前衛的な新精神の詩人たちを
紹介した意味は大きい。(Yahoo!百科事典より)
『月下の一群』は持っていませんが、いずれ購入したい詩集です。
上の詩と合っているかは微妙ですが、5月のキラキラした雰囲気が漂う曲だと思います。
『ノクターン(夜想曲)』 ドビュッシー(1892年)
かなりご無沙汰しておりました。
特にこれといって更新しなかった理由もないのですが、途中で断念した記事ばかりで、今日に至りました・・・
映画もそれなりに観たので、後々記事にしたいと思います。
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